胡乱揃いの屋敷内
フィリッツと珀巳は向き合い、静かな時間が流れていた。
その静かな時間を破ったのは珀巳である。
「……私がですか?」
「翡翠は今、ジンの部屋にいます。そこに行ってください」
「何故でしょうか?」
「強いて言うならば、誰が仲間なのかを見極めるためです」
「誰が仲間か……」
「珀巳なら、誰が味方で、誰が敵か分かるはずです」
❦
コンッコンッ
返答のない扉をゆっくりと開け、部屋に一歩入るとそこに項垂れている翡翠がいた。駆け寄り、翡翠を揺する。
「翡翠様!」
翡翠は五月蠅そうに顔をあげると、ため息を吐いた。
「お前か……」
「大丈夫ですか?」
翡翠がジンに捕らえられて十日ほど経っている。その間、きちんとした食事を摂っていないせいか、十日前に比べてとても痩せていた。
「何か食べ物をご用意いたします」
そう言って立ち上がろうとする珀巳の手を翡翠は掴んだ。咄嗟に振り返ると、翡翠は首を横に振っていた。
「翡翠様……何か食べませんと死んでしまいます」
「水は飲んでいるから大丈夫だ」
「しかし……」
それでも手を離さない翡翠に、珀巳は折れて翡翠を抱きかかえた。相変わらず封じの腕輪をされているが、鎖は繋がれておらず逃げようと思えば逃げられる状態である。
だが、抱きかかえて感じたが、やはり軽い。翡翠はここまで軽かったかと自分の記憶と感覚を疑う。
それにしても、ここはジンの部屋だというのに、ジンもナクもいないのが気にかかる。何か仕掛けてくるのか、ただ単に外出中なのか、どちらにしろ、急ぎここから離れた方がいいことに違いはない。
「翡翠様、急いで逃げましょう」
翡翠は子供のように珀巳の服を掴み、安心したのか眠ってしまっていた。自然と笑みが零れる。
――――寝た顔は可愛いのですがね
「急いで逃げられては困ります」
ビクッとして振り返ると、ナクがこちらを見ていた。どこから現れたのかは皆目見当もつかない。
「な、ナク様」
「愛しの翡翠様をお迎えですか?」
「……助けにきました」
「人質を取られては、ジンに怒られます」
ナクはそう言って片手を挙げた。すると背後から二つの人影が現れた。
珀巳の驚きを隠せない表情に、ナクは嘲笑を浮かべていた。
「珀巳と翡翠様を捕らえてください」
❦
空汰は本を開いていたものの、全くページは進んでいなかった。ずっとどこかを見つめていた。
『翡翠様の気配が薄れてきています……』
『翡翠が死ぬ?』
『すぐにとはなりません。しかし、あまり時間がないかもしれません』
『何で!? 翡翠はあんなに元気だったじゃないか! お互い負けず嫌いで、バカバカって言い合って、祭りにだって出掛けたのに……』
『……そういえば抜け出したこともありましたね』
『気づいていたの!?』
『気付かないふりをしていただけです』
『と、とにかく! 翡翠が死ぬなんて許さないから!』
『…………では』
フィリッツは空汰から視線を逸らし、囁くように小さな声で言った。
『空汰様が死にますか……?』
フィリッツの言葉に自分が何と返したのかは覚えていない。でも、その一瞬、そんな方法があるのかと考えてしまった。
翡翠は泣いても笑ってももうすぐ死ぬ。そういう運命だから。
「運命ってなんだよ……」
静かに頬を伝う涙が本のページを濡らしていく。
脳裏に浮かぶのは、大人と高校生ながらじゃれ合い笑った日々……。
「ふざけんなよ……バカ翡翠…………」
❦
『珀巳なら、誰が味方で、誰が敵か分かるはずです』
ナクの背後から現れたのは、紛れもなく、長年、一緒に仕事をしてきた二人であった。
「柊……黄木……。どうしてですか?」
黄木は珀巳が一度も見たことのない嘲笑を浮かべていた。
「何故って、私も嫌だったのです。妖長者という人間が」
「一緒に妖長者に仕えてきたではありませんか!?」
「給料がとても良いからです」
「黄木! 戯言は止めてください!」
「戯言ではありません、真実です。ここは妖世界。この私達の世界が何故、人間などの手に支配されなければならないのです!? 私達妖が、統治するべきです」
「では……前妖長者の翡翠様のときもそんなことを思いながら、一緒に仕事をしていたのですか?」
「そうです。それ以外、ここにいる意味はありません」
「見損ないました、黄木」
