わだかまる
これが胡蝶の夢ってやつよ
町というのは、玄関のドアを開けてそこからすぐに始まるものなのか、それともしばらく歩いているうちに町の中に立っていると気づかされるのか。
今まで降りたことのない駅のホームではしゃぐ高校生たちにとっては、この駅は当たり前の駅であることは言うまでもないに違いない。
駅で弁当を買おうと思ったが、コンビニの弁当はからだに良くなさそうな偏見をわたしは常々抱いているので素通りし、構内に駅弁がないことを認めるとため息をついて外に出た。
タクシーはまばらで、ペンキのはげかけたバス停留所が一番から八番までヘビのように並んでいる。
ここで言うヘビはエメラルドグリーンボアとかではないし、アミメニシキヘビでもない。サイドワインダーのような特徴的な移動方法を静止画に収めたときに似たくねくねした並びのことを指している。
暑いのか、寒いのか、この土地に住んでいる人の感覚と同じなのか異なるのか、交感神経のバランスが熱湯風呂に入りすぎてイカれた脳みそではイマイチ判断しかねる。
駅のロータリーには白い猫がくたばっていて、三日前くらいにひかれてカラスに臓物つつかれて皮だけぴろんぴろんに残っていて最早ただの有機物のかたまり。
行き先の知らないバスに身を預けても構わないけれど、あいにく自転車の気分だった。
聞けばレンタサイクルを無料で貸し出しているらしかった。
「あのさ、何時までに返すの?」
さあ、まだ決まってませんね。とわたしは答える。
受付のじいさんはとても恐そうな顔立ちで、眉毛が釣り上がっていた。決まってないとは何事だ、そんなやつには貸さないぞ。と言われると思ったけど普通に貸してくれた。
ベルを鳴らすと甲高い音が響く。
その音を耳にした子どもたちがチラリとこちらを振り返る。
おい、見世物じゃねえぞ。と昔子どもの頃に言われた気がする。いつのことか思い出してごらん。そんな歌もあったように思われる。
電動機付き自転車はスイスイ進む。坂道もなんのその。風になった気分味わえる。文明は発達しているけれども、自転車ほど素晴らしい発明はなかなかないのではなかろうか。
だって歩くよりも圧倒的に早い。それに作る手間も想像を絶するほどでもないのだから。
だから人類は呆けた。
何でもかんでも楽にするのはけっこーこけこっこー。
それにかける時間と金と命はいくらあっても釣り合わなくなってきている。
嗚呼、風がきもてぃー。
もちろんここにも阿呆がいる。
阿呆が風を浴びて心から喜ぶ。
駅から町に出て、坂道を駆け上がり、城下町を見下ろす君主の眺めを現代に繋げる。
遺伝子のこより一本一本に、かつて江戸の情景が練りこまれている。
そう思うのは勝手だし、誰も否定はできないだろう。
おれ、わたし、ぼく、きみ
それぞれのなかに江戸が息づいているのならば、それは本物だ。
「そんなわけねーだろー」
叫ぶとやっぱりきもてぃー。
なぜ自分は風として生を受けなかったんだ。
風は気体の集合体だ。
酸素、窒素、二酸化炭素。
地球以外なら硫酸か。
いやそれは雨だ。
飴と鞭だ。
それは無知だ。アメンホテプだ。
誰だ、アメンホテプって。
街路樹はカキツバタ色に染まっている。
苦しみのなかにもがくアメンボのわななきのような調べを口にする。
ワインを飲みたくなった。
でも今飲んだらきっと法にふれる。
自転車は軽車両だから。
酒気帯び運転になる。
目の前からちょうどパトカーが来た。
サイレンが赤く灯っている。
どんどん近づいてくる。
道を塞ぐようにして路駐さした。
降りてきたのは女性巡査だ。
「あなた通報がありましたよ」
まだ二十代であろう巡査は遠藤江子と呼ばれていて、カナを振るとエンドウエコではなくエンドウコウコだ。
あだ名はエーコであるが、その由来は江子がエコと勘違いされることには起因せず、単にエンドウのエとコウコのコを取ったからエーコなのであって、ちなみにコウコのコはどっちのコかと言えばそれはどちらでも構わないというのがエーコのスタンス。
「通報?なんのです」
電動機付き自転車をその場に停めて仁王立ちすると、エーコの頭はちょうど胸のあたりにある。
「とにかく、通報が入ったんです」
「いつ、どこで、なんのことについてですか?」
「それはあなたじゃないから知りません」
エーコはとにかくあなたが悪いから通報されたと言うのだった。
「知らないでは困ります」
「困るといってもわたしだってあなたの側にずっといるわけじゃないんだから」
「通報した方に問題があるとは思わないんですか」
「あなたはそう思うってことですね」
なんか今ひとつ噛み合わない会話の流れに道端の青虫も困惑してアゲハチョウになる夢を諦めかけている。
もっと山椒の葉っぱを食べなくてはならないのに、満腹になってしまったのか。
そもそも昆虫に満腹中枢なんて代物が備わっているのか?
