地獄の社員選考10
九条君を見れば、ポカンとした顔をしていた。
「九条さん、大丈夫ですか」
とりあえず、正気に戻す。九条君は私の手を視界に入れてようやくはっとしたような顔をした。
「し、白霧さん。あ、あの…一体」
「えっと、彼女はスパイでした。以上です。あなたはそれ以外なにも聞いてもいません。見てもいません。そして、スパイがどのような方だったのかも知りません。よろしいですか?」
「…はい」
私の言いたいことがわかったのだろうか。こくりと静かに頷いた九条君を見て私はゆっくり頷く。彼は今、何を考えているのだろうか。スパイとの会話についてなにか思うことはないだろうか。
「お、俺、今日白霧さんに会えてよかったです。このようなことが起きたのは良くないことだと思いますが、会社であなたがすれ違っても、挨拶だけで終わるなんて少しさびしかったんです。前、飲み会までして仲良くなれたと思っていたのに…。1年前、この選考に緊張して来ていた俺をあなたがほぐしてくれたんですよ。ペンを落としたのはわざとだと思いましたが、あなたが笑ってお礼を言ってくれて、自分に自信が持てたんです。それで俺は今ここで忙しいですけど充実した仕事ができています。そして、こうして白霧さんと、静さんとまたお話しできて夢の様です」
「えっと、九条さん?」
どうしたのだろうか。まるで私と出会ったのが奇跡的なことだと勘違いしているかのような…。スパイのことを言われた通り忘れようとしてロマンチックな出来事に差し替えようとしているように見える。
「白霧さん。俺…」
九条君が真剣な目で私を見つめる。私は静寂を何とかしようと唾を飲み込んだ。九条君が言葉を発しかけたその瞬間…。
「あれ、邪魔したか?」
扉が音もなく開き、純が入って来た。純はそのまま私達の傍まで行き、割って入って来た。
「白霧。さっきの件についての後片付けを俺がすることになった。よって、このあとすぐに報告書の作成を願いたい。すぐに行けるか?」
純の言葉に私は九条君を見る。なにか言いかけていたみたいだけど行って大丈夫かな?九条君は少し、顔を赤くしながらも頷いた。…なぜ顔を赤くしているのだろうか。まさか、純があまりにもイケメンで、いや、筋肉が美しくて…顔を真っ赤にしているのかな?
「く、九条さん?」
九条君の顔の目の前で手を振り正気か確認する。しばらく振るとようやく九条君が帰って来た。
「はっ!?し、白霧さん!?」
「大丈夫ですか?」
急にびくっと肩を揺らした九条君が少し心配になり、顔を近づける。
「だ、大丈夫です!!で、ですから、顔を近づけるのをやめてください」
…九条君に拒否られた。顔を赤くした九条君はもう社会人にもかかわらず、なぜか照れている少女のように思えた。なんでだろう。不思議だ。
「えっと、九条。悪いが、白霧は借りていく。お前は次の準備に入れ」
待ちきれなかったのか純は私の腕を掴んで引きずっていく。
「東原さん、私は自分で歩けます」
「こっちには時間がないんだ。少し我慢してくれ」
純に引っ張られながら後ろを向くと九条君と目が合った。なんか疲れているといった表情だ。色々大変だっただろうし、給料を上げとくからという意味を込めて微笑んでおく。
「っ!?」
九条君が、え、まじかというような顔でこちらを見てきた。そして、なぜか純の手に力がこもる。痛いんですけど!純が音も立てずにドアを素早く閉じた。廊下には人一人もいなかった。純はそのまま私を引っ張って階段を上り、小さな倉庫となっている場所に入り、ようやく私の腕を解放してくれた。メガネを外し、純を睨む。
「純。女性にあんな強引な手を使っちゃだめだよ。私だったから痛いだけで済んだけど、他の人だったら青痣物だよ。手を引くなら優しく引いて」
純はばつが悪そうに顔を逸らした。
「悪い、社長。なんか早くあの部屋を去りたくて…」
「純…もしかして」
「な、社長!?」
私は純に近づき背後を見る。いない。多分。見えないけれど。
「…大丈夫みたい。もう、霊がいるかもしれないなら早く言ってよ。急いで近くの神主さんを呼んでくるから」
「…あ、安心しました。霊は俺も見えないので分からないです。けれど、あの九条…とかいうやつに社長をあんまり会わせたくないんですよ」
「ええ!?九条君良い子だよ!純は嫌いなの?」
「…良い子ね。その良い子が時に刃を向くときがあるんですよ。いつか分かります」
もしかして九条君は純には悪い子に見えるのかな?いったい何をしたのだろうかと考えながらドアに手を掛けると、純に後ろから押さえられた。
「一応、白雪誠に忠告な。我が社にハッキングが増えた。社長の正体を探ろうと社会が躍起になっている。今はうちの優秀な奴がプログラム組んで防衛しているが、もしかしたら、白雪誠の手が必要かもしれない。それと」
そこで純は言葉を切った。そして、いつもより低めの声で口を開いた。
「それと、お前の目的はなんだ?」
純は真面目な話をするときに低い声になる。恐らく、私の、白雪社の真の目標を再確認するために聞いたのだろう。白雪社は単にアイデアを出して、売って設けるだけの会社ではない。私の私的理由も含まれて存在しているのだ。これは、社長を知っている人しか知らない事実だ。私は唾を嚥下しゆっくり口を開いた。
「恨みを、晴らすため」
静かな部屋に耳鳴りが響いた。




