新たな妖長者
空汰と翡翠が出会う約二年前……。
コンッコンッ
翡翠と珀巳が他愛もない話をしていると、部屋にフィリッツが入ってきた。
「どうした?」
「ご公務をなされていたのですか?」
フィリッツは翡翠の机上を見たようで、机上には羽ペンと公務の書類が散らばっていた。フィリッツの言う通り公務を確かにしている最中だが、つい珀巳との会話に火がつき実際はあまり進んでいなかった。
「まあな」
「珀巳は見張りですか?」
珀巳はフィリッツ分の紅茶を用意しながら、苦笑を浮かべた。
「まあ、そんなところです」
「大変ですね、抜け出す妖長者だと」
フィリッツは翡翠に笑みを向けていたが、翡翠はため息を吐きフィリッツを睨んだ。
「それで、何しに来たんだよ。わざわざ嫌味を言いにきたわけじゃないだろ!?」
「はい。翡翠様にご報告がございます」
「報告?」
フィリッツは懐から群青色のファイルを取り出し机上にゆっくりと置いた。
「次期妖長者の人間が確定しましたことをお知らせ致します」
「次期? 俺はまだ生きているが?」
フィリッツと珀巳は一瞬顔を見合わせ、言いにくいのか黙り込んでいた。
「フィリッツ?」
「あまり良いお話ではありません」
「それでも俺が聞きたいと言ったらどうする?」
「それが翡翠様の願いと言うのであれば、無視させて頂きます。しかしながら、妖長者としての願いと言うのであれば、お話いたします」
翡翠は面倒くさそうに、フィリッツから視線を逸らしファイルを手に取った。開くとそこには自分よりも若い男の子の顔写真とその子のプロフィールが記されていた。もちろん、フィリッツはその男の子の情報をほとんど知らず、名前も知らない。
「十五歳……」
「翡翠様より三歳年下ですね」
「……だから?」
「え?」
翡翠は無造作にファイルを開いたまま机上に放り置いた。フィリッツは反射的にそのファイルに視線を向けてしまい、知ってはいけない名前と顔を見てしまった。
――――酒々井……空汰…………
「それで……。何隠しているの?」
「何と申されましても……」
「妖長者として聞けば教えてくれるのだよね?」
「……はい。しかし、聞かない方がよろしいかとは思います」
「フィリッツ。教えてもらおうか、俺がいるのに次期妖長者の名が上がる理由をさ」
❦
「お呼びですか……? 翡翠様……」
部屋に静かにやってきた柊を見て微笑んだ。
「あ、柊。お願いがあるんだ」
「お願い……ですか?」
「あぁ、お願い」
「何でしょうか?」
「この人物について早急に調べてきて欲しいんだ」
そう言いながら机上に群青色のファイルを差し出す。柊は恐る恐るそのファイルを受け取り、中を確認する。
「あの……どなたでしょうか?」
そう言って顔を上げると翡翠は紅茶片手に何やら資料を見ていた。公務をしているということくらい見ればわかるが、身体は横を向いていて真面目にやっているようには見えなかった。
「ん? 次期妖長者」
淡々とそう言う翡翠の言葉に驚きを隠せなかった。
「え!? 次期……妖長者様ですか!?」
横目に柊の様子をうかがうが、フィリッツと珀巳の反応と大して変わらなかった。
――――知っているんだな
「そうだ。酒々井空汰」
「空汰様……」
「様はいらない。俺が妖長者だから」
「し、失礼しました!」
「まあどうでもいいけど。それで、その子のこと調べてくれる?」
「良いのですが……、その……どのようなことを……お知りになりたいのですか?」
「家族構成、日頃の過ごし方、友人関係、妖長者に値するほどの人間かどうか」
あまりに感情なく淡々と話す翡翠に、柊は戸惑いを見せていた。
黙り込む柊に翡翠は視線を動かすことなく、話し始めた。
「柊が乗り気じゃないなら他の妖に頼むから良いよ? ただ、少し気になっているだけなのだよ。その酒々井空汰っていう男の子のこと。別に悪さはしない。したって無駄だろうし、俺にとってはどうでもいいことだよ」
「……分かりました。……では一週間ほど、時間を貰えますか?」
「いくらでもどうぞ」
あ、でも、あまり遅いのはダメだからね。
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数日後。珀巳、黄木、柊は妖長者の図書室で本の整理をしていた。
「え? 空汰様のことを!?」
「き、黄木っ! 声が大きいです」
隣室は書斎のため、翡翠がいる可能性は高い。
「あ、ごめんなさい。でもどうして、翡翠様はそれほどまでに空汰様のことを気にしているの?」
「分かりません……。でも、調べてきてほしいと」
「それでどんなことがお分かりになられたのですか?」
