猫の友達
あるところに大きな大きな鏡のような湖がありました。空と湖に満月が昇るようなそんな夜。
うさぎは満月に手を合わせてお願いをしました。うさぎは満月の夜のたびにお願いをしてきました。
うさぎはいつも思っていたのです。
どうして、私のような姿をした子がいないのだろう? どうして、お母さんやお父さんはいなくなってしまったのだろう?
うさぎはこの赤い森でたった一匹のうさぎだったのです。
うさぎにはお父さんやお母さんがいませんでした。友達もいませんでした。
だから、うさぎは満月に手を合わせて祈りました。
どうかどうか、お月様、私のお願いを聞いてください。と。
お月様がゆっくりと夜の時間を終えようとする時、うさぎは眠りにつきました。うさぎはよく眠れませんでした。
赤い目をこすって湖で水を飲みます。
すると、どこからかほかの動物たちも湖に集まり、水を飲みながら楽しそうに朝のおしゃべりを始めました。
牛の親子、羊の兄弟、犬の姉妹、みんな同じ仲間がいるのです。しかし、うさぎは一匹きり。
うさぎはみんなから離れたところへ逃げていくともう一度、湖をのぞいて見ました。鏡のような湖からこちらにうさぎがのぞきこんでいます。
うさぎは長い両耳を両手で押さえて短くしてみました。
だって、こんなに長い耳の動物はいないでしょう?
きっとおかしいに違いありません。
うさぎは鏡の湖を見ながら歩き方も気をつけてみました。
だって、こんな風に跳ねるように歩く動物がいるでしょうか?
きっとおかしいに違いありません。
うさぎは自分のしっぽを引っ張ったりしました。
みんな立派で長いしっぽがあるでしょう? うさぎのしっぽは短かいから。
きっとおかしいに違いありません。
うさぎはみんなとは離れた所で湖に自分の姿を写して落胆しました。
だって、どうみてもうさぎなのですから。
「お前さん、さっきから何をしているんだ?」
「えっ?」
うさぎが一生懸命、耳を押さえながら、しっぽを引っ張っていると草むらから一匹の黒い猫が現れました。
「あ、あの、ね、猫さん……!?」
「まあ、そうだな。見てのとおりだ」
うさぎはとても驚きました。それもそのはず、この森では猫を見かけることなどほとんどなかったからです。しかも、こんなに耳もしっぽも手も足も真っ黒な猫をうさぎは見たことはありませんでした。
「旅の途中なんだ。ここにはあんまり猫はいないんだな?」
「は、はい」
黒猫の言葉にうさぎは緊張しながら返事をしました。
うさぎは他の動物とほとんど話をしたことがなかったのです。
うさぎは、猫に言葉に色々言いたいことが頭に浮かんできましたが、うさぎはあわててしまいうまく言うことができませんでした。
すると、不意に猫のお腹がぐぅと鳴りました。
猫は旅の途中でお腹がすいていたのです。うさぎはハっとしました。
「あ、ああ……!」
「うん?」
うさぎは突然走り出し、猫の前から姿を消しました。
あまりの勢いに猫はポツンとその場に一匹になってしまいました。
なんだ? 腹がなったからか? 食われるとでもおもったのか?
