第49話 まちカフェの未来
9月になった。
わさびの1日は、会社の事務所から始まる。
彼女はこれまで、坂本造園の社員として、会社が運営する「てっぱん」の従業員であり、さかつくサッカー部のマネージャーでもあった。その合間にヨウを手伝いながら、まちカフェの運営にも積極的に関わってきた。
とにかく、朝から晩まで動き回っているわさび。
ハードな毎日だったが、どれも彼女にとっては充実した時間だった。
ところがある日、ヨウが突然、姿を消したことで状況が一変する。
いくらタフなわさびでも、さすがに心身ともに影響が出始めた。まちカフェ「あおい」は思うように客足が伸びず、改善の打ち手も見つからない。最近は不安からか、ぐっすり眠れない日々が続いている。
そんな様子を見かねたのか、イレから社内異動を言い渡された。
新しい仕事は、ヨウが担っていた企画課長の業務。「てっぱん」とサッカー部マネージャーの職は夏海に託し、わさびは、まちカフェ「あおい」と、隣接する「あおい庭園」を軌道に乗せる役割を命じられた。
今日も、会社の事務所から1日が始まる。
わさびは職人を見送り、街へ向かう。これが今の彼女の日課だ。かつてヨウがしていた日常を、わさびが引き継いでいる。
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すでに8月は過ぎたものの、夏の暑さは衰えを見せない。朝8時を少し回っただけで、気温はすでに30℃を超えている。
今日も暑いなぁ……。
わさびは汗をぬぐいながら歩を進める。
散歩って言っても、これじゃあ逆に体に悪いかも。まちカフェ、もっと涼しくしないとね……。
夏海、ちゃんとみんなの健康管理できてるかなぁ。サッカー部のみんな、倒れないといいけど。
そんなことを考えながら、駅前の商店街へ向かう。途中、ユミの実家「花屋ひまわり」でユミと合流するのが日課になっており、今日もいつも通りの時間に合流した。
「さ、次はピッチに行こ〜!」
あいさつ散歩をしながら、わさびが楽しそうに声をかけると、ユミは少し不安げな表情を浮かべた。
「また行くんですか……?大丈夫かなぁ」
「大丈夫、大丈夫。きっと分かってくれるよ」
「私、子どもの頃から、あのおばちゃんが苦手なんです……。」
2人が向かっているのは、商店街にある『ピッチ』という青果店。
毎朝挨拶はしているものの、ろくに返事もなく、時に悪態までつかれる。まちカフェの活動にも顔を出してはくれず、今では商店街でも少し浮いた存在だ。
「おばちゃーん!おはようございます!」
店の軒下でわさびが大きな声で挨拶をすると、初老の女性が黙って巨峰を抱え、店先に並べ始めた。
「そのぶどう、巨峰ですよね?今年の出来はどうですか?」
わさびが話しかけるが、店主は彼女を一瞥しただけで返事をせず、作業を続ける。
「ひとついただいてもいいですか?」
そう言って指差したぶどうの房を、女性は無言のまま紙袋に入れ、そっと手渡してきた。
「今日も偵察かい。まったく……。」
ぽつりと一言、ぶっきらぼうに言いながらも、手際は丁寧だ。
「おばさんのお店の果物、本当にどれも美味しいですよ。しかも安いし!私が食べたくて来てるんです。また明日も来ますね!」
陳列棚の段ボールに書かれていた「300円」を手渡し、わさびは笑顔で店を後にした。
「は〜、やっぱりこわい……。」
ユミが小さくつぶやく。
「そう?とっても優しいおばちゃんだよ。果物の扱いも本当に丁寧で、保存の仕方とか食べごろの見極めとか、プロだと思う。教えてもらえたらいいなぁ」
「わさびさんって、すごいですね……。私、怖くて声もかけられません……。」
「そう?私、そういうの分かんないみたい。でもそのせいで、昔は騙されたり派遣切られたり、大変だったよ。……その結果、ヨウと寄り添うことになっちゃったし……。」
「えっ……よ、寄り添う!?」
「あ!えっと……いや、そ、そんな変な意味じゃなくてね?あの、その……青空市で働くことになったのは、ヨウに会ったからってだけで、そ、その……。あ〜、この話はまた今度にしよっか!」
ヨウのことが気になるユミに対して、なんとなく後ろめたさを感じたわさびがうろたえる。
ユミは何かを悟ったのか、優しくうなずいた。
その後も2人は商店街を歩きながら、いつものように各店舗に挨拶して回った。
ようやくまちカフェにたどり着いたのは、時計の針が10時を少し回ったころ。わさびが会社を出たのは9時ごろなので、ちょうど1時間の散歩だった。
「さ、開店準備しよっか!」
「あ、いらっしゃいませ〜!」
ランチ目当ての常連おばちゃんたちがやってくると、元気なわさびの声が店内に響いた。




