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必死に仮面を作り上げてきた今までの自分。劣等感や惨めさを感じていた今までの自分。
そんな自分の負の感情が、少しだけ癒されたような・・・・・・。
それでもいいんだって、許しを得たような気持ちになる。
それまで微妙に強張っていた頬の筋肉が、ふんわりと緩んでいく。
あたしは自然な笑顔で晃さんを見つめることができた。
彼の言葉があたしをそんな風にさせてくれた。それがとても嬉しくて、素直にありがたく思える。
こんな風に思えたのって生まれて初めて。晃さんのお蔭だ。
コンプレックスの裏返しで好きになった宝石だけど、そのコンプレックスのお蔭でこうして宝石鑑定士の晃さんと出会えたなんて。
世の中って不思議。でも晃さんって、もっと不思議な人。
緩む口元で晃さんを見つめていると、彼は噴水を指差して言った。
「ウォーター・オパールって呼ばれる種類があってね。地色が無色透明に近いプレシャス・オパールで、水滴を垂らしたように見えるんだ」
「地色が無色なら、いっそう遊色効果が映えますね」
「遊色が強いものは、まるで手の平にオーロラを乗せているようだよ」
手の平にオーロラ。・・・・・・それ、素敵だな。
オパールって、一括りにできないこんなにたくさんの魅力にあふれた、素晴らしい宝石だったんだ。
「聡美さんを見てると、なんだか遊色効果を見ているみたいだ」
「え?」
思いがけない事を言われて面食らってしまった。
あ、あたしが、遊色効果?
晃さんがオーロラみたいに美しいって絶賛している遊色効果と、あたしが似ているって?
そ、それは・・・・・・褒め言葉なの? あたしに対する好意的な表現ってこと?
少なくとも貶されてはいないと受け取って構わないわよね? 大丈夫よね?
でも、どんなつもりでそんな事を言ったんだろう。
あたしは慎重に晃さんの言葉の真意を測ろうとした。
なにしろ今までの経験が苛烈すぎるもんで、男性からの言葉の裏を反射的に探ろうとするクセがついてしまっている。
警察犬のようなこの嗅覚が、甘い言葉に対して多大な警戒心を発揮するんだ。
簡単には額面通りに受け取れないし、飛びつけない。生モノが入った夏場のお弁当みたいなもん。
そんな心理を読まれないよう無表情にクンクン匂いを嗅いで警戒しているあたしを、晃さんは見抜く様に言った。
「聡美さん、いま俺に対してちょっと警戒してるでしょ?」
「えっ?」
「コイツ、あたしに甘いセリフ吐いてる、って思ってない?」
せ、正確にはちょっと違うけど・・・・・・ほぼ正解!
なんでバレちゃったのぉぉ!?
「ちなみにさっきの店で会計する時、自分も払うべきかどうすべきか、ものっすごく葛藤してたでしょ」
「うえ!?」
「今日はお詫びのつもりで俺から誘ったんだから、どうか気にしないでね」
バ、バレてたの!? なんで!?
そりゃ内心は煩悶しまくりだったけど、顔にも態度にも出してない自信あるんだけど!?
一応大人なんだし、感情を覆って簡単に表に出さない分別くらいは身につけている。
その辺は優良コンシーラーなみのカバー力を自負。なんせあたしは『鉄仮面』の女だ。
だいたいそんなに感情が顔に出るタイプなら、今頃あたしと詩織ちゃんの関係って、かなり悪化しているはずなんですけど。
「俺、聡美さんの感情の動きが分かっちゃうんだよ。何を考えているか、なんとなく伝わってくるんだ」
晃さんは可笑しそうにクスクス笑いながら、楽しそうにあたしを見ている。
侮れない、この人。さすがは宝石鑑定士。
石の内面だけじゃなく、人の内面まで見抜く観察力に長けている。ただ爽やかなイケメンってだけじゃない。
・・・・・・なんか、嫌だ。恥ずかしい。
じゃあもしかすると、あたしが今日ずっとソワソワ浮き浮きしていたのもバレてたんだろうか?
