酒々井空汰
[お父さん、お母さんがいなくなった。この世からいなくなってしまった。ぼくのせいで、いなくなった。
しせつに入ることを、かたくなにいやがる佳奈と二人きりでの生活が始まった。
なれないりょうり。なれないせんたく。なれないそうじ。全く出来ないわけじゃない。でも、ぼくにはむずかしいことだらけで、なにも出来なくて、佳奈を泣かせる。ぼくも泣きたい……。でも、こんなぼくには、なみだをながすしかくさえない。神さまはほんとうにいじわるだ。]
「ふ~ん、日記」
「誰にも……見つからないよう、本棚の奥に……隠していました」
「空汰の日記。面白そうだから少し借りておこう」
「し、しかし」
「大丈夫。別に返さなくても分からない。ま、いずれは返そう」
「ですが……」
「柊」
「は、はい」
「面白い報告をありがとう。もういいよ、下がって」
翡翠は柊が部屋から出て行ったのを確認して、再び空汰の日記に視線を戻した。
[きょうはとてもはれていた。でも、ぼくはまったく、はれない。ほいくえんも行きたくないのに行かなければいけない。佳奈のめんどうも見ないといけない。まだまだぼくよりもかなり幼い佳奈をそだてなければいけない。ぼくにはむりだよ……。]
まだまだ幼い字に翡翠は微笑んでいた。しかし、内容は微笑ましいものではない。このくらいの年頃なら、家族と遊んだとか友達と喧嘩したとか、書いていてもいいものを……。
数ページ飛ばし、適当なページを開く。
[小学校の生活にもだんだんなれてきた。でも、ぼくは結局一人ぼっち。
みんな、ぼくのことをうそつきだとか気味がわるいとか言うんだ。どうしてなの? ぼくは、本当のことを言っているよ。どうして、みんなには見えないの? どうして、ぼくにだけ見えるの? じゅぎょうを受けているときだって、ほら、先生のとなりにもいるよ。おばけがいるよ。ほら、きみのせなかにも。ほら、きみのまわりをふわふわしているよ。どうして、だれも信じてくれないの? ぼくは、うそつきなんかじゃないのに……。]
小学生になったものの、友達からは気味悪がられ避けられて、挙句の果てに先生からも見放される生徒。絵にかいたような悲惨な小学校生活である。
再びページを飛ばし適当なページを開く。
[もう数年もすれば中学校か……。早いな。友達という存在が出来ずに、ここまで来た。俺はやっぱり気味悪がられていて、皆から距離を置かれている。転校したい気持ちを、おばさんに伝えたけれど、見向きもしてくれない。佳奈にはとても優しくしてくれているのに、俺には全くしてくれない。俺が男だから? 俺に霊感があるから? 俺が生きていてはいけない子だから?
昔、施設に入ることを頑なに嫌がる佳奈と二人きりの生活が始まった。
慣れない料理。慣れない洗濯。慣れない掃除。全く出来ないわけじゃなかった。でも、どれも俺にはとても難しくて、一人では出来なかった。今となっては、そこら辺の主婦と変わりないほど、出来るようになってしまった。学校帰りの食材調達、朝、佳奈を保育園に送るという日々にも慣れてきた。
俺は昔とは変わった。
でも、一つだけ……。一つだけ昔から変わらないことがある。
それは、佳奈と俺の関係。妹と兄という関係ではなく、態度……というのだろうか。佳奈は、俺を変わらず嫌っている。笑いかけてくれることも、必要以上に話しかけてくることもない。親戚以外の前では、兄だというくせに、親戚の前となるとまるで赤の他人のように扱ってくる。それでもこの家を出て行かない理由は、佳奈はどうやら親戚のことが苦手らしかった。何故苦手意識を持っているのか知らないけれど、それだけの理由で、俺のもとを離れない佳奈に少し感謝している自分がいるのは事実だ。でも、それがひとつの悩みであることもまた事実だ。]
面倒だからと飛ばしてしまったページをやっぱり読もうと読まずに飛ばしたページに戻り、読み進めていった。ふと懐中時計を確認すると、夕暮れ時となっていた。
「やばい」
今日中に仕上げなければならない公務の書類の束が目の前にはあった。それを一気に手に取り、目を通していく。途中、休憩する代わりにお風呂に入り、一息ついた。そして再び書類と向き合い、素早く終わらせ、珀巳に書類を預け、橙色の日記片手に寝室に入った。ベッドに入り、座ったまま日記を再び開いた。
[中学生になって、初めて友達が出来た。俺の霊感を怖がらず、むしろ笑いに変えてくれる友達が。名前は、田中亮弘と飯田賢太。二人ともとても気さくで、唯一の友達。最近は、女子の会話の内容が気になっているらしい亮弘。少し変態なところがある賢太。とても大切な友達だ。友達がいるだけで、こんなに学校生活が楽しいとは知らなかった。これからも中学校は毎日行ってやる!]
