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真珠のように痛みを胸に

 家に帰ってさっそく、あたしはエメラルドの指輪を指にはめてみた。

 うーん、多少キツイな。でもまあそれは仕方ないか。

 もちろんサイズ直しもできるけど、切断したりなんだりの作業を指輪に加えたくない。

 この指輪は特別な指輪なんだもの。このまま、手つかずのままがいい。


 はめた指輪を上から眺めたり、下から眺めたり、左右から覗き込んでみたり、様々な角度からたっぷりと堪能する。

 もう、減るんじゃないか? ってくらい眺めたけど、全然飽きない。


 うぅ・・・顔が、顔がニヤケてしまうのを止められない!

 指輪ってスゴイ存在感を発揮するんだなぁ! これひとつを指にはめるとはめないのとでは全く違う!

 あぁ! か、顔が・・・・・・顔があぁぁ~~!


 透き通るグリーンの輝きを纏った自分の指を見ていると、なんだか自分自身がグレードアップしたような気になってくる。

 心がウキウキと華やいで、劣等感で充満しているあたしの内部に自信が生まれてくる。


 凄いな。これが宝石の持つ力なのね。まるで魔法みたい。

 この指輪は一生大切にしよう! あたしの宝物よ!


 次の日あたしは、このエメラルドの指輪を身につけて出勤した。

 自宅に保管したまま指輪と離れ離れになるのが物寂しかったから。

 といっても指にはめるわけじゃなく、例のプラチナネックレスに通してペンダントトップみたいに首から下げて。


 だって指にはめたまま仕事をするとエメラルドに傷がつきそうで恐ろしくてたまらない。

 リング部分がツヤ消し加工じゃなくてツルツル光沢してるから、ウッカリ傷がついたらすごく目立つ。

 そうなったら立ち直れなくなりそうだった。


 それに、人に見られると困る。

「その指輪どうしたの?」なんて聞かれたら、なんて答えればいいのか分からないもの。

 自分で買ったなんて嘘はつきたくないし。・・・てか、そりゃ確実にバレるわ。

 宝飾店に勤めながら、自店で扱ってない商品を身につけていたらさすがにマズかろう。


 晃さんにプレゼントされた、なんて事を言ったら誤解されそうだし。

 彼に迷惑をかけてもいけない。そういう誤解はされないように、ちゃんと配慮しないと。


 そう思うあたしの心に、ふとあの言葉が蘇る。


『聡美さんを、ずっと見ていたい』


 ・・・・・・・・・・・・。


 彼はどんなつもりであの言葉を言ったんだろう。


 彼の口から予想外に飛び出した20倍鑑定ルーペのせいで、結局話が笑いの方向に向かってしまったから、真意は分からないまま。


 深い意味は、無いんだろうとは思う。単純に女性へのリップサービス程度のつもりだったんだろう。

 それかホントに単純に、あたしを見てて面白いからって理由で見学したいのかどっちかだ。

 たぶんきっと、そういうことだろう。けど・・・・・・。


 また心が遊色効果のようにユラユラとざわめく。

 オーロラのようにふわりふわりと色めき立って、晃さんと一緒に過ごしたひと時が頭から離れない。


 夜の街の空気。絶え間なく聞こえる水音。美しくライトアップされた噴水。

 ふたりで腰掛けた白いベンチ。晃さんの恥ずかしそう瞳。楽しそうな笑い声。


 ・・・・・・秘密にしておきたい。

 誰にも気付かれずに、胸の中に大切にしておこう。このエメラルドの指輪と一緒に・・・・・・。


 勤務しながら揺れる指輪を服の上から押さえるたび、あたしは小さな幸福感を感じていた。


 