「私だけですか? 柊もこちら側です」
柊は戸惑いの表情を見せていた。
「わ、私も……妖長者が人間なのは許せません……」
「柊……。あなたもですか……」
珀巳は翡翠を抱きかかえる手に力を込めていた。翡翠が起きてしまったことに気付いていたが、黄木と柊、ナクから視線を逸らさなかった。
「ナク様は未だしも、黄木と柊の裏切りは許せません」
「自分が一番はじめから裏切っていたのでしょう?」
「それは……」
「よく言えますね」
「わ、私は翡翠様のためを思って」
「私達もそうですと言ってしまえば、こちらの勝ちです」
黄木の鋭い言葉に珀巳は返す言葉がなかった。言えばことごとくつぶされてしまいそうで、口を開いては閉じを繰り返していた。
「私達の勝ちですね」
「黄木、柊。珀巳と翡翠様を捕らえてください」
「分かりました、ナク様」
その瞬間、珀巳は翡翠を抱きかかえたまま走り出そうとした。しかし黄木の能力により、ジンの部屋の扉は固く閉ざされてしまう。
「黄木! 翡翠様の優しさをお忘れですか!」
「忘れてなどいません」
片時も、忘れたことなどありません。
❦
コンッコンッ
「はい?」
フィリッツが返事をすると、部屋にある人物が入ってきた。本を開き、窓際に佇んでいたフィリッツは本を閉じ、椅子に座った。
「……何故……」
そこに立っていたのは、無邪気な笑みを浮かべるジンの姿があった。
「やあ! フィリッツさーま」
「別館まで入ってくるとは思いませんでした」
「じゃあ、油断したね」
「ジン、変わりましたね」
「あんな仕事の顔していたって仕方がないだろ?」
「何をしに来たのです? 空汰様を殺しますか?」
「う~ん、それも楽しそうだけど、守りが鉄壁だろうし、諦めはしないけど、今は一時休戦ということで」
「戦いを起こしているのは、紛れもなくジンです」
「まぁまぁ、落ち着きなよ、フィリッツ」
「用件をお願いします。何もなければ、今ここで、あなたを捕まえます」
「へぇ~、僕を?」
「はい」
「無理無理。僕結構強いもん」
確かにジンは強いかもしれない。妖術はかなり得意でフィリッツと肩を並べて歩けるほどである。瞬発力にも優れていて、動きが速く並大抵の相手ではない。しかし、正直なところナクがいなければ、余裕で勝てる相手でもある。
「では、試しますか?」
乗ってくるかと思っていたが、ジンは片手を胸くらいの高さに持ってきて、真顔を浮かべた。
「いや、やめておく」
「……」
「それに僕はフィリッツと戦いに来たわけじゃないんだ」
「では、何をしに来たのです? ただ喧嘩を売りに来たのですか? 良いですよ、買いますよ」
ジンは苦笑を浮かべ頭に手を置いた。
「フィリッツ……お前こそ変わったな」
「ありがとうございます」
「褒めてねぇよ!」
「そうでしたか」
「お前調子狂うな!」
「それはすみません」
「……うぜぇ」
「どうぞ、言ってください」
「ゲームしようよ」
「……はい?」
「だから、ゲーム!」
「誰とですか?」
「そうだな……。僕とナク、翡翠様と空汰くん」
「私に言ってくる必要はありますか?」
「あるよ。結界を解いて貰わないと、僕らの負けが決まるからね」
「よく意味が分かりません」
「だーかーらー。かくれんぼ!」
ジンは少し子供っぽいと思っていましたが、ここまで子供だとは気付きませんでした。
「何故です?」
「翡翠様の腕輪の鍵と引き換え! 翡翠様と空汰くんが勝ったら、翡翠様の腕輪の鍵を渡すし僕らも翡翠様に手を出さない。でも、僕らが勝ったら一つお願い聞いてもらうよ?」
「お願い……ですか」
「それは秘密ね」
「ジンの要望は分かりました。本人たちに判断は任せます」
「よっし! 決まりだね」
「ただし、私が結界を解く前に、ジンとナクが先に解いてください」
「そんなに僕ら信用ないのか~。いいよ、分かった」
「では、後ほど」
「じゃあね~」
ジンは手を振りながら部屋から去って行った。
ジンは一体何を企んでいるのだろうか。わざわざ敵陣にまで来て、宣戦布告と取れることを言い残していったのには、必ず意味があるはずだと思うのと同時に、ジンのことだから、何もないのではないかとも思う。それが分からないから怖い。何か企んでいるのなら、早めに手をうたなければいけない。あちらの要求が分からない限り、それも難しいが、教えてくれる気がないのなら、自ら動くしかない。
