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ピクピクと眉間のシワが深くなる。
落ち着け落ち着け、冷静に冷静に。こっちは売る側、あっちは買う側。お客様。
呪文のように何度も唱えて心を平静に保つ。
栄子主任もさすがにお嫁さんを気の毒に思ったか、助け舟を出した。
「カラットのグレードは下がりますが、一点の曇りもない輝きはエンゲージに相応しいかと思います」
「なに言ってんの主任さん。ダイヤモンドは大きさが命でしょ? そんな事も知らないの?」
こいつはまた! プロの栄子主任を見下すようなこと言って!
「母さん、ダイヤはやっぱり大きいのが一番だよな?」
「そうよ。素人から見れば、しょせん見た目はほとんど変わりないんだし。大きい方が箔がついていいのよ」
「だよな。だから大きいダイヤモンドは高いんだよ」
「大きいダイヤは見栄えがして、とってもいいわよ。萌香さん、遠慮しないで大きいのになさいな」
「・・・・・・・・・・・・」
お嫁さんはふたりに言われて、スゴスゴと大きなダイヤモンドを選び始める。
でも明らかに未練がありそうだった。
あたしは自分の眉間のシワが山脈のようにモリモリと隆起するのを感じた。
・・・なんで? なんでこのふたり、お嫁さんに自由に選ばせてあげないの?
そりゃお母さんは、お嫁さんが遠慮しないように気を使ってあげているのかもしれないけど。
あたしはギッと鋭い視線を和クンに向けた。
あんたは金も出さずに口だけ出して、ただウザいだけよ! しかも、ダイヤモンドはデカけりゃいいんだなんて!
そんな事言われたら黙ってられない!
「お客様、ダイヤモンドの価値は大きさだけで決まるものではありません」
あたしは真面目な顔ではっきり断言した。
「宝石の価値とは、それだけでは計り知れないものなんです」
和クンは文句がありそうな目であたしを見たけど、あたしは無視してやった。
そしてお嫁さんに向き直り、笑顔で話しかける。
「こちらのインターナリーフローレスのダイヤモンドをお気に召されましたか?」
「え・・・あ・・・」
「カラーもDで、最高のグレードです。カット評価も高く、素晴らしい輝きを持ったダイヤモンドです」
「・・・・・・・・・・・・」
「お客様に大変お似合いですよ」
お嫁さんはあたしの顔をジッと見て、視線を再びインターナリーフローレスのダイヤに移した。
気になっているんだよね? このダイヤモンドに惹かれているんでしょう?
だったら手を差し伸べて。
遠慮だとか、我慢だとか、そんなの全然必要ないから。
素直になっていいんだよ?
そうだよ。諦めなくて・・・・・・いいんだよ。
「おいちょっと。こっちは別のにするって言ってるんだから」
和クンは不機嫌な声でそう言って、お嫁さんの腕を強引に引っ張り、大きなダイヤモンドの方に移動させた。
ちょっと! 大きいのにしたいのは、お嫁さんの為じゃなくてあんたの見栄の為でしょ?
選ぶのはあんたじゃないの! だから余計なこと言わないで!
「宝石は、御本人が自分の目で見て、自分で納得して購入するものなんです」
「だから大きいのを買ってやるって言ってるだろ!?」
「お客様とお母様のご意見はそのようですが、お嫁さんのご意見は違うようですが?」
「なんだよお前、さっきから!」
険悪な視線を向けられたけど、あたしは正面からドンッと受け止め見返してやった。
栄子主任が「聡美ちゃん、やめなさい」ってあたしを抑えようとしたけど、引く気はさらさら無かった。
ここで引くわけにはいかない。ここで引いたら・・・
晃さんがあたしに伝えてくれた事が、全部無意味になってしまう。
ここでコイツに負けたら、晃さんの宝石への想いを、あたし自身が否定する事になってしまう。
そんなのこと絶対、絶対、絶対、御免だわ!!
「お客様、店員のご無礼をお許し下さい。なにぶんまだ新人でございまして」
頑として謝罪しようとしないあたしに代わり、栄子主任が深々と頭を下げた。
和クンはふて腐れた顔をしてあたしを睨みつけている。
「主任さんよりも、この生意気な店員に謝って欲しいんだけど、オレ」
「もちろんです。ほら聡美ちゃん、早くお客様にお詫びを・・・」
「ですが、私はやはり周りからの押し付けではなく、お嫁さんが本心から望むお品を贈って差し上げるべきだと思います」
「うわ、すっげムカつくこの女! やたら偉そう!」
あんたにゃ負けるわよ!
