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とらわれのアイリス

「おお」

 私は山の隙間から顔を出した朝日に小さく声を上げる。

 赤く光る太陽を見る度に、心が洗われるようだった。沈みゆく夕日も好きだが朝日には底知れぬパワーがあると思う。

 ふと、足元に視線を向ける。五メートルほど下に地面が見えるが、行き来する人の姿はない。だが、朝早い商人たちが動くのはそろそろだろう。ちなみに今、私がいるのは木の上だ。ここだと朝日がよく見えるという理由もあるが、一番は見つかりにくいということだな。

 頭に巻いたストールが風になびく。それをきちんと巻き直すと太い枝に手をかけた。

「そろそろ戻ろう」

 ぽつりと呟き、木から降りようとしたその時、「キャアアア!」とどこからか悲鳴が聞こえてくる。

 慌てて辺りを見回してみると、少し離れた場所にゴブリンに襲われそうになっている女性を発見。

 助けなければ! と思うよりも早く自然と体は動いていた。


 しかし、私が現場にかけつけた時にはゴブリンは去り、悲鳴を上げた女性は男性に何度も頭を下げている光景が視界に飛び込んできた。

「ありがとうございました! あなたは命の恩人です」

 女性が頭を下げる度に、カゴいっぱいの花が揺れて綺麗だ。なにはともあれ無傷のようで良かった。

「そんなお礼を言われるようなことはしていませんよ」

 男性はそう言って少しだけ微笑むと、「また魔物がきますから安全な所へ」と女性に避難を促す。

 花売りの女性はそれに従い、その場を立ち去った。

 助けにきたのに魔物が既に倒されていたという状況に手持ちぶさたになってしまった私は、ぼんやりとその場に立ち尽くす。

「ほら、君もこんなところにいたら危険だよ」

 男性の言葉に、私は反論する。

「ここはすぐそばに街がある。だから本来はそうそう魔物は出ないんだ。きっとこれは魔王の仕業」

「だから逃げろと言ってるんだよ」

「大丈夫だ。私は剣の腕には自信がある。盗賊三人相手に一人で戦ったこともあるんだ」

 私が過去の出来事を男性に告げると、彼は目をまん丸くした後、笑いだした。

「なっ?! なぜ笑う?! そうか、嘘だと思っているな?!」

 そう言って、剣の腕前を見せてやろうと鞘に手をかけたその時。

 男性は私の手の上に自分の手を置いてから、こう言う。

「むやみやたらに剣を抜くもんじゃない」

「私はただ」

「美しい君が持つのなら、剣よりも花が似合う」

 男性はそう言った直後、顔を真っ赤にさせた。

「なんだ? 熱でもあるのか?」

 私が男性の顔を覗き込むと、彼は首を横に振ってもごもごと口を動かす。

「いや、あの、そういう台詞、言ったのは生まれて初めてなもんで……って、皆まで言わすな!」

 男性はそれだけ言うと、ずかずかと歩いて行く。

 どこへ向かうのかと見ていたら、ヒ―ライの城下町を目指しているようだった。


「おわっ! なぜ着いてきた?!」

 背後にいた私の存在にようやく気付いた男性は飛び上がるほど驚いた。 

 すると、眼前に広がる街の中の一軒の商店の看板が『OPEN』にひっくり返された。それを合図にするかのように、あちこちの店が開店し、道沿いに並ぶ屋台も客寄せを始めた。

「街が活気づいてきたな」

 私の言葉に、男性はこう尋ねてくる。

「君は、ここの街の住人なんだな?」

「えっ?! ああ、もちろんだ。住んでいる。そう、ただの一般市民だ!」

 私は腰に手を当てて、大きく頷く。

 男性はまた笑いだしたかと思うと、真面目な顔をつくりこう言う。

「俺の名はブルースター。各地を旅しているんだ」

「私の名はマ……アイリス。ここの、ごくごく普通の家の生まれだ」  

 ブルースターは「よろしく、アイリス」と握手を求めてきた。私はそれに応じ、がっしりと握手を交わす。

 彼は碧い瞳が印象的な整った顔立ちの美形。すらりとした痩身で肌の色も白いくせに握手をする力は強い。それにしても、なかなか良い顔をしている。歳も十六、七歳くらいで近そうだ。

 そう考えた途端、心臓がばっくんばっくんと鳴り始めた。

 私は心臓を抑え、俯いた。これがこ……いやまさか。

「どうした?」

 ブルースターが心配そうな表情で私の顔を覗き込んでくると心臓は余計に暴れた。やめてくれ! 顔を近づけるな!

