第4話 止めどなく、溢れて・・・
四月になり、俺は大学四年に進級。
佐倉はしばらくの間は元気がなかったが、徐々に前の様な輝く笑顔を見せるようになった。それでも、時折、窓側の席をぼーっとみつめてることには気づいていた。
俺は、梅田の通っていたT大に後輩が通っていたことを思い出して、連絡を取る。学年と退学したという情報だけだが、名前が分かっているのだから、連絡先くらいは分かるかもしれないと思って。
案の定、しばらくして後輩から連絡があり、梅田の友達から、彼の実家の住所を聞いたとメールをもらう。
俺はこれで少しでも、佐倉の気持ちが楽になればと思って、嬉々と彼女が来るのを待っていたが、なんと切りだしたものかと悩む。
それに佐倉が、梅田を忘れようと頑張っているのを知っている俺が、今までの彼女の苦労を台無しにするように勝手なことをしていいのだろうか……
それは、違う気がした。
もしも、佐倉が、あいつに会いたい、連絡先を知りたい、そう言ってきた時――教えてやろう。
そう思って、そっと携帯を閉じた。
※
それから、二年が経った。俺は去年無事に大学を卒業し、喫茶店に就職した。最初の三ヵ月は研修をこなし、それから配属となった喫茶店でマネージャーの仕事をし、社会人二年目に突入した。予想はしていたが、配属はいままでバイトしていた喫茶店とは違う支店だった。
側で佐倉を見守ることはできなくなったが、メールのやり取りを時々したり、定期的に開かれる黒沢の飲み会で年に何度か佐倉には会っていた。
この日も、黒沢の飲み会に呼ばれて、バイトしていた喫茶店と同じ最寄駅に行く。去年まではここで生活していたのだと懐かしく思いながら、飲み会の行われている居酒屋に向かう。
居酒屋について、黒沢に挨拶してからトイレに向かう。
すると、トイレの前で二人の女性がもめているようだった。ゆっくりと近づき、その女性の顔をみると――佐倉だった。
「佐倉?」
そう声をかけ、足早に近づく。
「佐倉、どうした?」
そう言った俺を見上げた佐倉は、また泣いていて、その声はかすれていた。
「紅谷さん、どうしてここに……?」
俺は眉根よせ、佐倉の横にいる女性に視線を移す。同年代くらいの女の子でどことなく見覚えがあるが、誰かは思い出せなかった。
「あなたは……?」
「ももちゃんの友達です。失礼ですけど、あなたは?」
彼女にそう聞き返されて、俺は毅然とした口調で答える
「佐倉のバイト仲間の紅谷です。ここには黒沢の飲み会に呼ばれて、さっき着いたんだ」
前半は彼女に、後半は佐倉を見て言う。佐倉はふっと泣き笑う。その姿が痛々しくて、見ていられなかった。
「大丈夫か、佐倉?」
もう一度聞き、佐倉の顔を覗き込むようにまっすぐ見つめる。佐倉は少し俯き、口を引き結んで必死に涙をこらえているようだった。そして、夢中で首を横に振る。
俺は着ていた背広を脱ぎ、そっと佐倉の肩にかけると自分の方に引き寄せ、彼女に言った。
「ちょっと、外で落ち着かせてくるから。そう、黒沢に伝えてもらえるかな?」
「はい、わかりました」
彼女が頷くのを確認して、佐倉の肩を支えるように抱き、外に向かって歩き出した。
居酒屋を出た大通路のベンチに佐倉を座らせる。フロアーの端に置かれた自販機でコーヒーを二つ買い、彼女の元に戻り、一つを渡した。
「ありがとうございます」
佐倉はそう言って、缶コーヒーを受け取り、両手で缶を包むようにして持ち、口をつける。
俺は横に座り、缶コーヒーを片手でにぎり、佐倉の方を向いて尋ねる。
「佐倉、何があった? どうして泣いていた……?」
佐倉は目をみはり、俯く。
言いたくないのか、言えないのか……
佐倉が泣くことといえば、あいつのことだが……
そう考えた時、さっき佐倉と一緒にいた女の子のことを思い出す。そういえば――
「さっきの子……うちの客、だった……?」
俺は眉間に皺を寄せ、空を見据える。
そうだ、確か、梅田と一緒に来ていた女の子がいたな……、その子か……?