ここにきてやっと子どもらしいというか、明るめな日記になった。
[悲報。亮弘が絶賛片想い中だった女子に、実は彼氏がいたらしい。亮弘はかなり悔しそうだったけれど、その様子がとても面白かった。人の不幸を笑ってはいけないかもしれないけれど、あまりに面白くて、つい。まあ、次の恋があるさ。
佳奈がもうすぐ小学校に上がる。ランドセルを買ってやらないといけないのだけど、あれって意外と高いんだな……。もっとバイトしないと、苦しい……。
あ、それと最近、気のせいかもしれないが、少し霊感が強くなってきているような気がする。今まで以上に、たくさんのおばけを見るし、今まで見なかったようなおばけまで見る。触れることも出来るし、話すことも容易になった。こういうのって成長するにつれて、強くなるものなのか?]
[とうとう高校受験が数日後に迫ってきた。俺の学力でどこまで行けるのか少しわくわくする。残念ながら、亮弘と賢太の行く高校に行く予定ではない。でも、離れても友達だと言ってくれたその言葉を信じる。
高校受験が終われば、佳奈のランドセルを買いに行く。小学校で使う鉛筆やノートもついでに買いに行く。佳奈にそれを言うと、やっとかというように笑顔ではしゃいで喜ぶことはなく、呆れ顔をされた。でもきっと内心は喜んでくれているはずだと勝手に思う。俺は今の自分なら頑張れる気がする。]
日記はここで終わってしまっている。
結局、亮弘と賢太は一緒の高校に行き、空汰は別の高校に行った。だが、その後、諸事情により空汰は転校し、高校で亮弘と賢太と再会できた。
空汰にとってみれば、それはよかったというべきことである。
翡翠は日記を閉じ、遠雷の光りを眺めた。
――――酒々井空汰。君は、次期妖長者に相応しいだろうか……
❦
対峙する翡翠とフィリッツの間に澪がひらひらと飛んだ。
「ありがとう、フィリッツ」
そう言うなり踵を返し走り出す翡翠の背を、フィリッツらは追いかけた。
「翡翠様!」
「俺は空汰のもとに行くんだ! 止めるな!」
「止めてなどいません。どちらに行かれるのですか? 空汰様の居場所をご存じなのですか!?」
翡翠は澪を見た。澪はチリンチリンと鈴に似た音をたてる。
「……地下牢だ」
❦
「俺はここで死ぬわけにはいかないんだッ!」
「だったら、死ねよ」
「ガハッ!」
オーガイとケンジの刃はしっかりと空汰の身体を刺していた。痛さのあまり声を荒げる空汰を気にすることもなく二人は短刀を抜く。空汰を中心に血の水溜りが広がっていた。
「オーガハッ……ガイ…………ゴホゴホッ……! ケンッ……ガハッ…………ジ……!」
「まだ話していられるとは驚異の生命力ですねぇ。何度自ら命を絶とうとしたことかお忘れで?」
ケンジの言葉を聞きながら、空汰の瞳からは涙が溢れ出ていた。
翡翠。お前は、寂しくないのか? 翡翠。お前は、ずっと独りで寂しくないのか?
