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さらに深まる奇怪譚



 どこにある……。


 必ずこの部屋のどこかにあるはずなのだ。空汰に妖長者の座を譲り渡したとはいえ、あのファイルは必ず存在する。


 妖長者の部屋の中、隅々まで探し回るフィリッツのもとに栖愁、珀巳、黄木、柊が現れた。


「何をお探しですか?」


 栖愁の問いかけにため息交じりに答える。


「群青色のファイルを見たことはありませんか?」


「群青色のファイル……」


 珀巳はハッとしたように口を開いた。


「群青色のファイルとは、次期妖長者の名が記されたあのファイルですか!?」


「そうです。珀巳、黄木、柊ならどこにあるか分かりませんか?」


 黄木は一歩前に出て、足元に落ちていた本を手に取り埃を払う。


「どうして、そのファイルをお探しなのですか?」


 フィリッツは口を堅く結び、四人を見据えた。やがて小さなため息を吐いた。


「私の予想があたっていれば……そのファイルに答えがあるはずなのです……」


 柊は首を傾げていた。


「予想とは?」


「それは、見つけてみなければ分かりません……。申し訳ありません、あまり多くを語れる立場ではないのです」


「いえ、構いません。そのファイルを見つければ早い話ということですよね? フィリッツ様」


「黄木……。その通りです。ですが、どこにあるのか皆目見当つかずでして」


「このくらいの人数がいれば、早いと思いませんか?」


 そういう黄木を含む四人の顔には、探す気満々の笑みが浮かんでいた。その笑顔に、手伝わせる気のなかったフィリッツも折れ、呆れ笑みを浮かべていた。


「では、よろしくお願いします」


 四人は頷き合い、手分けして探し始めた。本棚の本を全て出していく柊。床や壁を調べて、隠し通路が無いか探し出していく黄木。妖長者専用の図書室に入り、本棚と本を調べ始める珀巳。それを手伝う栖愁。家具の引き出しを順番に見ていくフィリッツ。


 実際そのファイルを見たことがあるのは、珀巳、栖愁、フィリッツだけであるが、黄木も柊も群青色という色をもとに探していた。


 フィリッツが直接翡翠に手渡した、とても大切なファイル。翡翠が捨てるはずもなく、どこかにあることは確かである。


          ❦


 ジンは空汰を、翡翠はナクを探す、かくれんぼ中である。


「で、お前はいつまで俺と一緒に行動するんだよ」


 翡翠の隣にはかくれんぼ開始からジンがずっと居た。何故か別々に探すわけでもなく、一緒に探している。これでは、翡翠が空汰を見つけてしまったとき、不利となる。


「翡翠様とこうして並んであるけるのが嬉しかったんだ」


「嘘を吐くな。お前は俺が嫌いなくせに」


「じゃあ、本音いうね?」


 立ち止まったジンにつられ、翡翠も立ち止まり、振り返る。


「どうして、普通にしていられるのです?」


 あの無邪気なジンの表情はどこにもなく、そこには獲物を睨むように鋭い視線を向けるジンの姿があるだけだった。


「どうしてって?」


「翡翠様、あなたは体力が今落ちている。封じの腕輪だってされている。今、僕があなたを襲えば負けるのに」


「それはわからない」


「所詮! 所詮、あなたは人間だ。人間如きに妖が負けるわけがない!」


 珍しくジンが声を荒げたが、翡翠の表情は全く揺らがなかった。別に慣れているわけでも驚かなかったわけでもなかった。ただ、もしジンが本気で自分に襲い掛かってきたら勝てる自信が無く、それを悟られないように、見せかけの強気であった。


