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曖昧模糊なこの世界

「おーい、空汰~!」


 呼ぶ声に誘われ、教室から窓の下を覗くと賢太が手を振っていた。もうすぐ受験を控えているというのに、余裕な顔して、ほとんど勉強をしていない賢太に、呆れ笑みを浮かべた。


「何だよ!」


「一緒にサッカーしようぜ!」


 空汰の机には受験勉強のノートが開かれていた。


「……俺今勉強中なんだよ!」


「そんなに勉強したって意味ねぇよ! 早く来いよ!」


 いや、意味はあると思う……。


 賢太の元気に負けて、ノート類をカバンに詰め込み階段を駆け下りる。


 カバンを放り置き、サッカー仲間に加わる。


 こんなに楽しいことが重なってもいいものだろうか。良い知らせのあとは悪いことが起きるなんていうけど、本当にそうなんじゃないか。


 家ではともかく、今はとても幸せだ。良いことだらけで、賢太と亮弘をはじめとする友達だってたくさんできた。俺を気味悪がらないし嫌がりもしない。寧ろ、友だちとして同級生として接してくれる。それがとても嬉しかった。でもそれと同時に凄く不安だった。


 少し暗くなってきたころ、亮弘が全員に声を掛けた。


「そろそろ帰ろうぜ~」


 その声につられて、サッカーをしていた全員がカバン片手に帰り始めた。


 亮弘と賢太と道で別れ、家に帰ると佳奈がお腹を空かせて待っていた。


「お兄ちゃん、遅い!」


「ごめんな、今からご飯作るから」


 そう言って自室にカバンを置き、部屋を出ようとしたところで、ふと違和感を覚えた。立ち止まって部屋を見回すが、パッと見、何に違和感を覚えたのかは分からない。仕方なく、キッチンに向かい、二人分の夜ご飯を作る。


 無言で食べ終わり、片づけを済ませ、お風呂の準備をして、佳奈がお風呂に入っている間部屋に戻った。


 やっぱり、どこか違和感がある。


 だが、机上が荒らされているわけでも部屋が荒らされているわけでもない。自分自身そこまで、几帳面というわけでもない。


 ふと伏せてある写真たてを見た。


 埃の位置と写真たての位置がずれていた。


――――佳奈がこの部屋にはいるわけはない……。俺のことを気味悪がっている佳奈が、自ら部屋に入ってくるなんて一度もなかった……


 振り返り本棚を見据える。


 ハッとして本棚から本を無造作に取り出していく。


「無い…………」


 本棚の奥に隠していた橙色の日記が無くなっていた。


 加奈が取ったのか?


 いや、まず佳奈はこの部屋に入るはずはない。入ったとして、何故この本棚を触る? 加奈の気になるようなものはおいていないはず……。


「お兄ちゃん?」


 驚いて振り返ると、そこにはお風呂上がりの佳奈が首を傾げて立っていた。


「佳奈、俺の部屋に入ったか?」


「入らないよ。嫌だよ、お兄ちゃんの部屋なんか」


「そう……だよな……」


「何かあったの?」


「あ、いや。大丈夫だよ」


 加奈は冷ややかな視線を空汰に向けながら、自室へと入っていった。


 加奈ではないとすると、日記はどこにいった? 泥棒? いや、泥棒がわざわざ探し出して金にもならない日記なんて持ち出すわけがない。


 自分がどこか違うところにしまってしまったかな……。


 思い出せない……。


 自分がどこかに…………。


          ❦


 朝五時、目を覚ました空汰は重い体をベッドから起き上がらせた。


 ずっと閉まったままのカーテンの隙間からは、まだ光りが入ってはきていない。


 背伸びをして、欠伸をしながらリビングに向かい電気を点ける。昨夜、佳奈が遊んだままのぬいぐるみやおもちゃが転がっていた。ため息交じりにそれらをおもちゃ箱に片づけていく。


 結局、昨夜日記を部屋中探したが見つかることはなかった。あの日記を自ら部屋の外に持ち出すことはない。部屋に無いとしたら、あるとすればこの家の中か外か。家の中であれば、犯人は佳奈ということになる。しかし、外となるとただの泥棒としか思えない。かといって、警察に届けを出せば、自分らの置かれている状況を探られ、施設に連れていかれかねない。施設入所を嫌がる佳奈に大泣きされるのも面倒だ。


