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「どうか遠慮しないで。お詫びをさせてください」

「・・・・・・お詫び?」

「ええ、そうです。ぜひ」


 あ、そっか。これってあたしをど突いて転ばしたお詫びなのか。

 はぁ・・・そうだよねぇ。


 ちょっと安心。ちょっとガッカリ。

 そんな複雑な心境に気が抜けて、動悸が少し落ち着いて冷静になる。

 でもやっぱり・・・・・・ちょっと嬉しい。


 生まれて初めての、男性からの一対一のお誘いだ! しかもこんなイケメンから!

 うーんと、こういう時って、どうお返事すればいいのかな? 緊張してしまう。


「あ、じゃあ、あの、遠慮なく・・・」

「そうですか!? 良かった!」


 ペコリと頭を下げるあたしに、晃さんはようやく安心したような笑顔になった。

 爽やか系の威力バツグンの笑顔に、あたしも照れ笑いで応える。

 やっぱり素敵な笑顔だな・・・・・・。


「それじゃあ俺はこれで。本当に無理しないでくださいね、聡美さん」

「はい分かってます。お疲れ様でした」

「明日、必ず俺に電話下さいね」

「・・・・・・はい」


 必ず俺に電話下さい、か。

 なんかくすぐったいよ。それって。


 自然と頬が緩んでしまう。あたしはニコニコしながら手を振って晃さんを見送った。

 そして扉が閉まるのを確認してから・・・飛びつくようにロッカーを開け、中の鏡を覗き込む。

 メイク大丈夫だったかな!? 大事な場面で崩れてなかったかな!?


 様々な角度から顔面をチェックし、ようやくあたしは安堵の息をついた。


 そして心配してくれる栄子主任と詩織ちゃんにお礼の挨拶をして、家に飛んで帰った。

 夕食も早々に部屋へ引っ込み、さっそく服装チェック。


 どうしよう。どんな服を着ていけばいいのかな?

 カジュアル過ぎてもマイナスイメージだし、畏まり過ぎても浮くし。

 ちょっとキチンと感のある、シンプルな薄いジャケット付きの単色ワンピにしようか。


 ・・・・・・まさか居酒屋とかに連れて行かれないよね? よね!?


 アクセサリーは、プラチナの細いチェーンネックレスで首元を飾ろう。

 宝石鑑定士さんの目の前で、安物のアクセサリーをゴチャゴチャ身につける勇気は無い。

 そもそもあたし、好きなくせしてジュエリーはほとんど持っていないの。

 好きだからこそ、品質にこだわってしまってなかなか手が出せないから。


 お風呂でオイルマッサージ。そしてパック。一万円もするクリームをここぞとばかりに塗ったくる。

 美容補助食品をゴックンと飲みこみ、準備万端、床に就いた。

 やれる事はやった! あとは明日が来るのを楽しみに待つのみ!


 ・・・・・・・・・・・・。


 うわぁん、楽しみっていうより、ドキドキして眠れない! 睡眠不足で肌が荒れるー!


 そして、ついに迎えた翌日の朝。

 目の下のクマをチェックし、細心の注意を払って髪を巻き、しっかりキープしてから、いざ・・・


「行ってきます!」


 特別な気持ちを抱えて、意気込みながら自宅を出た。


 開店時間を迎える前に、あたしはコッソリ控え室で晃さんに電話をかける。

 ドキドキする心臓を押さえ、彼が出るのを待った。


 コラあたし、そんな緊張しなくていいんだってば。これはただのお詫びのお食事なんだから。


『・・・・・・はい。近藤です』

「あ、あの、槙原です」

『聡美さん! お加減はどうですか!?』

「はい、まったく無事です。大丈夫です」

『そうですか! あぁ良かった! 安心しました!』


 ホッと息を吐く気配が向こうから伝わってくる。こんなに心配してくれたんだ。

 きっとまたあの爽やかな笑顔になっているんだろうな。

 そう想像すると、こっちも思わず笑顔になる。


『それじゃ、今日の食事は大丈夫かな?』

「はい。大丈夫です」

『良かった。すごく楽しみです』


 トキン・・・ と胸が鳴った。


『すごく楽しみです』


 その何気ないひと言が、あたしの心を弾ませる。


「あ・・・・・・あたしも・・・」


 時間と場所を約束して電話を切った時には、慣れない事した疲労感でグッタリしてしまった。

 でも心が浮き立つような不思議な感じ。

 仕事が終わるまでずっとそんな、興奮と緊張の混ぜこぜになった気持ちで過ごしていた。


 さあ、ついに本日のお仕事終了!

 いざ! ・・・とあたしは、従業員控え室に飛び込んだ。


 さあ始めるぞ! メイク直しの真剣勝負!


