第2話 桃色、桜色、薄紅の彼女
今、私の目の前には彼が座っている。いや、彼の目の前に私が座ってると言うべきか……
なぜこんな状況になってるかという、数分前に遡る。
※
夕方、バイトが終わって帰ろうとした時、常連のお客様がいて声をかけられた。
「佐倉ちゃん、今日はもう上がりかい? お疲れさん」
「はい、ありがとうございます」
私がペコっと頭を下げて帰ろうとした時、上げた視線の先で彼が私を見てて、また視線があった。どうしたものかと思い、私はそのまましばらく動きが止まる。
すると、彼が立ちあがってこっちに向かってきた。その瞳にはやっぱりせつなさと、それから不思議な色が渦巻いてた。
「……サクラ、さん? ちょっといいですか?」
そう言いながら彼は、私を上から下までながめていた。すこし眉間にしわを寄せて。
そうして、彼が座ってた席まで一緒に行き、彼の向かい側……つまり、いつもは“彼女”が座っている席に私は座った。
※
「……」
彼は無言のまま外を眺めては、ちらっと私を見てまた視線をそらした。
私はその沈黙が耐えられず、口を開く。
「今日は、彼女さんは一緒じゃないんですか?」
「えっ?」
私の言葉に、彼は驚く。
「常連のお客様のことは知っています。あなたもよく女性の方と一緒にいらっしゃるでしょ?」
「ああ……」
納得したのか頷き、私の顔をじっとみつめてくる。
「それで、私にお話ってなんですか? 早く帰って、課題をやりたいんですけど……」
これまでの一年間、彼とは客と従業員、その接点しかなかったから、今、彼の目の前に座っていることがもどかしく、さっさと目の前から消えてしまいたい気持ちで一杯だった。
片思いでいい。気持ちは伝えない。そう思っているのに、彼と普通に話してしまっては、欲が出てきそうで怖かった。
焦った気持ちでいると、彼が上目づかいで私を見る。初めて正面から見た彼の瞳は、やっぱり切なさを宿していて……その切なさがとても魅力的で、綺麗だった。
「えっと、サクラさんって言うんですか?」
私は頷いて。
「そうですけど、それがなにか?」
「ちょっと、知ってる人の名前と一緒だったから……」
そう言う彼の瞳が切なさで揺らいでいるのを見て、私は確信を持って言う。
「それって、彼女さんの事ですか?」
私はその女の人が彼女じゃないことを知っていたけど、あえて“彼女”さんと言った。
「それは……」
そんな私に対して、歯切れの悪い態度の彼。
彼が肯定しなくても私にはわかる。だって彼は、私よりも、ずっと窓の外を見ているから。ここに座ってるはずの“彼女”を待ってるんだってこと、一目瞭然なんだよ。
私は、なぜだかイライラとした感情が込み上げてきて、席を立とうとした。
「おっ、佐倉ちゃん、デートかい?」
その時、常連のお客様がそう言いながら私の座ってる席の前を通り過ぎ、隣の席に座る。
「ちっ、違いますよ! 私忙しいので……失礼します」
前半は常連のお客様に、後半は彼に言ってそれぞれにお辞儀をし、足早に喫茶店を後にした。
入り口に向かう間、ちらちらとお客様が振り返ってこっちを見てるのが視線の端に見えたが、足元だけを見て歩いた。
外に出るとぴゅーっと冷たい風が吹き、私はコートの前を掻き合わせて喫茶店の階段を駆け下り、地下鉄の駅へと向かった。




