~序章~
~序章~
空には一点も曇り無き青、そして太陽が輝くという紛れもない晴天だった。
それが現在、授業中の僕の机から見た景色であった。窓際は良い、暇なときはこうやって景色を見ることによって暇潰しが出来るのだから。夏は日差しに苦しめられるというデメリットもあるが今は春なので気になることは無い。だが勉強が本分である高校生の僕には、何時までもこの観察をすることは出来ない。
教室の前方へ目を向けると教師が背を向けて黒板に新しい単語を書き始めていた。新たな単語とその説明をしていくのをなんとなく聞きながらそれをノートに写していく。
この先生の授業は嫌いになりかけている。その知識を活用していく為のものじゃなくて、ただ溜め込むために授業をしているのがひしひしと感じられるからだ。
こんな授業でも三割ほどの真面目な人たちは真剣にノートにペンを走らせている。五割は僕みたく勉強と暇が半分半分の者達だろう。残りの二割は……寝ているので特に思うところもない。
このまま身を任せてしまうと寝てしまいそうだ。この退屈な授業をどうしたら解決できるだろうか。まずはこの典型的な詰め込み式を変えてみてはどうだろうか? 式・説明・問題の三つが淡々と繰り返されるのはどうしても飽きる。何かしらの試みを要望したいところだ。次に先生の授業への姿勢である。式・説明・問題の三竦みを殊更つまらないものに昇華さている要因の一つ足り得よう。これに関してはもうちょっと緩急つければなんとかなる気がするので期待が持てそうである。あと、禿。カツラで隠そうとしない姿勢は好ましいが頂を越えて後退しているのを見せつけられるのは流石に身苦し「この問題を浜川。浜川真貴に解いてもらおうか」
思考の渦から釣り上げられた感覚がした。急に当てるのは止めてください。いや、本気で。
太陽の輝きは先ほどより強くなった気がした。
□
「絶対あいつお前が退屈そうにしてたの見抜いてたって」
本日最期の授業が終わって早々、隣の奴が話しかけてくる。二年連続クラスメイトの称号を持つ彼にとってみれば、さっきのあれは丁度良い話のネタだろう。
「掘り返さないでくれ! あれは失態だった」
「だよなぁ。授業中笑いこらえるの大変だったんだぜ?」
「そんなの知らないよ! この話題はもう終わり! OK?」
意地悪く掘り下げてくる奴に向かって語尾を強める。
「はいはい分かったって。だからそんなに睨むなって」
彼はそう言って降参とばかりに両手をひらひらと振る。
(このからかい癖さえ落ち着けば良いクラスメイトなんだけどな……)
一つの話題が終わったところで、また彼は新たな話題を引っ張り出してくる。
「なぁ浜川、お前こんなメールとか来てたりしない?」
そういって神妙な顔つきになった彼は携帯電話の画面を見せてくる。見せてきた画面に映っていたのはメールの文面であった。
「メールか? ”もし誰一人として知っている人がいない世界に飛ばされてしまったとして、一つだけ物を持ち込めるとしたら何を持っていきますか? 返信を頂けた方には抽選で豪華なプレゼントが!”」
なんだこの使い古された心理テストみたいな文面は。何かのいたずらか? 送信先の件名のところを見ると『アンケート御協力願』とだけある。いたずらメールの類か?
考え込みそうになるところで彼が話を続ける。
「さっきの授業、浜川が当てられた辺りで俺の携帯に来てたんだよ。特定の誰かにって感じじゃなかったからもしかしたらお前にも、と思ったんだよ」
「微妙に掘り返すのは止めようか……えっとメールが来てるかだっけか」
「そうそう」
鞄の中に埋もれているであろう携帯を漁り始める。中がちゃんと整理されていない鞄はすぐに目的の物が出てこない。彼がまだか、と呆れたようにこちらを見始めてくる。それくらいは待ってくれても良いじゃないか。短気は損気ともいうだろ。
そうこうしているうちに携帯が見つかる。さっさとメールの受信画面を開く。一件のメールが受信していた。
件名はアンケート御協力願とあった。おそらく彼が見せてきたメールと同じ物だろう。中身を確認しつつ彼に質問に答える。
「うん、確かにある」
「そうか! だったらさ、一人でなんかやるのも寂しいから一緒にやろうぜ」
「なんか怪しくないか? 返信したら迷惑メールとか来るかもしれないし」
「その時はアドレス変えればいいだろう?」
「それもそう……なのか? 確かにアドレスなんて家族と数人ぐらいしか入ってないけどさ」
悲しいことだが事実だ……。アドレスを変えることになっても大して痛手ではない。変更と連絡する手間があるだけだ。
「もしそうなったら俺もだから、な? 今日ツいてなかったから気分転換になるだろうしさ」
これは彼なりの励ましなのだろうか? それにしてもよく分からないアンケートをしようだなんてふざけているように感じるけれども。そんなのが彼なりの優しさなのかもしれない……と思わない。だが、たまには誘いにのってみるのも悪くないかと感じた。
「……今回だけだよ? それに、何かあったらご飯奢ってくれよな」
「しゃーねーなぁ……奢るの一回だけだからな」
「契約完了、だね」
そうしてお互い頷き合い、メールに視線を落とし何を書くか考え始める。
何が良いだろうか。アンケートには”誰一人として知っている人がいない世界”としか書いてない。”世界”という表現が引っかかるがどこかの無人島あたりだろうか。一応出し合って恥ずかしくないように聞いておこうか。
「なぁ、これってどっかの無人島みたいなとこかな?」
「ばっか! こういう場合、異世界の地平線まで見える草原って相場が決まってるだろ!」
