暗黒社蓄は不労所得の夢を見るか
「株ってことはあれでしょ?いつもの司が失敗するやつ」
「やかましいわ」
あまりに心外な評価だが、今は飲み込もう。そんな事を議論している場合ではないのだ。状況によっては、それこそ1分1秒を争う事になる。
「あくまで俺達が巻き込まれた現象が正夢説じゃなくて、時間遡行説だった場合っていう前提での話ね。それでいてかつ、世界が俺達の知っている10年前と全く同じ動きをする場合の話。俺はある銘柄の動きを知っている。その銘柄は年明けから下落し始めて株価が1/20になる。そして8月末に底を打って、今度は1年以内に株価が20倍になる。それに乗っかる」
社会人になって、一時期猛烈に株にのめり込んだ経験が活きた。一応定期昇給はある会社だったが、給料もボーナスも思ったほどには上がらない。ならば自分で稼ぐしかないだろうと、手を出したのが株だった。何が良いって、仕事関連で勉強した内容や営業先で耳にする業界情報を活用できてかつ、移動時間の合間にちょいちょい弄るだけで手間がかからないのだ。これは素晴らしいとのめり込んで、銘柄研究をする中で見た過去のチャートが今回のそれ。
ちなみに俺の株式取引は、いつだかの中国発の暴落に巻き込まれ、元本割れをしたところで手仕舞いとなった。
「いや、いくら20倍になっても、その前に1/20になってるんだったら意味無いんじゃないの?」
「……潤、株取引ってどんなものか分かってる?」
「いや、そういうギャンブルはやらないから、あんまり……」
思わず頭を抱える。株がギャンブルときた。確かにそういう側面が無きにしも非ずだが、さてどこから説明したものか。いや、説明してどうこうなる問題なのだろうか。
とはいえ、一人でやるのと二人でやるのでは、得られる成果に歴然の差が生まれてしまう。可能な限りここで潤を巻き込んでおきたい。
「潤、ロト6は分かる?」
「それくらい知ってる。金をドブに捨てる遊びだ」
「またえらく辛辣な…。ならロト6の当選番号覚えてる?」
「いや、10年前のロト6覚えてたら変態だろ」
「まあそうだな。ちなみに競馬とか競艇は?」
「えーっと……、ディープインパクト?」
そりゃそうだ。株をギャンブルと言うやつが公営ギャンブルをやってるわけがない。これで何らかの奇跡でロト6の当選番号覚えてたら、それはそれでやりやすかったんだけど。
ちなみにディープインパクトは2008年の時点だともう引退してるし、出場した全てのレースで単勝オッズが1.5倍以下だから全然儲からない。
「俺の案を簡単に説明すると、ロト6の当たり番号やら競馬の着順が事前に分かってるって状態なの」
「つまり、日暮熟睡男作戦ってこと?」
「まあ、理屈は一緒だけど……」
「……なるほどねえ。うん、いいね。大体理解した」
まあ、納得してくれたならそれでいいんだけど、どうして潤のネーミングはこうも締まらない。そのネーミングだと部長オチで終わってしまう。「潤のバカはおるかー!!」って。……これまで何回かあったパターンだな。部長のポジションは俺だったけど。
「まず向こう1年半、来年の後期が始まるまでに1億円作る。それが最初の目標。で、それを運用して卒業までにサラリーマンの生涯賃金を稼ぐ。だいたい3億円かな。それが二人分だから6億円」
「6億!?」
ちなみにある程度マージンを見た上で6億である。その旨も伝えると「神様仏様司様」との評価をいただいた。
さっきまで人のこと詐欺師だの山師だの、そういうのを見る目で見てたくせになんと調子の良い事で。ただ、これをやっても嫌味にならないのが潤のいいところでもあるんだけれど。
「死にそうな顔で就活留年するやつとか、中小零細に就職で絶望してるやつの前でドヤ顔してぇぇ!」
「ホント良い性格してるよ……。ちなみに、6億の後は……、まあこの話の時点で壮大な皮算用だから、先の話は追々させていただきましょう」
詰め込みすぎは良くない。そもそも、3億の時点で十分すぎるゴールだ。しかもこの3億円は税引き後の3億円、つまり手取りの金額。一方で生涯賃金は課税前の支給額での数字だから、価値が全然違う。あれ、でも健康保険とかってどうなるんだろうか。ついでに節税なんかも調べたほうがいいかもしれない。
「潤、これでも見てちょっと予習してろ。ほぼほぼそれと同じような事するから」
そう言って潤に映画のDVDを手渡す。PS3はテレビにつなぎっぱなしだ。もっとBDが普及してれば、このPS3の評価も違ってたかもな。10年後も世間は結構DVDのまんまですよと、SONYに教えて差し上げたい。
「相場の状況確認と数字の裏づけでちょい作業するわ。終わったら計画の概要説明するから待っとれ」
「あいあい。あ、ポテチ貰うね。あとヘッドホン借りる」
潤なりに音が出ないよう気を使っているのだろうか。ならポテチも止めていただきたい。絶妙に気になる音なんだよな。あとガーリック味は匂いがキツい。
