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「そうだなぁ。せっかく持ってきてもらった縁談だ。むげに断るのも失礼だよなぁ」
「そうなんですよ。毎回断るのも気がひけて」
もの思いに沈むあたしをよそに、お父さんとお母さんが見合い写真を眺めている。
「おぉ、そうだ聡美、お前どうだ?」
・・・・・・は?
「お前だって年頃なんだから、見合いぐらいしてもいいだろう?」
「・・・・・・・・・・・・」
「そうすればお母さんの顔も立つし。そうだそうだ、それがいい」
「・・・なによ、それ」
「だから、この医者との見合いをだな・・・」
「いい加減にしてよ!」
あたしは怒鳴りながら勢いよく立ち上がった。
口からキャベツの切れ端がピョーンと飛んだけど、そんなの気にしてる場合じゃない!
お姉ちゃんのところへきた縁談話を、こっちに回すってこと!?
お姉ちゃんには相応しくない男だから、お前でちょうどいいやって!?
・・・・・・ふざけないで! これだからお父さんのこと、嫌いなのよ!
「なんだその口の利き方は! 親に向かって!」
「親なら少しは考えなさいよ! デリカシーってもん無いの!?」
「別にそんなに怒ることないだろう!? お前にゃ恋人のひとりもいないんだから!」
「お・・・・・・!」
限界。ブチぃッ! と大胆に切れる音が頭の中に響いた。
あ・・・あたしの逆鱗に・・・ベタッと触れたなあぁぁーーーーー!?
「お父さんなんて、大っ嫌いよっ!!!」
イスを蹴るようにして席を立ち、思い切り足音を立ててダイニングを出る。
階段を駆け上り、自分の部屋へ飛び込んだ。
そして脱ぎっぱなしの服が置かれているベッドの上に、ドサッと倒れ込む。
・・・・・・バカ親父! バカ親父! バカ親父ーーー!
心の中で何度も罵倒してうっぷん晴らしをする。
拳でボスボスと枕を殴りつけ、ギリギリと歯を食いしばった。
あたしに恋人がひとりもいなくて、悪ぅございましたねぇ!
えぇそーですとも! 仰る通り、あたしは今までひとりも彼氏なんてできませんでしたよぉ!
だって・・・だってね、あたしに近づいて来る男達は・・・・・・
みーーんなお姉ちゃんが目当ての、下心付きの男ばかりでしたからねええ!!
昔からあたしの周囲には必ず、女の子の友達に混じって数人の男の子がいた。
あたしは彼らを素直に大事な友達だと思ってた。少なくとも、あたしはそう信じてた。
それに、ひょっとしたら誰かひとりくらい、あたしに好意を持って近づいてきた男の子がいるかも・・・なんて。
思春期の胸を、密かにトキメかせていた。
ところがそんな幻想がある日、女友達のひと言で砕かれることになる。
『アイツらってさぁ、ウザイよねー。聡美のお姉ちゃん目当てでさぁ』
『・・・・・・え?』
『聡美のお姉ちゃんの事、必死に聞き出そうとしたりさ。なにが、今度聡美んちに皆で集まろうぜ! よ。下心バレバレだっつーの』
『・・・・・・・・・・・・』
『聡美の事バカにしてるよね。アイツらなんか無視しなよ。相手にしちゃダメだよ?』
・・・・・・言われてみれば。
思い当る事ばかりだった。必ず話題になるのはお姉ちゃんの事。話を振ってくるのは、決まって男の子。
注意して観察したら、あたしもすぐに気が付いた。彼らのさり気ない視線の奥に隠れた、真剣で計算深い色に。
あたしはただ、男の子達がお姉ちゃんに近づく為に利用されていただけだったんだ。
誰も、あたしの事を大事な友達だなんて思ってくれていなかった。
ダシにされていただけの自分。友情を信じていた自分。ひょっとしたら、とトキメいていた自分。
もう、情けなくて情けなくて・・・・・・。
それからもことごとく、あたしに近づく男はみーんな姉目当て。
いっそ清々しいほどに、見事にひとり残らず全員あたしをダシ扱い、という結果だった。
だから学区の中学を卒業して、姉とは違う高校へ進学した時の解放感ときたら!