 まずティッシュにミストタイプの化粧水をひたひたにスプレーして、それを顔に乗せる。

 優し~~く手で顔全体を押さえながら。

 その後、滲んだアイメイクを美容液を含ませた綿棒で拭く。

 そして薄付きパウダーを軽く乗せ、アイメイクを直して、チークを乗せていく。


 ついつい気合いが入って厚化粧になってしまいそうなところを、なんとか冷静に対処して無事完了!


 本当ならクレンジング洗顔しちゃって、一からメイクし直したいとこだけど・・・。

 誰かに素顔を見られるリスクを考えると、そんな恐ろしい事なんか絶対できない!


 こうして仮面をつけ直して、あたしはフワフワした足取りで待ち合わせ場所へと向かった。

 なんだか見慣れた景色がいつもと全然違うように感じるのは、なぜなんだろう・・・。


 待ち合わせ場所に近づいたあたしの目が、目的の人物の姿を発見した。

 足がピタッと止まり、鼓動が早まり、全身がサッと熱くなる。


 いた。晃さんだ。本当にいる。あぁどうしよう。

 ・・・・・・いなかったら困るんだけど。


「聡美さん」


 困惑して立ち止まっているあたしに気付いて、晃さんが笑顔で手を振った。

 反射的にあたしも笑顔になって、ギクシャクと晃さんに近づいていく。


「晃さん、今日はお招きありがとうございます」


 まずはそう挨拶して、頭をキチンと下げた。


「聡美さん、その後はどうですか?」

「・・・・・・は? その後って?」


 どの後?


「ですから、頭」

「・・・・・・ああ、頭! はい大丈夫です! あたしの頭は大丈夫ですから!」


 慌ててそう力説するあたしに晃さんは声を上げて笑った。

 ウ、ウケてしまった。嬉しいような恥ずかしいような・・・・・・。


「それじゃあ行きましょうか。ここから近いんですよ」

「は、はい」


 ドキドキしながら晃さんと並んで歩き出した。

 スーツ姿の男性と自分が肩を並べて歩いている事が、なんだか不思議でならない。


 あたし達、これから一緒に食事をしにいくの。

 道行く人は、あたし達の事をどう見ているんだろうか。

 上司と部下? それとも友達同士? 

 ・・・・・・それとも・・・・・・。


 晃さんは、隣のあたしがこんなにドキドキしているなんて思ってもいないんだろうな。


 晃さんの言った通り、お店はすぐ近くにあった。

 明るい黄色の壁に小さな緑の木窓が開いてる、こぢんまりとした可愛らしいお店。

 晃さんが開けてくれた白い扉を潜り、店内に入った。


 温かい色合いの照明。たくさんの観葉植物。白い壁に飾られた鮮やかな額入りの絵。

 木目調のイスに、白と黄色のテーブルクロス。その上の小さなお花。


 素敵・・・・・・。晃さんって、こんなお店知ってるんだ。


 案内された二人掛けのテーブルに、向かい合って座る。

 この一対一の図式に緊張して肩に力が入ってしまい、目を合わせられない。


「聡美さん、そのプラチナのネックレス素敵ですね」

「あ、ありがとうございます」


 褒められた! お世辞かもしれないけど素直に嬉しい!

 お蔭で少し緊張が解けて口が回るようになる。


「18金のネックレスと迷ったんですけど、プラチナの色の方が合わせやすいかな、って」

「聡美さん、18金って何なのか知ってますか?」


 途端に晃さんが身を乗り出すように聞いてきた。


 宝飾関係では必ずといってもいいほどよく聞く「18金」。

 純金とは違うってことだけは、さすがにあたしも知っているけど。


「それはね、分率なんですよ」


 晃さんは笑顔で答えた。


「分率?」

「金はね、24分率で表示するんです。つまり金100パーセントが24金なんです」

「じゃあ18金は・・・・・・」

「金が75パーセント。残りの25パーセントは他の金属です。割りわりがねって言うんですよ」


 純金はとても柔らかいから、加工しやすい。

 でも柔らかすぎて型崩れしやすいし、重いし、傷も付きやすい。

 だから他の金属を加えて合金にして、その欠点を補う。


 加える金属の種類によって色も好みに変えられる。


 銅と銀を加えるとイエローゴールド。

 銅が多め、銀が少なめだとレッドゴールド。

 これにパラジウムを足すと、ピンクゴールド。


「じゃあ、ちまたでよく聞くホワイトゴールドって?」


 実は疑問だったの。

 見た目プラチナなのに、なんでゴールドって名乗っているの? 経歴詐称?


