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貴の一族

警視庁忌課強行犯係 〜ほむら〜

作者: 工藤るう子







 一本の電話が鳴った。


「はい。警視庁忌課強行犯係です」


 制服姿の女性の、まだ細い少女めいた声が、室内に流れる。


「はい。鬼、もしくは、奇が、集まって暴れている。はい。場所はどちらでしょう。わかる範囲で結構ですので。はい。はい。では、対処いたします。ご協力、感謝いたします」


 デスクについていた部下たちが、緊張した面持ちで、窓を背にした人物を見やる。


 室長とプレートの置かれたデスクのシャープな印象的な女性が、


「出動してくれ」


 硬い声音で、そう告げた。


 アイ、サー!


 肯う声も緊張を孕み音高く椅子から部下たちの立ち上がる音が、けたたましい。


 次々に部屋を飛び出してゆく部下の後姿を見ながら、室長の戸倉警視は、自分も飛び出してゆきたい衝動を堪えていた。








 細く長い、女性的な滝だった。


 さして広くはない滝つぼの淵に、十六、七ほどに見える少年が、腰を下ろしていた。


 この場所が、少年のお気に入りの場所だった。


 ただぼんやりと水面を眺めていた少年は、やがて、睡魔に囚われたのか、ひとつあくびをした。


 やわらかな草の上に横たわり、胎児のような姿勢で、眠る。


 長く伸びた髪が、緑の上にとろりと広がり、たゆたう水面にこぼれた。


 少し湿っぽい水辺で、しかし、少年は目覚めたことがない。


 目が覚めれば、少年は、いつもきまって、馴染んだ寝室に連れ戻されていた。


 異国風にしつらえられた、香のかおりがただよう寝室で、寝台の上に起き上がり、ぼんやりとしていると、見計らったように扉が開く。


 まるで少年のようすを逐一確認しているかのように、彼の世話をしている女性が、飲み物を運んでくる。


 差し出されるそれを盆の上から取り上げて、まだ目覚めきらないままに口元に運ぶ。


 心地好い茶のかおりが、少年の意識を、じわりと覚醒させる。


 ありがとう――と、少年の口が動く。しかし、彼の口が空気を震わせることは、決してない。


 いつの頃からか、少年の声帯は、損なわれていた。


 それでも女性に少年の声にならないことばは通じる。にっこりと微笑んで女性は、頭を下げるのだ。


「はいるぞ」


 低い声が響いたのと同じく、扉が開き、四十がらみくらいに見える甘さのうかがえない表情をした男が入ってくる。


 少年がほんの少しだけ慄いた。


 それを見下ろし、男の眉間の皺が一層深くなる。


「まだ、私が怖いのか」


 硬い声に、少年は、一瞬後に首を横に振って答えた。


「なら、なぜ………ああ。大丈夫だ。おまえの血をもらいに来たわけではない」


 それを聞いて、少年の全身から、力が抜ける。


 少年が、血を採られることを恐れていることは、男にもわかっていることだった。それでも、いつも、彼を見ての少年の最初の反応に、男は、機嫌を損ねてしまうのだ。


「いいかげん、慣れてもいいだろう」


 少年の隣に腰掛けながら、男は、そうことばを紡がずにいられなかった。


 少年にくちづけ、長い髪をもてあそびながら、男は、少年に囚われている己を自覚せずにはいられない。


 さきほどの茶の残り香か甘いかおりが、少年本来のかおりと混じり合い鼻腔をくすぐる。


 そのまま組み伏せてしまいたかったが、


「しばらく、留守にする。あまり周囲を慌てさせるようなことはするな」


 からだを離して、男は、少年の頭を撫でた。








 駆けつけた忌課の面々は、自分たちの目を疑った。


「なんだあ? これは」


 ひときわガタイのよい男が、後頭部を引っ掻きながら、つぶやいた。


 巨大な大福に目鼻がついたような不思議な物体が宙に浮かび、地上ではその周囲を鬼や奇が、こけつまろびつしながら、それでも、何かに近寄ろうと懸命に足掻いている。


 どこか奇妙な笑いを誘うような光景だったが、場所がいけない。


 高速道路という場所では、すでに大渋滞が起こり、その騒ぎに巻き込まれた不幸な車両が、あちらこちらで事故を起こしたり火を噴いて燃えていたりする。


「とりあえず、交通整理だな。神坂、頼む」


 言い置いて、痩せぎすの男が騒ぎの中心に近づこうとした。


「お、おい、如月、待てって」


 慌てて、大きな男が後に続く。


