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恋をあきらめたその時は・・・  作者: 滝沢美月
本編『恋をあきらめたその時は・・・』
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第9話  あと一歩を踏み出す勇気がほしいから・・・



 誇らしげに咲き誇る満開の桜を見て、顔に笑みが浮かぶ。

 私は大学の正門へと続く桜並木を見上げながら、正門に向かって歩いた。桜はすでに散り始め、時折風に舞って薄紅色の花びらが舞い落ちてくる。

 失恋したあの日から二年が経った。私は四年生に進級し、変わらず喫茶店でのバイトを続けている。

 黒沢君は一つ単位を落として、いまだに三年生。

 紅谷さんは去年大学を卒業して、バイト先の喫茶店に就職した。っといっても、うちの喫茶店は全国展開のチェーン店だから就職後は他の支店に配属され、今はメールのやり取りや黒沢君達との飲み会で時々会うのみ。

 バイトのメンバーもかなり入れ替わり、初々しい大学一年生のバイトも増えて、私はバイトの中で先輩という立場になって忙しく働いている。

 時々、窓側の席に行くと“彼”の事を思い出すけど、胸が締め付けられるように痛むことはなかった。それでも私は、まだ、彼にした恋を終わりにすることが出来ていなかった――



 二年前彼にさよならを告げられて、伝えないと決めていた気持ちを……伝えられなかったことを後悔し、未練を抱えたまま恋を諦めようとした。気持ちを押し殺そうとして苦しんでいた私に、紅谷さんは無理に気持ちを消そうとしないでそのままを受け入れればいいと言ってくれた。その言葉のおかげで、それからは少しずつ自分の素直な気持ちを受け入れ、だんだんといつもの元気な自分に戻っていけたんだと思う。

 彼のいない窓側の席を見て胸を痛めたこともあった。胸が潰れそうに痛んで、家で一人泣いたこともあった。

 そういう時も、すぐに気持ちを切り替えられないのは仕方がない、そう自分に言い聞かせて――恋をやめるためじゃなくて――前に進むために、いつか「好き」って伝える勇気を持つために頑張ることが出来た。

 少しずつ泣かないことが増えて、ちょっとしたことにも笑えるようになって、彼を思い出しても泣かなくなって、それでも心は切なくて――


 大学で講義を受け、バイトに行き、彼と出会う前の生活に戻っただけのように見えても、心にそっと忘れられない気持ちを抱えて日々を過ごして――


 そんな私を好きだと言ってくれる人もいたけど、まだ新しい恋をする気にはなれなくて――


 どんなに普通に笑っていても、あと一歩を踏み出すだけの勇気を持つことができなかった。


 それがどうしてなのか……その答えを私は知っていた。


 “伝えないと決めた気持ち”


 “伝えられなかった気持ち”


 彼に伝えたい言葉を……まだ言えていなかった。


 もしも、もう一度彼に会えたのならば、きっとそれがあと一歩の勇気に繋がるのに。



 そんなことを考えて正門を抜け、線路を越えて駅の東側にある喫茶店に向かう。

 就職活動の内定をもらい、研究室の教授に報告をしてきた。四年になって講義の時間が減り、就職も無事に今バイトしている喫茶店に決まり、卒業までは卒業論文とバイトに専念すればよくて、安堵する。

 ロッカールームで着替えキッチンに行くと、マネージャーがキッチンに入っていた。昼前でまだそんなに混んでいない様子だった。

 喫茶店のバイトは、午前中は主婦が、夕方になると大学生やフリーターがシフトに入ることが多い。特に朝はバイトに入る人が少なく、社員である店長やマネージャーがシフトに入って埋めている。私も例外でなく、夕方のシフトでバイトをしていたから店長やマネージャーと一緒になることはほとんどなくて、キッチンには年長の紅谷さんが入っていた。四年になってからは研究室のゼミが夕方からだったため、昼間のシフトも入るようになったけど。