「珀巳が知っているようなことばかりです……」
「私は何も知りません」
「ご存知でしょう? 空汰様の家庭事情など」
「少し調べて分かることくらいは知っていますが……」
「黄木は何か調べました?」
「私は何も調べてないよ。調べてもいいけれど、どうせここを辞められないのなら、仕えることになるなら、後にいずれ知ることになるでしょうし」
柊がため息を漏らすと、珀巳と黄木が棚の間から顔を覗かせた。
「柊も大変ですね」
「珀巳に言われたく……ありません」
「私は琉生様より翡翠様の方が好きよ?」
「黄木……。琉生様……懐かしいですね」
「珀巳もそう思わない?」
「そうですね。良い人でした」
「今の翡翠様……と違う」
「琉生様は、とても良い方だった。寡黙なところはあったけれど、公務だけはきちんとなさる方だった」
「今の翡翠様は公務もそこそこ、性格もそこそこですね」
珀巳の言葉に二人は笑っていた。
「柊はどっちの方が好きなの?」
「私は……」
「あら? もしかして、柊は前の翡翠様の方が好き?」
「い、いえ! そういうわけではないのですが、どちらかというと……琉生様の方が……その……怖さがあまり無かったので……」
「確かに翡翠様は何を考えているのか分からない部分がありますし、それに伴う恐怖も少なからずありますね」
「珀巳の言う通りです……。どこか怖くて……苦手です」
「本人に聞かれたら大変ですよ」
「ですね」
三人は手分けして、急ぎ整理を終わらせ、柊は人間界へ向かったのだった。
人間界に来た柊は、本来の姿である蛇の姿になり空汰のいる学校へと向かった。
「おーい、空汰~! 飯食おうぜ!」
空汰と呼ばれた男の子は、中学三年の教室の隅で、机に俯せていた。呼ばれゆっくり顔を上げ、呼んだ男の子を見ると立ち上がり弁当片手に教室を出た。
追いかけると空汰を含む男子三人は屋上に出た。
「やっぱりここがいいよな~」
「亮弘は本当に屋上が好きなんだな」
「空汰だって好きだろ? 何か青春! って感じがするじゃねぇか」
「お前に青春は来ねぇよ」
「そう言う賢太にも来ないからな!」
「残念~」
「え!? お前だって、彼女いないんだろ!?」
にこにこと笑みを浮かべる賢太に空汰と亮弘は驚き戸惑っていた。
「え、もしかして賢太いるのか!?」
「へへっ、出来たんだぜ!」
「マジで!?」
「ウソだろ?」
「ひでぇな、本当だぜ。見るか?」
「見る見る!」
三人は屋上に隅に集まり座ると、賢太の携帯を覗き込みじゃれ合っていた。
昼食を終えた三人が各教室に戻ったのを確認し、空汰の自宅へと向かった。
家はとても静まり返っていた。誰もいないのだから当然と言えば当然であるが、妹くらいいるのではないかと思っていたが、妹は幼稚園に行っているようだった。
姿を蛇から戻し、家中を適当に見回る。そして、空汰の自室らしき部屋を見つけた。綺麗に片づけられ、カーテンは閉め切られていた。根っからのバカではないらしく、棚には参考書などの勉強本が並べられており、机上には今日要らない分の教科書やノートが置かれていた。消しゴムのカスがあることから、ここで勉強をしていることが窺える。
部屋を見回すとタンスの上に伏せられている写真たてを見つけた。手を伸ばし見ると、そこには両親と思われる男女と空汰、妹の佳奈の姿が写っていた。
「空汰様の家族ですか……」
両親は死亡となっていますが……どうやら生きているようですね。しかもそれを佳奈さんは知っていると……。
写真たてをもとの位置に戻し、振り返り、棚に近寄った。少し気になっていることがあった。
この段は奥まで綺麗に押し込まれて直されているのに、あの段は手前に直されている。
「ということは……」
手を伸ばし手前に出ている段の本を出し始めた。
そしてその本の後ろに隠すように直されている本を見つけた。その本を取り出し、出した本をもとに戻した。
❦
「普通のどこにでもいる生活苦の中学三年生。それだけ?」
柊は翡翠に空汰のことで分かったことを話していた。
「それと、家族構成は……両親死亡となっていますが……。生きているようです」
「生きている?」
「はい。しかし……空汰様ご本人のみ……その事実を知りません」
「空汰が知らない? 何故だ」
「どうやら……、妹さんを含め……空汰様のご家族……、ご親戚の皆さんは…………空汰様のことをよく思っていないようです……」
「よく思っていないねぇ。霊感があるから?」
「多分そうだと……思います。気味悪がられているようですので」
「気味悪がられるか、なるほど。他は?」
「えっと、こちらを」