即座に否定されて別の答えが返ってきた。
そっちのがあり得ないでしょ、と思ったけどあり得ない場所へ行くことが前提だから問題はないのか……? とりあえず想定は異世界らしい。
まず浮かび上がるのはファンタジー物として王道である武器だろうか。けれどそういうのは扱えるだけの能力と技量があってこそだ。僕では宝の持ち腐れにしかならないだろう。
ならば次の案としては携帯食料か? これなら一定期間は生き延びられるしその間で色々と行動できるだろう。だがこれにも問題点はある。緊急時の保険がない、つまり野生動物などに狙われた際に何も身を守る術がない。これでは武器の時と同じく意味がないな。
この持って行く物には特化した物でなく柔軟性の高い物が良いのかもしれない。
そうやって僕が思考の海を泳ぎ始めたのを見抜いたのか彼は困ったような表情で見てくるのであった。
「まだ悩んでんのかよ? こんなのパパっと決まっちまいそうなもんだけどな」
「そうは言ってもね、メリットとデメリットを含めて最良の選択をしたいじゃないか」
「そんな小難しいことまで考えなくたっていいんじゃんか! 感じろ! そして選べ! 自分に素直に! たかがアンケートなんだしさ」
彼の熱弁を見せられて驚く。いつもはふざけてくることが多いからこういうのは珍しいのだ。そんな自分に素直な所が僕とは真逆だと思う。けれどそんな彼だから馬が合うのかもしれない。確かにこれはただのアンケートだ。そこまで深く考えても結果は変わらないか。
「そっか……そうだね。それなら、これでいいかな」
思いついた物を文面に打ち込んでいく。異世界って想定だし多少は色つけてもいいかな。最後に文面を見直してから送信、と。
「やっと決まったか。で、何にしたんだ?」
「秘密だよ。異世界って想定だから少しアレンジしてあるけどね。そっちは?」
「こっちも秘密だ。抽選結果が来たら話そうぜ」
「了解」
「とりあえずやることも無いし帰るか……ってもうメールが来てる、早いなー」
彼の言う通り携帯のメール受信覧にはいつの間にかメールが届いていた。受信音が無かったけどマナーモードにでもしてたか?
とりあえず、早速メールを開いてみる。件名は『御協力ありがとうございます』か。さっきにアンケートメールに違いないだろう。
「”アンケート御協力ありがとうございます。抽選の結果、見事合格されましたので豪華プレゼントを送らせていただきます。しばしお待ちください”……?」
「まじかよ当たったのか!? 俺も当たってねぇかな……!」
何かおかしい気がする。抽選結果はこんなに早く出るものなのだろうか? 返信を受信した時点で出来るかもしれないがそれでは当選した人が出た時点で効力を失ってしまう。隠したとしても、今のネット社会ならすぐ漏れてしまうだろう。それに送らせて~の文章。それだけなら誤字と思えるが、後の文はこちらのアドレスしか分かって無いはずなのにまるでこちらの所在地まで分かっているみたいで気色悪い。
やっぱり、変じゃないかな……これ、と口に出そうとした瞬間。
教室の窓から突如教室の中を真っ白に染め上げるほどの閃光とけたたましいまでの騒音が耳を叩いた。
大質量の雷が至近距離に落ちたらこんな風になるのではないかという光と音。
それは一瞬のことみたく感じられた。反射的に目を閉じ、手で耳を塞いだが耳鳴りは止まない。運良く窓には背を向けていたために目はさほどダメージを受けていない。五秒ほど心の中で数えてから閉じていた目を開く。雷のような光は去ったはずだが足下が強烈に光っていた。
そこには教室の床面積に届くかというほどの輝く円がある。さらにその円の中には埋め尽くすようにびっしりと日本語でも英語でもない文字のようなものが描いてあった。
「な……なんなんだよ! いったい!」
彼の驚きと困惑、そして畏怖がごちゃ混ぜになった叫びによって、僕は思考がようやく回り出すの実感した。未だ光る足下によって視界が安定しないけどこのふざけた現状を把握するために上擦りながらも声を発する。
「どうなってるんだ?」
「分かるか! さっきの閃光のせいで視界が何も見えやしない! おまえのほうはどうだよ?!」
「落ち着いて、ぼくの方は窓を背にしてたから大したことは無いよ。今教室は床に光る円と知らない文字がびっしりだよ……」
「はぁ!? なんだその展開……」
「僕にだって分からないから聞かないでよ……ん?」
今なお教室を染め上げる勢いで輝く円の中で足下が少しばかり点滅しているのに気がついた。眩しすぎるので目を閉じて手を点滅していた床の辺りを触っていると、それに当たった。それを掴んで教室の中で比較的暗い机の上で見てみる。掴んだそれはさっきの雷の時に落とした携帯だった。それにこの点滅は……メールの受信。そして操作をしてもいないのに受信したメールが開かれる。
「”大変お待たせしました。それでは豪華プレゼントを送ります”」
その瞬間、足下の輝きが強さを増した。
床の感覚が無くなり、体が浮遊感に包まれる。
「なんなんだよこれは!」
どちらが叫んだのかもう分からなかった。
□
一分も経たないような、もしくは一時間にも及んだような浮遊感は終わり、ゆったりと着地をして急激に光が消えていった。
やがて全ての光は消えてようやく周りの視界が開ける。
空には一点も曇り無き青、そして太陽が輝くという紛れもない晴天だった。
ここまでは良い、今日の天気だ。けれど。
視界には地平線まで見える草原が見渡す限り続いていた。
「何だよこれは……え?」
(何だぁこりゃ……ん?)
(これは一体……おや?)
とりあえず、一人じゃ無いみたいだった。