第4章 逆転する数字
休憩の合間に見えた、わずかな“矛盾”。
そこから始まる、数字と心の反転現象。
(1)「小さな休憩」:パート(凪&灯)
同期フォルダの転送が終わるまで、
凪と灯は一度モニターから目を離した。
凪:「……ふぅ、コーヒー淹れてきてもいいですか?」
灯:「ええ、そうね。少し休憩しましょう。
リフレッシュしないと、思考が止まってしまうもの。」
凪:「ですね~。じゃあ、カフェモードでいきましょうか。」
灯:「そういえば、環ちゃんが言ってたわ。
“凪くんはね、スイッチが入ると別人みたいになるんです”って。」
凪:「あ〜、その話出ましたか……。環さん、ちょっと大げさなんですよ〜。
柊先輩も“凪の領域”とか言うんで……。」
灯:「“凪の領域”って、なんのこと?」
凪:(苦笑しながら頭をかく)
「あー……それ、僕が集中しすぎて、周りが声かけづらくなる時間帯のことです。」
灯:「ふふ、それはいい名前ね。
“集中”は、才能のいちばん静かな形。」
凪:「静かな……才能?」
灯:「ええ。騒がなくても、輝ける人が本物よ。」
凪:「……そんなふうに言われたの、初めてかもしれないです。」
灯:「でも、“領域”は閉ざしすぎないようにね。
誰かが声をかけたとき、ちゃんと届くようにしておかないと。」
凪:「了解っす。
じゃあ、領域内でコーヒー淹れてもいいですか?」
灯:(微笑んで)「それはもう、自由にどうぞ。」
凪:「あはは、やっぱ灯さん、環さんと似てますね〜。」
灯:「そう?」
凪:「うん。どっちも“怒らないけど、全部見てる”感じです。」
灯:「……ふふ。よく見てるじゃない。」
その時、転送完了の通知音が鳴った。
モニターに並ぶデータの中に、凪の視線が止まる。
凪:「……あれ?」
灯:「どうしたの?」
凪:「この行、時間が……逆転してる。」
画面の向こうで、灯の目がわずかに光った。
「……ようやく、見つけたわね。」
凪は息を呑んだ。
灯の声が、画面越しなのに背筋を正すほどの力を持っていた。
◇◇◇
(2)「小さな休憩」:パート(柊&環)
午後3時。会議室の外、カフェスペース。
コーヒーメーカーの湯気が、やわらかく揺れている。
柊:「……ちょっと休憩しようか。」
環:「はい。少し目がチカチカしてきました。」
柊が紙コップを2つ取ってコーヒーを注ぐ。
その香りがふわりと漂って、
環の肩の力が少し抜けた。
環:「はい、柊、ブラックでいいですか?」
柊:「ああ。砂糖を入れると落ち着かない。」
環:「……なんか、柊らしいですね。」
柊:「俺らしい?」
環:「はい。まっすぐで、余計なものがない感じ。そういう柊が、私、好きです。」
柊:「そうか……環は、ミルク入れるだろ?」
環:「はい。私はミルク多めです。
ブラックは、まだちょっと大人の味ですから。」
柊:「はは……大人の味か、環らしいな。」
環:「……そうですか?」
柊:「うん。そういうところ、好きだよ。」
ふいに、環の胸の奥がぽかぽかと温かくなる。
環:「ありがとうございます。
……でも、私も、もう少し大人になれるようにがんばってるんですけどね……なかなか難しいです。」
柊:「それでいい。環は環のままでいいんだ。
ムリして大人にならなくても、ちゃんと俺の隣で前を向いて歩いている。それでいいんだよ。
……俺は、そういう環を信じてる。」
その言葉に、環ははっとした。
灯が昔言っていた言葉――“焦るときほど見えなくなる”――を思い出す。
環:「……灯さんも、同じこと言ってました。」
柊:「そうか……。」
2人の間に、静かな笑みがこぼれる。
カップを持つ手の熱が、
心の奥の冷えた部分をゆっくり溶かしていく。
ぽかぽかとした沈黙。
言葉がなくても、信頼のぬくもりが伝わっていた。
その時、モニターの通知音が遠くで鳴った。
春の午後の空気が、少しだけ動いた。
◇◇◇
(3) 逆転する数字 ― 動き出す光
モニターの画面に、
凪の指が止まった。
「……あれ?」
灯が静かに顔を上げる。
「どうしたの?」
凪:「この行……時間が逆転してます。
入力順が前後してるのに、更新日時は連続してる。
これ、普通じゃないです。」
灯:「ログの改ざん……かもしれないわね。」
凪:「はい。
でも上書きの痕跡が消えてる。痕跡の消し方が丁寧すぎて――逆に違和感あります。」
灯:「“完璧さ”を演出したミス、ね。」
