第39話 peach butterfly <黒沢side>
第32話、第34話の黒沢視点の話です。
花火大会から約一週間前に遡ったとこから始まります。
さっきから隣で作業する佐倉ちゃんが変なんだ。
スライスレモンをお茶っぱパックに入れる作業は手慣れてて、正確かつ丁寧に行われてるけど、その表情は――沈んだ顔をしたかと思うと頭をふり、笑顔になって、また悲しそうな顔に戻って――飼い主に怒られた子犬みたいにしょんぼりしちゃって、どうしたのって声をかけずにはいられなかった。
「なんで? 何もないよ」
笑顔でそう言った次の瞬間には泣きそうな顔をして、大きなため息をついた佐倉ちゃん。
「何もないわけないだろ? さっきっから、沈んだ顔して……すごい、気になる」
心配なのもあるけど、ちょっと興味もある。もしかして紅谷さんと何かあったのかな……とか、勘ぐったり。この間、佐倉ちゃんに告白の相談を受けて、素直に気持ちを伝えればいいとかふっかけたのは俺だから、気にならないわけがないんだ。
……なんだか、自分に言い聞かせてるように聞こえるが……気にしない事にしよう。心の中で、拳を握る。
「もしかして紅谷さんと……何かあった?」
何かあったのは予想してたけど、まさか、抱きつかれるとは思わなくて。
「黒沢くーん……」
佐倉ちゃんは涙目で突然抱きついて来て、上目づかいに見上げてくるから、思わず目線をそらしてしまった。
恋の相談されてて、恋愛対象として見られてないってわかってても、つい顔が赤くなっちゃうんだから……困るな……
ちらりと視線を佐倉ちゃんに向けると可愛い顔できょとんっと首を傾げてるから、あわてていつものおどけた口調で聞き返す。
「あっ、どうしたの? 俺でよかったら相談のるよー?」
「あのね、実は……紅谷さんにメールしたんだけど、しばらく仕事が忙しいみたいで無理って言われちゃって」
そう言った佐倉ちゃんは、見てるこっちまで悲しくなるような顔でしゅんとしてて、なんとか元気づけてやろうと思った。
ぽんっと、佐倉ちゃんの頭を撫でて、笑顔を向ける。
「元気出して。そうだ、来週あるF港の花火大会、バイト仲間で行こうって話してるんだ。佐倉ちゃんも一緒に行こうよ」
ぽかんっと俺を見上げた佐倉ちゃんの表情がだんだん明るくなって、いつもみたいに笑って頷いた。
「うん。あのね、浴衣新調したから、それ着てくね」
手を組んで、にこりと微笑んだ佐倉ちゃんの頬にえくぼを見つけて、俺はもう一度、ぽんっと頭を撫でてキッチンに向かった。
俺、良いこと思いついちゃったんだよねー。
にんまりと頬が緩んでしまってカッコ悪いけど、キッチンには誰もいないから気にしなくていっか。
今日のシフトはオープンから佐倉ちゃんと俺の二人だけで、佐倉ちゃんはまだお冷コーナーにいる。それでも、周囲にじろりと視線を向けて、誰も見てないことを確認してからズボンから携帯を取り出す。
ほんとはバイト中にメールなんてダメだけど、この思いついた悪戯を今すぐ実行したくてうずうずしてどうしようもないんだよね。
携帯を開いて、俺は手早くメールを打つと、もう一度、にんまり微笑んで携帯を見つめ、ポケットにしまった。
えっ? 悪戯って、なにかって? 誰にメールしたか、って?
気になるー?
仕方ないなぁー、特別に教えてあげよう。
誰にメールしたかっていうのは、紅谷さん。なんでか、って? それはね――
『お久しぶりでーす! またバイト仲間で集まろうって話しになって、来週の土曜の花火大会に行くんですけど、紅谷さんは来られますか?』
紅谷さんも花火大会に誘うため。
仕事で当分休みはないって話しだったけど、確か紅谷さんって今、朝から夕方にかけてのシフトが多いって言ってたから、夕方からの花火大会なら来れるかなと思ったわけですよ。
そんで紅谷さんが来れたら、佐倉ちゃんは嬉しいだろうし、佐倉ちゃんに内緒で、紅谷さんを誘っちゃおうっていう作戦だ!
