宝石のような恋
「この・・・・・・!」
「やめて和也!!」
目の色を変えてあたしに手を伸ばそうとした男を、お嫁さんは大声で制止した。
「こんなあなたは見たくない!!」
男は伸ばしかけた手をピタリと止めた。
そして自分に向かって大声を出す婚約者を、驚いたような顔をして見ている。
「なに言ってるんだよ萌香。こいつが悪いんだろ? こいつが・・・」
「私、今日はこれで失礼するわ」
「お、おいどういう意味だよ? エンゲージリングはどうするんだよ?」
「今日は買わない」
「買わないって、母さんだっているんだぞ? せっかく・・・」
「お母様、申し訳ありませんが、私と和也さんの間に少々行き違いがあったようです。後日改めてご連絡致します」
「待てよ! お前はウチの嫁になるんだぞ!? その態度はなんだよ!」
「失礼致します」
そう言ってお嫁さんは、唖然としているお母さんに向かって頭を下げた。
栄子主任にも深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べる。
「お騒がせして大変申し訳ありませんでした」
そしてあたしに向き直り、深く深く頭を下げた。
「お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。それと、本当にありがとうございます」
顔を上げたお嫁さんは、今までのオドオドした態度とまるで違う、しっかりとした顔つきをしていた。
あたし達はお互いを見つめ合う。
そしてお嫁さんはもう一度お辞儀をして、背筋を伸ばし、踵を返して店のドアから出ていった。
「ま、待てよ萌香! そんな我儘は許さないからな!」
「あ、ちょっと和クン! 萌香さん!」
その後を追って、親子がバタバタと店を出ていく。
ポカンとしていた栄子主任が我に返り、「お、お客様お待ちください!」と大急ぎで後を追っていった。
そして・・・・・・
お店は、まるで嵐の後の静けさ。
今までの事が全部嘘のように、さっきの静寂とは違った静かな空気を取り戻した。
「聡美ちゃん・・・・・・?」
物陰から、小さな声がする。
「もう、終わったの・・・・・・?」
見ると壁の陰から詩織ちゃんが、恐る恐るといった様子でこっちを覗き込んでいる。
あたしは明るく笑って、詩織ちゃんに向かって頷いて見せた。
「うん、終わった。出てきても大丈夫よ」
「なんか、凄い大騒動だったねー」
「ごめんね、大騒ぎになっちゃって」
「んー、ビックリしたけど、でも・・・・・・」
詩織ちゃんはニコリと微笑みながら、言ってくれた。
「聡美ちゃん、カッコ良かったー! あたし応援しちゃったよ!」
「・・・ありがと。ふふ」
「それにしても嫌な男だったね。本当にあんな男が世の中にいるのねー」
「昔からああいうタイプだったからね。三つ子の魂百までってヤツじゃない?」
「百歳までああなのかー。それはそれで凄いけど、お近づきにはなりたくないな。こっちの人生、疲弊して擦り切れそうだもん」
皆が去った方向を見ながら、詩織ちゃんがしみじみした口調で言った。
それが可笑しくて、あたしはまた声を上げて笑う。
考えてみたら笑っていられる状況じゃないんだけどね。
クビかな? こりゃ。
もしそうなってしまったら、それは勿論残念な事だし、お店に迷惑をかけたわけだから申し訳ないけれど。
それでもやっぱり、今のあたしの心はとても気持ちいい。
迷惑かけておきながら、勝手に清々しい気分になっちゃって御免なさい。栄子主任。
ふうっと軽やかに肩の力が抜けている。
思い切り一気にパッドを剥がした頬が、少しヒリヒリした。
あたしはそっと手を当て、思う。
そうだよねぇ。人に言われなくても、あたしは自分で充分に自覚していたんだよねぇ。
お姉ちゃんとあたしは違うんだってことをさ。
分かり切ってた事なのに、なんであんなに人の目が気になっていたんだろう?
あたしはあたしという人間。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、それ以外でもない。
それでいいんだ。・・・・・・ううん。
それ『が』いいんだ。
それをあたしは、自分で知っている。それが一番大事。
そしてその事に気付かせてくれた・・・・・・
大切な人。晃さん。
あたしの心は彼を想い、一面に咲き乱れる花のように香しく華やいだ。
彼の爽やかな笑顔が心に浮かぶ。
くすぐったいような、空に浮き上がるような、温かい幸せな気持ち。
彼を想う、あたしの気持ち・・・・・・。
一刻も早く彼に会いたい。会って、この気持ちを彼に伝えたい。
彼はどんな顔で、なんて言うだろう。どんな言葉をあたしに贈ってくれるだろう?
