メランコリック・バレンタイン 7 <佐倉side>
お店を出ようとした時、お店の入り口に紅谷さんが立っていた。
「紅、谷、さん……」
なんで、ここに……?
驚きに声が掠れて、そう続くはずの声は出なかった。
紅谷さんはわずかに眉根を寄せ、涼しげな眼差しを黒沢君に向けていた。私はすぐに、黒沢君が紅谷さんに連絡したんだって悟って、横にいる黒沢君を睨み上げて、すぐにもっと大事なことに気づく。
「紅谷さん、今日は仕事じゃないんですか?」
だって、今日休みなんて、私聞いてないもの。それとも、休み時間に抜けて来たとか――? そう考えて、紅谷さんの真面目な性格を考えれば仕事を投げ出したりしないことは分かるから、休みなんだと確信を持つ。
紅谷さんは、一体なにしに来たんだろう……?
とんちんかんな疑問だと思わずに、紅谷さんの登場に戸惑う。
帰ろうとした黒沢君を紅谷さんが引き止め、私から少し離れた場所でなにやら話して、それから紅谷さんが一人で私のところに戻ってきた。
「もも――?」
呆然と紅谷さんの顔を見上げた私に、紅谷さんが戸惑いがちの声をかける。
だけど、私だっていまの状況が理解出来なくて、どうしたらいいのか分からない。
チョコの返事がなかったことに怒ってたし、寂しかったし、不安にもなったのに、そんな気持ち全部が吹き飛ぶくらい、呆然としてしまった。
「黒沢からメールもらったよ。ケーキは美味しかった?」
そう尋ねた紅谷さんはふわりと優しい笑みを浮かべる。その瞳に一筋の憂いを帯びて私を見つめている。
「今日は休みなんですか?」
自分で休みって結論付けたくせに、とにかくそのことを確かめたかった。
「昨日の帰り際に、急きょ休みって店長に言われたんだ。ももはもう寝てる時間だろうと思ってメールしなかったんだよ、休みだって伝えてなくてごめん」
紅谷さんは優しい声音で、すごく私を気づかいながら説明してくれた。
お店の前に立ったままだったことに気づいて、歩きだしながら紅谷さんが話を続ける。
「もも、今日は講義はないの?」
「はい」
「じゃあ、これから、俺の部屋に来てくれる? 大事な話があるんだ」
「えっ……?」
大事な話という言葉が、胸をざわつかせる。
もしかして、別れ話――?
嫌なことを考えてしまって、必死に頭を振って、その考えを思考から追い出す。
「今日は講義ないので、大丈夫ですよ……」
紅谷さんの大事な話っていうのを聞くのはすごく怖いけど、逃げて後悔はしたくないから、紅谷さんのアパートへと向かうため電車に乗った。
※
何度か来たことがあるけど、やっぱり紅谷さんのアパートに来ると緊張した。
それにやっぱり、この前ここに来た時のことを思い出して、ドキドキと不安に襲われる。
前回――それは、チョコを渡すために一人でここに来た。紅谷さんからはチョコの話は全くなくて、食べてくれたのか、口にあったかどうか、不安でしょうがなかった。
先を歩いていた紅谷さんがポケットから鍵を取り出して玄関を開ける。扉を押さえた格好で振り向き、中へと促した。
「お邪魔します……」
震える声で言って、玄関で靴を脱ごうと思ってはっとする。
ストレス発散にケーキを食べに行ったけど、あまり食べ過ぎないようにって、ぴったりサイズのワンピースを選んでいた。そのワンピってのが白い丸襟のついたグレーのミニスカート。
履きなれない短いスカート姿を紅谷さんに見られてると思うと、かぁーっと頬が赤くなる。
しかも、ニーハイブーツだからとても脱ぎにくい。
こんなことならブーツなんて履いてこなければ良かったって思うけど、紅谷さんの部屋に行くなんて思ってもみなかったんだもの……
いつの間にか鼓動もバクバクいいだして、冬なのに額に汗がにじんでくる。
玄関でもたもたしていると紅谷さんの視線を感じて、でも恥ずかしすぎて顔をあげることが出来なかった。
なんとかブーツを脱いで部屋に上がると、後から部屋に入ってきた紅谷さんがキッチンに向かう。
「ソファーに座って、いま、飲み物用意するから」
言いながらポットに水を注ぎ火にかけ、その間に食器棚からティーポットとカップを出す。その様子を、ゆっくりとソファーに座りながらながめる。
紅谷さんは冷蔵庫に近寄り、扉を開けようとした時、携帯の着信音が響く。
扉のとってにかけていた手を離し、ポケットを探って携帯を取り出す。通話する直前、ちらっと私の方を垣間見た紅谷さんは、電話を耳にあてる。
「はい、紅谷です。店長、お疲れ様です。はい……」
電話の相手と話ながらキッチンから玄関の方へ出て行こうとした紅谷さんは、扉から出ようとした格好で振り返る。
「佐倉、冷蔵庫から牛乳出して。あと火を見てて」
携帯の送話口に手を当てて小声で言い、部屋の外へと出ていった。
私はすぐにソファーから立ちあがってキッチンに向かう。火の調節をして、冷蔵庫を開けて牛乳を探す。牛乳は扉の所に立てられていてすぐに見つけることが出来たんだけど、私の視線は冷蔵庫の下段に釘づけになる。
そこには見覚えのある白い箱が置かれていて、無意識に手に取っていた。
冷蔵庫の扉を閉め、玄関に続く扉に背を向けて、箱をじぃーっと見下ろす。それは――私が紅谷さんにあげたバレンタインのチョコレートだった。
ちゃんと受け取ってくれたんだっていう安堵と言い知れぬ不安に襲われる。この箱の中に、紅谷さんがチョコレートについて何も返信をくれなかった理由が隠されている気がしてならなくて。本当は勝手に開けたりしたらいけないって分かっているのに、衝動にかられて蓋を開けていた。
――っ!
息を飲みこんで、血が出そうなくらい強く唇を噛みしめる。
開けられた箱の中身はあの日からなにも変わってなくて、手のひらの上の箱が急激に重く感じる。
ピュゥーっというやかんがけたたましく鳴りだしても、身動きが取れない。
チョコが一つも食べられていないことにショックだった。
まだ、美味しくなくて返信に困っていたとかなら良かったのに。食べられていないっていうことは、このチョコが迷惑だってことで。
自分が考えた悪い不安が一気に脳裏によみがえる。
もしかして、別れ話――……
さぁーっと血の気が引いていって、鳴り続けるやかんの音が遠くに感じられる。
嫌な予感がぐるぐると渦を巻いて私の体を締めつける。
きゅーっと胸が痛んで、どうしていいか分からなかった。