 そんなふたりを肩を竦めて見やった神坂と呼ばれたの美貌の女性が、


「桂つきあってね」


と、年下の男を、見やった。


 残ったひとりが、


「じゃあ、僕は如月さんたちのほうを」


 そう言って、大きな男と如月との後を追いかけた。


 本来の異形をあらわにした奇や鬼たちが、何かを中心に、ぐるぐると回り続けている。


 その頭の上には、巨大な、大福が浮かぶ。


「あれを何とかしないと、どうにもならねーんじゃねーのか」


 太い腕が、大福もどきを指し示す。


「しかし、我々も近づけないのでは」


 腕組みをして、如月が、苦虫を噛み潰したような表情を見せていた。


 異形たちを一掃してからと、とりあえず、近づいたのだが。おそらくは大福もどきの術中にはまり、彼らの輪にのみこまれかけたのだ。


 距離をとらなければ、足が、自然に、彼らの行進に加わろうとする。


「とりあえず、彼らの意識をあの場の中心から逸らして、自力でこちらに来てもらうことができればいいのでしょう」


 ほっそりとした少年めいた若者が、そっと耳障りのよい声で、提案する。


「で、夕星ゆうづつ、何か手だてがあるのか?」


 如月が見下ろせば、


「そうですね。鬼遣来いなんてどうでしょう?」


「昔はあったという風習だな」


「なんだそれ?」


「池田さん…………」


 首を傾げる大男を見上げて、


「豆まきですよ」


 夕星が、憮然と説明した。


「ならそう言えよな」


 躊躇はできない、こうして会話している間にも、異形の数は増えているのだ。


「聞きましたか、室長。大豆を大量に用意してください」


 無線で、如月が、連絡をする。


 やがて、ぱりぱりというローターの音が聞こえてきたと思えば、彼らの目の前に、山と大豆が積み上げられた。


「それでは、派手にやりますか」


 交通整理を応援に駆けつけてきたほかの警官に任せ、神坂と桂とが、三人に合流する。


 一合升を手に、大豆を掬い上げる。


 拡声器を通した、低い声が、


「おにはー外!」


と、発するのを合図に、彼らは、豆を、異形めがけて投げつけた。


 大豆の威力は、なるほど、確かなものだった。


 大豆をぶつけられた異形たちが、一瞬躊躇して動きを止める。その隙も逃さずに、追い討ちをかけるように、大豆を彼らは、撒き続ける。


 自分の周りに散っている白っぽい小さな丸いものの正体に気づいた途端、異形は、とどろくばかりの悲鳴をあげて、真っ青になる。そうして、蜘蛛の子を散らすように、思い思いの方向へと、遁走を開始する。


 それを、待ち構えていた現場の警官達が、一斉検挙の運びとなった。


 異形の姿が、消えた現場上空には、しかしまだ、巨大な大福もどきが浮かんでいた。そうして、その真下に、血を流している人間の姿が倒れていた。


「は、はい。ああ、そうですか。わかりました」


 無線を切り、如月が、大福もどきに近づいてゆく。


「警部」


 慌てて、池田が追いかける。


 うおっ! と悲鳴をあげて転がる池田を尻目に、


「べとべとさん、先お行き」


 低い美声が、朗々と、まじものめいた呪文を唱えた。


 途端。


 大福もどきの姿が小さく萎み、ぽとんと、音をたてて、道路に落ちた。


「ご、ごしゅじんさま~」


 泣きながら、倒れている人間に縋りつくそれは、どう見ても、イタチ、もしくは、フェレットの姿をしているようにしか見えなかった。








 少年は、気がつけば、ここにいた。


 なぜここにいるのか、ここで暮らすようになったのか。すべては、少年の中から失われていた。


 男のところに来て、どれくらいの時が過ぎたのか、時の止まったような空間に暮らす少年にはわからなかった。


 ただ、いつの間にか髪の毛が腰までも伸びていた。


 長い髪はうざったいと、切りたかった。しかし、


『すこしは、守護の役にたつかも知れん』


と、男が、口にした。


 男が口にすれば、それは、決定でしかなく。少年に、反対は、許されていなかった。


 ただ、何からの守護なのか。それが、疑問だった。


『おまえは、稀少種だからな。ほしがっている同族が後を絶たない。ここにも、いつ、外から侵入してくるか知れない。私の紡ぐ結界はそう脆くはないだろう。だが、絶対ということは、ないからな。いいか、織衛。見知らぬもののことばに惑わされて、容易についてゆくのじゃないぞ』