深呼吸をして気持ちを静める。
何をしていけばいいのか、そこに答えがあるのなら簡単だ。でも、行動に模範解答はない。誰も信じなくても、自分だけでも信じなければ道も進めない。
「立ち止まったらそこで終わりかもしれません……」
❦
柊、黄木からどうにか逃げようと窓際にやってくるが、翡翠を抱きかかえたままでは飛べない。いや、飛べるが落とされる可能性が高い。何しろ、目の前には守護者の長である黄木がいるのだ。それくらいの技術は持ち合わせているはずだった。
窓際に追いつめられた珀巳の前に、ナクが歩み寄ってくる。手を伸ばせば届く距離で立ち止まり、不適な笑みを浮かべた。
「珀巳、残念です」
「私は……」
「翡翠様に忠誠心があるからこそ、今まで辛かったことがたくさんあるでしょう。私でしたら、その辛さを消し去ることも出来ます」
「辛くなど!」
「そうやって自分に鞭ばかり撃っていてはいけません。適度に飴をあげないと」
「私に飴は不要です」
「やはりそう答えますか。残念です」
「私はそちら側にはいきません!」
「独りですよ?」
「孤独ではありません。翡翠様もいます」
「翡翠様だってもうすぐ死にます」
「死なせません! 私が、翡翠様を守ります!」
ナクは鼻で笑った。
「良い心がけです、珀巳」
「え?」
珀巳が困惑していると、ナクが抑え込まれるように床にひれ伏せた。
驚き、顔を上げると黄木が手を伸ばし笑みを浮かべていた。
「き……ぎ……?」
「騙して申し訳ありませんでした」
「黄木ッ! 裏切ったのですか!」
「先に裏切ったのはナク様ですよ? 私達の名演技どうでしたか?」
ナクは黄木と柊を睨み上げていた。
「許しません!」
「珀巳、大丈夫でしたか?」
黄木はナクを無視し、珀巳に視線を戻した。
「あ、え、……え?」
「ですから、演技です」
「……え?」
ナクは苦笑を浮かべながら頭を抱えていた。
「あの……珀巳……」
「す、すみません。困惑しています」
「裏切りに見せかけてみました」
「見せかけ……ですか?」
「実は、ナク様とジン様にこちら側に来てほしいと頼まれて、ナク様お得意の甘美な囁きに惑わされないようにするのが、とても大変でした」
「黄木と柊は……」
「裏切り者ではありません」
珀巳は翡翠を落としそうになりながら、ふらふらと膝をついた。
「よ、よかった…………」
珀巳の声は擦れ震えていた。ナクを騙していたつもりが、一番騙されていたのは珀巳だったのかもしれないと、黄木と柊は苦笑した。
「本当に……良かったです…………。お二人にまで見捨てられたら…………本当に、独りになるかと…………」
「珀巳は……凄い妖です。それに、仲間ですよ、珀巳」
「柊……」
『珀巳なら、誰が味方で、誰が敵か分かるはずです』
フィリッツ、私には分かりませんでした。
❦
翌日、目を覚ました翡翠と空汰、フィリッツ、ジン、ナクはジンの部屋に再び集まっていた。
「ゲームの話は聞いている。どういうつもりだ」
「やあやあ、空汰くん! ゲーム楽しみにしていてくれたの!?」
「しているわけがない。そちらのお願いというものは何だ」
「だーかーらー、秘密」
「教えてくれない限りしない」
「えー。まあ、それならそれでもいいよ。でも、翡翠様の封じの腕輪は二度と取れなくなるね!」
「ジンから奪うまで」
「おー、空汰くん、強くなったねぇ! でも、残念。このゲームが決裂したら壊してしまう予定だから」
「卑怯者」
「どっちが卑怯者だか、分からない」
そういうジンの視線の先には欠伸をする翡翠がいた。珀巳により食事を摂らせてもらった翡翠は、少しばかり元気を取り戻していた。だが、体力は戻っておらず少し動くだけでも眠いらしかった。
「ゲームをなさりますか?」
昨日、屈辱的に負けたナクは機嫌が悪い。
「翡翠、どうする?」
「……前に言っただろ? お前が決めて良い」
翡翠の腕輪を外さないと、翡翠の妖力がどんなに強くても意味がない。今後、翡翠の力無しでどこまでいけるかは分からず、不安要素しかない。
相手が提示してきたのは、かくれんぼである。翡翠がナクを、ジンが空汰を見つけるという流れである。早く相手を見つけた方の勝ちという単純なルールである。