 おもちゃを片づけ終わり、身支度をしていく。顔を洗い、髪を梳かし、服を着替える。だが、制服に袖を通すわけではなかった。


 台所に立ち、フライパンを出す。


 素早く朝食を作り始めた。


 作り始めて十分後、佳奈が目を覚まし、目をこすりながらやってきた。


「おはよう、佳奈」


「……おはよう」


 相変わらず朝から態度は冷たい。


「もうすぐ朝ごはん出来るから、顔洗っておいで」


 加奈は無言で洗面台へ向かった。自然とため息が漏れる。


 せめてもう少し愛想が良ければいいなと思うが、両親が死んだのは自分のせいだと思うと、仕方がないことだと感じる。


 手早く朝食をテーブルに並べ、佳奈を呼ぶ。


 二人で食べ始めるが、とても静かな食事風景である。


 いつもの風景とはいえ、自然とため息が漏れそうになる。一人で食べるのは味気ないとよく言うが、二人向き合って無言で黙々と食べるのも味気ないと思う。これでは一人で食べた方が何倍も美味しいような気がしてならないが、佳奈の歳を考えると一人で食べさせるのは可哀想だった。嫌われているのだからそんなことをいちいち気にしてあげる必要もないかもしれないが、それをするには自分の気持ちが許せなかった。


 ご飯を口に運んでいると、佳奈が、ごちそうさま、とこちらを凝視してきた。


「……どうした?」


「……ご」


「ん?」


「りんご……食べたい」


 珍しいこともあるものだ。おやつにお菓子などをねだってくることはあったが、朝にこうして食べたいと言ってきたのは今日が初めてだった。


「あー……。ごめん、今ないんだ。佳奈が帰るまでには買っておくから、帰ってからでもいいか?」


 佳奈は何とも言えない表情で渋々頷くと、小走りで自分の部屋へと戻った。


 ため息を吐き、残りの朝食をかきこみ二人分のお皿を片づける。片づけ終わる頃、幼稚園服に着替えた佳奈がリビングにやってきた。


「佳奈、トイレは?」


「行った」


「じゃあ、行くか」


 表の通りに幼稚園バスが決まった時間に毎日迎えに来てくれるが、そこまでは徒歩数分掛かる。


「……お兄ちゃん、学校は行かないの?」


 いつもなら制服に着替え、佳奈を送った後、そのまま歩いて学校に行くのだが、今日は私服のままである。


「今日は休む」


「どうして?」


「少ししないといけないことがあるから。大丈夫、佳奈は幼稚園に行っていいから」


「……分かった」


 加奈を見送り、再び家に戻ると、深いため息を漏らした。


 佳奈は幼稚園に行き、この家中には自分しかいない。


 佳奈の部屋に入り、自分が入ったとあとでバレないように慎重にものを動かしながら日記がないかと探した。ベッドの下からおもちゃ箱、佳奈の部屋からお風呂場やトイレまで探し回った。


 しかし一向に出てくる気配はない。


 パッと顔を上げ、時計を確認するとあと一時間もしないうちに幼稚園に行っている佳奈が帰宅してしまう。手をつき立ち上がり、部屋を見回した。


「仕方ない……。佳奈との約束もある…………」


 これだけ探しても出てこないということは、もう家中にはないのかもしれない。


 あの日記にはかなり自分の本音を書きだしているから、誰にも見られたくはなかった。それ故、ここまで探したのだが……。


 ため息を吐きながらも財布片手に家を後にした。


          ❦


 両親は事故で死んだと聞いたのは、大嫌いな親戚からだった。おじさんとおばさんが、俺のもとにやってきて、俺にこう言ったんだ。


「あなたのせいで、ご両親は死んだのよ。幼い佳奈ちゃんをどうするの!?」


 俺のせいで……両親は死んだ……。まだ大人と子供の半ばにいた俺には、とても荷が重い言葉だった。俺はそんなに両親を苦しめていた種なのだろうかと、自分を責め続けた。両親は死んで、俺は生きているということへの罪悪感。


 両親が死んだ悲しみに泣くことはなかった。ただ、自分への罪深さに涙が溢れ止まらなかった。


 泣いても何も変わらない。そんなことくらい身をもって分かっていた。だけど、俺にとっては自分自身が一番分かっていなかった。


 俺は両親の葬式にも行かず、呼ばれることもなかった。実際、喪主のはずだったが、佳奈が肩代わりをし親戚が執り行ってくれたらしかった。親戚も俺のことをよく思っている者は誰も居らず、俺を引き取ってくれる者は誰もいなかった。だが、せめて佳奈だけでもと思っていた。しかし、佳奈は自ら親戚のもとには行かなかった。声を全く掛けられない俺と違って、佳奈にはいくつもの声を掛けられたはずである。でも、佳奈は俺といることを選び、今に至る。


 何故あの時、佳奈は親戚のもとに行かなかったのかそれが一番の謎であるが、それが解き明かされることは二度と無いのだろうと思っている。


 だけどそれが、そのときの唯一嬉しさを味わえたことであるのに間違いはない。


 今の生活がこのままで良いと思ったことはない。普通に会話して、普通に笑って、普通に喧嘩出来る、そんな生活が送りたいと願うことはダメなことだろうか。人殺しの俺が、幸せを望むことは大罪だろうか。俺は泣いてばかりじゃなくて、少しは笑っていてもいいだろうか。誰かを怖がらせる存在じゃなくて、誰かを笑わせる存在になれるだろうか。


