彼女に舞い降りた天使の日常
この物語は「誰が34を殺したのか」の前日譚です。
膝上まで伸びた長髪の少女。黒髪。その少女の可憐な容姿に男たちはメロメロになるだろう。
少女は紫色のストールを肩にかけている。暑い夏場なのにストールを愛用しているのはそれがお気に入りだからだ。
その少女の名前は式部香子。横浜大学教育学部の大学一年生だ。
式部香子には気になっている先輩がいた。その先輩の名前は宮本栞。この横浜大学に通う大学四年生。同じ教育学部の先輩である。
気になっているとは言ったが、交際したいという訳ではない。ただ友達になりたかっただけだ。
式部香子と宮本栞が出会ったのは入学式の時だった。その日の帰り道式部香子は繁華街を走っていた。この繁華街を通り抜けた先に彼女が暮らすマンションがある。
天気は雨。傘を忘れた場合、走って帰った方が歩いて帰るより濡れなくてよいという雑学を知っていた彼女は走って帰宅しようとした。
その時式部香子の前に5人の横浜の不良たちが現れた。
「そこのかわいい姉ちゃん。一人か。一人なら一緒に遊ばないか」
厄介な奴らに絡まれたと式部香子は思った。この5人組は誰が見ても不良。弱い式部香子が何とかできる相手ではない。
式部香子はその5人組から逃げようとしたが、5人組によって囲まれてしまう。
「誰が逃げていいって言った」
「遊ばないなら、金を奪おうぜ」
「それがいい」
5人組の不良たちはナイフを取り出し、一歩ずつ式部香子に近づく。殺されると思い彼女は目を閉じた。その時彼女の前に天使が舞い降りた。
「何をやっていますか」
その声は若い女の物だった。
「何だよ。姉ちゃん。お前はこいつの友達か。だったら一緒に遊んでやるよ」
それは不良の最後の言葉だった。新たに現れた女にこの言葉を発した瞬間一人の不良は倒れたのだから。
「何をした」
不良リーダーの質問に対して天使は沈黙する。
「何をしたって言っているんだ」
リーダーを含んだ4人の不良は仲間の不良を倒した女に襲いかかる。だがわずか1秒でその不良たちは女の周りで倒れた。
「助けてくれてありがとうございます。あなたの名前は何ですか。ぜひお礼をしたいので教えてください」
「宮本栞です」
式部香子にとって宮本栞は天使だった。不良という悪魔たちから救い出した天使。
その日から彼女は宮本栞に惚れこみ、栞と仲良くなりたいと願うようになった。
その天使と再会したのは入学式から2週間後のことだった。式部香子は横浜大学教育学部の廊下を歩いている宮本栞を目撃する。
この時彼女の前に現れた天使宮本栞は教育学部の生徒であることが分かった。
宮本栞はいつも一人。式部香子と同等の美貌の持ち主だというのに、彼女と友達が一緒にいる所を見たことが式部香子にはなかった。
3か月間彼女を観察していると、宮本栞は昼休み中どこかに消えていることに気が付いた。
おそらくどこかで食事をしているのだと彼女は思った。
2012年7月1日。午前11時59分。横浜大学を出ていく宮本栞を式部香子は尾行することにした。
これは彼女自身生れて初めての尾行だった。式部香子は探偵ではない。ただの大学生だ。
下手な尾行をしている式部香子の存在に宮本栞を警護している鴉たちの目に留まった。
赤いネクタイをした黒いスーツの男は下手な尾行をする少女を見ながら、青いネクタイの男に電話する。
「今ウリエルを馬鹿な探偵が尾行している。殺すか」
『あのウリエルが馬鹿な探偵に気が付かないはずがないでしょう。我々が出る幕はありません』
「そうか。お前がそういうなら無視する」
その電話の直後赤いネクタイの男の携帯電話に黄色いネクタイの男のメールが届いた。
『馬鹿な探偵を殺しますよっと』
「あの馬鹿」
その頃黄色いネクタイの男は路地裏にいた。彼はナイフを手にしている。路地裏に隠れていると宮本栞が街を歩いている所が見えた。
彼は宮本栞が通り過ぎた直後に馬鹿な探偵が現れると思い、ナイフを手にしたまま街に顔を出す。
だがその黄色いネクタイの男の前に馬鹿な探偵は現れなかった。
「なぜですかっと」
その頃式部香子は迷子になっていた。この横浜の街に彼女がやってきてから3か月。彼女はまだこの街の地理に詳しくない。完全に尾行は失敗したと思った。
彼女はあることを思いだす。昨日食堂で観たテレビの昼の情報番組で、イタリアンレストランディーノという店が上手いという情報を伝えていた。式部香子は昼食を食べていない。
(その店で食事するのも悪くないかな)
式部香子はこの近くにあるイタリアンレストランディーノで食事することにした。しかし彼女はその店がどこにあるのかが分からない。仕方なく彼女は通行人に声を掛けた。
「イタリアンレストランディーノの道順を教えてください」
その質問に通行人のサラリーマンは顔を赤くした。そのサラリーマンは丁寧に行き方を式部香子に教えた。
その道順の通りに彼女が歩くと、イタリアンレストランディーノに辿り着いた。
店のドアを開けると、彼女は驚く。その店のカウンター席に宮本栞が座っているのだから。
式部香子は躊躇いなく彼女の右隣のカウンター席に座った。
「宮本先輩。この店で食事していたのですね」
「はい。そうですよ。馬鹿な探偵さん」
その文言を聞き式部香子は首を傾げた。
「それはどういうことですか」
「知り合いから私のことを尾行している人がいるって連絡があったから。そのコードネームが馬鹿な探偵だったということです。その尾行に私は気が付いていましたが無視することにしました。ところでなぜ尾行をしたのでしょうか」
「あなたが昼休み中に姿を消すからです。友達になってほしいのですが」
「いいですよ。その代り先輩と呼ばないでください。名前で呼んでください」
「うん。分かった。しおり」
こうして式部香子と宮本栞は友達になった。この時の2人はまだ知らなかった。来年の1月下旬に2人を巻き込んだ事件が発生することに。