翡翠が頑張ってくれさえすれば、これは勝てるゲーム。だが、翡翠にどれほどのやる気があるのかは分からない。先程からずっと眠そうにしている翡翠を動かしてもいいものかとも迷う。
「条件を追加したい」
「なぁに?」
「見つける側はどちらも妖術を使わないこと」
「ん~、いいよ!」
案外了承してくれるものだ。
「じゃあ、やる」
「さすが、空汰くん! 話がはやくて助かるよ! じゃあ、空汰くんとナクは一時間以内に隠れて?」
空汰は翡翠に視線を向けるが、翡翠は眠そうに首をコックリコックリ揺らしていた。視線すら合わないのは、少し寂しい。
ナクが部屋を出たのを見て、後を追うように部屋を出た。
フィリッツは眠そうにしている翡翠をじっと見据えているだけだった。
❦
「かくれんぼ?」
「黄木は知らなかったのですか?」
「ナクの仲間に一時なっていたとしても、計画の話は全くされませんでしたので」
「仲間に偽りでなったとしても、そういうところを聞き出せなければ意味がありません。それに、危険な賭けです」
「それは十分承知していました」
「本当に良かったですよ。お二方があちら側にいかなくて」
「こちらは面白かったですよ?」
「珀巳の必死さ、とても面白かったです……」
「柊まで……。こっちは必至だったのです!」
「まぁまぁ、落ち着ていてください、珀巳」
「黄木が発端です」
「相談もなしに申し訳ありませんでした。ですが、敵を騙すならまずは味方からというではありませんか」
「そうですが……」
「では、そういうことです」
「あんなに焦っていた自分が馬鹿みたいです……」
「でも、嬉しかったです……」
「柊にそんなこと言われても嬉しくありませんっ」
「え……。珀巳、ひどいです……」
「そうですよ、柊だって、頑張ってくれたのです」
「頑張らせたのは黄木です」
「最終的に判断したのは柊自身です」
「……せめて私にだけでも言っておいて欲しかったです……」
柊と黄木はいつまでも笑い続けていた。
❦
一時間後……。
「さーてと、探しにいきますか、翡翠さぁまぁ」
しかし翡翠に反応は無い。
不思議に思い顔を覗かせると、眠っていた。
仕方なく体を揺らし、起こすと背伸びをして立ち上がった。
「もう一時間か」
「探しに行きますよ」
「はいはい」
二人は一緒に部屋を出た。
フィリッツは、二人の背が見えなくなるまで見送ると視線を上に向けた。
――――さてと……
❦
『かくれんぼしよう!』
『いいねいいね! 鬼は空汰くんでいいよね?』
『え……』
『空汰くんが鬼だよ~! みんな、隠れて!』
酒々井空汰、五歳。夕暮れ時に、誘われ当時の友達とかくれんぼをすることになった。しかし、嫌な思い出があった。
昔、かくれんぼをしていたとき、自分だけ見つけられず、深夜に帰宅して近所の人にかなり怒鳴られてしまい、佳奈を泣かせ、大喧嘩をしたのだった。
それ以来、かくれんぼで隠れる役を嫌がるようになったが故に、鬼役を押し付けられることが増えた。だがそれでも、友達は隠れずどこかへと遊びに行ってしまう。見つけなかったら次の日、保育園で苛められた。
『どうせ……。どうせまた……。隠れていないんだ…………』
涙を流し、肩を震わせる。もともと近所の人にも気味悪がられていた空汰に、声を掛ける者はいなかった。
『……何で泣いている?』
涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、そこには黒いランドセルを背負い、こちらを見る男の子が立っていた。夕暮れの光りに照らされる黒銀の髪がとても綺麗だった。小学生のくせに妙に大人びた雰囲気があり、小学高学年にも見えるが身長と顔立ち的に小学二、三年生くらいだったと思う。
そんな不思議な男の子に見とれていると、男の子は目を細め見据えてきた。
『いじめられたのか?』
『……うん』
『話くらいなら……』
『え?』
『話くらいなら……聞いてあげるよ』
その言葉一つで、どれほど嬉しかったことか。話を聞いてもらえなくても、その言葉一つで気持ちが軽くなったような気がしたくらい、とても嬉しかった。そんな優しい言葉は掛けられたことがなかったから。
ブランコにそれぞれすわり、夕暮れを背に語る。
『かくれんぼか……。なるほど』
『どうせ……僕は……』