「あなたが悪くなければ誰も通報なんてするわけがないじゃないですか」
「うーん。通報を第一アクションとすれば、まずその妥当性を検証しなくてはなりませんよね。そこでまず真偽を確かめる。あとはできれば当事者も交えて話をしないことには、どちらか片方の意見だけを押し付けられるのは問題かな。さらにさっきあなたじゃないから知らないとか言ってましたけど、それは弁明したことについて回答を放棄したとみなされても文句は言えないと思いますけど」
「なんですか、あなた。もしかしてエーディーエッチディーディーですか」
「ほらほら、そういうのですよ。何の下調べもないのに人をカテゴライズすることは危ういですよ。ちなみにユーエムエーですよ。アンアンデンティファイドミステリアスアニマルズって感じかな」
早口に伝えるとエーコはやや納得のいかない様子で舌打ちをする。
肩までかかる頭髪はゆるく巻いてある。明るいベージュにグレーが差し込まれた一種異様な色をしていた。
前髪は眉毛のあたりまでで、少しシースルーな趣を醸している。
帽子を被っていることで、エーコの顔面は果てしなく小さく見えた。
「公務執行妨害罪で現行犯逮捕します」
「名誉毀損罪で訴えますよ?」
「それこそ名誉毀損です」
「オウム返しは保育園までにしておきましょう」
「オウムだなんてバカにして、このパロットめ」
「どっちもたいして変わらないですよ。変わらなきゃいけないのはエーコさん、あなたですけど」
エーコは真っ赤になって拳銃を取り出してくる。
「やめてください。権力があるものが武器を持つことで倒錯した支配構造が生産されてしまうことが分からないんですか?」
落ち着かせようと飴玉をちらつかせるが全く効果がない。
「ヘンシン・メタモルフォーゼっ!」
拳銃のトリガーを引いた途端にエーコは青色の制服から一転、ピンクと白のフリルのついたドレスを身にまとった。
スカートの丈はちょうど膝くらいで上品さを兼ね備えた可愛さを遺憾無く発揮している。
なんて攻撃的な魅力。
「まさかこんなところで魔法少女に会えるとはね」
坂道の手前で買った団子を頬張りつつ相槌を打つ。もちろんズンダではなくてこし餡フレーバーを選択した。
「ラショナル星から零点五万光年、毒を以て毒を制す、たぶらかしの神童、エーコ!!」
零点五万光年の距離感がパッと出てこない。
三かける十の八条米毎秒。それに分、時間、年と換算していけば、などと思い浮かべているうちにエーコが飛びかかってきた。
「スプリングウインター!」
おそらく生暖かさと寒さを一度に標的に感じさせる魔法か。温度が相殺されて結局涼しくなるのだろう。
「えいっ」
面倒くさいので駅に急いで戻ってきた。
エーコが追いかけてくるかと思ったが、自撮りした写真をエスエヌエスにあげていたのでバレなかった。
自転車は置き去りにしてしまったが、それは警察であるエーコがじきに処理してくれることだろう。
また電車に乗って名もなき駅で降りようか。
人生暇だ、ヌルゲーだ。と思っていると狩猟民族時代の血が騒ぎ、戦闘を求めてしまうのが人間のサガだ。
そんなマインドセットだからクライテリアがアンビジュイティーのシンギュラリティだよ。
何なんだクライテリアとかいきなり使ってんじゃねーよ、クソ上司が。
おっといけない、せっかく旅をしているのに思い出したくない無駄な記憶をふと蘇らせてしまった。