「でも、このゲームのルールは妖術をお互い使わないこと」


「そういうルールを、こういう局面で、先に破った方が有利になることをご存知ですか、翡翠様」


「さあね。でも、俺はお前がそんなことできないやつだと思っている」


「は!? 僕はあなたの敵だよ!?」


「だから? 敵だろうが、味方だろうが、裏切るときは裏切る。でも、お前は戦いに関しての約束は守るだろ?」


「僕を信じて、苦を見るのはあなただ」


「そのときは俺の判断が間違っていただけだな」


「どうして…………」


 ジンは両手を強く握り、小刻みに震えていた。


「何が?」


 ジンはあまりに余裕の表情と態度で接してくる翡翠に苛立ちを覚えていた。


「ふざけるなッ!」


「別にふざけてなんかない」


「どうして、裏切り者に優しさを見せるんだ! お前に! お前なんかに優しさを見せられたくはない!」


「……別に、俺は優しくない。俺は常に自分の道を行くだけだ」


「そんなしらじらしい嘘など、聞きたくないッ!」


 翡翠は大きなため息を吐くと、ジンに近寄った。そしてどこからともなく短刀を出すと、それをジンに握らせた。


「な、何!?」


 翡翠の読めない表情に困惑していた。


「俺が嫌いならはじめから俺だけを狙えばいい。刺せよ」


 ジンは驚きを隠せずにいた。今この短刀で急所を刺してしまえば、妖石を持っていない翡翠は即死する。そしてやっと自由になれる。


 翡翠の服にはすでに短刀の先が当たっていた。後はジンが押しさえすれば刺さる状態である。しかし、ジンに半ば無理矢理短刀を握らせている翡翠には、手からジンの震えが伝わってきていた。


「離せ! 手を離せ!」


 翡翠はジンに冷たく鋭い視線を向けていた。


 はじめからジンには翡翠を殺すつもりはなかった。大嫌いなことに変わりはないが、だからといって殺すほど憎んでいるわけではなかったのだ。


 翡翠が手の力を緩めたその一瞬のすきに、短刀を落とした。それを見て、翡翠はため息を吐いた。そして、ジンの体を力強く蹴った。長い廊下なためぶつかるものがなく、どこまでも飛んでいく。離れた床に強く打ち付けられたジンは身体の痛みよりも、恐怖に震えが止まらなかった。


 翡翠は床にまだ落ちていない短刀を掴み、ジンに一歩一歩近づき始めた。


 ジンは何とか起き上がろうと床に手をつくが、身体がミシミシと音を立てる。


 飛ばされたことに恐怖しているのではなかった。


――――ひ、翡翠…………ゆ、裕也……


 翡翠は、自分を蹴る前の一瞬、わざと手の力を緩めた。そして、そのとき……確かに翡翠は……。


 翡翠はジンのそばにしゃがみ込むと短刀をその前にそっと置いた。


「殺す気がないのなら、強がるな。殺したいほど嫌いなら俺を殺せ。お前の言った通り、俺は今腕輪もされてあまり動けないからな、狙いどきというわけだ」


「ひ……すい……。お前…………」


「俺はナクを探しに行く。お前も動けるなら空汰を探してやれ。……俺のためじゃなく、あいつのために」


「……な……ぜ?」


「かくれんぼがトラウマになることだってあるんだよ。動けるならさっさと探しに行け。あいつは一階だ」


 翡翠はそれだけ言うと、その場から足早に去っていった。


 翡翠の遠のく足音に、恐怖感は薄れていった。


 腕を額にあて、浅い呼吸を繰り返す。


「翡翠裕也……ふざけるな……。お前なんか、大嫌いだ」


          ❦


 寝室、衣裳部屋、書斎など図書室以外の部屋はすべて隅々まで調べ終わり、残る図書室を全員で探し回っていた。しかし流石に妖長者専用といってもかなりの本があり、全てを出してまで調べることは不可能である。タイムリミットは不確定で、いつかくれんぼが終わっても可笑しくはない。