 だからと言うかなんというか、翌日の講習日は朝から気持ちが落ち着かなかった。

 晃さんに会えるのが嬉しいような気まずいような、くすぐったい複雑な気持ち。

 ドアから彼が入ってくるのを見た時は、心臓がトクンと跳ね上がってしまった。


「おはようございます。聡美さん、詩織さん」

「おはようございまーす。晃さん!」

「おはようございます」


 詩織ちゃんの隣で、素知らぬ態度で頭を下げてご挨拶。

 講習を受けながらチラチラ彼の様子を気にしたけど、晃さんもいつもとまったく変わらぬ講師ぶり。

 それにホッとしたような、逆に物足りないような・・・・・・。


 無事に今日の講習が終了し、晃さんを詩織ちゃんと一緒にお見送りをしている時に栄子主任から鋭いチェックが入った。


「あら詩織ちゃん! なにその爪は!」


 栄子主任の視線の先には、詩織ちゃんの爪を飾り立てるラメとストーンのキラキラした輝きが。

 実はあたしも今朝から気になっていたんだけど。


「あ、これですかー? 綺麗でしょ? ネイルサロンに行ってきたんですー!」


 詩織ちゃんは両手を見せてヒラヒラ動かした。

 その自慢げな笑顔に対して栄子主任がすげなく切り捨てる。


「落・と・し・な・さ・い」

「えー!? なんでですかー!?」

「あたし達は指先を見られるのよ? もっとそれを自覚しなさい」

「だからわざわざお金かけて、こんなに綺麗にしたんじゃないですかー!」

「あのね、五百蔵宝飾店はどちらかというとご年配のお客様が多いんだから。そんな派手派手な爪に拒絶反応を示すお客様も多いんです」


 栄子主任は詩織ちゃんを諭しながら、あたしにも向かって注意した。


「いい? 基本的にうちの店は、目立った部分にジュエリーを身につけるのも禁止よ。我々はあくまで、お客様に提供する事に徹底したプロなんだから」

「えー!? えー!? なんでですかー!? それっておかしくないですか!? 宝飾店の店員なのに!」


 ぶーぶー食い下がって抗議する詩織ちゃんに、栄子主任が噛んで含めるように根気よく説明する。


「お客様がご購入する宝石よりもグレードが高いと嫌味だし、低いとみすぼらしく感じるでしょ? だからダメなの」

「えー!? えー!?」

「ダメったらダメなの」


「えー!?」と「ダメったらダメ」の繰り返しの応酬を横から眺めながら、つくづく感心する。


 栄子主任、さすがだなー。詩織ちゃんのゴリ押しパワーに対して全く動じていない。

 まるで幕下力士の突っ張りをドーンと受け止める大関力士みたい・・・・・・。


 ふと、晃さんがあたしをじっと見ているのに気が付いた。

(どうかしましたか?)と無言で問いかけると、彼は小首を傾げて物言いたげにしている。


 ・・・・・・あぁ。


 何を聞かれているのかピンときたあたしは、そっと指先で自分の胸元をトントンした。


 大丈夫。エメラルドは、ここですから・・・・・・。


 それを見た晃さんは安心したようにニッコリと微笑む。

 あたしも栄子主任と詩織ちゃんにバレないように、こっそり口元を緩めてみせた。


 挨拶して店を出ていく晃さんの後ろ姿を見送りながら、あたしの心はとても満ち足りていた。

 ふたりだけの秘密・・・・・・。そんな気がして。


 お蔭でそれからしばらくの間、あたしは上機嫌で日々を過ごしていた。

 相変わらずお父さんはデリカシーが無いし、詩織ちゃんは自己アピール満々だし、お姉ちゃんは限りなく美しいけど。


 胸元のエメラルドがあたしの味方。これがあれば大抵のことは笑って片付けられる。


 