凪:「え?」
灯:「焦りと自信は、どちらも同じ場所でミスを生むの。
焦りすぎる人は見落とす。
自信のある人は“見落とさない自分”を信じすぎる。
だから、こういう“逆転”が生まれるのよ。」
凪は思わず息をのんだ。
彼女の声は淡々としているのに、
どこか“見透かしている”ような温度があった。
灯:「環ちゃんのチームに伝えましょう。
“逆転した数字”が、きっと“逆転した心”の手がかりになる。」
凪:「了解っす。」
凪が報告を送り終えたそのとき、
別室のカフェスペースでは――
(場面転換)
柊:「……お、連絡が来たな。凪からだ。」
環:「何か見つけたんですか?」
柊:「“逆転してる数字がある”って。
あいつの報告が短い時は、確信があるときだ。」
環:「……やっぱり。」
環はすぐに端末を開く。
画面を見つめる瞳に、ふと灯の言葉が浮かぶ。
「数字は嘘をつかない。嘘をつくのは、人間のほうよ。」
柊がちらりと環を見る。
「……灯さんの言葉か?」
環は頷き、やわらかく笑った。
「はい。」
環は静かにうなずき、画面の数字に指を滑らせた。
その目には、確かな光が宿っていた。
環:「……数字が逆転してるということは、
“誰かが意図的に順序を入れ替えた”ということ。
つまり、見せたい順番に並べ直してるんです。
本当の順序を隠すために。」
柊:「なるほど。
なら、逆転を戻せば“真実の流れ”が見えてくる。」
環:「はい。数字の裏にある“意図”を探します。」
柊:「行こう。再開だ。」
オフィスに戻る2人の背中に、
春の光が静かに差し込んでいた。
“焦らず、信じる力で探せば見えてくる”
灯の声が、環の心の奥でやさしく響いていた。
ふと、窓の外を見上げると、
光を反射した雲がゆっくりと形を変えていた。
まるで灯の言葉が、空に広がっていくように。
◇◇◇
(4)重なる光 ― 照合の瞬間 ―
リモート会議の画面に、五つのウィンドウが並んでいた。
背景の明るさも、みんなの表情も違うけれど、
その視線の先は同じ数字を見つめていた。
凪:「灯さん、見てください。
この行のデータ、数式は正しいのに更新時刻が一瞬だけ逆転してるんです。」
灯:「……逆転?」
凪:「はい。通常なら後の処理が新しいはずなのに、
ここだけ“過去の時間”で上書きされています。」
柊:「ログでも同じだ。
入力履歴が一度消えて、別のIDで再入力されてる。」
永峰:「つまり、データの“時系列”がいじられてるわけか。」
環:「でも、どうしてそんな面倒なことを?」
凪:「ミスを隠すため……じゃないですかね?」
柊:「いや、もっと“見せたかった”んじゃないか。
完璧に整えた数字を。」
灯:「……なるほど。
自分の痕跡を消すんじゃなく、“魅せる”ための改ざん。」
凪:「でも、それだと……」
凪が言いかけた瞬間、環がぽつりと呟いた。
環:「――焦ってたのかも。」
柊:「焦り?」
環:「灯さんが言ってましたよね。
“焦るときほど、ミスは起こる”って。
……たぶん、冷静じゃなかったんです。」
凪:「あっ、待ってください! 焦り……そうだ!」
永峰:「どうした?」
凪:「さっき環さん、言いましたよね?
“焦るときほどミスは起こる”って。
それって――“操作の速度”にも出ません?」
柊:「……速度?」
凪:「はい。
通常の入力間隔は平均0.3秒。
でもこの部分、0.8秒空いてる。
手が止まってるんです。」
灯:「つまり、“手が止まった瞬間”が、嘘の始まり……。」
柊:「……まるで、“心が止まった瞬間”みたいだな。」
しんと静まり返る画面。
灯は小さく頷き、目を細めた。
「――それだわ。」
凪:「えっ?」
灯:「“手が止まる”ということは、“心が動いた”ということ。
数字の乱れと、心の揺らぎが同時に起きている。
……そこに、真実がある。」
永峰:「タイムスタンプ、照合しよう。」
画面に3つのデータが並んだ。
どれも、同じ時間。
その瞬間、
凪の口元がわずかに動いた。
「……一致しました。」
灯は、静かに息を吐いた。
「焦りの中で作られた“完璧”ほど、脆いものはない。
――数字が、それを教えてくれたのよ。」
画面の光が、ゆっくりと淡く重なっていく。
それは、数字では測れない“人の温度”のようだった。
“手が止まった瞬間”――それは、心が揺れた証。
真実はいつも、数字の外側にあります。