 群青色のものがないかと本棚を流れ見ていると、珀巳が顔を出した。


「珀巳でしたか。ありましたか?」


「いいえ、残念ながらまだ見つかっていません。もしかしたら、妖長者の部屋内にないのかもしれません」


「最悪そうかもしれません。ですが、たぶん、この図書室内にあると思うのです」


「何故そう思うのですか?」


「翡翠様はあぁ見えて、本をかなり読む方でした。隠すならいつも仕事をする書斎か身近の寝室、それかこの図書室だと私は考えています。それに書斎や寝室に比べて、大量にある本の中から一冊のファイルを探し出すことは困難です」


「ですが、翡翠様はどうしてファイルを隠すのでしょうか?」


「珀巳が何かものを隠すとき、そこにどんな理由がありますか?」


「それは……」


「妖も人も、何かを隠すという行為は、そのものが誰かに気付かれないように見えないようにしておくことをいいます。隠すということは、それを誰かに見られたくないということです」


「では、翡翠様はそれを誰かに見られたくないのでしょうか」


「それ以外、隠す必要はありません。ただ、空汰様を理由に隠されているのだとは思いますが、私にはそれ以外の理由しか考えられません」


「それ以外の理由とは、まだ、話せませんか?」


「……この事実を聞いたとして、珀巳はそのあとどうしますか?」


「え?」


「私がこのことを話すには荷が重いのです。ですが、私の独断ではありますが、珀巳にはこの事実を話しておくべきなのではないかと悩んでいます」


「でしたらっ」


「しかし……、それを今のあなたに話しても無意味です」


 珀巳が返す言葉に困っていると、栖愁の声が聞こえた。でも本棚があり、あまりよく聞こえない。


「栖愁?」


 フィリッツが本棚から顔を覗かせようと、珀巳の隣を通り過ぎたそのとき、フィリッツは手を掴まれ振り返った。珀巳が俯き、フィリッツの手を掴んでいた。


 フィリッツはあえて何も言わず、珀巳に向き直った。


「その事実……、もし、私が考えていたことだとするなら…………」


「珀巳」


 フィリッツの声に顔をあげると、フィリッツは哀しげな表情を浮かべていた。


「誰の味方になるかは、あなた次第です。私にそれを指図する権限はありません。いつでも、あなたの信じた道をいきなさい。それが、あなたのたったひとつの道です」


 フィリッツはそれだけ言うと、本棚から顔を覗かせた。それを見て、栖愁が元気よく何かを掲げる。栖愁が掲げているものをみて、フィリッツは栖愁のもとに駆け寄った。


 それは紛れもなく、あの群青色のファイルであった。


          ❦


 答えなき問いに、答えを求めても答えは見つからない。


 溢れ出てくる疑問に答える者は誰もいない。


 この恐怖は未だなくなっていない。忘れていた、あの記憶。


『俺は空汰くんを、見つけてあげる。人間って確かに信用できないし、みんな嫌いだけど、ひとりだけでも信じられたら、少しは違うよね?』


 あの日、かくれんぼをしていてはじめて誰かに見つけて貰えた。自分より年上の男の子だった。苗字も知らない、どこに住んでいるかも分からないあの子は、僕を見つけて、手を差し伸べてくれた。あれ以来、今日まで一度もかくれんぼはしていない。


『ひとりだけでも……』


『空汰くん、僕とともだちになってよ! 僕、ともだちいないんだ』


『え?』


『上辺だけじゃなくて、本当のともだちに』


『うん! いいよ!』


『やった! はじめてのともだちだな』


『ねぇ、名前おしえて?』


『名前か……。僕、名前ないんだ』


『え?』


『いや、あるんだけど、好きじゃないんだ』


『好きじゃなくても、名前は名前だよ。おしえて!』


『……じゃあ、ゆうや』


『ゆうや?』


『そう、ゆうや。名前だけ分かればいいだろう?』


『そうだね。じゃあ、ゆうやくん! これからよろしくね!』


『もちろんだ』


 それから一度もゆうやと名乗る男の子には会っていない。もともと近くに住んでいたのか、少し寄り道しただけなのかは分からないが、毎日あの公園に同じ時間に行っても会うことはなかった。


