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 翌日から、あたしは仕事を休んだ。

 事件を知った栄子主任と課長が、お見舞いを持って自宅に駆けつけてくれて、休養するよう勧めてくれたから。


「ゆっくり休んでね。聡美ちゃん」

「君がいないと寂しいが、また元気に出てきてくれるのを楽しみに待っているよ」


 そんな優しい言葉をかけられて、あたしは深々と頭を下げる。

 でもどこか他人事のように感じていた。


 当然メイクをしていない素顔をふたりに見られたけれど、別段なにも感じない。

 取り乱すことも無く、普通に接することができた。

 ・・・逆にそれが、あたしにとっては普通じゃない事なのかもしれないけれど。

 

 でももう、どうでもよかった。


 それに、自分がこのまま五百蔵宝飾店に勤め続けるべきかどうか、迷っていた。

 お店側の心遣いはとてもありがたいけれど、正直どうなんだろう。

 美しい宝石を売る店の店員の顔が、これ?


 そう思っていても、さすがにお店側はそんなこと言い出せないだろうし。

 ここはあたしが自ら進退を申し出るべきじゃないだろうか。


 これのせいで失職かあ・・・・・・。


 あたしは自分の頬にそっと手を当てる。

 毎日傷を洗ってパッドを取り換えているけど、傷口は自分の目では確かめていない。

 いつもお母さんにお願いして張り替えてもらっている。

 失う物全部を失って、もう世の中怖いモン無しだと思ってたけど、傷を見るのはやっぱり怖かった。


 だからというわけでもないけれど、あたしは数日間ほとんど部屋に引きこもっていた。

 心配かけてしまうのが申し訳なくて、人に会うのは気が引けて。

 この顔を見れば、ますますみんなあたしに気をつかってしまうし。


 お姉ちゃんも事件のショックから、一時的に引きこもりになっちゃって。

 娘ふたりに同時に引きこもられたお父さんとお母さんは困り果てて、ちょっと気の毒だった。


 お姉ちゃんはあたしの怪我が自分の不注意のせいだと自分を責めている。

 確かにそれも一理あるけど、責任の大多数はあの変態にあるんだから、あまり深刻にならないで欲しい。


 ・・・・・・あの変態、もう二~三発、蹴り入れてやりゃ良かった。


 別にね、あたしもそう深刻なわけでもないのよ。

 みんなが心配するほどには、多分気落ちしていないと思う。


 今まで狂ったように固執していたメイクに拘らなくなった自分を顧みて、思う。

 無駄なことをしていたもんだなぁって。

 塗って塗って、重ねて重ねて、ピリピリ神経質になって、ビクビク怯えて。

 だから、どうなのよって思う。塗れば顔面が変形でもするのか?


 結局同じなんだ。何も変わらない。

 塗って隠したところで、この顔の傷が消え去る事はないように。

 だからといって無意味だったとは思わない。あの頃は、それだけが僅かな希望のようなものだった。


 今は、意味も無意味も全てを失い、茫然自失なだけ。


 冷蔵庫の中の、たったひとつだけの卵。

 もしかしたらヒヨコが生まれてくるかもって期待して。

 無駄と知りつつその現実から目を逸らし、一生懸命手の平で温め続ける。

 でもいつまでたってもヒヨコは生まれず、ある日卵は、なるべくして目玉焼きになってしまいました。


 現実は目の前に。そして冷蔵庫の中はもうカラッポ。探したって何も入っていない。


 そんな感じ?


 ・・・・・・我ながら変な例えねぇ。やっぱりちょっと参ってるのかな?