 私が心臓を押さえていると、どこから良い香りが漂ってきた。串焼きの屋台が商いを始めたのだろう。ジュウウという音が食欲を刺激する。

「そういえば、朝から何も食べていない」 

 私が呟くと、まるで獣の鳴き声のような音が当たりに響く。

 そして、どこから取り出したのか短剣を抜き、戦闘態勢に入っていたブルースターに冷静に言う。

「すまん。私の腹の虫だ」

「え?! ああ、そ、そうか」

 ブルースターは苦笑いをしながら短剣をしまった。


 大通りからはずれた階段に腰をおろし、二人で串焼きを食べる。

「お金、受け取ってもらえなかったなあ」

 ブルースターは串焼きを見つめながら、不服そうに呟いた。

 屋台の主人が私の顔を見た途端、『お代なんていただけませんよー。いや、その今日はじめてのお客さんだからタダってことで!』とよく分からない理由で二本分、無料でくれたからだ。

「ああ。あの串焼き屋の男には父上に言って褒美をやるとしよう。聞いた話によれば赤ん坊が生まれたそうだしな」

 私がそう言って笑った途端、ブルースターが目をまん丸くする。自分の放った言葉を反芻して、事の重大さにようやく気付く。

 その拍子にごくん、と肉を飲み込んでしまい盛大にむせた。

 げほげほと咳をする私の背中を、ブルースターが慌ててさすってくれる。

 温かい手が背中を滑るのが心地よい。むせながらも心地よさを感じるとはおかしいものだ。

 むせていたのが直ったら、今度は再び心臓が暴れ出した。

 私はそれを無視して、ブルースターをちらりと見る。

 今日はこの旅人を案内しよう。ヒ―ライ王国の良さを知ってもらわねば!


「なんで俺にここまで親切にしてくれるの?」

 細い路地を歩きつつ、林檎(果物屋の夫人からのもらいもの)を頬張っているとブルースターが唐突にそう尋ねてきた。

「ん? そりゃあ……」

 私はそこで言葉を詰まらせた。

 まさか、『さまざまな人にヒ―ライ王国の良さを知ってもらうのもこの国の姫である私の務め。だから旅人を案内している』とは言えない。

「暇だからな」

 とりあえず誤魔化してみた。ブルースターは「ストレートに言うなあ」と笑っている。なんとか乗り切ったか?

 細い路地を抜けると、少し開けた場所に出る。

 城下町の中央広場と呼ばれる場所は、中央に噴水とベンチがあるだけだが、周囲に植えられた花が色鮮やかでとても綺麗なのだ。

「うわあ。きれいな広場だ」

 ブルースターの言葉に、私は誇らしげに胸を張って答える。

「ここは庶民の憩いの場だ。聞いた話によればデートスポットにもなっているそうなんだ」

 私の言葉にブルースターをこちらをじっと見つめてから口を開く。

「アイリスさんは恋人はいないの?」

「こっ、恋人?! いるわけがないだろう!」

「そうなの? 意外だなあ」

 ブルースターはそう言うとベンチに腰かけ、辺りを眺めて目を細める。

 その姿についつい見とれてしまう。ああ、なんだか隣に座りにくい……。

 私は散々、悩んでからブルースターの座っているベンチの隅っこに腰かけた。


「きれいだ」

 ブルースターの声に、そちらを見ると彼と目が合う。

 心拍数が急上昇し、なぜかその顔をまともに見ていられなくなり、私は視線をそらした。

「あっ、いや、その、花がね?」

 ブルースターは慌てたように言うと、花に視線を向ける。

 私もそちらに視線を向け、口を開く。

「街の人々が交代で手入れをしてくれているんだ。だから、毎年こうしてきれいに咲く」

「あっ! お姫様ー!」

 幼い女の子がそう言いながらこちらに駆けてきた。ぎくりとして頭に巻いたスカーフを結び直す。完璧な変装だと思っていたのに!

