第19話 たぶん、そんな気持ち <佐倉side>
昼過ぎ、私はchat blancと書かれた看板の喫茶店に入った。喫茶店chat blancは私がバイトしてる喫茶店の名前で、来年から就職する会社で、それから……このK駅のchat blancは紅谷さんが働いてる喫茶店でもある。ドアをくぐると、聞き慣れた涼やかな鈴の音が響いた。
店内はL字型で右の窓側が禁煙席、左が喫煙席になっている。
やっぱお店によって店内の形はや広さは多少違うけど、雰囲気はだいたい一緒で、くすりと笑みが漏れた。
私は迷わず禁煙席に向かい、ちょうど窓側の席が空いていたのでそこに腰を下ろし、メニュー立てに入れられたメニューを開き眺める。ほんとは、メニューなんて見なくても注文出来たけど、広げたメニューの先で紅谷さんがいないかと店内に視線を送る。
ホールにいる従業員は四人。うーん……紅谷さんらしき人、見当たらないなぁ……
はぁーっとため息をついて、メニュー表を閉じた時、二十代後半くらいの女性従業員が側に寄って来た。
「ご注文、お決まりですか?」
「えっ?」
あっ、そっか、見てたメニューを閉じたから、何を注文するか決まったと思われたんだ……
私は慌てて、大好きなミックスサンドとカフェオレを頼んだ。
時刻は十二時三十分を過ぎ、ランチに来ているお客様もほとんどが店を出はじめる頃だった。
私は運ばれてきたミックスサンドを頬張り、アツアツのカフェオレに口をつける。食べながら、ちらちらと店内を見回すけど、紅谷さんの姿を見つけることは出来なかった。
紅谷さん、今日は休みなのかな……。昨日、飲み会だったんだから、休みって可能性もあるよね……
そう考えて、座席に鞄と一緒に置いていた小さなB五サイズの紙袋をちらりと見る。喫茶店に来る前にぶらぶらしてた駅ビルの中に眼鏡屋さんがあって、そこで紅谷さんのイメージにぴったりのマリンブルーの眼鏡ケースを見つけて、つい買ってしまった。眼鏡ケースなんていくつもあっても困るかもしれないけど、この眼鏡ケースを見た瞬間、紅谷さんにあげたいって思ったの。昨日、家まで送ってもらったお礼……そういう口実で渡せば、変じゃないよね?
でも、肝心の紅谷さんが見当たらなくて、朝からウキウキしていた気分が沈んできた。そんなことを考えているうちに、ミックスサンドを食べ終えてしまう。
どーしよう……紅谷さんいないみたいだし、そろそろ帰ろうかな……
そう思いはじめたんだけど――
紅谷さんに会いたい――!
そう思って、ここまで来たのだ。
紅谷さんの眼鏡を返すため、とか。他の支店の見学に来た、とか。昨日送ってもらったお礼を言いたくて、とか……そんな理由を並べてはみるけど、そんなのは口実で……本当はただ、紅谷さんに会いたかっただけ。
仕事中なのは分かっていたから、一目でも会って、一言でも喋って、それだけでいい――そんな、気持ちだったから、帰るにもなかなか腰が上がらない。
空になったミックスサンドの乗っていたお皿を眺める。半分ほどになったカフェオレボールに口に近づけ、ほとんど飲まないでテーブルに置く。
そうだ、カフェオレが飲み終わるまでは……いてもいいよね……?
嫌な汗が背中にじわりとにじみ、水の入ったコップを持って、一気に飲み干した。
「お冷のおかわりはいかがですか?」
注文を聞いた女性従業員がお冷の入ったポットを持って尋ねてきた。私は、空になったコップを通路側に移動させる。
そーだ、今日、紅谷さんが来てるか聞いてみるってのはどうかしら……? 居ないならすっぱり諦めて帰って、居るなら呼んでもらう、とか……
「あのー、何か……?」
私があまりにじーっと顔を見すぎていたからか、女性従業員に怪訝に尋ねられた。
「えっと……」
聞きたい! けど……こんなこと聞くなんて、ちょっと恥ずかしいかも……
心の中で葛藤が起こってたけど……心を決めて、くいっと顔をあげる。
「今日、紅谷さっ……マネージャーはいらっしゃいますか?」
そう聞くと、女性従業員はしばらく黙り……
「はい、おりますが」
「ほんとですか!? あの……」
居ると聞いて、ぱっと顔を輝かせて、私は呼んでもらえるか聞こうとしたんだけど、その言葉よりも先に女性従業員の言葉が続いた。
「今は奥で作業して忙しいので、ホールには来られないですよ」
そう言って、口をはさむ暇もなく一礼して去って行った。
そんなぁ……
せっかく勇気を出して居るかどうか聞いて、居るって分かったのに……会えないの……?
でも、忙しいなら仕方ない、よね……
紅谷さんに迷惑をかけたいわけじゃない。ただ、会いたかっただけなんだから……
でも、会えないって分かった瞬間、心に大きな氷を投げつけられたようにヒヤリと胸が痛んで、悲しい気持ちでいっぱいになった。
私、もしかして――