 今までの心境とギャップがありすぎて、反動が来るのが少し怖い。

 ある日突然、出家とかしちゃいそうだ。


「聡美、ちょっといい?」

「はい。どうぞ」


 ドアが開いてお母さんが入ってくる。

 事件の直後は動揺していたお母さんだけど、すぐに立ち直って、今ではすっかり普通にあたしに接してくる。

 さすが女親は肝が据わってるわ。


「お母さんって強いね」

「当たり前でしょ? だてに分娩台に二回も乗っていないわよ」


 その得意気な口調に、あたしはつい笑ってしまった。


 お母さんの動じない強さに助けられた部分も大いにある。

 逆にお父さんなんか、いまだにオロオロしてドアの向こうから様子を伺うばかり。

 でも、心配してくれているのが伝わってきて嬉しかった。


「それで? 何か用なの?」

「近藤さんって男の人がお見舞いにいらしたわよ」


 ――ドキン


 凪いだ海のようにずっと静かだった心の表面が、不意に揺れた。

 さざ波がユラユラと、奥の方から広がってあたしの心を揺さぶってくる。

 あたしは無理して、さり気なさを装った。


「・・・ふうん。お見舞いって、お姉ちゃんの?」

「なに言ってるの、あんたのお見舞いよ。あんたに会いたいって」


 ――ドキン ドキン


 さざ波が、どんどん大きくなって息苦しい。

 波立って、押し寄せて、音を立て・・・掻き乱され、居たたまれなくなる。


「会いたく、ない」

「そう言うだろうと思ってお断りしといたわよ。あちらさんもそれは予想してたみたいだけどね」

「・・・・・・・・・・・・」

「これ、渡して欲しいって」


 お母さんは右手を差し出し、手の中の物を見せた。

 それを見てあたしの心は、誤魔化しきれないほどにハッキリと動揺する。


 それは、ブラッドストーンだった。

 あの事件の夜の闇。そして赤く散る血。

 顔を切られたあたしが連想した、因縁深い宝石だ。


 これを晃さんがあたしに? いったいどんなつもりで?


「この宝石をお守りにしろって。意味が分からなければ自分で調べろって

「・・・・・・・・・・・・」

「イイ男だったけど、意味不明ねぇ。何を言いたいのかしらね?」


 それだけ言ってお母さんは部屋から出ていった。

 あたしは早速、急いでブラッドストーンを検索してみる。


 ブラッドストーンはカルセドニーの仲間。

 石英等の非常に細かい結晶が固まった鉱物の変種で、あの赤い色は酸化鉄。

 赤い色が血液を連想させる事から、この名が付いた。


 石の歴史は古く、古代エジプトではこの石を粉末状にし、止血剤として用いたという説がある。

 ローマやインドなどでも民間療法でブラッドストーンは用いられ、珍重されたらしい。

 そういった経緯からか、この石はお守りとしても携帯されるようになる。


「お守り・・・・・・」


 晃さんが言ってたのって、この事か。

 ブラッドストーンって民間の医薬品としてもお守りとしても重宝されていたのね。

 だからあたしに、この石を持てって言ってくれたんだ。


 納得しながら項目を読み進める。


 ええと、ブラッドストーンの石言葉は、堅固、勇気、献身。そして・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・!


 あたしの目は、次の一行に釘付けになった。


『愛を貫き通す勇気を与えてくれる石』


 何度も何度もその行を読み返す。

 あなたを厄災から守り、癒し、心に思う人への愛を貫き通す勇気を与えてくれるでしょう。


 ・・・・・・・・・・・・。

 晃さん。晃さん。これって・・・・・・?


 あたしは立ち上がり、窓に駆け寄って外を見回した。

 でも晃さんの姿はどこにもない。

 反射的に部屋から飛び出そうとして、ハッと我に返って踏みとどまる。


 なに考えてるのよ。晃さんを追いかけるつもりなの?

 追いかけてどうするのよ、イミテーションの分際で。

 もう全ては終わったんでしょ? 夢の時間は終了したの。それをあたしは思い知ったじゃないの。

 この傷はその証。払った代償でしょう?


 それに晃さんが、この石に込められている意味を知っているかどうかなんて分からない。

 ただの回復祈願と災難除けの意味で渡してくれたのかもしれないじゃない。

 なのに追いかけて行こうもんなら、笑い者よ。最高のいいツラの皮だわ。


 あたしは窓から離れ、ブラッドストーンを手に取り握りしめた。

 丸い形が手の平を刺激して気持ちいい。


 ・・・・・・・・・・・・。


 あれ? おかしいな?


 なんであたし、泣いてるんだろう?


 もうずっと感情の動きが止まってしまったように、涙なんて一滴も出てこなかったのに。

 この石を持ったとたんに、体の芯から涙が湧き出してきたみたい。

 うわあ・・・・・・次々と涙が流れてくるよ。


 カラッポな冷蔵庫。いくら探しても卵なんて見つかるはずもないのに。

「別に探してなんかいないよ」って自分に言い訳しながら、手さぐりで中を掻き回す。

 空虚な手が、寂しくて悲しくてたまらない。


 だからブラッドストーンを卵の代わりに見立てて、まだ希望に縋ろうというんだろうか?


 とことん・・・情けないなぁ・・・・・・。


 あたしは石を握りしめた手を額に当て、どうかこの痛みを消してくれるようにと、ひたすらに願っていた。


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