Sweet Home 2
「ライバル、ねぇ……」
ガツンっと受けた大きな衝撃を隠すように、にやりと意地悪な笑みを浮かべる。
俺らしいって言ったももが、俺のことをどんなふうに思っているのか知りたくて好奇心から尋ねたのだが、尋ねて失敗したと思った。
ももに好きだと言われてもその実感がないくらい、ももと俺は恋愛関係未満のバイト仲間の時期が長くて、ももがあまり恋愛にも積極的じゃないのを知りながら、早くその溝を埋めたいと焦っている自分が情けなくなる。
だけどさ、憧れてるって言われてドキッとした瞬間、ライバルってばっさりやられた俺の複雑な気持ちも分かってくれ……
今日のももは、可愛らしい花柄のワンピース、しかも見たこともないような短いスカートからは形の良い長い足が覗いていて、胸がざわつく。
部屋に二人きりという状況に舞い上がってる俺もいるし、初デートで緊張しているのもある。
それでも、ももが緊張したそぶりも見せないことに、なんだか悔しくなっていじめたくなったんだ。
だけど――
覗きこんだ視界の先、澄んだ瞳と艶っぽく染まった唇に鼓動が一気に跳ね上がる。
それを誤魔化すように、ももを抱き寄せ頭をなでて話題を変えてキッチンに向かった。
今日用に買い物はしておいたから、冷蔵庫の中はそれなりに食材が豊富に入っている。
この前はパスタを食べに行ったから今日は和食に決める。一応、ももに好き嫌いがあるか確認して、作り始める。実は下ごしらえを昨日花火大会から帰ってきてからすぐにしておいたと知ったら、ももはどんな顔をするだろうか――
そんなことを考えながら手早く調理する。普段は一人だからそんなに作ることもないが、喫茶店とはいえ飲食店のキッチンで働いているので、それなりの料理は出来るつもりだ。まあ、小さい頃から母や姉らに手伝わされていたから、というのもあるが……
そんなことを考えた時、ぞわりと背中に悪寒が走る。
嫌な予感が脳裏に浮かび、それを振り払う。
昼メシを作っている間、ももはテレビをつけていいかと尋ね、テレビを見ていた。
出来たものをお盆に乗せてももの座っているリビングに近づく。
「お待たせ、だいたい出来たけど」
「あっ、ぜんぜん手伝わなくてすみません。運ぶの手伝いますっ」
慌てて立ちあがるももを見て、笑みをもらす。
「下ごしらえはしていたから手伝ってもらうほどじゃなかったから。じゃあ、そこの引き出しから箸出してもらっていい?」
「はいっ」
下ごしらえのことをばらしてしまって恥ずかしく思いながらもそう言うと、ももは満面の笑みで頷いて食器棚にかけていった。
俺はローテーブルをさっと布巾で拭き、お茶碗とお吸い物、白身魚のみぞれ煮ジャガイモの煮物を置き、キッチンに戻って土鍋を持ってくる。気合いを入れて土鍋で炊き込みご飯を作った自分に、浮かれてるなって自分で突っ込んで苦笑する。
料理を運び終えて、小皿をとりに食器棚に近づいたら、ももが食器棚の前で立ち止まっているから肩越しに覗きこむ。
「もも?」
「きゃっ!? あっ、紅谷さん……」
その驚き方に片眉をあげてももを見ると、なんともいえない複雑な表情で笑みを作る。
「どうした? 箸、分からない?」
「いえ、あの……いっぱいお箸があったので、どれを使ってるとかあるのかなっと思って……」
そう言って言葉を濁したももを怪訝に思いながらも、俺は引き出しを覗きこむ。そこには、黒い箸と赤い箸とお客様用の塗装のされてない自然な木の色の箸が数組入っている。
「俺は黒い箸で、ももはお客様用のこれ、使って」
別に箸なんてどれでもいいのになって思いながら、ももの家では誰がどの箸を使うか決まっているんだろうなと想像する。ちなみに、俺の実家ではしょっちゅう箸がなくなるため、誰がどの箸かなんて決まっていない。母がお徳用の箸セットを買いこみ、同じ柄の色違いの箸とかがある。で、気づいた時には片方しかなくて揃わない箸が続出する……我が家の謎でもある。
