第35話 アクション 1 <紅谷side>
ちょうど来た電車に駆け込み、携帯で時間を確認すると十八時四十四分だった。K駅からF駅までは二十分で行けるから、港に着くのはちょうど打ち上げの時間くらいだろうか。揺れの気持ち良さと疲れで扉に寄りかかったままウトウトとしていたら、あっという間にF駅についてしまった。
駅に降りた俺は、屋台の立ち並んだ港に向かうメイン通りを通らず、一本裏の路地に入る。この道は細くて屋台は出てないが、港に向かう近道だったから俺は迷わず裏道を選んだ。
さてと、あれだけ行けないって黒沢には言っておいて、打ち上げの時間に間に合うっていうのもアレだな……
どんな顔していくべきか……頭を掻きながら考えていると、タイミング良く黒沢から電話がきた。さっき電車に乗った時、これから行くこととどのあたりにいるのかメールで聞いたから、きっとその返事だろう。
「はい、紅谷です」
『あっ、もしもし、紅谷さん? もう駅着きましたか?』
「もう電車降りて、今は港に向かって歩いてる」
『そーなんですか……。あの、まさか、佐倉ちゃんと一緒、ってことはないですよね?』
「ん? 佐倉とは一緒じゃないけど?」
黒沢が佐倉の話題ばかり振って来ることに気づいてた俺は、少しうんざりした声で言う。
『そーですよね、いま着いたばかりですもんね……ヤベー、どうしよー……』
後半の声は、俺ではなく一緒にいる仲間に言ったようで、ボソボソと小さく、でも聞こえてしまい、首をかしげる。
「なに、なにか問題でもあったのか? ってか、黒沢達は今どこ?」
『俺達は港の北側の時計塔のあたりにいるんですけど……』
黒沢はそこで言葉を切り、語尾を言いにくそうに伸ばす。近道と思って選んだのは港の南側に出る路地だったから、黒沢達がいる場所に行くには遠回りになってしまった。俺は、港に向けて急いでいた足を緩め、黒沢に話の先を促す。
『実は……佐倉ちゃんが迷子になっちゃったみたいで……』
「えっ……」
『十分くらい前までは一緒にいたんですよ。佐倉ちゃんお手洗いに行くっていってからなかなか戻ってこないし、ケイタイも繋がらないし。今年は隣の市の花火大会が雨天中止になってるからその影響で去年よりも人出が多いから、迷子になってるかも……って……』
「わかった。とりあえず、黒沢達のとこに向かいながら佐倉探してみるから」
『お願いします。何かわかったら連絡しますんで』
「ああ、じゃ」
俺は電話を切ってから、辺りに視線を向けるが、佐倉らしい人はいない。まあ、俺が歩いてる路地の人通りは少なく、こんなところで迷子になるはずがないかとため息を漏らす。しかし、佐倉が迷子とは……時々抜けてるとこがあるけど、方向音痴ではないと思ってたが。
そんなことを考えて路地を抜け港に着くと、予想以上の人ごみに、一瞬目を眩ませる。何度か、この花火大会には来たことがあるが、こんな歩くのもやっとだというほど混んでいるのは初めてで、佐倉が迷子になってしまったのも仕方がないと思えた。
この人ごみの中、佐倉を見つけるのも難しそうだが、黒沢達がいる場所まで移動するのも一苦労しそうだ。
携帯を取り出し時間を確認すると十九時十四分だった。もうすぐ打ち上げか。花火が始まって人の流れが落ち着くまで、しばらくこの辺りにいたほうがいいかな。そう考えた時。
ドーンっ!
港に響く大きな音と共に、夜空に深紅の華が咲き、辺りが明るく照らしだされる。連続して上がる色とりどりの見事な花火に、観客はため息と賛辞を口にし、夜空を仰ぐ。
そんな中、俺は空ではなく、正面を見ていた――花火で照らされた薄闇の中、見覚えのある華を見つけたんだ。
人ごみの先、桃とあげは蝶の描かれた白い浴衣を着た女の子に視線が釘付けになる。後ろ姿だが、あの浴衣は黒沢の送ってきた写メの佐倉の浴衣と似ている――
そう思ったら、考えるよりも早く人ごみを掻きわけて、その女の子の手を掴んでいた。
「佐倉っ!」
人違いだったらどうしようとか、そんな考えも頭をよぎらずに、その名前を口にしていた。
俺に手を掴まれた女の子――佐倉は振り返り、僅かに潤ませた瞳で俺を見上げた。
「べ、にやさん……?」
「やっぱり……」
佐倉だったことに安堵しつつ、心のどこかでは確信してたんだ、佐倉を間違えるはずはないと。
ドーンっ! ドドーンっ!
夜空には次々と夏を彩る花火が打ち上げられているが、そんなものに目もくれず、俺は佐倉を見つめ――佐倉も俺をじーっと見つめ返している。
「ど、うして、紅谷さんがここに……?」
呟いたと同時に、佐倉の白い頬をつーっと透明な雫が伝う。
「あっ……」
思わず、俺はその涙を手の甲で拭っていた。佐倉は顔を真っ赤にして、声を漏らす。
「あの、私、黒沢君達と来てたんですけどはぐれてしまって、少し心細くなってたみたいです」
佐倉は恥ずかしそうに言い、下を向いて涙を拭く。
「知ってる。黒沢達は、港の北側にいるって連絡があった。ここは南側だから、だいぶ迷ったんだな」
「えっ、南側……?」
「ああ。そこの路地行ったら、すぐ駅の南口」
さっき俺が歩いてきた道を視線で指す。
「私、逆方向に歩いてきちゃったんですね……。ところで、紅谷さんはどうしてここに? 今日は仕事だったんじゃないんですか?」
「黒沢から誘われたけど、夕方まで仕事だったから来られるかどうかわからなくて。さっき仕事上がって、着いたら佐倉が迷子だって黒沢から連絡あって……そうだ、黒沢に連絡しないと」
思い出して、携帯を取り出し黒沢に電話をかける。その横で、佐倉が小さくなって頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました……」
「あっ、黒沢?」
『紅谷さん? 佐倉ちゃん見つかりましたか?』
「ああ」
佐倉を見つけてからずっと立ち止まっていたが、港に降りる人波の邪魔になってることに気づき、電話しながら佐倉の腕を引いて歩き出す。佐倉は、一瞬俺を仰ぎ見、俯いて歩き出した。
『あー、よかった。それで今どのあたりですか?』
「南側」
『みなみ……橋より南側? 結構離れてるなぁ。人が多くてこっちまで来るの大変じゃないですか?』
「そうだな、ちょっときついかも」
『あっ、じゃあ、紅谷さんと佐倉ちゃんは二人で花火見てて下さい』
「あー……」
ちらりと佐倉を見ると、俯いたまま黙って俺の後を歩いている。
『第一部が終わってから移動した方が楽だと思いますよ」
「わかった。そうする」
『それがいいと思います! じゃ、切りま……あっ、少し佐倉ちゃんに変わってもらってもいいですか』
「ああ。……佐倉、黒沢が代わってって」
携帯を佐倉に渡し、繋いだままだった手を離そうと緩めた手を――きゅっと、一瞬握り返された気がして佐倉を見ると、唇をきゅっと閉じて見上げてくる瞳と視線が合い、胸がざわつく。
なんで、そんな憂いた目で見てくるんだ。
俺は手を離すタイミングを逃して、そのまま、佐倉の手を握っていた。小さな手がひんやりと冷たいのは、涙を拭いたせいだろうか。