「ゆうやくん……」


 今見つけようとしているのは敵であるジン。見つけてくれる方が嬉しいが、見つけられてしまえば翡翠の負けとなる。それだけは避けたい。


 ナクはどこに隠れているのだろう。まさか自分の部屋なんてことはないだろう。隠し部屋に隠れていたら、翡翠は分かるのだろうか。かりにも妖長者を十年してきた翡翠なら、それらもすべてお見通しだろうか。翡翠だって万能ではない。それでも、なんでもこなせるように見えるのは、翡翠が弱いから……。やはり、難しいのかもしれない。でも……。


 考えを巡らせていた空汰は、ハッとした。


 翡翠の本当の姿は黒銀の髪に藍色の瞳をしている。そして、あの公園で出会ったあの男の姿は黒銀の髪に藍色の瞳をしていた。翡翠と瓜二つである。


「ゆうやって……もしかして……。翡翠……裕也…………?」


 だとしたらあの時、少々強引でも苗字まで聞いていればよかったと悔やむ。フルネーム分かれば、翡翠は人間界に帰ることが出来る。しかし、もちろん、あの男の子がたまたま似ているだけで、実は別人かもしれない。それは断定できないが、チャンスを逃してしまったのに違いはない。


 ディリーも過ごす相部屋の椅子に座り、窓から外を眺めながらそんなことを考えていると部屋の扉が開き、驚いて反射的に振り返った。するとそこには、何故か服装が乱れたジンが立っていた。


 万事休すである。


 逃げ道を確保しておくのだったと今更後悔する。


 しかしジンはそこから一歩も動かず、入っても来ない。恐る恐る声を掛ける。


「じ、ジン?」


「本当に一階にいるとはな」


「え?」


「翡翠様が空汰くんは一階にいると言っていた」


 翡翠に隠れた場所は教えていない……というより、かくれんぼの話だって全くできずにスタートしたのに、翡翠はどうして、この場所を?


「お、俺を捕まえないのか?」


「勝手に逃げればいいだろ」


「……え!?」


「僕は空汰くんを捕まえない。僕らの負けは決まる。それでいい」


「全然話が見えない」


「君に聞きたいことがある」


 よく見れば、ジンの頬には擦りむいたのか傷がついていた。かくれんぼ開始前にはなかった傷である。


「何?」


「君は、翡翠裕也をどう思う?」


          ❦


 群青色のファイルを開くと、紫の魔方陣が浮かび上がり消えた。そこに酒々井空汰のプロフィールは載っているが、フィリッツが求めていたものはそこにはなかった。


 一度閉じ、もう一度ファイルを開く。するとまた紫の魔方陣が浮かび上がり消えた。


「特殊な魔方陣ですね」


「これは……何でしょうか?」


 柊の問いに自然とため息が漏れる。


「簡単に言えば、この魔方陣の逆魔法陣を書いて解かなければ、ここに書き込まれた文が読めないようになっています」


 黄木はフィリッツからファイルを受け取り、閉じて開いた。


「これを翡翠様がお書きになられたのですか!?」


 何故黄木がこれほどまでに驚き、戸惑っているのか理由が分からないのは柊と珀巳である。柊はそれほど妖力が強いわけでもなく、仕事内容でもあまり魔方陣を扱わないため、詳しくはない。珀巳は逆に妖力が強く、魔方陣を用いなくても妖術を掛けられるため、魔方陣をあまり用いないので詳しくはない。無論、翡翠も妖力は強いが、妖力が強いから魔方陣を書かないわけではなく、妖力が強い者が魔方陣を書くとそれは更に力を増してしまうため、魔方陣の力を抑えられず不安定になりやすい。だから、基本、妖力が強い者は暴走する危険性のある魔方陣を使ってまで、妖術を使うことはない。


 黄木や柊、栖愁に文が読めないほどの魔方陣であれば、納得はいくが、珀巳やフィリッツも読めないほど強い魔方陣では、かなり不安定になりやすい。それ故、暴走しやすい状態である。そんな危険性のある魔方陣が、こんなにも安定していることに、黄木は戸惑いを隠せなかったのだった。