猫にはそんな気は少しもありませんでしたが、うさぎを追うにはお腹が空きすぎています。旅の疲れもあるので追うことができません。猫は湖の水を少し飲むとその場にゴロンと横になりました。
せっかく話相手ができたと思ったのに……。
黒猫は一匹旅でした。
一匹旅は孤独です。誰かと話したり、食事をしたり、遊んだりしたくなるものです。特に夜は暗くて、怖くて、いくら猫でも不安になったりするものです。
ガサガサ。と草むらが揺れました。
「……?」
「ね、猫さん!」
猫が見ると、草むらから出てきたのはさっきのうさぎでした。うさぎはたくさん木の実を持ってきたのでした。
「お、お腹、空いてるんですよね!? よ、よかったら、き、木の実、木の実どうですか?」
「これ、お前がとってきたのか?」
「は、はい……あ、猫さんは木の実、食べないですよね……」
うさぎは両手にいっぱいに持ってきた木の実に目を落として肩を落としました。魚をとってくればよかったかもしれませんが、うさぎには魚をとるすべがありませんでした。
「いや、木の実好きなんだ。生臭いのは苦手でね」
そう言って黒猫はうさぎのとって来た木の実を食べました。
うさぎは跳んで喜びました。
猫は木の実を食べながら、さっき一匹で何をしていたのかを尋ねました。
「そ、その、私、耳が長いんです」
うさぎは両耳を押さえ隠すようにしながら言いました。
「それはうさぎだからだろう?」
「こんな、耳の長い動物はいないでしょう?」
「そうだな」
猫は自分の耳と比べてみましたが、確かにうさぎの耳は長くてふわふわしていました。
「それに、私、跳ねて走るんです」
「それはうさぎだからだろう?」
「こんな風に跳ねて歩く動物はいないでしょう?」
「そうだな」
うさぎがぴょんぴょんと歩き、猫はそのとなりを静かについて歩きました。
「それからしっぽも短いんです!」
「なるほど」
「こんなしっぽの動物、いないでしょう?」
「そうだな」
うさぎはふわふわとした丸いしっぽを猫に見せました。うさぎと比べると猫のしっぽはスラリと長かったのです。
「でも、それは、お前さんがうさぎだからだろう?」
「そうです……」
「お前はうさぎで、みんなはうさぎじゃないんだから、みんなと違っていて当たり前じゃないか」
「で、でも、みんなと同じじゃないと、仲間に入れてもらえないです。友達になってもらえないです」
「ふーん」
「……?」
猫はそういうと木の実を一つ口に頬張ると口から果汁がこぼれないように気をつけながら食べていいました。
「この実、うまいな」
「は、はい」
「俺はお腹が空いていたんだ、うさぎもお腹が空くだろう?」
「はい」
「のどが渇いたり、疲れたりした時、誰かが優しくしてくれたら、うれしいだろう?」
「はい」
「困っている奴がいたり、悲しんでいる奴がいたら、心配したり、助けて上げたくなるだろう?」
「はい」
「そうか。なら、うさぎは俺と同じ所がたくさんあるな」
「はい!」
パッと、うさぎは喜び跳ねました。
そして、うさぎと猫は友達になりました。猫はうさぎに旅の話をしました。うさぎは猫にこの森の話をします。
猫の話はうさぎの聞いたことのない話ばかり、うさぎの話は猫にとって役に立つ話ばかり。
旅の猫はしばらくのこの森で過ごすことにして、うさぎの住家のそば、湖の畔の木のそばに寝床を作りました。
猫とうさぎはそれからいつも一緒でした。
森の動物達は遠めにうさぎが猫に食べられてしまうのではないかと心配しましたが、うさぎは少しも不安に思ったりしていませんでした。
一緒に食事をしたり、話をしたり、遊んだり、ケンカをしたり、仲直りしたり。うさぎは猫と一緒にいると、自分の耳が長いことや、跳んで歩くことや、しっぽが短いことなど少しも気になりませんでした。
うさぎはとてもとても幸せでした。
猫と出会ってから、次の満月の日の事。その日は朝から、森は大変な雨と雷でした。湖は割れた鏡のように空を映していました。
ドーン!
と、白い光が黒い空を引き裂いて巨大な何かが雲の中で啼きました。
雲の中ではゴロゴロと何かがずっと威嚇しています。
森の動物達は巣へと帰り、うさぎも自分の住処で長い耳を両手で塞いで震えました。
どんよりと濡れた風が入り口から手を伸ばし、振るえるうさぎを何ども撫でました。
雲から零れ落ちる大きな雨粒は濡れた風を冷たい風に変えていきます。
うさぎは冷たくて怖くて小さく小さく丸くなって震えていました。
「うさぎ、大丈夫か?」
突然、声の声にうさぎは顔を上げました。
「猫さん! どうしてここに!?」
黒猫の体は大粒の雨の中を走ってきたのか、すごく濡れていました。
猫は体を振って体を乾かします。
「大丈夫か?」
猫が聞きました。うさぎは猫に抱きつくとうれしくて、安心して声を上げて泣きました。
「こわかったよぉ、猫さん、来てくれてありがとう!」
その夜、うさぎと猫はうさぎの住処で二匹で寄り添いながら丸くなって雲の中の巨大な何かがどこかへ行くのを待ちました。
