第45話 動き出した日常
「……なんだか、お金だけど、お金じゃないみたいですね。まるで、ゲームのコインが手に入ったみたいだ。」
テンが大金を当てて、まるで当たり前のことのようにしているのを見て、ヨウは思わずつぶやいた。
「まぁ、お金なんて、ただの紙だしねぇ。」
テンはにこにこしながら、当たり馬券をスーツの内ポケットにしまった。
「それにしても君だって、500万円当たったのに有頂天になってない。大したことない金額だったの?」
「いえ……大金です。でも、なんでか“これで人生変わった”って感じがしないんですよ。
サラリーマン時代だったら、飛び跳ねてたと思うんだけど。毎週、宝くじ買ってましたし。」
「ふーん。今はお金に困ってないんだ?」
「いや、お金ないですよ。それにまぁ……、いまは社宅だしあんまりお金使うことないから。でもまぁ、すごいな。おんぼろ軽自動車買い替えてもおつりが来る……。」
「今ごろ感動? やっぱり面白いねぇ、君。」
テンは、からかうでもなく、どこか楽しそうに笑っている。テンのそういう顔を見ると、不思議とヨウの警戒心が抜けていく。
「あなたには縁のない話でしたね。」
「そんなことないよ。僕だって、20年前はめちゃくちゃ貧乏だったから。そうそう、こう見えて僕、独身なんだ。だから、あんまりお金かかんないんだけどね。」
……。
「普通に独身に見えますけど……。」
テンは肩をすくめてウィンクした。
じつに芝居がかっていて、憎たらしい。
「さて、僕の会社に来てくれるかな?」
「いえ。今はお世話になってる会社があって、やることもいっぱいあるので……お断りします。」
少しの迷いもなく、ヨウは答える。
そして続けて、営業トークに入る。
「でもまぁ、いまの仕事はもっと資金が必要なんで、出資とかなら大歓迎ですよ。」
「へぇ。どんな会社?」
「造園の会社です。そこで、サッカーやってます。」
……。
テンが何かに気づき、思考を巡らせているようだ。う〜んとうなりながら、部屋の中をうろうろし始める。何か独り言をつぶやいているようだった。
もともと鋭い眼光が、さらに怪しさを増して、異様な雰囲気を醸し出している。
「それって……青空市の坂本造園じゃないかい?」
「え、知ってるんですか?」
「だって社長、友達だもん。イレ……えっと、坂本ってのが社長だろ?」
「イレさんの友人だったんですね。」
「そうそう。……あ、そういえば、まだ名乗ってなかったね。高崎登っていいます。」
あ、この人がテンさんか。さすがわさび、ホントに東京にいたよ。
ヨウがようやく探し当てたと安堵したところに、テンからの質問が来る。
「出資かぁ。で、出資するとどうなるの? 僕は大儲けできるのかな?」
「大儲けはできないですね。」
間違いなく大儲けできないので、ヨウははっきりと答える。
「……高崎さん、サッカー好きですか?」
「まぁ、好きだよ。でも、なんでお金がいるの?イレ君の会社潰れそうだっけ?」
「坂本造園には夢があるんです。」
「……。」
テンは、それ以上何も言わなかった。
目を伏せたまま、テーブルの木目をじっと見つめていた。その沈黙が、やけに長く感じられた。
「まぁ……知らないから仕方ないね。」
「え?」
「とりあえず、僕の会社においでよ。」
「……聞いてます?」
「さて、さて……。」
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「ほんと、すまねぇ。」
イレが申し訳なさそうに、わさびに向かって詫びを入れる。
「ヨウは帰ってこないって、どういうことですか?」
珍しく、わさびが動揺しているのが分かる。
「いやな、俺のダチにテンって野郎がいてな。そいつから、ヨウをしばらく借りるって連絡があったんだよ。」
「テンさんって、『アオソラ』を創業した人ですよね?」
わさびは、不安を押し隠しながら、イレとの会話を続ける。
「そうだ。あの野郎、ものすんげぇ金持ちになりやがってよ。とにかく、昔から変わったヤツなんだよ……。すぐにヨウを返せと言ったけど、電話切られちまってよ。電話番号も分からねぇ。」
「会社に電話したらいいじゃないですか!」
わさびにしては珍しく声を荒らげる。
「電話したさ。そしたら、会長様は別荘で休暇中なんだとよ。しかも、休暇中なので連絡はできないときた……。
……ま、あいつは悪いやつじゃねぇんだ。ヨウも楽しくやってるかもよ。」
イレの言葉は、励ましとも、場を和ませるための冗談ともとれるような曖昧な響きだった。
その言葉に、わさびはうなずいた。
けれど、胸の奥のざわつきは消えなかった。
「そもそも、イレをうちのスポンサー様にしてこいとヨウに命じてあるから、いま必死に説得してるのかもな。とにかく、すまねぇが、わさびはヨウの仕事をやってくれ。」
わさびは、少し落ち着きを見せたような、困惑したような表情で上を見上げて小さくつぶやいた。
「神様……ヨウと寄り添えなくなっちゃった」




