Don't Panic!
「あ゛あ゛~!やっぱり二日酔いにはコーラが最高だな!」
当たり前のように人の家の冷蔵庫を漁り、350ml缶の偽コーラを呷りつつ潤が唸る。
シャワーを浴びた後、タオルの位置はもちろん、部屋着をしまっている場所まで熟知している潤は、勝手知ったる我が家よろしく状況度外視でくつろいでいた。
さっきまで寝ゲロ塗れだった人間とは思えない図々しさ。
……まあ、コーラの評価については同意するが。
「で、話を戻すけど、潤は昨日の2軒目の後どうしたか覚えてる?」
「ゲッフ!2軒目……、あの渋いマスターの店だよね」
眉間に皺を寄せたり腕を組んでみたり、「あー」とか「うー」とか声を出してみたりする潤。
「ウィスキーとナッツが美味かった」
「それで?」
「司がどんくさいって話で盛り上がった」
「それから?」
「司に金を貸した」
「…あとは?」
「そこの洗面所で水責めされてた」
しれっと俺が金を借りた事になっているが、これは潤のいつもの手口なので無視する。「CIAに非公式の尋問でも受けてるのかと思ってビビッたよね」とケラケラ笑う潤。
どうやら潤も、あの後の事は覚えていないようだ。
「ならこの状況はどう思う?」
「状況?そういえば何で京都?ここ昔の司の部屋だよね?」
「いや、俺も分からないから聞いてるんだけどさ……」
あっけらかんと言い放つ潤。こういう人間が大物になるのだろうか。
……もちろん皮肉だ。
とにもかくにも、二人で状況を確認し、共有する。
昨日は仕事終わりに飲みに行き、途中からプツリと記憶が途切れている事。
東京にいたはずが何故か京都の部屋で目覚めた事。
持ち物は、鞄も財布も、携帯さえ見当たらない事。
仕事終わりという事でスーツを着ていたはずだが、目覚めたら昔の部屋着だった事。
そして何より、時計が10年前の日付を指している事。
「なるほどね。つまり会社貸与の携帯もパソコンも、財布に入ってた社員証まで無くした司は、下手すれば懲戒処分の危機ってわけだ」
「いや、それもそうなんだけど、それはそれでマジでヤバいんだけどさ。今はそれよりも気にする事あるじゃん!突然京都だぞ?2008年だぞ!?」
「そりゃ普通に時計が壊れてるんでしょ」
「じゃあなんで京都?」
「もしかしたら昨日酔った勢いで京都まで移動して、懐かしい場所を歩いてたら元司の部屋があって、たまたま鍵が開いてたから入ってみたら、今の住人も司と似たような部屋のレイアウトで、生活してたってだけ…、とかないかな。そんな感じだよ、きっと……」
自分で言う状況のありえなさに、だんだんと理解が追いついてきたのか。
「……とりあずこれだけはっきりさせよう」
そう言って潤がテレビのリモコンに手を伸ばす。
なるほど、少なくともこれで今日がいつなのかは確定できるはずだ。
「司ぁ……」
リモコンを掴んだ潤がこちらへ見るからに動揺した顔を向ける。
「地デジボタンが無い……」
「……あー、なるほどね」
どうやら今は、本当に10年前らしかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
それからお互い何も口にしないまま、沈黙の小一時間。ショックで潤が使い物にならないので、司はいろいろと調べ、考えた。
まずは情報収集。さっきつけたテレビは普通に放送をしていた。混乱も無く放送ができているという事はつまり、全世界的にこの時間遡行が起こったわけではないという事だ。
次に、自分達以外に同じ現象に巻き込まれた人間がいないかどうか。
他に巻き込まれた人間がいるのであれば、ネット上にいつぞやのジョン・タイターのような書き込みがあるかもしれない。
そしてその期待は空振りに終わった。ざっと眺めたが、2chにそれらしい書き込みは見当たらない。恐らくここになければ、他のローカル掲示板を調べたところで同じだろう。
ちなみに、パソコンの表示も掲示板の書き込みログも、日付はやはり2008年だった。
最後に、部屋の中を調べる。パッと見た感じ、大学時代の俺の下宿だが、本当にそうなのか。そもそもここは本当に京都なのか。
結果はどちらも肯定であった。散らばったレジュメや期末のテスト問題、レポート用の参考資料等々を見るに、1回生の後期を終え、春休みも終盤に差し掛かった俺の部屋で間違いなかった。ベランダからの景色も、懐かしい風景そのままだった。
「さて、と」
コタツ机の上、すっかり炭酸の抜けてしまった潤のコーラを奪い、中を空にする。
「いろいろ分かった。これからどうするか考えよう」
「……そうだね。いつまでもこれじゃ埒が明かない」