うさぎは猫の体に顔をうずくめると温かくて柔らかくてとてもうれしかったのでした。
すっかり、雨と風がいなくなり、厚い雲もどこかへと行ってしまい、森がすっかり静かになった頃、空にはたくさんの星が出ていました。
猫が夢の中にいる頃うさぎはふと目を覚まし、雨や風がいなくなった外へと出ました。
「ああ、もう満月だ……」
うさぎは月を見上げていいました。
すると、どうでしょう。うさぎが見上げている月から一羽のカラスが飛んでくるではありませんか。
カラスと言っても、黒いカラスではありませんない。その色は、まるでお月様のような色、不思議な色をしたカラスでした。
うさぎは不思議なものでも見るかのようにボーッとしてカラスを見ていました。
やがてカラスがうさぎのそば、湖に写る月の上に降り立つと、風がささやくようにこう言いました。
「うさぎ、月に祈るうさぎだな?」
「は、はい」
「私は、月のカラス。お前の願いを叶えに来た」
「えっ……」
「さあ、行くか……」
「い、いえ、いきません!」
うさぎはそういうと慌てて走り出しました。うさぎは森の中を全力で跳ね走りました。木々を抜け、茂みに飛び込み、景色とうさぎがとけて一つになるほど、うさぎは走りました。
そのあとを月のカラスが追いかけます。木々を抜け、茂みを越え、風とカラスの区別がつかないほど、カラスはうさぎを追いました。
「うさぎよ、どうして逃げるのだ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい! どうか願いはなかった事にしてください!」
うさぎは走りながら何度も何度も謝りました。しかし、カラスは納得しません。
「うさぎよ、これはお前が望んだことだったではないか」
「ごめんなさい、ごめんなさい! だって、だって……」
カラスの言葉にうさぎは何度も何度もごめんなさいと言いながら、懸命に走ります。
「だって、あの時には、猫さんがいなかったから。猫さんが友達になってくれたから……」
うさぎは涙を流してカラスに訴えました。うさぎは、いつも月に祈っていたのです。
どうか、私を月につれていってください。この森にいたくないのです。と。
「猫さん! 猫さん! 猫さん!」
うさぎは走りながら猫の名を呼び続けました。しかし、月のカラスはうさぎを許してくれません。
うさぎが願った事。うさぎが一生懸命願った事。それをお月様が叶えてくれるのです。うさぎがそれを断わることなどできません。
息が切れて、苦しくて、足も手も痛くて赤く染まり、もう走れないと思いながら、それでもうさぎは走りました。
いつの間にか、うさぎは鏡の湖に戻ってきていました。すると、うさぎの住処に黒猫の姿を見つけました。
「うさぎ……」
「カラスさん、待って、猫さんに、猫さんにお礼を言わせて、お別れいわせて、ありがとうって、さよならって、猫さんに言わせて」
カラスは何も言いませんでした。うさぎは猫のもとへと走りました。
もう少し、もう少しで、猫さん、私の声、聞こえる?
「うさぎ? どこへ行って……?」
うさぎは力を振り絞って猫のもとへ跳びました。
猫さん、猫さん、私……!
言いたいことはたくさんありすぎて、うさぎは言葉にすることができません。
けれど、うさぎはいろいろな想いをこめて言いました。
「猫さん、今までありがとう……」
うさぎの姿は湖に写る月に溶け込むかのように、砂が空へ巻き上げられるかのようにどこかへと消えていきました。
2
猫は一生懸命、カラスに訴えました。しかし、カラスはただ同じ言葉を繰り返すだけ。「うさぎが望んでいたことだ」と。
「うさぎが……?」
そう言われては、猫も返す言葉がありません。カラスは猫に言いました。
「猫よ、うさぎがお前に、さよならを伝えたがっていた」
猫はカラスに言いました。
「月のカラスさんとやら、うさぎは月に行ったのだろう? うさぎはむこうで幸せになれるだろうか?」
「もし、うさぎがここで幸せだったの
なら、きっと向うでも幸せになれるだろう」
夜明けが月を飲み込むのと同時に月のカラスは森から姿を消していきました。猫がカラスを見送り、朝日が夜の暗闇を猫の毛並みに置き忘れていった頃、黒猫は少し考えてから、消えていったカラスにこう答えました。
「そうか、なら、きっとうさぎは幸せになるだろうな」
猫がうさぎのことを思い出そうとすると、思い出されてくるうさぎには悲しそうな淋しそうな顔は一つもなかったからです。
黒猫は湖の森の動物達に見送られてまた旅に出ました。
一匹旅は孤独です。誰かと話したり、食事をしたり、遊んだりしたくなるものです。特に夜は暗くて、怖くて、いくら猫でも不安になったりするものでした。今では、月の出る日はなんだか、うさぎがそばにいるような気がして例え夜でも猫は淋しくなくなりました。
猫は満月の夜の日には、月のよく見える丘の上に上がり、木の実を食べながら、うさぎのいるはずであろう月を見て過ごしました。
猫がたくさんたくさん月を見続けたために、いつの日か猫の目は満月のように輝く瞳となりました。
おわり