「翡翠様以外、書ける者はいません」


「ですが、この魔方陣は記述に載っていません」


 黄木は多種ある魔方陣の数々を全て暗記していた。つまり、黄木に覚えがない魔方陣は、術者が自ら作り上げた魔方陣ということになる。


「翡翠様の能力は想像以上に上をいっていたということですか……」


 しかもわざわざ読み解かせにくくするために、閉じて開くその一瞬だけのみ魔方陣が現れるように施されている。並大抵の力で出来るようなことではない。


「読み解かない限り、この魔方陣は無効化出来ません」


 ただ妖術を使っただけの状態と魔方陣付きの妖術を使った状態とでは、これほどまでに違うのだと改めて感じる。面倒だと感じる一方で、これほどまでの魔方陣を施す理由があるのだと思うとやる気がでないわけではない。しかし、これを読み解くまでの時間がいまはない。


「さて、どうしましょうか」


 ため息交じりにそう言いながら本棚に背を預けるフィリッツに、栖愁は書斎へと向かった。


「解かれますか?」


「黄木なら解けるのではありませんか?」


「既成の魔方陣でしたら簡単です。しかし、これは翡翠様が作られた魔方陣です。例え私でも、かなりの時間を要します」


「黄木が無理なら私も無理ですね」


「い、いえいえ! フィリッツ様の方が、断然私より出来るではありませんか」


「正直、私はこの手のものが一番嫌いなのです。昔、魔方陣を書いたとき、暴走させてしまったことがありました。当時の妖長者、彰人様に助けていただかなければ今私はここにはおりません……」


「フィリッツ様でも……そのようなことがあるのですね……」


「私だからあるのです。私は自分の力の強さを持て余していました。私より強い者はいないとそんなことを思っていた時期もありました。自分は凄いのだと祀り上げていたこともあります。そんな最中、私は魔方陣を書きました。ただの暇つぶしのつもりで。一瞬成功したものの、翌日には魔方陣を保つことが難しくなり暴走し、魔方陣は私を呑みこもうとしました。今でもその傷は身体から消えていません。私や医者の治癒能力を用いても消せない傷です」