助かった。どうやら潤もそこそこ落ち着いてきているようだ。
「確定したのは、ここは大学時代の俺の部屋だって事と、今日は2008年3月15日で間違いないって事、時間遡行に巻き込まれたのは俺達だけみたいだって事、それくらいだ」
うんうんと潤が相槌を打つ。
「あと分かった事がある。俺達には昨日までの10年分の記憶があるけど、こっちでの昨日まで、つまり3月14日までの記憶もある。さっき鞄のレジュメを見たら、講義の内容がリアルタイムの感覚で思い出せた。間違いなく10年後には忘れてた記憶だ。何なら昨日この部屋で何してたか、昨日の朝食に何食べたかも思い出せる」
当たり前の話だが、10年前の何月何日に何を食べたかなんて、覚えている人間はいない。
「同じように、大学のメールシステムのパスワードも思い出せたし、バイト先の仕事手順やら研究の進捗も思い出せる。携帯のロックも解除できる。つまり、明日からの生活は多分特に問題なく再開可能」
これは実に有益な情報だ。何とか記憶喪失状態は避けられる。2回生が学部窓口で、今さら大学施設の使い方聞くとか不審者すぎる。
「……思ったんだけどさ」
流れをぶった切って、潤が重い口を開いた。
「もしかして東京で飲んでた昨日までの記憶って言うのがさ、全部丸々夢だった、ってことは無いかな?」
「つまりすげえリアルで詳細な10年分の夢を、二人同時に見てたって事?」
「まあ、そういうことになるね」
確かに、二人揃って時空移動したという話よりまだ現実的だ。
人間の集合的無意識でそういう事が起こりうるとか、昔MMRでキバヤシが熱弁しているのを読んだような、読まなかったような。
いや、あれはレベルEの甲子園の話だったか。
「タイムトラベルとか、そんなドラえもんじゃないんだからさ……。どんなに不可解でも、まだ夢って言われた方が納得できる」
「そりゃまあ、そうだわな。アインシュタインも、未来にはいけても過去にはいけないって言ってたし」
一般相対性理論で確かそんな話があったはずだ。物体は移動速度が光速に近づけば近づくほど重くなり、高重力下では時間がゆっくり進むと。
物体の質量が大きくなればそれだけ重力は大きくなるから、つまり高速で動けば動くほど時間がゆっくり進む。その相対的な時間経過の差を使えば、未来への時間旅行が出来る。
ただし、これは相対的な時間の流れる速度の違いを利用した方法なので、未来には行けても過去に戻る事はできない。
だからやっぱり、10年前に遡るというこの状況はありえない。
……いや、今更だけれども。
「ぶっちゃけ、これ以上原因なんて考えたところで何が分かる気配もないし。暫定的に謎の夢説採用しとこう。考えてもどうにもならない事で悩んでても仕方ない」
「賛成。それでいきましょー。それに昼食べて満腹になれば、少しは気も晴れるでしょうよ。久しぶりに「くぬぎ」のモダン焼き食おうぜぃ!」
どういう切り替えの早さだ。さっきまでこの世の終わりみたいな顔してたとは思えない。
それに夢だった事にしたんだから、自分で「久しぶりに」って言ったらダメだろ。
しかしまあ、他に説明のしようもない。現実問題、今日も明日も生きていかねばならないわけで、今がいつなのか、なんで今は今なのか、なんてアホな疑問の結論を、世界は待ってはくれない。
腹は減るし金も減る。もう半月もすれば授業も始まるし、容赦なく学費や家賃、公共料金の振り込みもやってくる。
折り合いをつけて生きるしかない。
しかないのだが……。
―――人生はやり直せますよ。
何故か、マスターの言葉が脳裏に響いた。
人生をやり直す。普通であれば再出発の決意。あくまで、そういう「つもり」の覚悟の言葉。
でも今は違う。
世の中の酸いも苦いもしょっぱさ辛さまで、どっぷり味わった10年分の経験がある。
夢だったとしても、課の飲み会でゲロ吐くまで飲まされた事、設備トラブルで取引先の院長に深夜呼びつけられた事、倒産で売り掛けが未回収になった事等々等々、あの辛いリアルすぎる思い出の数々は、例えそれが夢であろうとも必ずや人生の糧になっているはず。
やり直せる、か。ちょっと真面目に考えてみてもいいかもしれない。
少なくともメンタルについては、学生時代の俺よりは間違いなくタフになっている。
「司?行くよ?」
「はいはい今行くよ。ちなみにお前は財布も持たずにどうやって支払いを済ませるつもり?」
「そりゃ、昨日貸した分を返してもらおうかと……」
「アホ抜かせ。もし万が一ホントに借りてたとしても、今朝のゲロ掃除でお釣りが来るわ」
そう言って、潤のボディバッグを投げ渡す。10年前に潤が使っていたバッグだ。
