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損切り無き逆転計画  作者: 背筋主義
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ゲロへの扉

 ピンポン玉丸呑み大会で優勝したら、胃袋の不快感は恐らくこんな感じだろう。

 加えて頭痛も深刻だ。ドクンドクンと脈動に合わせて膨らむ痛みは、頭蓋の中にもう一つ心臓があるかのよう。浅い呼吸で痛みを散らそうとするも焼け石に水。焼け石にかけてしまうくらいならむしろ飲み干したい、ジョッキで。

 とにかく、酷い目覚めだった。


「……あったま痛ぇ」


 無理矢理体を起こしてあたりを見回す。


「ぅえ、あれ?ここ?」


 知らない部屋の景色に、思わず気の抜けた声を上げてしまった。

 ……いや訂正。心当たりはある。昔、学生時代過ごした部屋だ。

 問題は、何故この部屋で目覚めたのかと言う事だ。昨日は潤と五反田に飲みに行って、そのまま2軒目に……いや3軒だっけ?それ以上はパッと思い出せないが、まあとにかく飲みに行って、東京のあの小汚いアパートに帰ったはずだ。

 それがどうしてこの京都のワンルームで目覚めるのか。あれだけ酔っていたのだ。さすがにあの状態で京都まで移動は出来ないだろう。

 とにもかくにも、ベッドを降りた。

 記憶通りならば、確か目の前のドアを開ければユニットバスだ。頭痛も胃の不快感も、一発吐けば大分マシになるだろう。楽になって、考えるのはそれからにしよう。

 そしてドアをガチャリと、開けると人が倒れていた。

 こいつは知っている。大丈夫だ覚えている。と言うか、昨日一緒に飲んでいた潤、その人だった。


「おい潤、起きろ」


 細身とはいえ180cm近い長身を、狭いユニットバスの床に折りたたむようにしてうつ伏せになるという、実に器用な体勢で倒れた潤の頭髪を掴む。こういう時、こいつの天然パーマの髪は柔らかくて掴みやすい。


「うわ、汚ねえ!」


 顔をこちらへ向けると吐瀉物。トイレまではたどり着いたが睡魔には負けたらしい。せめて吐瀉欲求には勝っていただきたかった。


「うぇ…、あぁ…ん?」


 潤が素っ頓狂な声を上げる。とりあえず、死んではいないようでよかった。


「起きてるか?とりあえず顔洗え口ゆすげ。あぁもう!」


 声をかけても反応がなく、埒が明かないので潤の顔を無理矢理洗面台まで持っていく。髪にこびり付いたゲロを避けるため、余計に力が入る。

 潤の頭を蛇口の前まで抱え上げた瞬間、ガタン、と洗面台から何かが落ちた。

 見ればデジタル時計だった。その画面を見た瞬間、一切の思考が停止した。


 画面の表示は2008年3月15日。

 まだ肌寒い、土曜日の朝の事だった。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■



 時は遡り(いやこの場合「過ぎて」の方が正しいのだろうか)2018年9月。

 駅周辺は乱立する居酒屋群がしのぎを削りあう死戦場。貴族の名を冠するにも関わらず、その安価さを売りに全国チェーン展開するその居酒屋は、週末という事もありなかなかの賑わいを見せていた。ひっきりなしのオーダーに、テーブルの間を行き交う店員達は何故か楽しそう。忙しさが一周してハイになっているのかもしれない。どんな形であれ、楽しんで働けているのだから、それはそれで羨ましい事だ。

 そんな書き入れ時の店員達を尻目に、こちらはいい具合に脳がアルコールでやられてハイになりつつある、どうやっても楽しんで働けない二人がいた。


「だからそもそも働かないと生きていけないってのが間違ってるんだよ。旅行に行きたいとか車が欲しいとかオシャレなライフスタイルとか、そういうのどうでも良いって言っていてるのに、それなのにこれだけ働いて生きるのがいっぱいいっぱいってどういう冗談だよなあ」


「分かる分かる。そのくせロクすっぽ働いてないのに給料がっぽがっぽの部長とかホント殺意湧くわ。人のことゆとり呼ばわりするけどさ、絶対バブル世代よりマシだよね」


「あー、バブル組はやべえよ。就活は猿でも内定引く手あまたで、入ったら入ったで残業し放題、適当に出世した今になって働き方改革だもん。あいつら人生ベリーイージーじゃねえか。なんでベリーハードの俺達にドヤ顔で説教してんの?」


「ははっ!司、説教されたの?またやらかしたか!」


「やらかしてねえよ!報告資料のフォントとか文字のサイズとか、内容以外のところでグチグチ言われただけ。どうせ部内でしか使わない資料なんだから、余計に時間かけても無駄じゃん絶対」