「憐れだねぇ。信じたがゆえに、こうなってしまうのだから」
オーガイの言葉を聞きながら、強く手を握る。
血が流れていくと同時に、命が流れていく。
なあ、翡翠。
俺は誰を信じればいい?
再び、オーガイとケンジは短刀を振り上げ、空汰に向かって降り下ろした。
❦
翡翠は一足先に地下牢前に着いた。鍵が閉められており、力を込めて扉を揺らすがビクともしない。こういうところだけは、きちんとしている。
「澪」
翡翠が澪を呼ぶと、澪は翡翠が言わずとも察したように鍵穴に入った。蝶の身体は光の粒となり、鍵穴内でうごめく。数秒後、鍵が開く音と共に澪が出てきた。翡翠は澪が肩に止まることさえ、気付かないほどの勢いで扉を開けて中に入る。しかし、入ってからは足音を立てずに少しずつ歩いた。
この地下牢内は、こんなにも臭かっただろうか。血生臭い……嫌な臭い……。
ピチャ
歩き進めたところで、足元に水溜りがあることに気付いた。
ピチャピチヤ
いや、これは水溜りではない。血溜まりである。
――――空汰!?
最悪な状況が脳裏を過る。
思い出されるのは、空汰の笑み。
『お前って本当にバカだな』
『急に悪口かよ』
『いやぁ、筋金入りのバカだなって』
言い合った日々。
『俺より力のない奴にそんなこと言われたの初めてだ……。しかも、他人のくせに一番心配してくれてるからさ。お前良い奴なんだなって』
『今頃気づいたのかよ』
『でも、言っとくが守られるのは嫌だね』
『はぁ? 守ってやると言ってるんだから大人しく守られてろ!』
『守られるばかりは嫌なんだ。力がある分、弄びたくはないからね』
『だったらお前は俺を守れ、そして、俺はお前を守る』
『良い条件だ』
家族を脅されていることを知った空汰との約束。
『お前、俺のことを心配し過ぎだ』
『え!?』
『前から思ってはいたが……そこまで俺のことを気にしなくていい』
『といわれても……』
『言っただろ? 俺の心配はいらない、大丈夫だと』
『それでも気にするだろ? 普通』
『お前は一時の妖長者としての思いが強すぎるだけだ。お前はお前なりに好きにすればいいと言った』
『だけど』
『文句は言うな。お前が迷うのなら、俺に相談してもいい。だけど、前にも言ったとおりお前だけの判断だけを迫られる時もある。そんな時に俺ばかりに頼っていると困る』
『確かにそうかもしれないけど』
『お前なら大丈夫だ。俺は信頼している』
『ありがとう……』
『そんなに俺のことを気にするなら、これにお前の気持ち、気になること、伝えたいこと、何でもいい、好きなことを書け。俺もお前に正直に書き伝える。所謂交換ノートだ。ただ、これは毎日毎日書いて交換するものではない。お前が書きたいときに書き、俺が書きたいときに書く。お互いに書いたら、相手に分かりやすいように鍵を好きなところに置いておく。それが書いた合図だ。
隠し場所は俺が昔使っていたところがある。これはそこの鍵だ。この鍵は俺とお前以外には見えないし触れることも出来ない。
どうだ? これなら、お前も少しは正直になれるだろ?』
素直になれるように、お互いのための交換ノート。
『生きていてもいいことばかりじゃない。でも、お前はこれまで嫌なことも多かった。他人を殺してきた分、これから背負う罪も軽いものではない。だが、苦あれば楽ありだ』
