第30話 コンタクト 1 <佐倉side>
桃色の実がぷちっとはじけた――そんなカンジ。
ほんの少し頬を染めて恥ずかしそう視線を私に向けた紅谷さんは色っぽくて、その甘い雰囲気に体の中央から足先がジリジリと痺れるような感覚と痛いほどの胸の高鳴りにてんぱってしまって、気持ちを伝えるなら今だと思った、のに――
あれから二週間が経ってしまった……
初めて二人で出かけた――デート、といっていいのか――から帰って来てからも、胸のドキドキは治まらなくて、なにも手につかなくて。
だけど、一週間後に迫った前期末試験に備えてとりあえず勉強に頭を切り替えて、試験勉強して、バイトして、試験をして――あっという間に二週間が経ち、デート以来、紅谷さんとは連絡も取っていなかったことに気づいた。
やっと試験も終わり、あとは夏休みを待つばかりになって改めて考えてしまったのは――紅谷さんのことで。
自分の中に芽生えた――好き――という気持ちを紅谷さんに伝えたくて、でもよく考えてみると、今まで自分から告白したことなんてないんだよね。気持ちを伝えるタイミングを逃してしまった今、もうどうしたらいいのか、手詰まり状態、です……
※
キッチンで食器を拭きながらはぁーっと大きなため息をついたら、黒沢君がホールから顔を出した。
「佐倉ちゃん、どしたの? そんな大きなため息なんてついちゃって」
「ええーっと……」
「悩み事? なになに、相談のる?」
軽い口調で聞いてくる黒沢君を見て、ごくりと息を飲み込む。
どうしよう、黒沢君に聞いてみようかな……
「あのさ……、告白ってどうやってしたらいいと思う……?」
単刀直入すぎる私の質問に、黒沢君はキョトンとした顔で首をかしげる。
「えっ、佐倉ちゃん、誰かに告白するの?」
改めて聞き返されると、自分の中で決意したことでも恥ずかしくなって、冷汗が背中を伝う。コクリ、頷くと黒沢君は目を見開いて、顔を近づけ小声で。
「あれー、紅谷さんとは別れちゃったの……?」
えぇー!?
その言葉に唖然とし、私からも黒沢君に詰め寄って聞き返す。
「えっ、えっ、なに言ってるの? 私と紅谷さんは付き合ってなんかないよ?」
とんでもない誤解に、声がどもってしまう。
「そうなの? すごい仲良さげだし、よく飲み会でも二人で抜けるだろ? だからてっきり……」
そこで言葉を切って、ちらり、黒沢君が視線を向ける。
「もしかして、佐倉ちゃんの片思い?」
瞬間、ぼっと火がついたように顔が赤くなったと思う。
うぅ……、恥ずかしい。
黒沢君はお構いなしにお腹を抱えて大笑い、涙まで流してる。
「あははっ、佐倉ちゃん分かりやすくって、かーわいー」
からかわれるのは紅谷さんで慣れてるけど、この手の話題でだと、なかなか冷静に対応することができない。
「そっかー。で、告白するの?」
まだくすくすと笑いながら黒沢君に尋ねられ、頷く。
「告白……しようと思ってるんだけど、どうしたらいいかわからなくて」
ばれてしまえば、照れも恥じらいも捨てて聞けてしまう。
「んー」
そう言って黒沢君は、顎に手を当てて上を向いて考え込む。それから、にこりと太陽のような笑顔を向けて。
「普通に話があるんですって呼び出して、好きって佐倉ちゃんの素直な気持ちを伝えたらいいんじゃない?」
って言うの。普通……それが一番難しそうなのに……
自然とそーゆう雰囲気になって、勢いで言えたら楽なんだけどな……でも、自分からコンタクトしないと会いない今の関係では、それは無理だよね。
よしっ! そう勢い込んだ時。
「おーい、おしゃべりはそのくらいにしてくれ~」
キッチンにいたマネージャーが苦笑とともに言い、私と黒沢君は慌てて仕事に戻った。
※
さて、あなたならどうしますか?
私は大学四年生。好きになった人は、二歳年上の社会人。時々メールをして、飲み会で会うだけの関係。二人きりで出かけたのは、一度だけ。
さあ、次のアクションは――?
バイトから帰ってきて私室のベッドの上に寝転がり、携帯のメール作成画面を見つめる。
携帯を握った両手で、ボタンを押しては消し……ため息をつく。
話があるので会いたいです――なんて、突然すぎないかな!? そう考えると、なんてメールを送ろうか悩んでしまう。前回みたいに眼鏡とか映画のチケットとか、口実があれば楽なんだけど。はぁー、いっそメールで告白しちゃう……? いやいや、それはないでしょ。冗談で流されるか、もしかしたら、軽い女だって軽蔑されるかも……
こんなことなら、あの日、次に会う約束でもすれば良かったかな。
あの日は――、紫音さんを追って外に出た紅谷さんが戻ってきてからすぐに店を出て、駅前で別れた。ほんとうはもっと話したかったし、一緒にいたかったけど。
はぁー。
今日、何度目になるかわからないため息をついて、寝返りを打つ。ベッドから落ちそうになって慌ててると。
コンコン。ノックの後、お母さんが扉から顔を出した。
「ももちゃん、今いい?」
「なあに、お母さん?」
ベッドから降りると、お母さんが部屋の中に入ってくる。
「じゃーん!」
そう言いながら背中に隠してたものを体の前に広げる。それは、白地に桃の花と薄紫の蝶の柄の浴衣だった。
「どうしたの?」
「ねねっ、ちょっと着てみない?」
お母さんは私の質問には答えず、鏡の前まで移動して私に浴衣を着せかける。浴衣なんて小学生の時に学校の夏祭りに着て行った以来だから何年振りだろう。お母さんが広げたのを見た瞬間、かわいいって思ったけど、こうして合わせてみると可愛すぎて、なんだか私が着ていいのかって気分になってくる。
「あとね、桃色の帯と下駄と鞄もあるのよ」
お母さんは鏡越しに、にこりと笑う。
「どうしたの、これ?」
「うふふ。この前の撮影でモデルさんが着たんだけど、もう使わないって言うから頂いてきたの。桃の柄だから、ももちゃんが喜ぶと思って」
にこにこしてお母さんが言う。お母さんは雑誌編集の仕事をしてて、よく新作の試供品なんかをもらってくる。
名前がもも、っていうだけあって桃柄のものにはすぐ目がいっちゃうんだけど、意外と少ないんだよね。桃柄の浴衣なんて珍しいと思ったら、この浴衣も仕事関係で頂いたものなのか、納得。
「お母さんありがと。すっごい嬉しい」
浴衣を受け取りながら言うと、にこりとお母さんが微笑む。
「試験も終わって夏休みでしょ。お友達と夏祭りとか花火大会とかに着ていったらどう?」
お母さんのその言葉にはっとする。
そっか、お祭りとかに誘えばいいんだ!
「お母さん、ありがと」
部屋を出て行こうとしてたお母さんにもう一度言うと、うふふっと笑って出て行った。
その時の私は、絶妙なタイミングで浴衣を持ってきたお母さんの思惑にはまったく気づかず、紅谷さんにメールする口実を思いつかせてくれたお母さんに心から感謝して、あわてて机の横に片付けていたノートパソコンを開いて、“夏祭り、花火”のキーワードで検索する。毎年、大学から少し歩いた港でやってる花火大会が一週間後にあるのを見つけて、私はメールを打った。