 キッチンで昼時の仕込みをしているマネージャーを見て、私も来年の春にはマネージャーの仕事をするんだな。そうしたらきっと、こことは違う支店の喫茶店に配属になって……そう思って、ちらっと振り返り窓側の席に視線を向ける。

 ツキンッ――とは、もう痛むことのない胸に一人微笑んで、ホールに向かった。



 夕方、バイトを終えて研究室に戻る途中、鞄の中で携帯のバイブが鳴る。取り出してみると、黒沢君からの飲み会のお誘いメールだった。黒沢君とは、前ほどバイトのシフトが被ることがなくなった代わりに、こうして時々飲み会に誘ってくれるようになった。飲み会はちょうどゼミの後の時間だったから、行けると返信をする。

 見上げると、昼間に通った桜並木がオレンジ色の夕日に照らされて、赤く燃えるように輝いていた。夜桜も綺麗だし、夕方の桜も綺麗だけど、桜はやっぱり青空の下で見るのが一番好きだった。



  ※



 黒沢君のメールに書いてあった居酒屋に行き、案内された座敷ではすでに飲み会は始まっていて、私はとりあえず黒沢君を探した。黒沢君は真ん中の方の席で、数人の男子と話していた。側に近づくと、黒沢君が先に私に気づいて声をかけてくれる。


「佐倉ちゃん! こっち、こっち」


 そう言って黒沢君が大きく手を振り、席を詰めてくれたので、隣に座る。今日の飲み会は黒沢君が大学で入ってるサークルの飲み会だけど、他の大学の子も来るからと誘われた。

 何度か、黒沢君のサークルの飲み会には来たことがあるけど、さっきまで黒沢君が話していた男の子とは初対面だった。


「はじめまして、佐倉です。黒沢君とはバイトが一緒で」


 私は挨拶をして、軽く頭を下げる。黒沢君の正面に座っていた男の子が、優しく笑って言う。


「はじめまして、樗沢(おうちざわ)です。黒沢とは同じ学部」


 サークルのメンバーだけでなく同じ学部の人も飲み会に来てるなんて、黒沢君の交友関係の広さが垣間見える。っというか、サークルに、学部に、他大学の子も来る飲み会ってすごいな、そう思って苦笑すると、樗沢君が尋ねてきた。


「サクラさんって言うんですか?」


 その何気ない一言に、鼓動が大きく飛び跳ねる。いつか、誰かも、同じことを聞いてきた。ここ最近は感じることのなかった胸の痛みを感じ、恐る恐る樗沢君を見る。


「名字ですよ。佐賀のサに倉庫のクラで佐倉」


「そうなんだ。下の名前かと思ったよ」


 樗沢君は瞳に優しい色を宿して言う。そんな彼を見て、黒沢君が言う。


「樗沢、今日はおまえの彼女も来るんだろ?」


「ああ、さっき駅に着いたってメールがあったからもうすぐ来るんじゃないかな。……あっ」


 そう言って樗沢君は座敷の入り口に視線を向けて、手を振る。


「桜!」


 私はその言葉に振り返る。入り口に視線を向けると、そこにいる女の子に見覚えがあって、目を見開く。



 ――樗沢君を見つけて満面の笑みでこっちに歩いてくるその女の子は、“彼”と一緒に喫茶店に来ていた“彼女さん”だった。

 私は無意識に視線をそらし、下を向く。

 “彼女さん”――桜さん――は、樗沢君の隣、私の正面に座った。

 私は少し視線を上げ、樗沢君と話す桜さんを見る。二年ぶりに見る彼女は、以前より少し痩せた頬にウェーブの髪がかかって艶やかだった。ふっと、こっちを見た桜さんと目が合う。


「はじめまして、山吹 桜(やまぶき さくら)です」


 桜さんは、そう言って微笑んだ。

 はじめまして……じゃないんだけど、彼女は二年前に通ってた喫茶店の一従業員の顔なんて、いちいち覚えてない、よね……?