「ここの国のお姫様は、この方のようにきれいな金色の髪に真っ白な雪のような肌で誰から見ても美人なのかい?」

 ブルースターが女の子にそう質問するのを、私は口をパクパクさせつつ見ているしかなかった。

「うん! とーってもきれいな女の人! 『顔だけじゃなくて、心もきれいなのよ』ってママも言ってた!」

 女の子の言葉に照れる私。いや照れてる場合じゃない! 正体ばれてる。しかもブルースターにまでバレる。

「そうか。すてきなお姫様がいて君は幸せだな」

 ブルースターの言葉に、女の子は大きく頷いてこちらに手を振ると、商店街の方へと走って行った。


 再び二人きりになった広場には、噴水の音だけが響いている。

 沈黙を破ったのはブルースターだった。

「若いうちから姫なんて苦労もありそうだな」

「そうは言っても十七歳。来年は成人だ」

 そこまで答えてからハッとする。自分をぶん殴りたい衝動にかられた。

 ひとしきり笑ってからブルースターは口を開く。

「いや、最初から何となく一般庶民ではないなと思ってたから。服装とか立ち振る舞いの凛々しさとか。それでおかしいなって思ってたら屋台の人の対応と、おまけに自分で身分をバラす発言もあったからさ」

「じゃあ、最初から分かっていたというのか?!」

 私の言葉に黙って頷くブルースター。なんだかものすごく恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい。

「城を抜け出すのはいつものことで、勉学や剣術の時間があればすぐに城には戻っている。だから、メイドたちも黙認してくれているんだ」

 私はそう言うと開き直って、スカーフを取る。

「それなら、変装せずに姫として堂々と街を歩けばいいんじゃないのか?」

 ブルースターの問いに私は答える。

「そうはいかない。国民に気を使わせてしまうと普段の庶民の暮らしを観察することができなくなる。だから、あえて変装しているんだ」

「でも、なんか今日の感じからすると……」

 ブルースターはそこまで言ってから、「あ、いや、なんでもない」と訂正する。

 そして彼は空を眺めて、太陽の光りに目を細めながら続ける。

「分かるよ、その気持ち」

「そうか」

 私も同じように空を見上げる。突き抜けるような青が広がっていた。

「新たな魔王が現れたそうだな」

 私が独り言のように呟くと、ブルースターは「らしいな」と答える。

「前の魔王を倒したパーティーの話を聞いたことがあるが、魔王は心臓を一突きにしても倒せなかったそうだ。きっと、魔王は邪悪な力により復活をした。つまり、奴は死んでなどいなかったというのが私の見解だ」