「あれは金に、パラジウムや銀なんかの白色金属を混ぜているんですよ」

「それであんなにプラチナそっくりな色に変わっちゃうんですか」

「いえ、実はそれだけではどうしても無理があるので・・・ロジウムをメッキしているんです」


 もともとホワイトゴールドは、人気があって高価だったプラチナに変わる金属として開発されたもの。

 だから見た目がプラチナそっくりでなければ意味がない。

 それでロジウムをメッキして見た目を整えている。


「でもね、最近は金の価格がすごく上昇しているでしょ? だから価格差のメリットは薄れているんです」

「そうですよね」

「だから金の配合を抑えた10金のホワイトゴールドも出てきているんですよ」

「それなら手に入れやすいアクセサリーも増えますね」

「大事なのは、ホワイトゴールドはメッキをしているという事実を理解すること」


 そっか。それを知らずに買って、いつか変色したり剥がれたりしたら・・・ショックだな。

 でもまたコーティングし直せば元通りになるんだもんね。


 運ばれてきた料理をいただきながら会話は弾んだ。

 内容は当然というか、やっぱりというか、宝石関係の事ばかり。

 晃さんは目をキラキラさせて、次から次へと色んな知識を教えてくれた。


 好きな宝石の話だし、勉強にもなるしで、こっちもどんどん話に引き込まれていく。

 目を丸くして驚いたり、興奮したり、笑ったり。

 最初の緊張感はどこへやら。気が付くとあっという間にデザートになっていた。


 その時点で、急に晃さんは我に返ったように話を止めてしまう。


「ごめん、またやっちゃったよ」

「え? なにがですか?」

「つまらなかったろ? でも話し出すと夢中になっちゃって止まらなくなるんだ」


 頭を掻いて苦笑い。ちょっとションボリした様子が、可愛くてなんだか可笑しい。

 でも今日の話も、いつもの講習も、あたしはとても面白かった。だからお世辞じゃなく、この気持ちを素直に伝えた。


「あたしは晃さんのお話、とても面白かったです」

「え? そ、そう?」

「はい。色々勉強になったし、なによりもすごく楽しかった」

「・・・・・・・・・・・・」

「今日は誘ってくれて、本当にありがとうございました」


 すっかり緊張の解けた、素直な笑顔でお礼を伝える。

 晃さんはそんなあたしをじっと見つめて・・・・・・あの、爽やかな笑顔を見せてくれた。


「実は聡美さんに、ぜひ受け取って欲しいものがあるんだよ」


 そう言って晃さんが、テーブルの上にある物を置いた。

 見るとそれは、黒いシンプルなジュエリーボックス。


 これって・・・・・・?


 無言で晃さんの顔とジュエリーボックスを見比べるあたしに、ニコリと彼は微笑んだ。


「開けてみて」


 あたしは手を伸ばし、ボックスを手に取り、ゆっくりと蓋を開けた。

 中には・・・・・・


 エメラルドの指輪が入っていた。


 あたしはポカンとしてその指輪に見入ってしまった。

 石はとても小さいけど、沖縄の海をすくい取ったような綺麗な色。

 四本の細いプラチナの立て爪が、クラシカルな雰囲気の高級感を醸し出している。


「これ・・・・・・」

「受け取って。お詫びの品」


 あたしは目を数回パチパチさせた。


 ・・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・え? え? え? 受け取・・・・・・えぇ!?


「いえ受け取れません!」


 首を小刻みに何度も横に振る。

 事態を把握するのに多少時間がかかって、返事をするのが遅れてしまった。

 そんな、エメラルドなんて高価な物、いただけない!


「お食事に誘っていたたただけで十分です!」


 慌ててロレツが回らない。舌を噛みそうになってしまった。

 晃さんは笑いをこらえた顔をしている。


「遠慮しないで欲しいんだ」

「いえあの! 遠慮っていうよりもこれはすでにですね、常識の範囲超えというか、良識の範疇外というか・・・!」

「聡美さんって・・・・・・面白い、ね・・・・・・」


 ついに耐えきれずに、彼は肩を揺すってクスクス笑い出す。

 いやあの、もしもし!? これ、笑いごとじゃないんですけど!?


「こういう仕事してるとね、たまにすごい掘り出し物を手に入れる機会があるんだ。これはその一品」

「はぁ・・・・・・」

「だからそんな、必死に首を振って遠慮されるほどの物でも無いから。どうぞ安心して」

「で、でもぉ・・・・・・」


 だからといって「そーですか。じゃ、遠慮なく!」というわけにはいかない。

 手に持ったエメラルドをどうすればいいやら、困惑してしまう。


「どうか受け取って欲しいんだ。本当にあの時は一歩間違えば、命にかかわる大惨事になってたかもしれないんだし」

「そんな大げさですよ!」

「そんな事ないよ。それにお互いの良い教訓にもなるし」

「え?」

「エメラルド事件の、教訓さ」


 晃さんはイタズラっぽい笑顔でそう言った。


 エメラルド事件・・・・・・。


 うっかりエメラルドを超音波洗浄しようとしちゃったあたし。

 うっかりあたしをド突き飛ばしてしまった晃さん。

 そしてこうして二人で食事して。


 そして・・・・・・

 あたしは、生まれて初めて、男性から宝石を贈られてしまった。


 本当だ。これってまさに事件だわ・・・・・・。


 あたしは彼の笑顔とエメラルドリングの輝きに、もう、胸が一杯になってしまった。



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