 そこに栖愁が紙の束を持って戻ってきた。


 口を開きかけていた黄木は、咄嗟に黙り込むが、それを見たフィリッツが苦笑を浮かべた。


「大丈夫ですよ、栖愁は知っています」


「あ……申し訳ありません」


「黄木様、お気になさらないでください」


「栖愁様は、フィリッツ様にいつからついているのですか?」


 栖愁が答える代りにフィリッツが、ファイル片手に答えた。


「正直、私より栖愁の方がこの屋敷内に入るのは一年ほど早かったのです。いつ出会い、いつ私の式になったのかは、そうですね……。内密にしておきましょう」


「下らないこと、隠さないでください」


「黄木、私ではありませんよ」


 フィリッツの言葉に、ハッとなり口を噤む。


 フィリッツ自身に理由があって隠しているわけではなく、栖愁に何かしらの理由があって隠しているようだった。


 フィリッツは微妙な空気を気にせずか気遣ってか、栖愁から紙の束を受け取り懐から羽ペンを取り出した。


「黄木、柊、珀巳にお願いがあります」


 閉じられたファイルを眺めながら言うフィリッツに、黄木と柊、珀巳は視線を向けた。


「はい」


「かくれんぼの様子を見てきてください。終わりそうになったら、私に教えてください。私はそれまでここで、この魔方陣を解いてみます」


「解けるのですか?」


「柊、心配をするならどうぞ、翡翠様と空汰様の心配をなさってください。貴方方の主は翡翠様と空汰様です」


 その言葉を聞いた黄木と柊、珀巳は笑みを浮かべ、頷き一礼するとその場を後にした。


 その場に残る栖愁に視線を向けることなく声を掛ける。


「栖愁」


「はい」


「栖愁にだけ言っておきます」


「何でしょう」


「未来のことですから、確実とはいいませんが、私はこの世界にいなくなるかもしれません」


「……それは、どういうことでしょうか」

栖愁はあくまで冷静に接していたが、内心は戸惑っていた。


「翡翠様がこの世を去るとき、私も去ることになるかと思うのです」


「何故ですか?」


 フィリッツのあまりに哀しげな表情に、栖愁は聞かなければよかったと後悔したのはいうまでもない。


「……私は、所詮、……裏切り者ですから」


 ポツポツと雨が降り出したのもつかの間、ザーザーとバケツをひっくり返したような土砂降りになった。


 遠雷の光りがこちらまで届く。


 薄暗い図書室には、土砂降りの雨音と遠雷の音が鳴り響くだけだった。


          ❦


 やっぱりここにいた。


「見つけた」


          ❦


 ジンと空汰は並んで長い廊下を歩いていた。時折、階段を昇る。窓からは稲光が入り込んでいた。


「翡翠はいいやつだと思ってる」


「それは本当かい?」


「え?」


「実は心のどこかで、何か引っかかっていることでもあるんじゃないのかな?」


「……無いといえば嘘になるけど、でも、それは仕方のないことで……」


「何が仕方ない?」


「なにって。俺は、妖長者を任されているだけで、翡翠のことはそんなに知らないしこの世界のことも翡翠以上に知らない」


「だから、騙されていても文句は言えないと……」


「騙されている? 俺は翡翠に騙されてなんかいない!」


「ホントにぃ?」


「どうして、ジンはそうやって、翡翠を悪者にするんだ」


「……翡翠様が嫌いだから」


「そんな理由だけで、悪者にするな!」


「何も知らないくせに、知ったような口を叩くなッ!」


 ジンの声に空汰が驚いて立ち止まると、階段を昇っていたジンに見下ろされる形になった。


「君は……何も知らないだけなんだ。……君は無知なんだよ……」


 先程とは打って変わって静かに話すジンに空汰は困惑していた。どうしてこれほどまで、翡翠にこだわるのだろうか。どうして、翡翠を嫌うのだろうか。人間だからというだけで嫌っているのかもしれないけれど、それだけではない気がしてならない。