部屋の隅に転がっていたのをさっき見つけたのだ。
「何か不思議だな。昨日東京で飲んでた記憶と、京都の部屋でだべってた記憶が両方あるのに違和感が無い」
「ハハー。司よ気にするなただの正夢だ」
「正夢かぁ。正夢なら仕方ないな」
「ないなー」
正夢ってそうだっけ?なんて考えながらゆるゆると、徒歩2分のお好み焼き屋を目指す。部屋着で行っても気にならない、ありがたい店である。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「潤よ、ちょっと聞け。豚モダンを食べながらずっと考えていたのだけれど、正夢説について」
結局、例の超リアルな10年分の夢を全く同じタイミング、全く同じ内容で見ていた説を正夢説と名付ける事となった。潤曰く、勢い大事との事。まぁ良いけど。
「なんだ、なんか静かだと思ってたらそんな事考えてたの。それで勝手にトッピング追加しまくっても文句言わなかったのか」
人に驕らせた挙句そんな事してやがったのかこいつは。
「基本的には正夢説を肯定するんだけど、もし万が一本当に時間遡行してた場合について、可能性残しておいてもいいんじゃないかと思ってさ」
「……それでどうするのさ。タイムスリップしましたー、なんつってテレビにでも出る?どう考えても頭のおかしい人で終わりじゃん。納得の仕方が違うだけで、それって結局は何の解決にもならなくない?」
「いや、正夢説じゃなくてリアル時間遡行だったら、大学生活2周目って事じゃん。あの素晴らしい20代を、頭からもう一度だぞ?2周目のアドバンテージを使わない手は無いと思うんだけど、どうだろう?」
「ほう」
ようやく潤もこちらの意図に気付いたらしい。
大学生活の後悔、潤にだって無いとは言わせない。それに社会人生活の後悔だって、全部帳消しに出来るかもしれない。そんな可能性に。そうだ、人生をやり直せるんだ。
「じゃあ司さんにお尋ねしますけど!」
「お、おう」
なにやらすごい剣幕の潤。
「2回目の大学生活が出来るとして!どこを改めて、何をなさるおつもりで!?」
「そ、そりゃお前アレだよ、リア充を極める?」
「ダウト!今更人間性が変えられるか!生まれ変わるくらいしないと我々にあんなマネは不可能だ!そもそも今だもってあれが楽しいと思えない!」
「なら…、すげえ成績取って主席卒業とかしちゃう?」
「ダウト!在学中にやった内容など覚えてるわけないだろ。どの道ゼロから勉強しなおしだ!1回やってダメだったんだからもう1回やってもダメだろう」
「……就活をがん」
「はいはいダウト!ダウト!…ダウトおぉぉぉっ!!」
3回も、しかも3回目はがっつり溜めやがった。どうやら何かいけないものを踏んだらしい。
「就活なんて始まる前に終わってたじゃん!リーマンの野郎がやらかしやがってぐっちゃぐちゃだったじゃん!」
ああそういえば、こいつは大分苦労してたな。面接ダメだったり、不採用通知が届くたびにこの部屋に来て自棄酒に溺れてた記憶がある。
「つまり必要なのは、就活で大手企業から内定取りまくる、そんな方法?」
「……もう就活自体したくない。就活しないまま、就活を頑張ったやつに勝ちたい!」
「またクソみたいな事を仰る……」
でも、悪くないな。確かに就活は酷かった。リーマンショックの猛威は多くの学生をどん底に突き落とした。俺だって例外じゃなかった。そこで、就活なんて面倒な思いをせずに、就活をする以上の美味しい思いが出来たらさぞや痛快だろう。
ただし、当然ながら条件は非常に厳しい。それに全世界同時不況だというのに、日本の舵取りする連中が今はよりによって……、いや、その話はよそう。
政治と宗教、野球の話はタブー。営業職の処世術だ。
「しかしどうする?そんな事が簡単にできるなら誰も……」
ふと、付けっぱなしだったテレビが視界に入った。ちょうど15時前、番組と番組の間の短いニュース番組が経済のコーナーに入り、世界中の経済指標が画面に流れていた。
「そうだ、これだ!」
それを見た瞬間、何かがつながった。その正体を、その方法を、脳髄中からかき集める。そしてすっと全体がはっきりとする。まさに、脳天から電撃が走ったような思いだった。降りてきたそれは、人生をやり直す方法だった。
「潤、就活しないで就活頑張ったやつに勝つ方法、思いついた」
「マジか!どうやって!?」
「株!」
「えぇ……」
未だ絶滅せぬ珍走団を見る目で見られた。「うわー引くわー」と目が雄弁に語る。
「いや待て、聞けば絶対納得するから!絶対儲かるんだって!」
「それ言って詐欺師じゃなかったやつを知らないよ」
……酷い。名案なのに。