 真剣な男のまなざしに、少年――織衛は、うなづいたのだった。


 どれくらいかに一度、太智花という名の男が、血を啜る。


 直接心臓を引きずり出して、心臓から滴る血を啜るのだ。


 胸を裂かれるわけではない。ひとではない太智花の不思議な力のひとつなのだろうが、着衣をはだけられた左胸に、ずぶりとこもった音をたてて男の筋張った腕が沈み込んでゆき、やがて、心臓が引きずり出される。


 織衛の心臓が、目の前に現われる。


 その光景にも、からだの中をさぐる太智花の手の感触にも、痛みではない奇妙な感覚にも、織衛は慣れることができないでいた。

 脈打つ自分の心臓に、太智花が口を近づけてゆく。


 滴る血に塗れて、尖った牙が心臓に突き刺さる刹那にだけ、鋭い痛みを、織衛は感じた。


 そうして、からだを硬くした織衛を襲った痛みは、やがて、どこか甘いものを孕んだ疼痛へと変化してゆくのだ。


 しかし、織衛は、自分の心臓が、どうやってからだに戻されるのかを、見た記憶はない。


 いつも、気がつけば、太智花の腕の中で、織衛は夢見心地のひとときに酔わされているのだった。


 とっくにもどされたのだろう心臓が、からだの中で、激しい運動に、脈動を繰り返しているのを、織衛は意識する。


 クッと、喉の奥で押し殺した満足気な太智花の笑い声に誘われるかのように、織衛の、空気を震わせることのない喉から、吐息だけが、ただこぼれおちてゆく。


 しばらく前のあの時を思い出して、織衛は、赤くなった。


 気がつけば、いつもの滝に来ていた。


 水面のほとりに膝をつき、織衛が熱く火照った頬を冷まそうと、水に手を入れた瞬間だった。


「!」


 何かに、手を引っ張られた。


 え? と思う間もなく、織衛は、水の中に引きずり込まれた。


 藻掻く織衛の手が、しばらくの間、救いを求めて水面から突き出ていたが、それもやがて、消えていった。




 いつものように、織衛を捜しに来た女が、そこに織衛の姿がないことに気づくまで、まだしばらくの時が必要だった。










 特別製のケージの中でちぃちぃと鳴き暴れるフェレットかイタチだかを眺めていた戸倉警視は、


「で、警察病院がなんだって? 恵」


 デスクに両肘を突いて組み合せた手の甲に顎を乗せた格好のまま、黒い双眸を、フェレットだかイタチだかから、少女めいた制服警官に向けた。


「先ほど収容した少年の病室に、鬼や奇が入ろうとして、暴動一歩手前のありさまなんだそうよ。引き取ってくれって」


「ああ。それなら、少年をこちらにつれてくるようにって如月に連絡してくれ。それから、一応、大豆が効いたってことだからな、ヒイラギとか、菖蒲の葉とか、鬼避けになりそうなものを集めてくれと」


 それからしばらくして、如月たちが少年をつれて、大量のヒイラギや菖蒲を抱えて、戻ってきた。


 まだ意識の戻っていない少年を奥の応接室に横たえ、まじもののように、周囲をヒイラギや菖蒲で囲む。


 それでも、どうしてわかるのか、どこからともなく現われる鬼や奇に、如月たちは、手を焼く羽目になった。


「しかし、なんだって、あの少年に、奇や鬼が群がるんだか」


 溜め息をついた戸倉警視の耳に、


「それは、少年が、貴珠きしゅだからでしょうね」


 深い声が、届いた。


「東条」


 廊下側からのドアから現われた男は、


「ただ今戻りました」


と、頭を下げながら、警視のデスクに近づいた。


「まったく、長い休暇だったな」


「おや。休暇をを消化してくれって仰ったのは、あなたですよ」


 口角を引き上げて、ほんの少し笑う白面に、


「はいはい。それで? 貴珠っていうのはなんだ」


 東条を椅子に座るよう促しながら、恵が運んできたコーヒーに口をつける。


「絶滅確定種ですよ――いえ、危惧種ですかね」


 すっと背筋を伸ばして、東条が椅子に腰を下ろす。


「私も、現存するとは、思ってもみませんでした。たしか、モノの本によれば、戦国時代を最後に、姿は消えたとありますよ」


「戦国?」


「そう。誰も彼もが力を求めた、あの時代ですね。人は、身を守るため、鬼や奇は、貴になろうと。そうして、貴は、より絶対的な存在になろうとして、貴珠を狩ったということです」