「俺は翡翠のことなら何でも知ってる!」


「知らない。君は、何も知らない。知っていることでさえ、真実とは限らないのだから」


「翡翠は、俺が信じている限りは信じると言った。俺には嘘を吐かないと言った」


「人間は平気で嘘を吐く。それが……人間というものだ」


 確かに、ジンの言葉も一理ある。だが、全ての人間がそうではない。


「人間は一日で二〇〇回嘘を吐くという。確かに、ジンの言う通り人間は嘘つきかもしれない。でも、それは妖も皆一緒だ」


「空汰くん……」


 ジンのか細い呼びかけに顔をあげる。


 するとジンは妖艶の笑みを浮かべていた。


「主人に飼いならされた子犬は憐れだねぇ……」


          ❦


 ひとりにしてください。


 栖愁を部屋から出し、一人になったフィリッツは深く呼吸を繰り返し、息を吐くと羽ペンを手に持ち目を閉じる。


 静かに精神を集中させる。


 雨の音すら聞こえない。


 雷の光りすら感じない。


 静かに……ただ静かに……。


 数分後、ゆっくりと目を開け閉じられたファイルを手に取る。そして、一呼吸置き、ファイルを開く。


 紫の魔方陣が現れるその一瞬を見逃さなかった。そして、急いで手を動かし先程一瞬見た魔方陣を書いていく。


 魔方陣はほぼ完璧に書かなくては意味がない。


 瞬時に記憶し、それを紙に表わすのに三十秒掛かった。


 書き表した魔方陣とオリジナルの魔方陣を一度照らし合わせ確認した後、一息吐いた。そのとき、本棚の影に薄ら見える二つの青い点に気付いた。


――――あぁ……最悪ですね…………


フィリッツはファイルを閉じ、頭を抱えながら部屋の扉を開け、栖愁を部屋に入れた。


「流石です」


「流石翡翠様です。書くのに時間を要しました」


「どのくらいですか? 私が出ている時間は然程長くはありませんでしたが……」


「書くのに三十秒ほど掛かりました」


 フィリッツが今まで解いてきた魔方陣は、長くても十秒ほどで書けてしまうものばかりであった。


「翡翠様も流石ですね」


「しかし……」


「どうされましたか?」


「少し問題が起きました」


「問題ですか? 綺麗に魔方陣は書けているようですが……」


 フィリッツの視線を辿り、その先を見るとそこには青い光の点があった。この部屋を出る時にはなかったものである。


「あれは、一体何ですか?」


「かなり困りました……」


「フィリッツ様?」


 フィリッツが珍しくかなり焦っている表情を見て、青い点が気になり近寄ってみようとした。すると、フィリッツが腕を掴み止めた。


「私ではなく栖愁が死ぬことになります」


「え……」


「かなりやばい状況です。栖愁、ひとりにならないようにしてください」


「それはどういうことですか!?」


 フィリッツの焦り方が普通ではないことくらい、もう栖愁も気づいていた。


 そこに柊と黄木、珀巳が入ってきた。しかし、フィリッツの妖術により押し出されてしまった。黄木と柊は何が起こったのか分からず、唖然としていた。


「栖愁、黄木と柊と一緒に行動してください。決してひとりにならないでください」


「説明してください」


「説明しているひまがあればしますので、今はお願いします。私のいうことを聞いてください」


 そう言って栖愁の手を引き、部屋から出ようとするフィリッツの手を払い退けた。今まで一度も反抗してこなかった栖愁が初めて反抗したことに驚き、フィリッツは振り返る。


「フィリッツ様!」


「栖愁……お願いです。私はあなたを失いたくありません」


「私も主であるフィリッツを失いたくありません」


「……ですが」


「いつもそうです。私に言うだけ言って、大切なことは教えてくれないではないですか……。いつもそのたびに心配になるのです」


「栖愁の気持ちを知らず……申し訳ありません……」


「私も……フィリッツ様のようになりたいと思うのです……」


「栖愁、ありがとうございます。ですが、自分の道は自分で切り開くものですよ」


「そうやって、話を逸らさないでください」


「栖愁、あとで必ずお話します。だから、今だけはお願いします。……私のわがままを聞いてください」


「……分かりました」


 栖愁は渋々頷くと、自ら部屋を出た。部屋に一人になったフィリッツはため息を吐き、振り返る。二つの青い点は消えていた。


 部屋を出ると、四人がただならぬ様子でそわそわとしていた。栖愁が何か言ったのかと思ったが、そうではないようだった。


「フィリッツ様」


 先に口を開いたのは柊である。


「どうしましたか?」


「もうすぐかくれんぼが終わりそうです」


 頼んでいた本人がそのことを忘れていたとは言えなかった。


「どちらが勝ちそうですか?」