「それはうざいな!さてはとりあえず何かケチつけるのが管理だと勘違いしてるクチだなそのハゲは」


「さすがご明察!奴はそんなハゲだ!」


「やっぱりハゲか!」


「ハゲだなー」


 きっと細かい事ばっかり気にしているからハゲるのだ。ハゲて気にしてまたハゲて。

 好き放題やっているんだから、絶対にストレスは溜まらないはずなのに。バブル世代中年の生態は実に謎だ。

 酒が入るとハゲハゲ連呼してるだけで楽しいから不思議。




「最近気付いたんだけどさ、司って大体3ヶ月周期なんだよね」


「何がさ」


「仕事が嫌で嫌で仕方なくなってどん底まで落ちていって、何でか踏みとどまってメンタル戻してくるんだけど、やっぱりまた嫌になっていくまでの周期。2ヵ月半は落ちていって半月で戻ってくる感じ」


 全く自覚の無かった指摘にふと、直近の3ヶ月を振り返ってみる。

 ただただしんどかった様に思うがしかし、言われてみれば働きながら、それが嫌だと思わない時期が何度かあったような、なかったような。


「確かにそんなもんかもな。多分どん底にはちょろっと希望が転がってて、毎回何とかそれを見つけて救われてるんだよきっと」


「どこぞの災厄が詰まった箱みたいだね。よし、司のパンドラサイクルと名づけよう」


「パンドラかー」


「パンドラだー」


 実にしょうもない。そういえばこの会も大体3ヶ月周期で開催だ。もしかすると、潤とこんなしょうもない事をやっているからメンタルも持ち直せているのかもしれない。本人には口が裂けても言わないけれど。


「……そろそろいい時間だしどうする?今日は司持ちだから何軒でも行くよ?」


 どちらが言い出したわけでもないのだが、この会は交互に奢り合うルールになっている。前回は潤持ちだった。だから今回は俺持ち、という事になる。


「じゃあ行こうか!もうね、今日はとことんまで行ってしまおう。あのハゲの記憶を俺の脳髄から抹消するのだ!」


「それはヤバい記憶の消え方だけどな!」


 明日は嬉しい土曜日だ。持ち帰りの仕事が無いではないが、今は潤との楽しい時間を優先しようと、アルコールで判断力が弱まっている脳は、実にあっさりと欲求に屈してしまったことであった。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■



 大通りから細道に入りさらに奥、何となく怪しい雰囲気の店が良いと言う潤のリクエストにかなう店を物色する。

 歓楽街のネオンの更に裏。こんなところに道があるのかという、更に裏路地。街灯もまばらで、何が入っているのか見当もつかない雑居ビル群の中にひっそりと、その店はあった。


「司、ここにしよう!」


 潤のご要望なら議論の余地は無い。

 パッと見た感じ、バーだかスナックだかの店構えだが、本当にそうなのかは疑わしい。

 入り口の扉を間接照明の淡い光が照らしている事から、かろうじて客の入店を促す雰囲気はあるものの、営業中やOPENの文字はない。なにより、店の看板が見当たらない。


「俺は店の名前が「魔の巣」でも驚かねえわ。あんまり人のことハゲ呼ばわりするとこうですよ、で「ドーン」されちゃうんだろ?」


「それいいな。少なくとも後半パートの前半では良い思いできるぞ」


「良い思いできても嫌だよドーンは。下げる前に1回上げる分よけい性質が悪い」


 意を決して扉を開くと、グラスを磨いていたマスターらしき人物がチラリと一瞥をくれたのも一瞬、またグラス磨きを再開させた。良かった、本当にバーだったようだ。潤の勘はバカに出来ない。

 マスターは黒のベストにスラックス、オールバックにまとめた白髪はTHE老バーテンダーという風貌。

 店内を見回せばいかにもなバーカウンターに椅子が5脚、磨き上げられたテーブルは店内の柔らかな光を鏡のように跳ね返し、マスターの背後の棚も、物が多いながら機能的に整理されている印象。小ぢんまりとしながらも小奇麗な内装だった。


「あのー……、入っても大丈夫ですか?」


「……どうぞ、お好きな席におかけください」


 どうやら客として認識されたようだ。

 あと、ホントに営業していたようだ。


「何にいたしましょうか」


「あー、潤お前どうする?」


「タリスカー10年のロック、ダブルで!」


 間髪入れずにそれが出てくる潤は男前過ぎる。


「……同じので」


 正直バーになんて入った事がないから注文の仕方も、タリスカーがどんな酒なのかも分からない。

 脇に目をやればそれを見透かしていたのだろう、潤がニヤニヤとこちらを見ていた。




 客として認識したからかどうかは知らないが、話してみればマスターは案外人当たりが良かった。

 いろいろと聞いた。この店はマスターの趣味でやっている事、不定期の営業で今日は運が良かったという事、店の名前は「魔の巣」では無いという事、等々。

 逆にマスターにもいろいろ聞かれて答えた。二人は学生時代からもう10年以上の付き合いである事、俺が医療機器メーカーの営業で仕事量の割に全然給料が上がらない話や、潤が中小の専門商社で経理をしている話、上司や境遇への愚痴、等々。