それもこれもエーコのせいだなんて言わないけどさ、なんでみんな日々少しずつでも楽しく生きてこうって思わないんだろう。
「それは思わないんじゃない、思えないんだ」
「お、課長じゃないですか」
「ククク、会社の外で敬語はやめないか」
「そうだな、で、何のようだ?」
「何のヨーダ。そうだなスリーの」
「ばかたれ、誰がスター・ウォーズのエピソードナンバーだよ。すべて宇宙人のせいにしたいのか?サイレントなヒルじゃねーんだからさ」
「フォースを信じてなにが悪い」
「フォースを信じることは悪いことではないけど、お前の信じているそれはフォースじゃねえから」
「それはフォースの定義を履き違えてるのではないかそっちが」
「そういう他責思考やめなよ、無駄だから。録音したよ」
「録音したらどうだってんだ」
「これを裁判所に提出するよ」
「うーん。ぼくちんフォースの定義間違ってたかも」
「いやいや、自分の信じたフォース貫けよ。じゃあこれまでのフォースって何だったんだって話になるよ?」
「ぴぎゃー」
こうして課長は勝手に砕け散った。己のフォースを信じきれなかったばっかりに。
フォースを求め、フォースを支配し、フォースに飲まれる。
この世に残っている課長のようなジェダイはあとどれだけいるのだろうか。
そんなジェダイ集団がいたらアナキンス・カイオーガーになってことごとく抹殺してやらなければ。
しかし抹殺の担当者は他の誰でもない、国だ。
公的機関に、フォースによって蝕まれたジェダイの処遇を判断してもらわなくてはならない。
なぜなら一般市民はフォースがないからね。
真正面から向かっていくと殺される。
今ならダースべ・イダーの気持ちが分かる。
トゥーマッチなパワーはときにハラスメントを増産する。
使いこなせない力など手放せば良い。
だけどせっかく苦労して獲得したフォース、容易に見捨てられないのも分かる。
分かる、分かるよ。
分かるんだけど、それは人を傷つける理由にはならないだろ?
ライトサーベル持ってるからってなにしてもいいのか?
自分より強いジェダイがいなけりゃいいのか?
ちなみに初期三部作のエピソード四、五、六は、ライトセーバーじゃなくてサーベル。
「魔法少女エーコ参上!」
「おい、またかよ」
「エーコのパンツみたい?」
「今は必要ない」
ピンクのフリルをフリフリしてこちらを誘っている。
「きみの正義はパンツに宿るか?」
「ええ、このパンツの名にかけて」
「覚悟はあるのか」
「命を捧げるわ、誓って」
本気の魔法少女の目的はなんだ。世界征服か。宇宙一周旅行か。んなこたどうでもいいさ。
有給消化した旅は様々なハプニングに見舞われつつも幕を下ろそうとしている。
このあたりでロボットでも登場させておこう。
このロボットの特徴は、耳のなかにタマネギがいくつも入っていて、舌は太ももについている。足の指は三本で、うなじの臭いは和三盆だ。
「トビマス」
ドローンの操縦と全く同じでコントローラーさえあれば意のままに動かせる。
ロボットを浮かせて大気圏を越えさせる。
「きもてぃー」
スピンメモリで通信速度を上げたロボットは素早い演算で楕円軌道を抜けた。
飛べ、飛べ、ロボット、宙高く。
ロボットには夢がある。
眠れる木星の衛星はアゲハチョウの夢を見るか。
だれでもいい、アイス奢ってくれ