「エンゲージリングは女性にとって特別な物なんです。他には代えられないんです」
「だから大きいのを買ってやるって言ってんじゃん!」
「いえ、ですから・・・」
「これ! これに決めたから!」
和クンは一番高いダイヤモンドを手に取り、あたしに向かってこれ見よがしに突き付けた。
・・・あんたそれ今、値段だけで選んだでしょ!?
鑑定内容なんか全然見ないで、あたしへの当て付けで選んだでしょ!?
ダメだこいつは! 根本から話が分かってないし救いようが無い!
あたしはふぅぅっと息を吐いて気を落ち着け、極力冷静な態度(の、つもり)で言った。
「どうしてもお嫁さんに大きなダイヤモンドを身に付けて欲しいなら、後日改めて、エンゲージリングとはまた別にプレゼントされてはいかがでしょうか?」
「はあぁ?」
「ご本人同士が納得し、望むお品をご提供させていただく。当店の宝石鑑定士から、そう厳しく指導されておりますので」
そうよ。そうすりゃいいじゃないの!
そうすればお嫁さんの希望も叶うし、あんたの見栄も満足するんだから。
まぁ、お金持ちの家みたいだから体裁やら何やらもあるんだろう。
でもお嫁さんが欲しいと思うエンゲージリングがあるなら、それを我慢させるのも可哀想。
旦那がとても買えないような贅沢品を欲しがってるわけでもないんだし。
エンゲージリングは女性の夢。大きさとか値段とかよりも、大事なものがある。
このお嫁さんは、自分が決めた指輪を、自分が決めた男から贈ってもらいたいんだ。
だから、そうやって折り合いをつけてあげるのはどうだろう?
そう思いながら、あたしは提案に対する答えを待つ。
すると口をポカンと開けてあたしを見ていた和クンが、口元を歪めてハッと笑った。
「なるほどね、そういうこと?」
「・・・は?」
「そうやって、何個も高額な指輪を売りつけようって魂胆か」
「な・・・・・・!?」
「すげーなあ! あんたのところの宝石鑑定士って、そんなぼったくりバーみたいな商法も指導するんだねえ!」
・・・・・・・・・・・・!!
自分の表情が一瞬で岩のように硬直したのが分かった。
あたしは息を詰め、瞬きも忘れてこの男の顔を凝視する。
肩を揺らしてクツクツ笑いながら、面白そうにあたしの顔色を見物している、嫌らしいこの男の顔を。
「でも残念でした! オレ、そういうのに引っ掛かるほどおマヌケさんじゃないんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「母さん、萌香、オレこの店で買うのヤメるわ。品性が無いよ、この店は」
あ・・・・・・
あんたに品性云々言われたくない!!
プルプル震える手を必死で押さえ、あたしは歯をギリギリ音がするほど噛みしめた。
そうでもしなきゃ本気でこの男を怒鳴りつけてしまいそうだった。
買うのやめるんなら、やめればいいわ! こっちこそ願い下げよ!
人生で一番いまが幸せなはずのお嫁さんが、ガッカリしながらエンゲージリングを手にする姿なんて見たくもない!
そんなダイヤモンドを売ってしまったら、あたし、もう一生晃さんに顔向けできないもの!
「お、お客様、どうかお待ちください! こちらの無礼は如何ほどにも謝罪いたしますので!」
栄子主任が大慌てで、この場を収束しようと試みる。
でもお母さんは困ったように頬に手を当て、首を横に振った。
「・・・栄子ちゃん、御免なさいね。和クン、なんだか今日は機嫌が悪いみたいだから出直すわ」
「お、お客様!?」
「また来るわね」
「萌香、行くぞ。もっといい店でもっとでかいダイヤ買ってやるから」
お嫁さんはオロオロしながら、みんなの顔を交互に見ている。
そして最後にあたしの顔を見て、何かを切実に訴えるような目をした。
「おい萌香! 早くしろよ、行くぞ!」
「・・・・・・は、はい」
促されて、お嫁さんは伏し目がちに従った。
なんだか売られていく子牛みたいに見えて、やっぱり可哀想だった。
あたしはショーケースから離れていく和クンの背中を見送りながら、心の中でさんざん毒づく。
ふん! 帰れ帰れ! そして未来永劫、生涯二度と来るんじゃない!
こいつが店から出たら、真っ先に塩を撒かなきゃ。
確か控え室のテーブルに、海水塩と岩塩が置いてあったわね。
ミネラルが豊富でご利益ありそうだから、ブレンドして初雪と見紛うばかりにタップリ地面に撒いてやる!
店のドアから出る直前、和クンはクルッとこっちを振り返り、あたしを見て笑った。
「じゃ、商売上手の宝石鑑定士さんによろしく~。新人にそんなこと教えてるヒマがあるなら、てめーがもっと宝石の勉強しろやって言っといて」
「・・・・・・・・・・・・!!!」