「はい、彼と時々一緒に来ていた……彼の好きな人です。黒沢君の友達の彼女だったみたいで、今日の飲み会に来ていたんです」
消え入りそうな声で話す佐倉は、今にも泣き出しそうな感じだった。
「そっか。それで……、思い出して、あいつのことで泣いてたんだな……」
後半は彼女には聞こえない様な小さな声で呟く。
もう、すっかり梅田のことは吹っ切れたのかと思っていたが……
「まだあいつのことが好き?」
俺がそう聞くと、佐倉はしばらく考え込むようにして、ぽつりと話す。
「わかりません。ただ……彼に、もう一度だけでいいから、会いたいんです」
そう言うと同時に、佐倉の瞳から涙があふれ出す。
ああ、俺では佐倉の涙を止めてやることもできないのか――
そう思った時、あることを思い出して、ふっと佐倉に笑いかける。彼女はキョトンとこちらを見上げ首をかしげている。
俺は優しく言った。
「会えるよ。あいつ……梅田に会えるよ。今年の四月から復学してるらしい」
「えっ?」
佐倉は落ちそうなほど目を見開いて、俺を見上げる。
「梅田の大学に後輩が通ってて、そいつに聞いた」
俺はきまり悪く苦笑する。
「実は……二年前の梅田が最後に喫茶店に来た日、少し話したんだ。大学がどこか、とか、聞いた。それで、後輩のつてで連絡先がわからないか聞いて、結局連絡先はわからなかった……いや、教えてもらえるって言われて断ったんだ」
そこまで話してため息をつく。両手で髪をわしゃわしゃとかきむしり、両膝に肘を乗せその上に頭を乗せるようにして俯く。
「その時には、佐倉も失恋に前向きに向き合って、前みたいに笑うようになってたから、今更蒸し返さなくていいかと、俺が勝手に判断して……悪かったと、思ってる。佐倉がまだ、あいつに恋してるって知らなくて……」
そう言って、俺は顔を上げてふっと佐倉を見つめる。
「先月、その後輩から梅田が復学するって聞いた。佐倉を泣かせる前に、もっと早く教えてやるべきだったな……」
もっと早く教えて、もっと佐倉の恋の応援をしてやればよかった。
佐倉が恋を諦めると言った時、心のどこかで喜んでいる自分がいたことを後ろめたく思う。
ふっと笑うと、佐倉が俺をじーっとみつめて。
「紅谷さんって、とても優しいですね。それに、たのもしくて。私、いつも紅谷さんの優しさに救われています。私が立ち直れたのは、紅谷さんのおかげですよ。本当にありがとうございます」
涙で少し濡れた瞳でみつめられ、そんなことを言われて、胸がざわめきたつ。
優しい……、か。
俺はその言葉に苦笑する。
「どうせ褒めてくれるなら、もっと別の言葉がほしかったけど……」
佐倉は、俺の言った意味がわからないとでもいうように首をかしげる。俺は口から出かけた言葉を飲み込んで口をつぐみ、それから大きく息をはいて、天井をあおいだ。
もし俺のおかげだというのなら、俺を好きになってくれればいいのに――
一瞬、心の奥でそんなことを考えた自分に吐き気がする。
「なんでもないよ」
そう言って苦笑し、視線を佐倉から正面に移す。
「梅田はT大学だって言ってた。いつなら会えそうか、後輩に聞いてみようか?」
「はい、お願いします。私、彼に会ってみます」
「ああ」
そう言って、俺は空を睨みつける。
今度こそ、佐倉と梅田が会ったら、二人は付き合いはじめるかもしれない――
そうしたら、俺は平静でいられるだろうか――
どうしようもなく胸がざわつき、自分の気持ちに気付かないふりをするのは、もう限界だった。
止めどなく溢れ出した気持ち――
それでも、俺は佐倉の恋を最後まで見守ろう――
本編第11話の裏側です。
外伝『白い雪は薄紅のサクラに焦がれて』はこれで完結です。