あぁ、これでついに呪縛から逃れられる! って心底から感涙した。
ホラー映画のラストで最後に生き残った主人公が、やっとで朝日を拝むような心境だった。
・・・・・・・・・・・・。
甘かった。
姉の脅威は、新型ウィルスを凌ぐ勢いで広域に広がってしまってて。
あたしは変わらずに、槙原満幸の妹という利用価値に苦しめ続けられてきた。
共学じゃなくて女子高に進めば良かったと思ったけど、すぐにそれも甘い考えだったと思い知る。
女の集団の方がよっぽど怖いよ。どれほどの女子グループに、あたしが呼び出しを食らったことか!
泣いている女の子を庇うように囲んだ女の子達に
『この子の彼氏があんたのお姉さんに心変わりした! どうしてくれるんだ! 』ってイチャモンつけられて。
その度に何度 知らねーよ! って心の中で泣き叫んだかしれない。
大学に進学してからも状況はたいして変わらず。
さすがに県外の人間は姉の存在を知らないけど、超有名人の姉の存在に彼らが気付くのにそう時間はかからなかった。
もうその頃にはあたしの嗅覚も警察犬のように精度が増していて、姉目当てで近づく男を、ヤバイ薬のごとくに感知できるようになっていた。
下心で近づいて来る男達を片っ端から排除し。
後から姉に乗り換える計画で、あたしに交際を申し込んでくる(本当にいるんだ。そういう連中が)男達からの誘いを、断る日々。
こんな日々を幼少期からずっと送っていれば、心が荒んで当然でしょう?
あたしって、いったい何なんだろう? あたしの存在ってどんな意味があるの?
それを見つける為に懸命に自分を磨いた。
このままじゃダメなんだ。このままでいたら、あたしはミジメなまま。
ヘアスタイルもメイクもファッションも、バイト代の全部を突っ込んで夢中で追及した。
元々、子どもの頃から綺麗なものに対する執着は強い。
これは姉への反動のような、根深いトラウマみたいなものだと思う。
少しでも自分を輝かせるために。少しでも周囲にあたしを認めてもらうために。
それはまるでダイヤモンドの研磨作業のようだった。
「マーキング」のように悪い部分をチェックして。
「クリービング」のように問題部分を排除して。
「ポリシング」のように、部分部分を磨いていく。
そうやって手をかければかけた分だけ、確実に変わる自分の姿にあたしはとても安心できた。
そして夢中になっていくうちに安心感は・・・・・・やがて依存へと変わっていった。
メイクを落とすのが怖い。素顔をさらすのが怖い。
人前で、必死に作り上げた鉄仮面を外して素の自分に戻るなんて、絶対にできない。
この仮面を身に着けてすら、姉に比べればゴミのようにちっぽけな存在なのに。
ダイヤモンドは傷付かない。
でも実は、瞬間的な衝撃に対しては非常に脆い。
うっかりどこかにガツンと強くぶつけたりしたら、アッサリ割れてしまうかもしれないんだ。
無残に・・・砕けてしまうのよ・・・・・・。
――トン、トン
「・・・・・・聡美、あたしだけど」
扉をノックする音と遠慮がちな声に、あたしの胸がザワッと波打った。お姉ちゃん・・・。
「・・・・・・なに?」
「夕飯、途中でしょ? お父さんもうダイニングにいないから食べちゃいなさい」
「いい。いらない」
「そんなこと言わないの。お腹空いちゃうわよ?」
「ダイエット中だからいいの。心配しないで」
「聡美ったらまたそんな・・・・・・」
困惑した声。・・・分かってる。お姉ちゃんも気にしているんだ。
自分のせいで今まで妹が、人生どんだけ割を食ってたかを十分に知っているんだろう。
だから何かあるといつもお姉ちゃんはあたしを庇うし、味方をしてくれる。
そしてあたしは、自分のコンプレックスのそもそもの原因である姉に守られて、女神のように手を差し伸べられるんだ。
それが・・・・・・どんなに辛いことか。
「お姉ちゃん・・・・・・」
「なに? 聡美」
「・・・ありがと。ごめんね・・・・・・」
分かってるの。お姉ちゃんは全然悪くない。お姉ちゃんに責任なんて全く無いんだよ。
気を使わせちゃってごめん。いつもお父さんとの板挟みさせちゃって、ホントにごめんね。
だけど、だけど・・・・・。
あたしはもう、その次の言葉を言えなくて。
しばらく漂う沈黙の後で、お姉ちゃんが扉の前から無言で立ち去る足音を聞くばかりだった。