 拳をぐっと握って私は続ける。

「今は特に悪事をはたらいているようなそぶりも、世界を恐怖に陥れるような脅しをしてきたわけじゃない。だが、いつか奴は動くはずだ! 七年前のあの時のように……」

 私は拳をぐっと握り、そして続ける。

「あの悲劇を繰り返してはいけない。だから今度こそ魔王を倒さないと。この国の、この世界の人の笑顔を守りたいんだ」

 ブルースターはしばらく黙りこんでから力強くこう言う。

「俺も平和で穏やかな世界が好きだ。魔王は間違っている」

 彼の顔が悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「そろそろ、行かなきゃ」

 彼は突然、言うと勢いよく立ち上がった。

「えっ?!」

 私は驚いてブルースターを見上げる。 

「急ぎの用でもあるのか? まだ昼前だ。もう少しゆっくりしていってもいいだろう?」

「ごめん」     

 ブルースターはそれだけ言うと、歩き出した。

 去って行く彼を止めたくて仕方がなかったが、その背中は『ついてくるな』と言わんばかりに冷たい空気をまとっている。

 私が姫だと分かって、接しにくくなってしまったのだろうか。

 うつむいて、唇をぎゅっと噛んだところで、石畳を小走りに駆けてくる音が近づいてきた。

 顔を上げると、去ったはずのブルースターが目の前に立っている。

「なんだ? 忘れ物か?」

 平静を装ってそう尋ねてみたが、内心うれしくてしかたがなかった。

「いや、違う、でも、違わない」

 ブルースターは訳の分からないことを言いながら、息を整える。

 そして、私を真っ直ぐ見てにっこりとほほ笑み、何かを差し出してきた。

 一輪の花。紫色の綺麗なライラック。

「これ、どうしたんだ?」

「今朝、助けた花売りの女性がそこにいてさ。これをくれたんだ。俺が持っていても何だし。アイリスに」

 くすぐったいような気持ちで花を受け取ると、彼は私の手を握り、口を開く。

「必ずまた会える」

 それだけ言うと、今度こそブルースターは去って行った。

 彼の背中が小さくなって、それから見えなくなってしまっても、私は石畳の道を見つめていた。また戻ってくることを期待して。だけど、その気配はない。

「また会いたい」

 そう呟いて、勢いよくベンチから立ち上がった。


 ☆  


「マリー様、魔王城はあそこですっ!」

 魔法使いが表情をこわばらせてそう言った。

 私たちの目の前には、おどろおどろしい大きな建造物が行く手を阻んでいる。

「あれが……魔王城か」

 そう呟いた瞬間、ブルースターの顔が浮かぶ。彼が王国を訪れたのは二年も前のはずなのにあの時のことは鮮明に記憶している。今、勇者となった私の姿を見たらなんて言うだろうか。きっと応援してくれるはずだ。

「さあ、行くぞ」

 私の言葉に、パーティー全員が魔王城の門をくぐった。


 門をくぐった途端、私の足元で魔方陣が光る。異変を感じた時には眩しい光に包まれていた。

 目を開けると、そこは先ほどいた場所ではなかった。

 辺りを見回してみると、薄気味悪い広間のような所だと認識できる。

 しかし、敵どころかパーティーメンバーは誰もいない。

「私だけが転移魔法に巻き込まれたというわけか」

 剣をかまえ、臨戦態勢に入ったところで目の前に突然、黒い煙が現れた。

 まさか魔王か?!