そんなある日、詩織ちゃんが専務室に呼び出された。

 詩織ちゃんは不安そうな顔で嫌々向かったけど、すぐに飛んで戻って来てやたらと興奮している。


「ねえねえ聡美ちゃんどうしよう! 困っちゃったー!」

「どうしたの? なにかあったの?」

「今度、宝石商会組合で展示会が開かれるでしょ!?」


 地元の宝飾店の協同組合があるんだけれど、そこで年に一回、大きな展示会を開いている。

 組合の加盟店が協力し合い、様々な種類の宝石を用意して展示し、即売もしている。

 個々のお店が単体で開く展示会とは違ってなかなかハイグレードな内容だ。


 今年の展示会がもう迫っていて、その準備に追われてお店はなにかと慌ただしい雰囲気になっていた。


「その展示会でさ、あたしにモデルになって欲しいってー!」

「モデル?」

「うん! 目玉商品のジュエリーを身につけて欲しいんだってー!」


 興奮しながら話す詩織ちゃんの説明は、こうだった。


 展示会では毎年ひとつふたつ、客寄せパンダのように高額なジュエリーを用意する。

 今回の目玉はサファイアとルビー。ふたつを合わせると余裕で一千万円越えするらしい。


 それを身につけて展示会場でお客様をお迎えする、通称『プリンセス』と呼ばれるモデル役に、今年は詩織ちゃんが選ばれたというのだ。


 毎年のプリンセスは加盟店が順番に持ち回りしていて、今年は五百蔵宝飾店の番。

 専務や常務や部長といったお偉いオジサマ上役たち全員一致の、詩織ちゃん推挙だったらしい。


 ジュエリーは夢。そんな『憧れ』をお客様に提供できるような、容姿と雰囲気を兼ね備えている君をモデルに決めたから・・・・・・。


「そんな風に言われちゃったのー! そんなこと勝手に期待されても困っちゃうー!」


 はち切れそうに喜色満面、頬を紅潮させながら詩織ちゃんは全力でカッ飛ばす。


「なんかさ、警備員がね、展示会の間中ずぅーっとあたしを警護するんだって! あたしに何かあったら困るから!」


 いやそれ、あんたじゃないでしょ。

 何かあったら困るのは、サファイアとルビーでしょ絶対。


「もう頭にきちゃう! 注目されるの昔からホンットに嫌なのに!」


 いやそれ、嘘でしょ。

 注目浴びるの昔から生き甲斐でしょ絶対。


「嫌だあ、緊張するー! 緊張して失敗しそうな気がするー!」


 いやそれ、緊張じゃなくて陶酔でしょ。

 MAX状態になった詩織ちゃんが、マイク握りしめて小指立てながら歌でも歌いださないか、そっちが心配。


「どうしようー! プリンセスなんて嫌だ! 嫌だあぁ!」

「そんなに嫌なら無理だって言って断れば?」

「えーでもー、もう決まっちゃってるから断れないよきっとー!」


 ひとしきり興奮しまくった詩織ちゃんは、上機嫌で「嫌だ嫌だ」を連発しながら席を立った。

 たぶんお仲間に今回の大抜擢を片っ端から通達するんだろう。

 あたしはそのイソイソした背中を見送り、ため息をついた。


 なんで素直に「嬉しい!」って言えないのかなぁ?

 そしたらあたしも素直に「おめでとう良かったね」って祝福できるのに。

 そっちの方がよっぽど人間関係円滑になると思うんだけど。


 それにしても・・・・・・。


 あたしは再び心の中で大きなため息をついた。


 プリンセスなんて呼ばれるくらいだから毎年のモデルは当然、若ければ若い方が好まれるんだろう。

 魚市場の競りと一緒よ。みんな陸揚げされた魚みたいに女に新鮮さを求めるんだ。

 それはまぁ、いいんだけれど・・・・・・。


 今年、新しく入社した女子社員は詩織ちゃんとあたしのふたりだけ。

 つまり・・・・・・二者択一。そしてあたしはあっけなく落とされたわけだ。

 専務以下、全員一致の推挙か。誰一人としてあたしを推す人はいなかったってことね。


 地味に効くなぁ、この事実。腹に数発食らったジャブみたい。

 まぁ、こんな事は別にたいしたことないけどね。慣れっこだし全然平気。

 全ー然、まったく、本当に平気なんだから。大丈夫。大丈夫・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・。


 自分が姉みたいに天上人のような美しい女性だなんて、決して思っていない。

 他人様に夢や憧れを与えられるような、詩織ちゃんみたいな器量の持ち主だなんて思ってない。

 身の程は痛いほどわきまえている。この世に生まれた時からもうずっと。

 だからこその、この外せない鉄仮面なんだから。


 でもそのトラウマになって外せなくなってしまった鉄仮面をつけてすらの、この現状。

 晃さんと交わした会話で、こんな自分を少しでも肯定できるような気がしていたけれど。


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