ポイズンドール
ホラーを書きたくなるときがある、それを読みたい人がいればマッチング成立ですね
作者不明の木製人形が、世界各国から送られてくる珍品の中に紛れている。
元々の依頼主は既に他界したらしく、細い筆で書かれたポイズンドールという文字だけがその人形を識別する記号となっていた。
茅葺き屋根に包まれた家屋には、埃かぶった品物がずらりと陳列されていて、文句の付け所がないほど異様な雰囲気が漂っていた。
この集落および建物は、全世界に散らばった人形を蒐集していた主によって解放されており、その権利が娘に譲渡されてからというもの、各品々のメンテナンスには手が行き届かなくなったものの、かろうじて保管庫の役割を全うしていた。
会社の営業でこの地域を訪れるたびに、羽田にはいつからかただならぬ欲望がその胸中にわき起こるようになった。
集落には受付のようなものはなく、誰でも自由に出入りすることができた。
もしも入場料を取っていればカビだらけの掛け軸も荒廃せずにすんだろうに、かといってコレクターたちは状態のより良い珍品が手に入りさえすれば満足だったし、あまりにも酷い有様だと勝手に廃棄物業者がゴミと判断して持っていった。
「お気に召しましたか?」
白百合の花弁を思わせる曲線に似たドレスをまとった女に声をかけられた。
ポイズンドールという文字に目を奪われていた羽田は少なからず虚を突かれた。
「ええ。まだ中身は見ていないんですけどね」
聞けばここでアルバイトをしている苑田というらしい女は、きっちりと揃えた前髪が透けて青白い額が幼さと大人の静けさを両立させた一種異様な容貌をしていた。
「ここにはたくさんの人形がやってくるんです。わたしはその仕分け、と言っても空いているすき間に押し込んでいくだけなんです」
フフッと笑うと目尻が下がった。苑田はそのままポイズンドールのあったすき間をじっと眺めている。
まるでそこには次に差し込まれるべきアイテムが品定めされていて、ようやくそのときが来たことを待ちわびているような物悲しさを備えていた。
「普段はどちらに?」
コンビニも街灯もない人里離れたこの土地で暮らしているとは思えず、このうら若い女がどこからやってきたのか知らないではいられなかった。
電車で二時間の田尻沼なる地名を羽田は初めて耳にした。
夕方の集落には獣の遠吠えがこだます。
「あの、帰り送っていきましょうか」
「え、よろしいですか?」
思い切って提案したところ、苑田はほほ笑みながら両の手のひらを合わせて目を輝かせた。
ホッと肩の力が抜けた羽田は、抱えた木箱が重く感じた。
ポイズンドールは結局確認することもなく持ち帰ることにした。
ーーーーー
苑田を送り届けたあと、羽田はアパートに帰宅した。
夜の十時を過ぎたところだ。
シャワーを浴びてリビングに戻ると、玄関から物音がした。
三和土に置いたポイズンドールの箱から、ドブネズミの徘徊するときの音に似た不穏な気配が発せられていた。
冷蔵庫から取り出しかけたビールをそのままにして、廊下に出る。
羽田は目を疑った。
驚いたことに木箱の留め具が外されて、中身があらわになっている。
さらに驚愕させられたことに、中には色とりどりの包み紙が無造作に押し込められているだけでポイズンドールと呼べる代物は眠っていない。
金は払っていないが、あの集落までの交通費と工数を考えると見合わない徒労が羽田を包む。
「ち、ただの空き箱だったなんてな」
ビールを飲む気も削がれてしまい、ソファに横になりテレビを眺める。
深夜のニュースでは、田尻沼の伝説を特集していた。
「えー、ではこの田尻沼では奇妙な事件が多発しているんですね?」
祈祷師を呼んだ番組には新進気鋭の作家や駆け出しの女優の姿が目立った。アナウンサーの質問に対して祈祷師がゆっくりと口を開く。
「百合姫と言ってな、その昔飢饉に見舞われた田尻を中心として部落の争いが絶えなかった時期に、その女は沼にかけられる橋の柱の下にな、埋められたんだ」
スタジオは人柱が実際に起きた歴史を聞かされて凍りついている。
羽田は首筋に手を当てる。ビールを出そうとした手のひらがまだ冷えていた。
「結局百合姫が犠牲になったことで集落が救われたかどうかは知らないが、飢餓に苦しむ人々のことだ、冷静に物事を判断できなかったのだろうよ。悪いことが起きればなんでも祟りのせいにして。今度は百合姫を埋めた一族を追い出したのさ」
追い出された一族は身をくらますほかに道はなく、追ってから逃れるために人の皮を剥いで身代わりを立てたそうだ。
「人を欺くほどの身代わりの技術は、のちに伝統工芸と昇華し、人形師を生業としたわけなんですねぇ」
アナウンサーがうまくまとめたことで、これが単なるホラーフィクションでないことが分かった。
ーーーーー
初め羽田は目が覚めたことに気付かなかった。
これは夢だとも思わなかった。
まばたきをしているのに、辺りが真っ暗だと、人は現実を理解できない。
「ふーっ」
羽田の息が反響する。
ビールを久しぶりに飲まなかったことで寝つきが良かった。
テレビを消してソファから起き上がり、廊下に出たところまでははっきりと覚えている。
玄関の空箱を横目に寝室に入ったはずだが…
何度目をしばたたかせても世界は黒一色に覆われている。
静かに耳をすましても、羽田の呼吸しか読み取れない。
カビ臭いどこかで嗅いだことのある懐かしい臭い。
これは木の臭いだ。
窮屈な檻に閉じ込められたように、両足が動かない。
かろうじて指先がカリカリと爪を立てると、傷つけられた板から独特の臭いが立ち昇る。
羽田は箱の中に収められていた。
まだ夜明け前の山中をトラックの荷台にくくりつけられた木箱が月明かりを反射してきらめく。
運転席には白い肌の女がハンドルを軽く握っている。
山道は曲がりくねっていて、傾斜も急だ。
しかし木々は進んで道を拓き、まるでトラックを歓迎しているかのように倒れては起きてを繰り返す。
やがてトラックは広い道に現れる。
茅葺き屋根の家並みを追い越していく。
丸い穴をくり抜いたような案山子がいくつも列をつくっている。
硬直した姿勢を保たねばならない羽田は感覚が痺れてくる。
まるで劇物を大量に飲み込んで麻痺した、死に際の動物を彷彿とさせる。
真っ暗な木箱のなかで、瞳孔をカッと見開いた羽田の顔はきっと恐ろしい演目に使われる人形にそっくりだっただろう。
しかし誰も羽田の顔はおろか肢体がどうなっているのか知ることはできない。
もしかすると麻痺していると錯覚しているだけで、そこに彼の手足があるかどうかも闇に飲まれて定かではない。
女はトラックをとある倉庫の前で停車させる。
重い扉を開けるとそこにはたくさんの木箱が陳列されている。
そのうちの一箇所だけ隙間が空いている。
女はその隙間の前に立ち、表情はなく、ただ呆然と虚空を見つめる。
闇が占拠していた間隙からじわじわと白い手が伸びてくる。
いつの間にか女の傍らにカビ臭い木箱が置いてあった。
ゆらりと力なく暗闇を泳ぐ白い手は間違いなくその木箱を欲している。
取り憑かれたかのように、その木箱なしではいられないといった様子で手招きをする。
女の姿は消えていて、白い手のように見えたものは人形の帯だったもの。
木箱と隙間、あとは底知れぬ闇が横たわっているだけ。
オバケは白と相場が決まっている!と思うのはなぜだろう…