――――俺は生きていてもいいだろうか。


 それから一年経ったある日、高校生活にも慣れ始めた頃、帰りに夕食の材料を買いに来ていた。そこで、あの大嫌いな親戚を見つけた。話しかけるような気分にもなれず、その場から離れようとしたその時だった。


「あ、そういえば、酒々井明美さんはワイン好きかしら?」


 反射的に体が停止した。


 酒々井明美。その名は、確かに自分の母の名前だった。


 おばさんの横ではワインを手に取るおじさんの姿があった。


「剛史さんも好きだから、飲むんじゃないかな?」


「じゃあ買って帰りましょうか。今日は四人で一緒にお酒を囲んでパーティーなんかも良いですね」


「そうだな。ま、俺は断然こっちだがな」


「もう。ビールを何箱買うつもりです!?」


 楽しそうな笑い声。家にはない笑い声。


 震える手で材料を素早くかごに入れていき、会計を済ませる。両手に袋を提げて店を後にする。


『あ、そういえば、酒々井明美さんはワイン好きかしら?』


『剛史さんも好きだから、飲むんじゃないかな?』


『じゃあ買って帰りましょうか。今日は四人で一緒にお酒を囲んでパーティーなんかも良いですね』


 薄々気づいてはいた。事故死というのは嘘で、実はどこかでひっそり生きているのではないかと。でも、それを認めるだけの勇気は無かった。


          ❦


 それから一年後のある日、玄関で奇妙な石を拾った。佳奈も小学二年生になり、まだまだ子供ではあるがだいぶ大人っぽくなっていた。


 その夜、名を翡翠裕也と名乗る男に出会った。自分と然程変わらないくらいの歳に見える短髪で黒髪の透き通る青色の瞳をした男だった。どこから現れたかは分からない。


 玄関で拾った石はこの男のものらしく、かなり探していたらしかった。妖長者と呼ばれていること、その石は妖石というものだということなど適当に説明し、何故かその妖長者になってくれとまで言われてしまう始末。


 訳が分からないまま、ノリで承諾したもののそのまま男は去り、代わりに柊と名乗る妖が迎えに来た。妖世界に連れ去られ、妖長者としての日々を過ごし始めてしまった。


 はじめは自分の置かれている状況に困惑しすぎて、翡翠と下らない会話をしていたが、少し落ち着き始めた頃、佳奈のことを時々思い出すようになっていた。自分がいないいま、佳奈は一人で日々を過ごしていることになる。小学二年生の佳奈が一人で、過ごしていけるとは到底思えなかった。だが、帰る手立てがないこともまた事実であった。


「なあ、翡翠」


「何だよ」


「お前は帰りたいとか思わないの?」


 妖町祭りで買ってきていたお菓子を美味しそうに食べる翡翠に視線を向けた。


「帰りたいよ?」


「名前、少しでも思い出せないのか?」


「さあな。ハッキリしていることは俺が翡翠裕也ではないということだ。それと、誰かが俺の本名を知っているということだけだな」


「その誰かが分かったとして、どうする?」


「名前を返して欲しいと頼んではみるが……」


「無理だと思うけどな」


「お前に言われたくねぇよ」


「お前が名前忘れるのがいけねぇだろ!」


「お前だってそのうち忘れるんだよ! バーカ!」


「バカって言った方がバカなんだ!」


「じゃあ、お前は阿呆だな!」


「だれが阿呆だ!」


「お前だ!」


「うるせぇ! クソ翡翠!」


「あーあ、お前なんかに頼まなければ良かったよ!」


「だったら帰らせてくれよな! 佳奈だっているんだ!」


「あ~妹ね。誰もお前のことなんて待ってねぇよ」


「……そ、そんなことない!」


「お前自身が一番分かっているくせに」


「そんなことはないと……思わせてくれよ」


「下らんな」


「は? お前がそんな冷淡な奴だとは思わ」


「うるせぇよ。自分のことを待ってくれていないと思っていて待たれているのと、自分のことを待っていてくれると思っていて待たれていないのとでは随分と差がある。それくらい学習しろ」


 翡翠はそう言い去りどこかへと姿を消した。


 強く手を握り、俯いた。


「分かってる……。佳奈が俺を待っていないことくらい…………。分かってるさ…………。誰よりも一番俺自身が……」


          ❦


 空はいつまでも暗く、季節は存在しない。暁の空に夕暮れの空は紅く染まり、時間の流れを知らせるばかり。


 古の契約より賜れし、この絆……。


 はぐらかされたこの世界。


 はっきりとしないこの世界。


 嘘偽りのこの世界。


 これからもずっと、きっとこのままで……。


 妖世界も人間界も変わらない。


 そして、この屋敷内も……。


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