オモチャの指輪と打破する仮面
それから数日後、あたしは顔にパッドを貼って出勤した。
いつまでも休み続けてもいられないし、辞めるなら辞めるで、早めに対処した方がいい。
そうなれば晃さんとの事も、今度こそキッパリ踏ん切りをつけられそうだ。
メイクは一応、身だしなみ程度は薄っすらプレストパウダーを叩いたけど、それだけ。
顔に怪我をして治療中なのに、がっつりフルメイクしてるのもなんだかなー、な気がして。
これまでの自分を思えば、すごい変化だと思う。
内心、ちょっと気が引けながら出勤したあたしを、お店のみんなはとても温かく迎えてくれた。
「聡美ちゃーーーん! 元気になって良かったーーー!!」
詩織ちゃんが抱き付いてきて大喜びしてくれた。
栄子主任も嬉しそうにニコニコしてくれている。
「聡美ちゃん、良かったわね。でも無理しちゃダメよ?」
「はい。ありがとうございます」
「詩織ちゃん、聡美ちゃんのサポートよろしくね」
「はあい! もう、任せてくださいー!」
ドンと胸を叩いて引き受けてくれた詩織ちゃんは、必要以上なほど気を使ってくれた。
「ほらほら聡美ちゃん、仕事なんかしちゃダメ! 無理しないようにって言われてるでしょ!?」
「いやでも、あたし仕事しに店に来たんだけど」
「いーから聡美ちゃんは控え室で休んでて! 用事ができたら呼びに行くから!」
そう言ってあたしの背中をグイグイ押して従業員控え室に押し込む。
あたしは苦笑しながら、おとなしく従うことにした。
「あ、そうだ忘れてた。預かり物してたんだっけ」
詩織ちゃんがそう言って、自分のロッカーを開けて中から一通の封筒を取り出した。
それをあたしに差し出す。
「聡美ちゃん、はいこれ。晃さんから」
「・・・・・・・・・・・・!」
晃さんから!? 晃さんがあたしに手紙を!?
あたしはゴクリとツバを飲み、詩織ちゃんから封筒を受け取った。
白い封筒の宛名にあたしの名前が書かれている。
「なんかね、どうしても伝えたいことがあるから手紙を書いたって。聡美ちゃんが復帰したら必ず渡してくれって頼まれたの」
「そ、そう? ありがとう・・・」
「じゃあ、確かに渡したからね。ゆっくり休んでてねー」
詩織ちゃんはそう言ってドアを閉め、仕事へ戻って行った。
ひとり控え室に残ったあたしは、穴が開くほど封筒を眺める。
何が書かれているんだろう。伝えたい事ってなに?
一刻も早く読みたい。でも読むのが怖い。
もしも読んだ後で立ち直れなくなるような、叱責が書かれていたら・・・。
延々と悩んでいる間に無意識に手に力が入って、封筒がシワになる。
慌ててシワを伸ばしながら、ついにあたしは決心した。
読もう。どうせ後悔するなら読んで後悔した方がマシだ。
どんなに酷い内容だったとしても、まさか文字読んでショック死するほどの祈祷は込められて無いだろう。
丑の刻参りでもあるまいし。
封を切り、中から便箋を取り出して広げた。
数枚の便箋に丁寧に綴られた文字を見て、あたしの心臓は早鐘のように打つ。
気を静めるために大きく息を吸い、大きく吐き出した。
それを三回繰り返し、結局何の効果も得られないまま、あたしは激しい動悸と共に文字を目で追い始めた。
槙原聡美様
これを読んでいるという事は、仕事に復帰したという事だね?
おめでとう。無事に回復して本当に良かった。
お見舞いに行ったけれど、お母さんに断られて会えなかったんだ。予想はしていたけどね。
でも俺は、どうしてもキミに伝えたいことがある。
直接話せない以上、手紙という形式が一番ふさわしいと思ったんだ。
長い内容になると思うけれど、どうか最後まで読んで欲しい。
病院でキミは言ったね? 自分はイミテーションだと。
あの時俺は「分かった」と一言だけ答えた。
それは、キミが何を隠していたのかが分かった、という意味だ。
自分をイミテーションだと思っている事を知ったという意味だよ。
聡美さんが自分をイミテーションだと思うなら、それはそれで構わないと思う。
自分の事を決めるのは自分自身だ。俺に聡美さんの何かを決める権利なんて無い。
それに、俺は別にどうだっていいんだ。そんな事は。
・・・ああ、違うな。こんな書き方したら誤解を受けそうだ。
そうだな・・・・・・まずは・・・・・・
俺の父と母の話をしたいと思う。
俺の父と母は熱烈な恋愛結婚でね。
でも双方の親から承諾を得ることができなかったんだ。
父は貧しくて、母を養えるだけの稼ぎが無かったから。
それでも恋は盲目。反対されればされるほど・・・ってやつ。
それならそれで結構だと、お互いの家を飛び出した。
つまり、駆け落ちしちゃったんだよ。
駆け落ちする前、父は母に婚約指輪を贈った。
大きなダイヤモンドのエンゲージリングだよ。
ただし、イミテーションのね。
結婚も許してもらえないほどお金の無い父が、本物なんて買えるわけがない。
しかも素人目で見ても一発で見破れるような、ちゃちなオモチャだ。
そのオモチャを両手で捧げ、地面にひざまづき、父は母に正式にプロポーズした。
『今はこんなオモチャだけれど、一生かけて、絶対に本物のダイヤモンドをキミに捧げると約束する』
母は承諾して、ふたりは手に手を取って地元を飛び出した。
そんなカッコつけた事を言った父だけれどね、世の中ってのは、そうそう甘いものじゃない。
身元保証人もいない両親を簡単に雇ってくれるような働き口も無くて、相当苦労したらしい。
子どもが生まれて(俺の事だけど)ますます出費がかさみ、家計は火の車。
食べられる雑草摘んで、公園の水汲んで生き延びたってよく聞かされた。
それでもふたりは、いつもお互い語り合っていたそうだよ。
一緒にいられて幸せだから、絶対に離れない。後悔もしないって。
ダイヤモンドの石言葉、覚えているかい?