『……僕は……生きる価値なんて……』
『生きる価値なんて関係ないし知るか。価値は自分でつけるものでも、誰かがつけるわけでもない』
『生きる意味だって!』
『生きる意味? 俺だって、何で生きているのかなんて知らねぇし、ここにいるやつらだって、それは知らないと思うぞ? 生きる意味なんて探すだけ無駄だと思うけどな……。でも、もし生きる意味を知りたいのなら、俺はこう思う。……生きる意味を見つけるために、生きているんじゃないのか?』
『生きる意味を……見つける……』
『確かに生きる意味は人それぞれだから、一概には言えないけどな』
『僕は……』
『無いと思うのなら俺は今からお前を殴る』
『……は?』
『お前には生きる意味がある。俺がひとつだけ教えてやる。他の意味は自分で探せ。
お前はお前に殺されて生きたかったのに生きることのできなかったやつの分まで生きろ。それが、せめてもの償いだ』
生きることの意味を探した日々。
『何とか言えよ! 俺が知っているお前はそんな酷い事するような奴じゃないだろ! お前は……そんなこと、出来ないよな!? なぁ、翡翠、何とか言ってくれよ! 四年前、黒猫族を殺したのはお前ではないと! 言ってくれ!』
『……殺した……。俺は……四年前、黒猫族を皆殺しにした…………』
空汰に怒鳴られたあの事件。
『フィリッツを信じるのか?』
『お前はどう思う?』
『俺は正直あまり接点がないから、よく知らない。長老の長としての静けさと誠実さはあるように思えたけど……』
『あいつなんだ』
『え?』
『俺の本名を唯一知っているやつは』
信じるか信じないかの賭け。
『翡翠様、名を無駄になさらないでください』
『紫宮 佑也。それが貴方の真の名です』
本当の名を手に入れた俺。空汰のずっと知りたがっていた俺の本名……。
『やあ、初めまして。俺、翡翠裕也って言います。これからどうぞよろしくお願いします』
そしてこの物語の始まりである出会い。
これはすべてここから始まった。
空汰。お前は死なないよな!? ここまで来たんだ……。死なれてたまるかよ……。
「空汰ッ!」
ピチャピチヤと血の上を走り、空汰を探す。そしてその一角に血まみれで座っている空汰がいた。
「空汰! おい、空汰!」
近寄り頬をペチペチと叩く。呼吸が浅い。
「空汰!」
「ンッ……」
空汰は薄ら目を開けた。
「ひ……すい……?」
「空汰!」
翡翠が空汰を抱きかかえようとしたそのとき、空汰は目を閉じ、力を無くした。
「そ、空汰!? 空汰! 起きろ、空汰! ここまできておいて、死ぬなんか許さないぞッ! 起きろよ……空汰……。頼むから、起きろ!」
ピチャ
ハッとして振り返ると、そこには短刀片手に佇むオーガイとケンジがいた。
「オーガイ……ケンジ……」
「翡翠様」
「何故殺したんだッ!」
「翡翠様……」
オーガイとケンジは翡翠の前に手にしていた短刀を静かに置いた。
❦
地下牢に向かう途中、フィリッツは両手を広げ翡翠のみを地下牢へ向かわせた。
「フィリッツ様!?」
珀巳の声にフィリッツは振り返った。
「皆さん、もう……終わりです」
「え? それはどういうこ」
「珀巳。もう終わりなのです」
言葉を遮られた珀巳は、フィリッツのその言葉にただただ動揺を隠せなかった。いや、珀巳だけではない。その場にいた、黄木、柊、栖愁も隠せない。