「はじめまして、樗沢の彼女さん。俺は黒沢で、こっちがバイトの仲間の佐倉ちゃん」


 やっぱり、黒沢君も覚えてないか……

 にこにこと人好きのする笑顔で黒沢君が挨拶すると、桜さんもはじめましてと返す。


「サクラちゃん? 同じ名前だなんて、偶然ね」


 そう言って桜さんが樗沢君に微笑む。


「いえ、佐倉は名字で……」


「あっ、そうなんだ? 下の名前はなんて言うの?」


「ももです。佐倉もも……」


「ももちゃん? かわいい名前ね。ももちゃんって呼んでもいい?」


 にこやかに尋ねる桜さん。


「はい……」


 消え入りそうな声で答えて、私は俯いた。



 まさか、こんなところで“彼女さん”に会うなんて……!

 彼女が私の存在を知らなくても、私は彼女が“彼”と会っていたことを知っている。本当の彼氏の樗沢君を目の前に、胸がざわつく。桜さんが私の想像通り二股だったのか、“彼”が言ったようにただ相談をしていただけなのかはわからないけど、今になって彼女とこんな形で出会ってしまうなんて……運命の神様を呪ってしまう!

 頭の中をいろんなことが駆け廻り、変な汗が出て喉が渇く。



「カンパーイ!」


 黒沢君が元気に言って、ビールジョッキを持ちあげる。それに続いて樗沢君と桜さん、周囲にいる人々が口々に乾杯! と言ってジョッキ同士をぶつける。私も震える手でジョッキを持ちあげ、口をつけて一気に飲み干す。

 ぷはっと息をつき、ジョッキを置くと、頭がグラッと大きく揺れ、黒沢君が肩を支えてくれた。


「佐倉ちゃん、いい飲みっぷり~! って、大丈夫?」


「うん、大丈夫……」


 そう言ったけど、胃がムカムカする。それがビールのせいなのか、違う何かのせいなのか分からなかったけど、とにかくこの場から離れたくて。


「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるね」


 そう言って立ちあがると、体がふらふらと揺れる。お酒は強い方だし、まだビール一杯しか飲んでないから酔ってはいないと思うのだけど。ふらつきながら通路に出ると、後ろから声がする。


「ももちゃん、大丈夫? 一緒におトイレまで行こうか?」


 桜さんが心配そうに言って駆けてくる。

 私は眉間に皺をよせて、それから俯いて首を横に振る。


「ううん。大丈夫だから」


「でも、足元ふらついてるよ。一緒に行こ」


 そう言って桜さんは私の手を取り、トイレに向かって歩き出した。トイレに着き、私はとりあえず扉を開ける。トイレは個室だった。


「じゃあ、先に席に戻ってるね」


 本当に心配してくれている桜さんに、勝手に嫌悪感を抱いてることに罪悪感を感じたけれど、どうしてもぬぐい去ることができなくて、振り返らずに頷いて扉を閉めた。



 ズボンのまま便座に座り、ため息をつく。

 態度……悪すぎよ、私。

 彼のことと、私のことは関係ないのに。彼女に勝手に嫌悪するなんて……



 ふっと、最後に会った日の彼を思い出す。



 彼は笑顔だった。失恋しても笑って、「これでよかった」と言っていた。

 どうして、彼は失恋しても笑っていられたのだろう?

 そう考えて、切なくなる。



 蘇芳さん……会いたい……!



 そう思った。彼のことを思い出して、知らず涙があふれてきて、声を出して泣いてしまった。


 うっ、うっ……



「大丈夫……?」


 突然、誰もいないはずのトイレの外から声が聞こえて、驚いて顔を上げる。

 コン、コン。

 扉を優しく叩く音の後に、心配そうな桜さんの声。


「ももちゃん? どうしたの? 気持ち悪いの? 大丈夫?」


 立ちあがりゆっくり扉を開けると、扉の前には心配そうな表情で桜さんが立っていた。

 私はあふれ出した気持ちが抑えられなくて、両手で顔を覆って泣きながら囁いた。


「会いたい……」




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