永遠の絆。不屈。
自分達はどんな困難にも怯まない。ふたりの絆は永遠だ。
あのオモチャのダイヤモンドに、両親は何度も愛を誓い合った。
やがて、孫可愛さに双方の両親もしぶしぶ折れて、ふたりの結婚を認めてくれたんだ。
まさに不屈の精神による、絆の勝利だね。
ただ、例の約束はなかなか果たされなかった。
ほら、『一生かけて、絶対に本物のダイヤモンドをキミに捧げる』ってやつ。
テレビでダイヤモンドのCMが流れるたびに、母が父をからかうんだ。
『プロポーズの時の、あの情熱的な約束はどこにいってしまったのかしらねぇ?』って。
そのたびに父は、バツが悪そうに新聞で顔を隠してトイレに逃げ込むんだ。
俺も母も、その姿を見てずいぶん笑った。
その母もね、亡くなったよ。去年、病気でね。
亡くなる前に、父が母に言った。
でっかいダイヤモンドの指輪を買ってやるぞって。
自分の約束を果たしたかったんだと思う。
でも母は、いらないって言ったんだ。あのオモチャのダイヤモンドの指輪がいいって。
『あれでいい』じゃなく『あれがいい』って、はっきり言った。
あの指輪がただのオモチャのダイヤな事はもちろん承知だ。
でも母にとっては、あれが最高のエンゲージリングだったんだ。
自分が心に決めた愛する男は、この指輪を自分へ捧げて永遠の愛を誓ってくれた。
誰からも祝福してもらえない中で、贈られた指輪は最高の宝物だった。
どんなに苦しい時も、この強い愛の証が常にそばにあった。
本物のダイヤモンドなんて、母には必要なかった。
だってもう、母は欲しかった本物を手に入れていたから。
たとえ世界最高峰クラスのダイヤモンドと並べられても、あのオモチャの指輪を選んだと思う。
指輪は母の遺影の前に、お水と一緒に並んで置いてあるよ。
メッキの剥げた、くすんだ色のオモチャのダイヤがね。
終生、母が手放すことの無かった、本物よりも『これがいい』と選ばれたオモチャのダイヤモンドが。
母と違って、オモチャの指輪よりも本物のダイヤモンドを選ぶ人もいるだろう。
だって意味や価値は、本人が決めることだから。
イミテーションだとか、本物だとか、そんな事はどうでもいい。
それ自体に深い意味などない。
・・・だから俺は、聡美さんがイミテーションだろうとなかろうと、関係ないんだ。
キミが自分をイミテーションだと言うのなら、そうなんだと思うだけ。
それ自体に深い意味なんてない。
ただ俺はキミが、あのくすんだオモチャの指輪を『美しい』と思ってくれる人だと思った。
その価値を認めてくれる、そんな人だと思ったんだ。
自分の目で見て確かめて、自分で確信した。この女性がそうだと。
俺にとって大事なのはそれだけ。槙原聡美という存在そのものだよ。
それ以外に俺に意味なんてない。
だから聡美さんの怪我は大変なショックだった。
大切なキミを守る事ができなかった自分が許せない。本当に申し訳ない。
キミが自分の顔のキズに恥じ入ることの無いように祈るばかりだ。
ダイヤモンドは、表面傷や内包物のまったく無い『フローレス』が最高評価。
そう教えたね? 覚えている?
でも実は俺、宝石の傷や内包物を見るのが好きなんだ。
傷や内包物は、その石がこの世に生きてきた歴史なんだ。
色んな物を内に抱え、たくさんの事に傷付き、それでも負けずに生きてきた証。
勲章みたいなものだと思ってる。
その勲章が俺に語り掛けてくれるんだよ。自分の物語を。
聡美さんの傷は、我が身を挺して大事な姉を守った物語。
心の中の内包物は、キミが負けずに生きてきたキミ自身の証。
そのどちらも俺は愛しいものだと思う。
うん。俺、好きなんだ。キミが。
愛しいよ。
キミの傷も、心の中も、キミ自身も。
好きだ。
好きだ。
好きなんだよ。
俺の母が『これがいい』と選んだように、俺も選んだ。
『槙原聡美がいい』と、選んだんだ。
俺は聡美さんの事を、愛しているんだよ。
それをどうしても伝えたかった。
俺はキミを愛しているよ。聡美さん。