黙り込むフィリッツに黄木が訪ねた。
「フィリッツ様。お話しください」
フィリッツは哀しげな表情を浮かべていた。その様子に四人は重々しい空気を感じる。やがて、フィリッツは深いため息を吐くと隠し持っていた群青色のファイルを取り出した。妖長者の図書室で見つけ出し、解き明かしたあのファイルである。
「それは……」
誰もが気付いた。
「皆さんも気づいているのでしょう?」
フィリッツの問いに、四人は黙り込んだ。
その様子を見てフィリッツはファイルを開いた。そこに魔方陣は現れず、隠されていた文字が浮かび上がっていた。
「フィリッツ様?」
ファイルを静かに眺めるフィリッツに栖愁は異変を感じ取っていた。
そしてフィリッツは重い口を開き、語り始めた。この計画の全貌を……。誰も聞きたくない真実の全てを……。
「この計画の始まりは、このファイルでした。翡翠様のもとに次期妖長者となる者、空汰様の名が告げられました。
この計画の実行犯は、紛れもなく私達長老です。その中に、私の名も入っています。そして、珀巳。あなたの名前も……。しかし、彼らはただの実行犯というだけです。それだけで、大罪ですが、そこに首謀者は存在します。その首謀者、所謂、黒幕に私達は脅されていました。私もオーガイもケンジも、ジンもナクも……。ただの駒として、黒幕の指示に今まですべて従ってきました。私を除いて。私は途中まで黒幕と共に計画に加担していました。ですが、私は明らかな裏切り者の裏切り者として過ごし始めました。それを黒幕が見逃すはずもありませんでした。私をよくは思っていないでしょう。寧ろ、私がここまでこうして生きていることは、とても不思議なのです。
理由があって生かされているのでしょうけれど、それでも、私は少し嬉しいのです。
そして、この計画はもうすぐ終止符が打たれる……。私でも皆さんの手でもなく、彼の手によって……」
「黒幕の正体に確信があるのですよね?」
珀巳の問いにフィリッツは頷いた。
「ですが、それは皆さんも同じはずです」
「でも…………」
「柊」
「は、はい……」
「私も認めたくない事実なのです。ですが、皆さんは私以上に目を逸らしてはいけません」
「今までも目を逸らしてきたのは、フィリッツ様です」
栖愁の指摘にフィリッツは胸に何かが刺さった。
「確かに……その通りです。ですが、もう……終わるのです」
「フィリッツ様!?」
「一週間後、翡翠裕也こと紫宮佑也様は……死にます」
❦
窓から入る微かな風……。
ゆっくり目を開けると見慣れた天井が広がっていた。
重い身体を起こし、横を見ると、ずっとそばにいてくれたのか翡翠がベッドに伏せて寝ていた。
ここはフィリッツの自室である別館内にある空汰自身の部屋である。
――――生きている……
自分の手を眺めながらそんなことを思っていると、鋭い痛みが頭に響いた。
「痛っ」
反射的に頭を抑える。
『オーガハッ……ガイ…………ゴホゴホッ……! ケンッ……ガハッ…………ジ……!』
『まだ話していられるとは驚異の生命力ですねぇ。何度自ら命を絶とうとしたことかお忘れで?』
ケンジの言葉を聞きながら、空汰の瞳からは涙が溢れ出ていた。
翡翠。お前は、寂しくないのか? 翡翠。お前は、ずっと独りで寂しくないのか?