 柊よりも黄木が先に話し始めた。


「それが……。翡翠様とナク様。空汰様とジン様。ほぼ同時くらいにジン様の部屋に入りそうです」


「…………では、お二人の勝ちです」


「え?」


「大丈夫ですよ。それくらいの勘は鋭いですから」


          ❦


 結果、かくれんぼはジンとナクが降参し、翡翠と空汰の勝利となった。


 条件通り、翡翠の封じの腕輪は外され、翡翠に手を出すことはしないことを誓った。


「ご無事で何よりです」


 翡翠と空汰に向き直るフィリッツの表情には笑みが浮かんでいた。背後に並ぶ、栖愁、黄木、柊も安堵の表情を浮かべていた。


「ジンが一方的に負けを宣言してきたのだけど……」


 横目で翡翠を見ると、翡翠は苦笑を浮かべていた。


「まあ、何か遭ったんだろうな!」


 棒読み丸出しの翡翠に、やっぱり、と怒ると笑みを浮かべていた。


「勝ったんだからいいだろ?」


「良くない!」


「まあまあ」


「お二人ともお疲れさまです。栖愁が、食事を用意しています。食事を食べた後、ごゆっくりおやすみなさい」


 六人がその場を去るのを見送ったあと、静かに口を開いた。ジンの部屋には、ジンとナクがいる。


「どうして負けたのですか?」


          ❦


 六人は急ぎ別館へと入る。


 栖愁が全員にフィリッツの代わりに指示を出す。


「では皆さん、準備をしますので、翡翠様と空汰様はどうぞお風呂に入ってきてください。あと、御着替えをお済ませください」


 二人は頷きそれぞれの部屋へと入っていった。


 栖愁は珀巳と黄木、柊にも着替えるように指示をだしそれぞれの部屋へと入るのを見届けた後、食事の準備を始めた。


 あんなに焦りを見せるフィリッツを見たのは初めてである。何かに怯えているような、そんな感じもした。しかし、やはり大切なことを話さないのはフィリッツである。考えてもあの青い点が何だったのかは、全く分からなかった。


          ❦


 空汰は部屋に入り、ベッドにそのまま倒れ込んだ。想像以上に心身ともに疲れていたらしく、身体が重く感じられた。

 

しかし、どこか違和感に気付いた。


――――何だ?


 何かが可笑しい。


 重い身体を起こし、部屋を見回す。すると、背後から口を抑えられてしまう。


――――ヤバイ……ひす…………


 意識が遠のき、プツッと途切れた。


          ❦


 ジンは面倒そうに紅茶を一口飲んだ。


「分かってるくせに」


「翡翠様ですね?」


「蹴飛ばされちゃった~。テヘッ」


「一体、何をしたのです?」


「別に~」


「今後、誓いを違えることのないようにお願いします」


 そう言って去ろうとするフィリッツに、ジンはニヤリと笑みを浮かべていた。


「でもさあ、言っておくけど、翡翠様に手出しはしないといっただけだからね」


 フィリッツは振り返らずに言った。


「空汰様に手を出すことは許しません」


「でも、よく考えてみて? 僕らは手を出さない。でも、オーガイとケンジはどうかなぁ? ねぇ?」


 その言葉を聞いた瞬間、走り出していた。


 急いで別館へと向かう。


 階段を降りる途中、大きな雷鳴が響いた。雷には慣れているつもりだったが、不意打ちの雷鳴に体がビクッと反応する。


 そして立ち止まる。


 三階から一階へと続く裏階段がある。その存在はあまり知られていない。その階段は真っ直ぐ長く続いている。


 その中央に、人影が雷の光りに照らされ、一瞬だけ見えた。


 そして窓際には、あの二つの光る青い点。


 フィリッツは息を呑んだ。


 身体の震えが止まらない。必死に手を握り震えを抑えようとするが、震えは増す一方だった。


――――この私が……恐怖を感じている…………


 自然と呼吸が浅くなる。


 人影が目を開けたのを見て、さらに身体が反応する。


 雨の音が……うるさい……。雷の音が……うるさい……。雷の光りが……眩しい……。


 人影は鋭い視線でフィリッツを見上げていた。


 フィリッツは恐る恐る口を開いた。


「あなたが…………く……黒幕……です……ね……?」


 こんなにも動揺するとは思わなかった。


 人影は、薄らと笑みを浮かべるだけだった。それを見て、再度問う。


「あ、あなたが……黒幕……ですね?」


 人影は相変わらずフィリッツを見上げたまま、嘲笑を浮かべ少し首を傾げた。


「そうだよ……」


フィリッツは一歩後退った。


人影は片手を胸に手をあて、敬礼の姿勢で笑みを浮かべた。


「フィリッツ様、はじめまして。……この計画の黒幕のルイです」


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