「で、だ」


 東条が、コーヒーに口をつけた隙に、警視は、疑問を口にした。


「わたしは、その貴珠がなにかと聞いているんだが」


「しつれいしました」


「ウンチクを言わせると、あいかわらず脱線するよな」


「おや。今回、脱線はしていないでしょう」


「そうか? まぁ、わたしが知りたいのは、いつものように、結論だけだ」


「はいはい。それでは、一言で言って、貴珠というのは、増幅装置です」


「なんの?」


「力のです」


 ほら、説明してほしくなったでしょうと、涼しげな目元が、ほんの少し、弛む。


「いいさ。好きなだけ、ウンチクを喋ってくれ」


「では」






「じゃ、なんだ、貴珠っていうのは、元来人間なんだが、その血に、力を強くする効果があって、鬼やら奇やら貴にまでほしがられていたけど、逆に、そんな特徴のために、人間からは、忌まれていて、忌者いまれものと、酷い扱いを受けていたってことか?」


「そうですよ。貴珠の血は、鬼奇貴にはとても甘くていい香がするようです。少しでも流せば、大挙してきたということですから、人間にとっては、たまったものじゃないですよね。そんなわけですから、ひとが、忌者と蔑んだとしても、まぁ、むべなるかなといったところでしょうが。………もっとも、貴珠と呼んではいても、鬼やら奇やらからどんな扱いを受けたかは、推して知るべしらしいですね。彼らは、人間よりも欲望に忠実という特性を持ちますから」


「なら、貴は?」


「彼らは、秘密主義ですからね。それに、彼らの結界の中は、基本的に治外法権ですし。真実は、藪の中といったところですか」


「まぁ、結界は、言ってみればプライベート、個人宅も同然だしなぁ………」


 椅子の背凭れに倒れこむようにしてもたれた警視に、


「ま、そんなわけですので、乱獲のため、戦国時代以降、貴珠は減少して、ついには存在すら忘れられたと、そういうことなんでしょう」


と、東条が、締めくくる。


 そうして、


「あ、青木さん。これ、休暇中のお土産。後でみんなで分けてください」


 思い出したように紙袋を取り上げて、恵に渡した。








「警視」


 応接室の扉が開き、戸倉警視が、中に入る。


 少年がいまだ眠る革張りのソファと対面する片方に座ってタバコをふかしていた如月が、慌ててタバコをもみ消し立ち上がった。


「如月。ローテーション通り休んでくれ」


「はぁ、しかし………」


「ま、もっともこれでは、休めないか」


 警視の頬が、笑いに弛む。


 夜が来て、鬼奇の活動が活発になった。


 昼夜の別のない警察署とはいえ、応接室の周囲のみならず、忌課を中心にして、ガラス窓の外や、床、壁、天井から、おびただしい目がぎょろぎょろと動いているさまは、どう見ても、落ち着いて仕事をつづけられる風情ではない。忌課以外は、ふつうの人間相手の職場である。しょっ引かれてきたばかりの凶悪な面相の肩を怒らせた男たちでさえ、顔を青ざめさせて震えているさまは、ある種、見ものではあった。


 とはいえ、忌課は、名の通り、もともと、対奇鬼専門に設立された部署である。他の部署の面々よりは、耐性があった。


「警視こそ、休まれては」


 昼間から続く騒動の事後処理に、警視が走り回っていただろうことは、想像に難くない。幸いなことに、あれだけの惨事が起きていながら、重傷者や死者は出ていなかった。それでも、高速道路の破損や、さまざまな面での始末書の山である。証拠に、いつもは、凛と張り詰めている警視の目元には、うっすらと、隈ができていた。


「わたしより、疲れているのは、おまえだろう」


「オレ……いや、私は、大丈夫なのですが」


 警視のくちが、甘い微笑を深く刻んだ。


「無精ひげのおまえも、セクシーだ」


「けっ………い、しっ!」


 耳もとにそっとささやかれて、如月が、真っ赤になった。


 スッと、警視のしなやかな掌が、如月の頬に触れる。


 如月の太い首筋が、ひくりと、震えた。


 警視のヒールが、持ち上がる。


 精一杯背伸びした警視と部下との呼気が、熱を、伝えあう。


 今まさに、ふたりのくちびるが重なり合おうとした時だった。


 ノックの音がしたと思えば、


「警視、こちらです………か」


 少女めいた女性警官が、返事を待たずにドアを開け、その場で硬直した。


「恵、どうした、の?」


 後から、硬直する彼女よりは落ち着いた女性の声がし、開いているドアの隙間から、顔をのぞかせた。


 コホン!


