第7話 言葉に詰まったあの日、消えてしまったモノ
あの後は結局バイトができる状態ではなく、早引きして家に帰ることになった。
紅谷さんだけでなく黒沢君や他のバイトの人、お客様にも散々心配をかけて。
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目が覚めると自宅のベットの中。
“さよなら”と言って去っていった彼の後ろ姿を思い出して、目頭が熱くなる。それを誤魔化すように、布団を顔まで引き寄せて寝返りを打ち、また眠りに落ちていく。
次に目が覚めた時は、すっかり日は高くまで昇って、お昼を過ぎていた。
寝すぎたせいか、泣きすぎたせいか、目の周りがはれぼったく熱を持ってひりひりとする。ベットから抜け出して洗面台で自分の顔を確認する。目の下が尋常じゃなく赤く腫れている自分の顔を見て、気分が沈む。
服も昨日のままだったことに気づく。昨日は家に着くなり、着替えもせずにベットに潜り込み、泣き疲れてそのまま寝てしまったのだった。服を脱ぎ、シャワーを浴びて、洗濯した新しい服を引っ張り出し、袖を通す。
食欲はなくてコップ一杯の水を飲んで、絞った濡れタオルを持ってベットの横に腰をおろして、目頭に濡れタオルを当てる。
目を閉じると、ついさきのことのよう別れの場面を思い出して、涙があふれてくる。まだ、涙は枯れてないみたい……
彼が突然喫茶店に来なくなった時は漠然とこの恋をやめるんだって思ったけど、心のどこかでは、またいつか彼が喫茶店にやって来るんじゃないかって期待してた。でも今は……もう二度と彼がやってくることはないと知っている。彼が私に、はっきりと“さよなら”と言ったのだから。淡い希望さえ持てない。
どうして、言えなかったんだろう……
これが最後のチャンスなら、後悔しない様に想いを伝えればよかったのに……
違う……、初めから伝える気はなかった。だって振られるってわかってて、自分からこの気持ちを失うようなこと、とても出来なかった。
なんて弱虫なんだろう私。
振られるってわかってても、伝えて、もっと、こんなふうに後悔しない道はあったはずなのに。あまりに突然に別れがやってきて、どうすることも出来なかった。想いがあまりに大きくなりすぎてて、簡単に言葉には出来なくて、言葉に詰まってしまった。
それでも、好きだと伝えればよかった……のかもしれない……
後悔ばかりが思考を支配して、どうにもならない。
その時、枕元に置いた携帯が鳴りだした。
私は座った姿勢のまま、緩慢な動きで腕だけを枕元に伸ばして鳴りっぱなしの携帯をつかんだ。濡れタオルを外してディスプレイを見ると、紅谷さんからの電話だったのであわてて携帯を開き通話ボタンを押す。
「はい、もしもし。佐倉です」
『おっ、やっと出たな。紅谷だけど、今いいか?』
「大丈夫ですよ、どうしたんですか?」
『ああ……佐倉こそ、大丈夫か?』
そう聞かれて、言葉に詰まる。
『俺で何か相談にのれることがあったら、聞くからな?』
そう言ってくれたことがありがたく、胸が熱くなる。一人でもやもや考えているよりも、いっそ誰かに相談してみるのも手かもしれない。
『あっ、悪い。ちょっと待ってて……』
そう言って紅谷さんの声が遠くなる。受話器の向こうから黒沢君の声が聞こえてきて、紅谷さんがバイト中に電話をかけてることに気づく。
『お待たせ。ごめん、今休憩中だったんだけどちょっとキッチンに戻らないといけないから、切るわ』
「……はい」
紅谷さんが心配して電話してくれたことをありがたく思い頷く。
『それから、バイト……辛いとは思うけど、ちゃんと来いよ!』
そう言って切れた電話を右手に持ってしばらく眺める。紅谷さんがどういう意味で言ったのかは分からないけど……その通りだった。
あの喫茶店には、彼を見ていた記憶ばかりがある。彼がいない今、彼のいない席を見て、私は平静でいられる自信がない。
バイトに行きたくない……
こんな気持ちになるなんて、彼に恋心を抱き始めたあの時には思いもしなかった。
こんな気持ちになるなら……恋をしなければよかった……