 剣を持つ手に力をこめ、煙から十分に距離を取った所で、煙が消える。

 それと同時に人間の姿が見えた。    

 黒い髪、端正な顔立ち、そして碧い瞳……。

「ブルスター! どうしてここに?!」

 私がそう叫ぶと、彼はそれには答えず、こう言う。

「アイリス、君の仲間は安全なところに退避させた。僕の部下も手出しはできない」

「退避? 部下? 何を言っているんだ?」

 私が訳が分からないという顔でブルースターを見ると、彼は答える。

「ブルースターではない。本当の名はシオン。この城の主。そう魔王だ」

 にっと笑って見せたブルースター、いやシオン。

 城の主? 魔王? 嘘だ。何かの冗談だ。

「笑えないな」

「冗談ではないからな。父は七年前に人間に殺された。つまり、俺は魔王の正式な息子というわけだ」

「嘘だろう? 本当は魔王に操られているだけなのだろう?」

 私の言葉に、「仕方ないな」とシオンは呟き、パチンと指を鳴らす。

 すると、シオンの体のサイズが十倍ほど大きくなり、口が裂け、皮膚は紫色になり、見る見るうちに怪物の姿になった。

 剣を持つ手が震える。これが『魔王』と言われれば頷ける容貌だ。

「これが戦闘モードだ」

 怪物はそう答えると、元の人間の体に戻った。

「シオン、貴様、私を騙したのか?」

 私がそう尋ねると、彼――いや、魔王はニッと笑って続ける。

「ああ。平和ボケしている人間どもの顔を見てやろうと思ってな。まさか姫に会えるとは思わなかったよ。しかも勇者となってこの城に来るとは、褒めてやろう」

「今も平和だ」

 私は強い口調で答える。魔王は表情を変えない。

「七年ぶりに魔王が現れたというのに、もう二年も平和で穏やかな日々が続いている。どういうことだ?」

 私の言葉に、魔王はどかりと玉座に腰かけ、長く細いため息をついてから言う。

「俺はそもそも『魔王』って柄じゃないし、殺しは大嫌いだ。だから、君に俺を倒してもらいたくてここに呼んだ」

「一対一での戦いを希望ということか?」

「いや、そうじゃない」

 魔王はそう言うと立ち上がり、予想外の台詞を吐いた。

「最期に二人で話したかっただけだ」

 へにゃり、と頼りなさげな笑みを浮かべる男は、魔王ではなくやっぱり私のよく知っているブルースターだ。

「どうやって戦えというのだ……」

 すっかり戦意を喪失した私に、シオンは言う。

「俺は戦わない。だから、さくっと殺してくれよ」

「できるわけがないだろう!」

 叫び声が広間に響いた。

「そうか。それならば今からでも悪事をはたらこう」

「できるのか?」

 私が真っ直ぐ、魔王を見て問うと、彼は穏やかな口調で答える。

「だから殺してほしいんだ。その勇者の剣なら俺を殺すことは簡単だ」

「嫌だ!」

 私は首を大きく横に振った。なぜ殺さなければいけないんだ。だってあなたは……。

「初恋の相手に殺されるなら本望だ」

 シオンがそう言って笑った瞬間、私は思わず剣を床に落としてしまった。

 そして、彼を真っ直ぐ見つめてこう言う。

「私の初恋の相手はブルースターだ!」

 だから、殺せるわけがない。それにシオンは人の心を持っているじゃないか。

 私が拳をぐっと握ると、彼は腰を上げ、ゆっくりとこちらに歩いてきた。

「そうか。相思相愛だったのだな。これで心おきなく逝ける」

 シオンはそう言うが早いか、私の剣を拾い上げる。

「だから無理だと言っているだろう。私はあなたを殺せない」

「困った勇者だ。それじゃあ提案だ。誰も死なない方法を見つけよう」

 シオンはそう言って笑うと、柄をこちらに向けて剣を差し出してきた。

「ああ。そうだな」

 私が剣を受け取り、その先がシオンの方に向いたその瞬間。

 シオンが力任せに私を引き寄せ、そして抱擁した。

 手に持った剣が彼の体を貫いている。

「……ははっ。君は……本当に……素直だな……」

 シオンは力なく言うと、床に倒れた。

 心臓に大きな穴が開き、黒い血がドクドクと流れている。

「シオン!」

 私は慌てて止血をするべく、手近な布を彼の心臓に当てようとした。

「簡単な治癒魔法ならできるっ!」

「……魔王の私に……人間の……治癒魔法は……効かない」

「嘘だっ! それもどうせ嘘なのだろう!」

 涙で歪んだシオンが、最後の力を振り絞るようにして言う。

「アイリス、愛している」

 その言葉を合図にするかのように彼の姿がさきほどの大きな獣へと変化していく。

「マリー様っ!」

 転移魔法で現れたパーティーメンバーがこちらへ駆け寄ってくる。 

 魔王はその姿のまま、目を開くことはなかった。


 その後、ヒ―ライ王国へ無事に帰還すると『剣姫』と称えられた。

 数日間、お祭り騒ぎが続いたが、それに参加する気にはなれず部屋にこもる私に、『戦いで疲れたのだろう』と周囲は勝手に解釈してくれたのは有難い。

 世界が平和になった代わりに、私は最愛の人を亡くしてしまった。


「ブルースター」

 私は木の上で日の出を眺めながら、彼の名前を呟く。初恋の人の名。

 そんな相手をこの手で殺すことになるとは思わなかった。

 今も手にあの時の感触が残っているようだ。私はこの罪を一生、背負わなければならないだろう。

「ここに連れてきたかったな」

 私がそう呟くと、隣で声が聞こえる。

「うん。いい所だね」

「ああ。だからこそブルースターに――」

 その声に隣を見て、驚いて危うく木から落ちそうになる。

 だって、私の横にいたのは痩身で端正な顔立ちの碧い瞳。

「そっくりさんか?!」

 私の言葉に、そっくりさんはひとしきり笑ってから言う。

「あの時、死んだのは魔王の僕であって、今は人間の僕だ」

「何を言っているんだ?」

 私は首を傾げる。どうやらお化けではなさそうだが。 

「魔王には、心臓が二つあるんだよ。あの時、アイリスの剣で刺されたのは一つの目心臓のみ」

 そっくりさんは続ける。

「しかも勇者の剣には不思議な力が宿っているらしく、僕の中の魔王の姿だけを殺してくれた。だから今は心臓一つの生身の人間だよ。赤い血とか初めて見た」 

「ちょ、ちょっと待って! どういうことだ?!」

 頭がぐるぐるとしている私に、彼はニッコリ微笑んで言う。

「とりあえず、串焼きでも食べながらゆっくり話そうか」


      

<おわり>

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