そして今度は、どんな美しい宝石の話をしてくれるだろう?
あぁ、会いたい。会いたい。晃さん。
すっかり心境の変化したあたしを見て、あなたはどんなに驚くかしら。
喜んでくれるかしら。
そしたらあたしは、笑いながらあなたに全てを・・・・・・
「あ、そういえば聡美ちゃん、晃さんからの手紙ちゃんと読んだ?」
あたしのメルヘンモードをまるで見透かしているかのように、タイミング良く詩織ちゃんが言った。
「あ、う、うん。ちゃんと読んだよ」
「ねー、ビックリしたよねー。まさかだよねー」
「・・・・・・? ビックリって、何が?」
「え? だから、海外移住の話」
「・・・・・・・・・・・・」
え?
「海外・・・なんだって?」
「あれ? 手紙に書いてなかったの? 晃さん海外に移住するんだって」
・・・・・・・・・・・・!!?
海外に移住する!? 晃さんが!?
「聞いてない! そんなの全然聞いてないよ!」
「そ、そう? てっきりそのお別れのご挨拶の手紙だと思ってたけど」
「聞いてない!!」
あたしは必死に顔を横に振って叫んだ。
そして詩織ちゃんに掴みかからんばかりの勢いで問い詰める。
「どこ!? どこに移住するの!? 場所は!? どうして!? なんで!? もう二度と戻って来ないの!?」
「ちょ、ちょっと聡美ちゃん落ち着いてよ」
「なんで!? どうしてなのよ!?」
衝撃が大きすぎて頭の芯がクラクラしている。
今にも泣きそうになりながら、詩織ちゃんに向かってまるで晃さん本人に問い詰めるように叫んでいた。
「な、なんかね、タイのバンコクに移住するって聞いたけど。憧れの学校に留学するとか・・・」
タイのバンコク!? 晃さんが以前教えてくれた学校がある所!
いつか行きたいって、自分の夢だって言ってた! じゃあ、ついにその夢を実現するために・・・!?
それであたしに手紙を残したんだ。
最後だから。心残りの無いように。
ひとり残されたあたしが、できるだけ前を見て進んでいけるように。
あの手紙は晃さんからの、最後の精一杯の優しさだったんだ。
そんな・・・・・・そんなのってない!
晃さんが行ってしまう! あたしの手の届かないところへ行ってしまうなんて!
そんなのとても耐えられない!!
「いつ行くの!?」
「今日だって聞いてるけど?」
「きょ・・・・・・!?」
もう・・・・・・二度と彼に会えない!?
あたしは細い悲鳴を上げた。
そして転げるように店を飛び出し、全力で突っ走り始めた。
晃さん! 晃さん待って! どうか行ってしまわないで!
パニック状態で、ひたすら走った。
自分がどこに向かっているのか、どこに行けばいいのかも分からない。
無我夢中でしばらくムチャクチャ走り回り、ハッと我に返って立ち止まった。
無意味に走り回ってどうするのよ!? 彼に連絡をつけるのが先でしょ!? あたしのバカ!!
慌てて電話してみたけど、通じなかった。
まさか・・・・・・もう飛行機に乗ってしまったの!? 空の上!?
ショックで意識が遠のきそうになり、その場にガクッと崩れるようにうずくまる。
・・・・・・吐き、そう。泣きそう・・・・・・。
手で押さえた口から嗚咽が漏れた。
涙と苦しみが嵐のように込み上げてくる。
絶望という言葉が、あたしの全身を打ちのめそうとしていた。
ギュッと目を閉じ、嘔吐と涙の熱さに耐える。
空港・・・・・・。
そうだ、空港、行く!
震える手で涙を拭い、あたしはフラリと立ち上がった。
よろけて転びそうになって、よそのお宅の塀に寄りかかり、頭をブンブン振る。
しっかりしろ。まだ間に合うかもしれないじゃないか。
ひょっとしたらまだ晃さんに会えるかもしれない。
可能性はあるんだ。だから・・・・・・
諦めるな!!
「タクシー! 止まって!」
あたしは道路に身を乗り出し、ちょうどこちらに向かって走ってくるタクシーを捕まえた。
扉が開くのを待つのももどかしく、中に飛び込む。
「空港まで! 全速力でお願い!」
急いで! 走って! 走って! 走って!
・・・・・・いっそ空飛んでーーー!!