そう言うと懐から、空汰の部屋の本棚奥で見つけた本を翡翠の前に置いた。それは橙色の空汰の日記であった。
翡翠はそれを手に取り適当なページを開いた。
「ふ~ん、日記」
「誰にも……見つからないよう、本棚の奥に……隠していました」
「空汰の日記。面白そうだから少し借りておこう」
「し、しかし」
「大丈夫。別に返さなくても分からない。ま、いずれは返そう」
「ですが……」
「柊」
「は、はい」
「面白い報告をありがとう。もういいよ、下がって」
柊は戸惑いながらも、一歩後ずさり一礼して部屋を後にした。
翡翠はその日、夜まで公務放置で空汰の日記を読んでいた。
❦
その日の夜。
コンッコンッ
「どうぞ。……珀巳ですか、どうしましたか?」
扉を開け入ってきたのは、浮かない顔をしている珀巳だった。入ってくるなり黙り込む珀巳を見て、手に持っていた本を閉じ、片手を机に置いて見据える。
「何かありましたか?」
「フィリッツ……。空汰様のことなのですが……」
「次期妖長者様のことですか? 一つだけお願いがあるのですが、長老の前で本名を使うことはあまりよくありませんから、適当な名前を付けて呼ぶか次期妖長者様としてください」
「フィリッツは知っているからいいでしょう?」
「では、私以外の長老の前ではお願いします」
「分かりました……」
フィリッツは片手を机から離し、数歩前に進み立ち止まった。
「それで、空汰様がどうかされましたか?」
「何故………………」
今にも泣きそうな表情をして俯く珀巳を見て、フィリッツはため息を吐いた。
「翡翠様が五年以内に死ぬことを悔やんでも仕方がありません」
次期妖長者が生まれる条件……。それは、現妖長者の残りの寿命が五年をきったときである。他殺でない限りは、遅かれ早かれ次期妖長者が生まれ、確定する。酒々井空汰はその次期妖長者に値する人物である。つまり、現妖長者の翡翠裕也はあと五年で何らかの理由で死に至ることになる。
次期妖長者の条件も複数あるが、酒々井空汰は生まれつき妖力を持っているわけではなかった。次期妖長者が必要と判断されると、適任者に妖力が年々付いていき、霊感も増していく。それらの条件に当てはまったのが酒々井空汰であった。誰が選ぶわけでもない。自然と勝手に選ばれていくのだ。
「私は……」
珀巳は何故か現妖長者の翡翠裕也を特別視しているようだった。もともと野狐の彼を見つけて連れてきたのは前妖長者の翡翠琉生だが、そちらの翡翠よりも今の翡翠の方に心が傾いているようだった。付き合いは断然琉生の方が長いが、翡翠裕也に何かを惹かれているようである。
「珀巳の気持ちが分からないわけではありませんが、こればかりは、私が決められることではありません。長老の手で動かせるような事態ではないのです」
「翡翠様は何故、五年以内に死ぬのでしょうか? その理由が自然死でないのならば、食い止めることが出来るはずです」
「珀巳。それは、未来を変えるということです」
「ですが、翡翠様は生きられます」
「例えその原因を阻止できたとしても、未来を変えることは想像以上に難しいことです。過去を知ったうえで、変えることはとても容易ですが、何も知らずに現在を変えることは困難です」
「ですが……」
「珀巳……。翡翠様もご存知の事実です」
「結局私は翡翠様のお役に……たてませんでした」
フィリッツは珀巳の背に手を置き、首を傾げた。
「まだ、翡翠様に何も伝えていないのですか?」
「……はい」
「オーガイに就いていることもですか?」
「はい……。でも、それは!」
「知っていますよ。翡翠様に私の口から話すべきことはありません。珀巳が、オーガイに就いている事実は、いずれ話さなくてはいけないときがくるでしょう。そのときは、珀巳の口からきちんと話すべきです」
「分かって……います」
「人間の命はとても短いものです。あまり先延ばしにしていたら、二度と伝えることは出来なくなりますよ」
「あと五年で、全てを伝えられるでしょうか?」
「分かりません。私は翡翠様の味方でも珀巳の味方でもありません」
「伝えられなければ自分が後悔します……」
「珀巳なら出来ますよ。その弱さを知っている貴方なら、きっと強くなれますよ」
「最期までそばにいます」
「珀巳には珀巳のやるべきことがあります。黄木も柊も、そして翡翠様ご本人も、やるべきことがあります。それを成し遂げてください」
あと五年後、翡翠はこの世にいない。
それは、妖長者という名の業に縛られた者の行く末である……。
そして、私フィリッツにもやるべきことがあります。
――――翡翠様を自由にしてあげなければなりません…………