しばらくすると、ポケットの中で振動があり、慌てて携帯を取り出す。思ったより早く、紅谷さんからの返信があって、驚く。
『久しぶり。花火大会って、F港の? その日は仕事だけど、夕方までだから、途中からなら行けるかも』
やった! これで、二人を引き合わせられるな。
うっしっし。口元に手を当てて笑って、まだメールの続きがあることに気がついて、次の文を見て目を見開く。
『それってさ、佐倉も来るのかな?』
あれれ……紅谷さん、佐倉ちゃんのこと気にしてるってことは、やっぱり、両想いなんじゃないか?
いや、紅谷さんって誰にでも優しいから佐倉ちゃんにだけ特別優しいってことはなかったけど、見てたら、わかるよな……
紅谷さん……佐倉ちゃんにだけだもんな、からかったりするの。あれは、好意があるって見てるやつにはわかるけど、本人には伝わりづらいというか……ひょっとして、紅谷さん、あんなにモテ顔なのに、恋愛経験は少ないとか……?
って、そんなことはどうでもいいか。
脈ありなら、尚更、二人を早く会わせて、佐倉ちゃんに告白のチャンスを与えてあげよう!
あー、ホントは、佐倉ちゃんが来るのは秘密にしておこうと思ったけど、紅谷さんが気にしてるなら、仕事を休んででも花火大会にどうしても来たくなるようにするしかないよな!
俺はおかしな方向に闘志を燃やしてることに気づかす、じわりと額ににじむ汗を袖で拭って、メールと打つ。
あー、夏場のキッチンは、蒸し風呂のように熱くて、地獄だ……
『佐倉ちゃんも来ますよ。新調した浴衣着てくるって言ってるので、仕事の後にでも必ず来て下さいよー』
新調した浴衣……これは、見たいと思うはずだよ!
『うーん、最近シフト通りに上がれないから、行けたらね』
なんだ……手ごたえのない、というか予想外にそっけない返信。
ん? 浴衣見たいって思わなかったのかな??
紅谷さんって、よくわかんねーな……
「まっ、いっか」
ぱちんっと携帯を閉じて、俺はにんまりと微笑んだ。
※
花火大会当日。
ほんとは彼女と来るはずだったのがダメになってバイト仲間と来ることにして、ちょっとつまんない花火大会になる予定だったけど、佐倉ちゃんと紅谷さんの恋のキューピッド役を務めると思うと、わくわくしてくる。
駅に現れた佐倉ちゃんは、宣言通り浴衣を着ていてかわいかった。これは写メらねば!
「あっ、そだ。会場に行く前に、みんなで写真撮ろうよー」
そう言って、佐倉ちゃんに頼まれた佐倉ちゃんと宮部ちゃんの写真を撮りつつ、自分の携帯で佐倉ちゃんの写真をばっちり頂いた。
会場に向かって歩きながら、俺は早速、さっき撮った写メをしっかり添付し、紅谷さんにメールを送る。
『こんばんは。仕事終わりそうですか? 花火は八時半までだから間に合ったら来て下さいよー。あっ、それと佐倉ちゃんの浴衣姿、写メります。かわいいよねー。実物はもっと可愛いですよー。見なきゃ損ですよー』
よしっ! これなら来たくなるだろう、くっくっく。一人笑いが込み上げてくる。
だけど、返ってきたのは、これまた予想外で。
『忙しいから、無理』
あまりにそっくなくて驚いたけど、これはもしかして、佐倉ちゃんの浴衣を見てやきもきしてるから、こんな反応なのかもしれないと思った。
その証拠に、それから十分も経たないうちに紅谷さんからメールが着た。
『仕事終わり、これから向かいます。どの辺にいる?』
これまた要点だけの簡潔なメールだったけど、そっけないからこその焦りというか苛立ちのようなものが伝わってきた。
やっぱ、佐倉ちゃんの浴衣姿見て、いてもたってもいられなくなったのかな? 一人、にたりと笑みが漏れる。
その後、佐倉ちゃんが迷子になって焦ったけど、運よく佐倉ちゃんと紅谷さんを二人きりにすることができて、佐倉ちゃんには告白するように電話で言い、背中を押す。これで二人は晴れて恋人同士……そんなことを考えて頬が緩みっぱなし。
まさかその数時間後に、冷や汗ものの鋭い視線で紅谷さんに睨まれることになるとは、思いもしなかったけど。
次回で完結です。