 美女の咳払いに、警視と如月とが、我に返った。


「おふたりとも、まだ勤務中ですわよ。恵、これくらいで硬直してどうするのよ。ほら」


 ぽんと恵の肩を叩いて、


「神坂さん………」


 神坂は、肩を竦めた。


「警視、お客です」


 互いに勤務時間中の距離をとったふたりのうち、一足先に我に返ったのは、警視のほうだった。


「誰だ?」


 チラリと置時計に視線を走らせる。


 もうじき午前三時になろうという時間だった。


「……その少年を知っているという…………」


 戸惑ったようにことばを切った神坂を、


「どうした?」


 警視が促す。


「貴の男性です」


「貴?」


「はい」








 太智花の元に織衛が消えたとの知らせが届けられたのは、織衛が水に飲み込まれてから、人間の時間に直して、数時間後のことだった。




 定期的におこなわれている、貴同士の会合は、互いに互いの結界は不可侵であることを確認するためのものである。


 主催を任された貴の趣味が如実に現われたしつらえの結界の中で、貴たちは、和やかに談笑をしている。


 互い同士で争う時代は、疾うに過ぎ去った。


 今、貴同士が争う愚を冒せば、絶対的な数から言って、ひとに利が及ぶだろうことは誰もが口にしないだけのことである。


 ぼろぼろになった挙げ句の引き分けか、勝利――などでは、貴のプライドは、よしとはしない。


 貴は、あくまで、超然とした支配者でなければならない。たとえ、それが、昔日の栄光に過ぎなくなりゆきつつあっても。


 水で造りあげられた会場を、魚影が、ゆったりと横切ってゆく。

 

 つられて天井を見上げれば、ドーム状の水の中を、鮫らしき魚が、泳いでいた。床に目をやれば錦鯉が魚鱗をきらめかせ、壁を見れば、熱帯魚が色彩豊かに鰭を揺らめかせる。


「楽しんでおられますか」


 白地に金銀朱の縫い取りも鮮やかな衣を翻して、この空間の主が、太智花に笑いかけていた。


「眼福ですよ」


 静かに太智花が返すと、


「あなたは、失礼ですが、いつも、その、貴珠を伴われてはおりませんね」


 一見線の細い美貌の主が、困惑したように、視線を彷徨わせる。


 半数ほどの貴が、ひとりかふたり、多い者では、四人五人の貴珠をつれている。残る貴は、さまざまであるが、その半分ほどがちろちろと貴珠を見やっては、溜め息をついている。


 大多数の貴の間で、貴珠がステイタスシンボルのように扱われていることは、太智花も知っていた。公の場に、パートナーとして出ることが、ある種のファッションになっていることもである。