おやつの時間は回っているとはいえ、さっきのモダン焼きはもう消化してしまったのだろうか。結構でかいんだけどなあれ。この細身のいったいどこにそんだけ入るんだか。
「あとでヘッドホンに絡まった陰毛取っとけよな」
「陰毛じゃねえよ天パーだよ!陰毛が絡むヘッドホンの使い方ってどんなだよ。むしろそっちに興味あるわ。重低音の響きがイイっ!とかなるのかアホ」
打てば響くっていいなあ。天パーにしとくには惜しいくらいだ。
■ ■ ■ ■ ■ ■
ざっくりと資料もまとまったところでモニターを見れば、映画の方もちょうどエンディングテロップに入ったところだった。
「えーそれでは、キリもよさそうだから休憩無しでそのまま説明に入りまーす」
「その前に!なにこの映画」
「え?『ウォール街』だけど。金融サスペンスの傑作?」
「いやそりゃ分かるよタイトルくらい、前から棚に入ってるの知ってたし。それに面白いは面白かったけど!捕まったじゃん最後。日暮作戦はそんなにヤバイ橋渡ることになるの?」
「白か黒かで言えば限りなく黒に近いグレーだけど、何がどうあろうとセーフ、としか言いようが無い。企業が発表する内容を事前に知っているって意味ではインサイダーに近いんだけど、それをどうやって知ったか誰も説明できないから絶対に立証できない。正直に未来から来ました、なんて言ったって誰も信じないでしょ。ケンシロウが秘孔を突いてモヒカンを殺したけど、科学的に考えて指先で軽く触れただけで人体が爆散するわけないから殺人罪は適用できない、みたいな感じ」
そう、現代刑法ではケンシロウを裁く事は出来ないのだ。指先で相手に触れるという行為と相手の死の因果関係を、無理なく妥当性をもって説明できない限りは。
「いや、それ分かりやすくしようとしてかえって分かりにくい」
「つまり、まあ、概ね大丈夫でしょうって事。現代の法律はタイムトラベルを想定して作られてないもん。だから多分大丈夫」
「なんかいきなりモヤモヤするな」
「勝手にモヤモヤしてろ。それで人生最高のドヤ顔できるなら安いもんだろ」
これなら法学部に入っておけばよかったとぼやく潤を無視して説明を続ける。
「まず、日暮作戦実行に当たって条件が3つある。1つ目が絶対にこの作戦情報を外部に漏らさないこと。まあこれはそんなに難しくないかな。2つ目が資金の確保。最低でも6月末の時点で30万円用意して、8月の盆休み前までにはこれを150万にしたい。で、最後の3つ目が一番大事で難しいんだけど、今置かれてる状況が正夢説じゃなくて時間遡行説であることを確定させる事。これがないと計画が全部おじゃんになる」
「3つ目については良い案がある。それよりむしろ2つ目の方が難しいように思うんだけど。6月末までに30万は何とかなるにしても、そこから1ヵ月半で150万までは無理じゃない?」
「無理じゃないよ。30万溜まったらネット証券で口座開いて取引始めるから。そこから運用で増やす」
「いやいや、だって狙ってる株は8月末から20倍なんでしょ?それに30万を150万にしたら5倍だから残り4倍?時期も計算も全然合わない」
さっきまで株取引をギャンブル呼ばわりしていたやつにしては飲み込みが早い。頭の回転が速い生徒相手だと、教えるのが楽しくて良いな。
「じゃあまず、株取引の基本的なところなんだけど、潤は株取引ってどうすれば儲かると思う?」
「そりゃ、いろんな数値やら、あの変な折れ線グラフみたいなやつを分析したり、流行の先読みとか企業動向の情報収集とか、そんな感じ?」
「悪くないね。でももっと単純に考えて良い。確かにそういう分析も大事なんだけど、結局のところは安い時に買って高い時に売る」
「……で?」
「以上。それだけ」
「……は?」
優れた真実ほどシンプルなものだ。数学なんかは特にそうだろう。「E=mc^2」とか。いや、あれは物理か。アインシュタイン大好きか俺は。
「簡単に考えればいいんだよ。扱う商品が特殊ってだけで、やってる事はメルカリとかヤフオクの転売と一緒だから。ただ、仕入と販売を同じ店舗でやるってだけで」
「でもさ、そしたら絶対に損ってしないんじゃないの?だって買うより高く売って、売るより安く買えばいいんでしょ?」
「俺も昔同じ風に考えてた。まあすぐに分かるよ」
そう言って俺は、パソコンの画面を操作して、適当な銘柄のチャートを表示させる。
「さて問題。このチャートでどこが安くてどこが高いでしょうか」
「いや、だから簡単じゃん。ここが安くて、ここが高いんだろ?」
潤がチャートの谷と山をそれぞれ指差す。当然正解だ。誰だって見れば分かる。だからこそ意地悪問題、というかこれが本題なのだけれども。
「じゃあ次の問題。この銘柄は次どうなるでしょう」
「……いや、これは分かるわけないじゃん」
見せたのは違う銘柄のチャート。ただし、今度は3日分しか表示しておらず、しかもほとんど株価が動いていないので、これだけでは高いも安いもあったもんじゃない。
「んー、まあ及第点で正解かな」