『かくれんぼで隠れていないとわかっているなら、探さなければいいだろう?』
『でも……保育園でいじめられる……』
『保育園にいかなければいいだろう?』
『おばさんとおじさんが、せっかく行かせてくれてる……。行きたくないなんて言えないよ』
男の子は空汰を横目に見て、視線を逸らしブランコをこぎ始めた。
『訳アリっ子か』
『え?』
『俺も施設育ちなんだ』
『施設……』
『今は施設で暮らしてる。みんな上辺だけの関係かもしれないけど、それなりに楽しいよ』
『どうして、施設に行っているの?』
『両親が俺を棄てたんだ。それに、たぶん、お母さんもお父さんも死んだ』
空汰は少し驚いていた。哀しげな表情もなく、淡々と語る男の子に、益々不思議さを募らせていた。
『どうして……』
『俺はひとりでいいんだ。俺はいつもひとりだから』
『いつも……ひとり……』
『だって、それが一番気楽だよ』
『でもそれって、寂しくない?』
男の子は虚を衝かれたような顔をした。
『……寂しい……か。そんな気持ち、とっくの昔にどこかに散歩にでもいったかな』
『僕だけじゃないんだ……』
俯く空汰を見て男の子は、ブランコで助走をつけていく。
『ねぇ』
『なに?』
『君、名前は?』
『……そらた。酒々井空汰』
『ふ~ん、空汰くんか』
男の子はそういうと、思いっきりブランコから飛び降りた。着地の仕方が、何とも可愛らしい。
手に着いた土を払い、振り返ると手を差し伸べた。
『じゃあ、空汰くん。俺とかくれんぼしようよ!』
空汰は屋敷内を適当に歩き回り、入ったことのない部屋に足を踏み入れた。
「ディリー?」
「あ、スカイ……じゃなくて、翡翠様」
「ここディリーの部屋?」
「いえ、違います。ここは守護者の休憩室みたいなものです」
「そんな部屋があるんだね」
「はい。あの……何かありましたか?」
「え?」
「翡翠様ともあろうお方が、こんなところに来てはいけません」
「ちょっとね」
こちらはとても大変な状況だというのにも関わらず、下は普段通りと変わらない生活を過ごしている。ディリーも何も知らないようだった。上の事柄とはいえ、何らかの形で下にも話がいっているものだとばかり思っていた。
本当に下っ端には全く話がいっていないということか……。
「なぁ、ディリー」
「はい」
「君の部屋はどこ?」
❦
翡翠はジンと一緒に廊下を歩いていた。普段なら、肩を並べて歩くことのない二人は、違和感を覚えていた。
「かくれんぼってしたことあるのですか?」
「かくれんぼ……ねぇ……」
『じゃあ、空汰くん。俺とかくれんぼしようよ!』
当時五歳の空汰は渋々隠れてくれた。
『……十八、十九、二十っ』
木から顔を覗かせ、辺りを見回す。この公園はやたら霊が多いようだった。
探し始めて、二分。
この公園内で隠れるとしたら……。
そういって笑みを浮かべ、遊具に近寄って行く。
『みーつけた!』
そこに空汰はいた。
『あ……』
『俺は空汰くんを、見つけてあげる。人間って確かに信用できないし、みんな嫌いだけど、ひとりだけでも信じられたら、少しは違うよね?』
そのときの空汰の涙と笑みの混じった顔は今でも忘れない。
あの公園での出会いは、本当にたまたまである。たまたま出会ったのが空汰だったというだけの話。偶然が偶然重なりすぎて、仕組まれたと思われるかもしれないが、これは本当に偶然の出来事である。
――――かくれんぼか……。あいつが隠れられているか、まずそこが問題だな……
「翡翠様って、どう思う?」
「え?」
「人間が妖長者としてこの世界を統べるのは」
「俺は、この世界が安定するなら誰でもいいと思うが」
翡翠のその言葉にジンは驚きを隠せないでいた。
「翡翠……様……!?」
「まあ、まだ……まだだけどな……」
❦
オーガイとケンジは、顔を見合わせ地下牢から出た。
「翡翠様を殺さないと、次は我々だ」
「オーガイ、計画通りに必ず成功させるぞ」
「当然だ」
廊下に出た二人は、警戒しながら階段を昇り一階に出ると、妖術を唱え始めた。その数秒後、屋敷内が揺れた。
全員がその揺れに気付いた。
「ケンジ、行きますぞ」
「場所はこの一階」
「守護者の部屋の一角」
「急ごう、時間は無い」
「あぁ、そうだな。急いで行こう……。酒々井空汰を殺しに……」