育った家庭の違いを垣間見て苦笑をもらし、小皿をとってリビングに戻る。
ふっとあることに思い至って、尋ねてみることにする。
「ねぇ、ももの家は大皿派? 個人皿派?」
ドンっと土鍋、それを囲むように魚と煮物の入った大皿がデンっと並んでいる。
さすがに汁物はお椀によそってあるが、我が家では大皿で出された物を自分の好きな物、食べたい量を小皿にとって食べる食卓だった。それが当たり前に育ってきた俺だが、友達の家に遊びに行ってご飯をご馳走になる時など、それが当たり前ではないことを知る。
家庭によっては、すべての料理が一人分の量でお皿に盛られている。
大皿で出てきた友達の家でも、お客が来た時は大皿になるが普段は個人ごとに分けられているという話も聞く。
箸の違いに気づいた俺はふっとした疑問を口にしたのだが、ももはわずかに身じろいで苦笑する。
きっと、並べられたお皿を見て、俺の実家が大皿派だと思ったのだろう。
「うちは、一人ずつとり分けられたお皿で出てくるので個人皿派、ですかね?」
その笑みに何かが含まれていることに気づいて、俺は座りかけた腰を伸ばして、キッチンからとりわけ用の木製のレンゲとフォークを持ってくる。
「ごめん、気づかなくて。これとりわけに使って」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってももは、受け取ったレンゲで煮物と魚を小皿によそった。俺は空でひっくり返していたももの茶碗をとり、土鍋からたきこみご飯をよそってやる。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます。いただきます」
そう言って食べ始めたももは、一口食べて瞳をキラキラと輝かせて俺を振り仰いだ。
「美味しいです、ほっぺたが落ちそう……」
ほくほくとした笑顔で言い、次々に料理を口に運んでいく。自分も手を合わせてからお箸をとって食べ始める。
たわいない会話をしながら、可愛い笑顔で食べてくれるももを見て、自然と口元が緩んでくる。
温かい幸せな空気に包まれて、嬉しくて仕方がなかった。
※
箸を取ってと頼まれた私は、示された食器棚の引き出しを開けて箸を探す。そこには黒い箸と赤い箸が一組ずつと木目の箸が数組入っていた。
うちでは誰がどの箸なのかちゃんと決まっているから、どの箸を出したらいいのか困っていたのは確かだった。だけど、一つ分かったことは、黒い箸が紅谷さんのだろうということ。複数組ある木目の箸は来客用だろうってこと。
じゃあ――赤い箸は誰の??
そんな疑問が頭をよぎる。黒と赤の箸はまるで対の夫婦箸――
紅谷さんの前の彼女とか、忘れられない人とかの箸なんじゃないかって想像してしまって、不安にぎゅっと胸が押しつぶされる。
紅谷さんに好きだと言われても、なんだか実感がなくて、こんな自分が紅谷さんの彼女になってもいいのか自信がなかった。
「どうした? 箸、分からない?」
箸も出さずに呆然と立ちつくしていた私に紅谷さんが声をかけてきて、泣きそうになるのをぐっと堪えて精一杯笑い返す。
「いえ、あの……いっぱいお箸があったので、どれを使ってるとかあるのかなっと思って……」
「俺は黒い箸で、ももはお客様用のこれ、使って」
そう言われて、ズキンっと胸に小さな痛みが走る。
ちゃんと紅谷さんの口から聞いたわけでもないのに、赤い箸は紅谷さんの大切な人のなんだろうなって勝手に決め付けて、傷つく。
私は言われたお箸を持って席に戻り、ざわつく不安に気づかれないようにご飯をどんどん食べた。
正直、ご飯がおいしすぎて、ついさっき胸に渦巻いた不安も飛んで行ってしまった。