 しかし、


「入手できる場所なら、知っておりますよ」


 そのことばに、太智花は、相手をしっかりと見返した。


 にっこりと微笑む貴は、見た目の若さ通り、まだ、貴としては歳若い部類に属する。いって、数百歳。主催を任されるにしては、若年過ぎた。


「貴珠をか?」


 まさか、と、思う。


 戦国の世を最後に、貴珠は、その存在を、消した。


 それは、貴の間では今更取りざたされることもない事実だった。すくなくとも、そうであったはずだ。


 だからこそ、今の貴珠は、かつてのような、扱いを受けなくなっているのだ。


 確かに、当時から存在は稀ではあっても、取替えのきく、家畜。昔は、そう、誰しもが思っていた。少々手荒に扱って死んでしまっても、また人間の間から狩ってくれば、いい。


 たったひとりぎりの貴珠に心を奪われた自分など、昔は、苦笑されたものだ。


 しかし、今では、長命の貴珠は、貴重品である。


 長命の貴珠は、ただひとりの貴によって丹精込められ、貴の力を増幅させる力もその血の味も、歳若い貴珠など足元にも及ばない。


「ええ。ご入り用なら、お教えしますが」


 笑顔の裏の薄らぐらそうな本性を見たような気がして、


「あいにく、間に合っている」


 太智花は、手にしていたグラスを干すと、踵を返した。


 背後で強張りついた貴に、別の貴が近寄り、


「ばかだな。あれは太智花の当主だ。最高級の貴珠の持ち主のひとりだぞ」


と、ささやいたのを、太智花は、知らなかった。




 明日にはこの騒ぎも終わる。


 やっとあれの顔が見れるか。


 そう独り語ちた時だった。


 太智花は、突然、半身を裂かれるような感覚に襲われた。


 場所は、客間である。


 風呂を使った後の、くつろいだひと時に、彼は、何とは知れない、不安に、鳥肌を立てたのだ。


 落ち着かないとばかりに、酒を呷る太智花のもとに、ようやく知らせが届いた時、太智花は、織衛に何かが起きたのだと、核心に近いものを抱いていたのである。








「すごい」


「ああ」


「ずっと、署のドアをこのひとがくぐった時からこうだったんだから」


 ひそひそと交わされる会話が耳に入っているのかどうか。


 忌課にその男が足を踏み入れた途端、それまで、どうにかして少年に近づこうと蠢いていたおびただしいまでの鬼奇が、消えた。


 人間にすれば、四十台半ばくらいだろうか。押し出し満点のエリート然とした姿で、その男は、忌課室長と向かい合っている。少年が眠る応接室とは別の部屋で、彼が座るソファの横に、貴がひとり腰を下ろし、後ろには、貴がひとり立つ。


「それでは……っと。太智花さん。お話はわかりましたが、なにか、彼を保護しているのがあなただと、証明できるようなものをお持ちでしょうか」


「そんなものは、ない」


 憮然と、しかし悪びれる風もなく、太智花は、警視に返す。もっとも、それは、警視にもわかっていることだった。人間に対して証明するようなものなど、貴が持っているはずがない。


「織衛、あれが、私のものだと知るのは、私の周囲のもの。それに、織衛自身だけだ」


 織衛――とそう口にするときだけ、太智花の口調は、ほんのわずかだが、やわらかくなった。


「…………それでは、彼が、意識を取り戻すまで、待っていただくよりないのですが」


 基本的に、忌課は、警察機構の中では独立した存在なので、責任者の裁量ひとつで片がつくことがままあるのだ。


「では、待つとしよう。………が、できれば、織衛の無事を確かめたい」


「いいでしょう」


 警視が立ち上がる。


 そのまま、太智花たちを、促して、警視は、少年の眠る応接室のドアを、開いた。








 後になって、


「う~ん。男同士なんだけど、眠れる森の美女って感じだったんだよね」


 ドアの隙間からのぞいていた青木が、漏らしたひとことは、その映像を容易くイメージさせるものだった。


「そうなんですか?」


 ちょうど場所を外していた神坂が、なんとなく悔しそうに警視に詰め寄ると、


「うん、まぁ。そうなんだよね」


 警視が、苦笑を漏らした。


 うんざりとした表情の浮かんでいる男性陣を尻目に、


「じゃあ、あの貴が、あの男の子にキス?」


「そうそう。したら、男の子が、目を覚まして、で、起き上がったってわけ」


「ハッピーエンドなんだねぇ」


「高速道路やら運悪く怪我した人たちへの補償も、とりあえずあの貴がもってくれるってことで話がついたしね。万々歳なんじゃない……かな」


 貴はお金持ちだからね~。


 うんうんとうなづく、戸倉涼香警視だった。


「あ、でも、あのイタチだかフェレットだかは?」


 そういえばそういうのがいたな――とばかりに記憶をたどって、


「あれは、偶然、貴珠の血を舐めた、何分の一か奇の血が入ってた野良フェレットが、とりあえず変身能力と喋ることに目覚めて、彼曰くのご主人様を守っていたってことなんだよね」


 健気といえば健気なんだけどさ。――――――と、警視は、溜め息をついた。


「しょせんは、イタチだし?」


 けろりと、青木が、言い放つ。


「ま、大団円ってことで、いいか」


「そうそう。お騒がせなご一行さまは、結界に引き上げてくださいましたし」


「とりあえず、みんな、ご苦労さま。今日一日休養をとってくれ………と言いたいところだが、そうもいかないのが、警察の辛いところだよな」


 少しだけでも仮眠をと、一同が立ち上がった瞬間に、電話のベルが鳴り響いた。


「はい。警視庁忌課強行犯係です」


 青木の声に、室内に、緊張感が立ち込めた。









 工藤的にはコメディだと思っている話なんですが。

 この後起こる事件の発端のようなそうでないような。

 少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。

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