 なんで初対面のマスターに、自分の事をペラペラ喋ってしまったのかが正直分からない。

 バーという場の雰囲気か、マスターの話術か、それとも既に前後不覚状態の潤から、プライバシーと言う概念が抜け落ちてしまったからか。

 自分の話ならともかく、人の秘密までペラペラ喋るのは勘弁して欲しい。


「ハハハ、団塊世代としては耳が痛い限りですね。潤さん、もしかして私なんかも殺意の対象になったりしますか?」


「そだねー。マスターも高度成長でガッポガッポだったでしょ?」


「そうですね、正直なところそういう時期もありました。ただ私はあまり世渡りが上手くなかったようで、いろいろと手を出して気が付いたら、手元に残ったのはこの店だけでした」


 言外に交友関係や、もしかすると家族の事を指しているのかもしれない。それらも含めて、この店だけ。

 人に歴史ありというが、どうやら見た目以上に波乱万丈の人生を生きてきた、言動の端々にそんな重みが垣間見えるような気がする。


「それでも、店が残っているだけ素晴らしい事だと思います。俺なんて収支で言えばまだマイナスなので」


「司は司でさー、お金との付き合い方が下手すぎるんだよ。普段使わないくせに、突然大金を変な使い方しようとするもんね。この間のシェアハウス投資とかも危なかったし」


 その話はよして欲しい。だって営業が自信満々に家賃永久保証って言うんだから、そりゃ信じるだろ。


「司さんのマイナスというのはもしや、何か事業でも?」


「いえいえ、ただの奨学金です。このペースだと40歳まで返済が必要なんですよ」


「マスターこれ嘘だからね。素直に返してれば返済もう終わっててもおかしくないのに、変に欲かいて大体失敗するんだよ司は。普段と足して割ったらちょうどいいのに」


「でもお気持ちは分かりますよ。目の前に儲けるチャンスがあるのにみすみす見逃すっていうのは、ある意味で挑戦するよりも勇気がいることですから」


「アハハ、ありがたいような、耳が痛いような話ですね」


 達観の境地に見えるマスターにも、そういう時代があったのか。

 あるいはそういう経験を経て、そんな境地に達したのか。


「マスターはそのあたりの話に、何か後悔するような事は無かったんですか?」


 思わず聞いてしまった。

 それは純粋な興味であったが、言った後になって下衆の勘繰りと取られていないか不安になった。

 何かあったのは先の彼の言の通り。

 何より、初対面の相手に聞く話では無いように思えた。


「後悔、ですか。……そうですね、そういう思いが無いと言えば嘘になります」


 遠くを眺める。すっと過去を思い返すような目でマスターが答える。


「少なくとも私は、人様に自慢できるような立派な人生を歩んできたわけではありませんから」


 彼の脳裏に浮かんでいるのはどんな情景だろうか。

 気になったが、それこそ下衆の勘繰りであろう。


「ただ、後悔というよりは反省に近いかもしれません。悔やんで悔やんで、絶対にもう繰り返したくない。そんな経験をすると人は、それを繰り返さないためにどうするかと考えるものです。すると、おのずと人は自らの行いを省みるものですよ。司さんにはそんな経験おありですか?」


 今度こそ本当に耳の痛い話だった。前半の経験はたくさんあるのに、後半の経験がついぞ思い当たらない。


「俺の場合はそれこそ星の数ほどですね。人生やり直せたらなんて、毎日思ってますよ」


 ただし悔やんでも是正しないので、やり直したところで結局同じ事を繰り返すのが関の山だろうが。


「まあ人間、いざその時になってみないとどう動くか分からないものです。どんなに後悔しても繰り返してしまう、それもまた人間ですから」


 もしそんな状況になったら、自分はどう思うだろうか。どう動くだろうか。

 全く想像がつかないのは、そういう状況に立ち向かう事から逃げているせいか。あるいはアルコールで脳が弱っているせいか。

 何か煙に撒かれたような、妙な感覚だった。


 それからしばらく、人生談義のような与太話のような時間をすごし、潤もいよいよ呂律が怪しくなり始めたので店を後にすることにした。


「今日はどうもありがとうございました」


「いえいえこちらこそ、退屈せずに済みました。ここみたいに大通りから外れた立地だと、週末の方が暇を持て余すんですよ」


「そう仰っていただけるとありがたいです。是非また来させてください」


「ええ、もちろんお待ちしておりますとも」


 足元の怪しい潤に肩を貸し、扉に手をかけた。


「司さん」


 マスターの呼びかけに、何か忘れ物でもあったかと振り向く。


「人生はやり直せますよ。ただ、どうなるかは司さん次第です」


「ありがとうございます。今日は良いお話を聞かせていただいたので、明日からはもう少し前向きに生きてみますよ」


 そう言って、店を後にした。

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