「は?」
まさかの答えに潤が面食らう。普段はイタズラをされるばかりなので、なかなか気分が良い。
「株価が明日、いや、極端な話次の瞬間どう動くかなんて誰も分からない。潤の答えは正しい。分かるわけない。後になって見れば一目瞭然なのだけど、今現在の立ち位置がどうなのかっていうのは分からない。だからこそさっき潤が言ったみたいにいろんな情報を集める。次どうするか根拠を求める。例えるならこれはマインスイーパーみたいなもんでさ、普通にやったら開けたマスにヒントの数字すら書いてない。だからいろんな情報を集めて、一生懸命地雷を避けようとするわけ。で、今の状況何がすごいって、俺はどこに地雷が埋まってるか全部知ってる。絶対に地雷は踏まない」
「つまり、今の司はチート野郎って事?」
「ある意味ね。おおよそどう動くか知ってるから、1回取引を始めてしまえば30万を150万にするのは多分いける」
ちなみにこれが概算ね、と一枚のエクセルシートを表示する。買うタイミングと売るタイミング、そして取引する株数からどれくらいの利益が得られるかの表だ。
「あくまで理論値だから、絶対にこの通りにはならない。手数料も金利も計算してないし」
「でもこの『そーせい』って株はこの値段になるんでしょ?何でこの表通りにならないの?」
「そりゃお前、売るって事は俺達以外に買ってくれる人がいなきゃ成り立たないだろ。俺達が売りまくったら、それだけたくさん買う人が必要になる。当然買う時も同じ事が言える。その辺がどう影響するか未知数なんだよねぇ。極端に俺が知ってるチャートと変わるようだと修正が必要になる。それ込みで考えてもやっぱり1億はいけると思うんだけど……」
まあ、理論値どおりに行けば来年の秋口には13億円近くになるわけだし、多分大丈夫。
「なら30万といわずに、お金が準備できたらすぐに取引スタートすればいいじゃん。それはなんで?」
「口座自体は0円からでも開設できるんだけど、今必要なのは信用取引口座。これを開くのに最低30万必要なの。これすごい大事なんだけど、信用取引だと、売ってから買うってのが出来る」
「……無いものをどうやって売るのよ」
「説明するのが面倒だから、売れるものは売れるって飲み込んどけ。これを使うと、株価が下がってる時にも利益が出せるわけ」
「まあいいけどさ。でもそれで納得した。それで30万か。8月末までに1/20に下がる流れで儲けるわけね」
「そそ。あと大事なのが、信用口座だと現金を担保に、その3倍の運用資金を貸してくれる」
「つまり運転資金3倍で、3倍多くお金が増やせるって事?」
「そうなんだけど、実は3倍なんてもんじゃない。確かに1回当たりの取引で動かせるお金が3倍って意味では合ってるんだけど、それで得た利益を保証金に追加できるから、次は更にその3倍の金額が動かせるお金に追加される。結果的に、すげえ勢いで金が増える」
「等比で増えるってことか。だから13億なんてギャグみたいな数字が出てくるわけね」
とりあえず押し切ってしまったが、いつか空売りの仕組みを教えなければいけないのだろうか。理解すれば何て事はないのだけれど、説明めんどくさいなあ。
「俺からの説明はこんなもんかな。そういえばさっき、時間遡行説の確定に案があるって言ってたけど、どんな方法?」
「2回生の履修登録関係で思い出したんだけど、司覚えてない?文化人類学のオリエンテーションであったあれ」
「お帽子事件か!」
それは講義の初回、教授が課目の説明をしている時の事だった。どこの大学にもいる、特に学びたい事や意欲があるわけでなく、適当に要領良く単位を取って卒業できればOKみたいな学生が、教授から講義中は帽子くらい取りなさいと注意をされた。そこで理不尽にも逆ギレした学生が言い放ったのだ。「だったら先生も帽子脱ぐべきじゃないですか?」と。顔を真っ赤にして爆発寸前の教授。凍りつく教室の空気。指摘されて怒るようなら、もっとバレないような高品質のやつを被っていただきたいものだ。また実に無責任な事に、その学生はオリエンテーションの途中で教室を退出し、結局その科目を履修しなかった。履修登録の締め切りは全科目の初回講義終了後だったからだ。
「つまり文化人類学の初回であの事件がまた起こったなら、正夢説ではなくて時間遡行説で確定って事だな。うん、いいね」
日常的に起こりえない事件の予言が的中すれば、夢だったはずの現象は夢ではなくなる、はず。
とにかく、半月後が楽しみになる朗報だった。
そんなこんなで今後の方針も決まり、その日は解散となった。次のアクションは文化人類学の初回。それまで、各々で目標の30万に向けて金策をする事になっている。こちとら貧乏学生。バイトと奨学金の合わせ技でようやくカツカツなのに、どうやって資金を捻出するか。実際のところ、考えただけで頭が痛かった。
スマホ環境で画像の表示確認が出来ていないので、問題あった場合は教えていただければ幸いです。