『憐れだねぇ。信じたがゆえに、こうなってしまうのだから』
涙を流す空汰にオーガイとケンジは顔を見合わせた。そして、自然と零れるため息。
二人は再び短刀を振り上げ、空汰に向かって降り下ろした。
カキーン
空汰は薄ら目を開けた。二人の短刀は空汰の身体を再び刺すわけではなく、床に突き刺さっていた。
『オー……ガ……イ……ケン……ジ…………?』
二人は短刀から手を離し、空汰を蔑んだように見下ろした。
そして、オーガイは笑みを浮かべることもなくいった。
『空汰様。あなたに頼みがある。それを呑んでくれたら、助けてやる』
『頼み……?』
『俺らは好きであなたたちを狙っているわけではない。もうすぐこの計画も終わる。最後のチャンスだ』
頭痛がひいていくと同時に翡翠が目を覚ました。
「空汰?」
「……翡翠……」
「良かった……。妖石を持っているから生きているとは思ったけど、心配したぞ」
「……」
「何か食べるか?」
「……」
「お前、あれから五日間も寝てたんだ。まあ、俺の昏睡状態よりマシか」
「……」
翡翠は立ち上がり、背伸びをすると空汰に視線を戻した。
「何がいい? 飲み物? 食べ物?」
「……」
「いらないとかなしだからな。何か食べないと身体がもたないから」
翡翠が何を言っても、空汰は黙り込んでいた。視線を翡翠と合わせもしない。その異変に気付かないほど鈍感な翡翠ではない。
「空汰、どうした?」
「……翡翠」
❦
『一週間後、翡翠裕也こと紫宮佑也様は……死にます』
『翡翠様が!?』
『周知の事実だったはずです』
『突然すぎます!』
やはり、一番過敏に反応してくるのは珀巳である。
『珀巳……』
『フィリッツ様、今、翡翠様に死なれては困るのです! 事実を本人から聞きたいのです!』
珀巳の言葉に誰もが黙った。
しばらくしてフィリッツは静かに話し始めた。
『ここまできてしまった以上、私にはどうすることも出来ません。ですが、皆さんなら、止められる力を持っています。その力をどうするかは皆さんの自由です。
そして、このファイルを解き明かしたとき、青い二つの点がありました』
『その説明をまだ受けていません』
栖愁の言葉にフィリッツは頷いた。
『あの青い二つの点は、目です』
『目……ですか?』
『はい……』
言い難そうに視線を落とすフィリッツに、特に珀巳は息を呑んだ。
『それは…………誰のですか?』
珀巳の問いに答えることが、フィリッツの今出来ることである。それを分かってはいるが、認めたくない事実を認めることになるのだと思うと、口にするには哀しすぎた。
しかし、この計画を終わらせなくてはいけない。脳裏にその考えがいつも浮かんでいた。自らもこの計画に染まってしまっていた。例えそこに別の意図が存在しようとも、結局は裏切り行為と変わらないのである。ここで、落とし前をつけなくてはならない。ずっと、逃げてばかりではいけない。
フィリッツはひとつ息を吐き、顔をあげた。
目の前には困惑の表情を浮かべる四人の顔があった。
『青い瞳……。それは、澪という蝶です』
❦
「空汰、どうした?」
「……翡翠」
「何だ? 痛むか? 妖石のおかげで傷は治っているはずだけど……」
「翡翠」
「あ、それとも、やっぱりお腹空いたか? 何か食べ物でも持っ」
「翡翠ッ!」
空汰の怒鳴り声に、翡翠は肩を震わせた。
空汰は掛布団を握り、手を震わせていた。
少しふざけていた翡翠も、全てを察し、空汰に向き直る。翡翠に表情は無かった。
「何だよ」
「お前は、俺を信じてると言ったよな?」
「言った」
「お前は、俺に妖長者として裏切り者を探して欲しいと言ったよな?」
「言った」
「お前は…………俺の親友だよな!?」
そう言いながら顔をあげ、視線が合った空汰の顔は涙で濡れていた。布団が涙で濡れていく。
唇を堅く結び何も言わない翡翠に、空汰はもう一度同じ質問をする。
「お前はっ……、俺の……親友だろ!? なあ、翡翠っ……」
「……違う」
涙が溢れた。
止まらない。止めようと思えば思うほど溢れ出てくる涙は、布団を濡らし空汰の手を濡らした。
「翡翠は……俺の…………ことを……」
涙を拭い再び翡翠に視線を向けると、翡翠は冷笑していた。
「お前なんか大嫌いだと言っただろう? 空汰」
「ひ……すい……。お前……」
「悪いな、空汰」
「そんな…………。だって、翡翠は……」
「お前がずっと探し求めていた黒幕は、この俺だ」