男性と一緒に食事するのも初めてだって事も薄々感づかれているのかもしれない。
今まで男の人に、一度も相手にされなかった子なんだって思われたろうか。
彼氏ひとりできたことのない子だって思われてしまったろうか。
鉄仮面の下の長年のコンプレックスがムクムクと頭をもたげる。
決して見られたくない、恥ずかしい部分を悟られてしまったようで落ち着かない。
「聡美さんって、ものすごくのめり込んだり、一気に深刻に凹んだり、楽しそうだと思えば次の瞬間は悶絶したりで・・・」
お尻の据わりの悪い思いでモゾモゾしているあたしに、晃さんは告げる。
「遊色効果みたいに次々と光って変化して、見ていて楽しいよ。ずっと聡美さんを見ていたいと思うくらい」
伏せがちになっていた視線を上げて、晃さんを見た。
あたしをずっと見ていたい? それって・・・・・・どういう・・・・・・?
またも反射的に言葉の真意を探ろうとするあたしの目に、晃さんの表情が映る。
いつもと変わらない爽やかな笑顔で、でも瞳の奥に恥ずかしそうな色を湛えて。
「聡美さんって興味を惹かれるんだ。俺はキミを・・・・・・」
一瞬だけ彼は視線を逸らして、そして思い切ったようにあたしに言った。
「キミを20倍鑑定ルーペのピンポイントで覗き込んでみたい!」
・・・・・・・・・・・・。
「はい?」
「だから、20倍の鑑定用ルーペでキミを・・・・・・」
・・・・・・あたしを? 鑑定用ルーペがどうしたって?
そもそも、なんでここで出てくる? 鑑定用ルーペの存在が。
「・・・・・・い、いや、いい。忘れて」
えらくバツ悪そうに晃さんが視線を逸らした。
明らかに『ああしまった! ハズした!』って顔に書いてある。
ひょっとして今のって・・・・・・彼にとってはかなり気の利いたセリフのつもりだったんだろうか?
思い出した。食事の時に彼、言ってたっけ。
またやっちゃった。夢中になると止まらなくなるって。
もしかしたら、いつも女性に対してこんな風なのかも。
宝石が大好きなのはいいけれど、ついつい、それ中心にばかり物事を考えがちで。
かなり高レベルなイケメンだから寄ってくる女性も多いはずだけど、それで空回りすること多数?
手で口元を覆って、顔を微かに赤らめながら後悔しているらしき晃さん。
それを見ていたら・・・・・・可笑しくて笑いが込み上げてきてしまった。
20倍の鑑定用ルーペねぇ。
その20倍って倍率部分が、彼的にはイチオシポイントだったんだろうか。
今までお姉ちゃん目当ての男達から、口当たりの良い言葉は何度も聞いてきたけど。
ただの一度も聞いたこと無い。鑑定用ルーペなんて盛大な外しっぷりのセリフは。
だけど今まで一度も聞いたこと無い。
こんなに裏の無い、本心から出た言葉を男性の口から聞いたことは。
クスクス笑うあたしを少しばかり恨めしそうに見ていた晃さんも、そのうち一緒になって笑い出してしまう。
あたし達はベンチに隣同士座りながら、声を上げて笑った。
涼やかな水音と、揺れて輝く色彩。
周囲のベンチは幸せそうなカップルで埋め尽くされている。きっと愛の言葉を囁き合っているんだろう。
あたし達の間に交わされた言葉は、宝石知識と20倍鑑定ルーペ。
それでもあたしは、周りのカップル達に負けず劣らず楽しい気持ちだった。
こんな楽しい時間を過ごせて本当に嬉しい。
きっと晃さんなら、あたしが本心から楽しいと思ってる気持ちを見抜いてくれているはず。
それはとても素敵なことに、あたしには思えた。
ひとしきり笑い合った後、あたし達はベンチから立ち上がる。
お互いに感謝の言葉と挨拶を交わし合い、それぞれ帰路に着いた。
晃さんは家まで送ってくれる気満々だったけど、それは丁重に辞退させてもらった。
まだそんなに遅い時間でもないし、それに・・・・・・
もしも家で晃さんがお姉ちゃんに遭遇したらと思うと・・・・・・。
バスに揺られながら、あたしは窓の外の夜の街を眺める。
そして薄っすらとした不安感に苛まれた。
晃さんはどうやらお姉ちゃんの存在を知らないらしい。でも知られてしまうのは時間の問題かもしれない。
そうしたら、彼はどうするだろう?
今までの全ての男性のように、お姉ちゃんに心を奪われてしまうんだろうか。
そしてあたしに対して、酷い仕打ちを平気でするようになってしまうんだろうか。
今日彼と一緒に過ごした楽しい時間。
それから向き合うことになるかもしれない不安な未来。
その狭間であたしの心がユラユラ揺れている。オパールの遊色効果のように。
言葉では言い表せないような、たくさんの複雑な思いが浮き上がってくるのを、あたしは押さえきれずにいた。