ドッペルゲンガー24時
ケニア人の彼氏と、いたって普通な女のはなし
井上さくらんぼは今年で二十七歳。大学を卒業してから普通の会社に就職して普通に働いて普通な生活を送っている。
安い賃料の社宅に帰るとたまに料理をしたり、魔法少女のアニメを観たりする。
彼氏はケニアの占い師で、アパートには象の牙が飾ってある。握りこぶしくらいのサイズなので、象が戦って折れたのか、乱獲されたあとのガラクタなのか、そもそも象牙ですらないのか。
占うときには決まって右足の小指を器用に使いながら象牙をサイコロのように転がす。
これまでに何度も転がされた象牙は表面が欠けてほとんど丸くなっている。
奇妙な香りのするハーブを火にくべて占い師の彼は呪いを唱える。
「タギスミノ、ケサ、サケ」
ケニア人の彼氏はテレビの字幕を見てはしゃぐので、呪文に日本語のテイストが付与されることは井上さくらんぼは知らぬふりをしている。
酒のあてに鮭でも食ってきたか。
あるいはケニアにはそう言った伝統的魔術があるとしても否定するすべは持ち合わせていない。
焦げて灰になったハーブを彼は頭から被る。
昔一度だけ「あなたのアパートでやってくれない?」と頼んでみたら、捨て猫のようなさみしい目をしたのでそれ以来占いは井上さくらんぼの社宅で行う習わしとなった。
週に三回占われる。
時間は二人でシャワーを浴びる前の午後十時くらいから始まって、一時間のときもあれば、夜が明けることもなくはない。
「イパッオ、イタベタイパッオ、イタベタ」
彼の財布にガールズバーの名刺が入っていたことをなぜか思い出した。井上さくらんぼの預金残高が減ったときは要注意だった。
ここまで来ると、このケニア人の彼氏には何のメリットもないように思える読者も少なからずいるだろう。
そう、彼には経済的な魅力や安定性は皆無でありむしろ生活を脅かす危険な存在と言っても差し支えない。
でも井上さくらんぼは男を夢に喩えることが好きだ。
昔から「あんたオトコ見る目ないね」と言われても気にしなかった。
オトコなんて、ガチャガチャと同じだ、と思っている。
高いガチャはハズレも多いが当たったときの一発逆転に賭けたい。その賭けているときの痺れる興奮が日々の生活に潤いをもたらしてくれる。
当たらなくても良いとまでは思わないが、当たらない過程の大切さを理解してくれるひとは少ない。
だから汗を吹き出しつつも呪文を詠唱するケニア人の彼氏を見ているととても心が安らぐ。
どれだけ金をかけても得られない期待と裏切りを彼は同時に持っているから。
「ルレモガコンウ!!」
ケニア人の彼氏の断末魔が雷のように轟いた。
そこで時計が24時を告げて、黒い雲が立ち昇り、ドッペルゲンガーが現れたとき井上さくらんぼは恐怖や喜びよりも残念な気持ちが勝っていた。
「ナニコレ」
汚物を見定めるような口調で問いかけると、ケニア人の彼氏は魂を抜かれたようにぐったりとしたまま動かなくなった。
「わたしの名前は井上さくらんぼ」
黒い影は井上さくらんぼの声でそう口にした。影の形がゆらゆらと井上さくらんぼの束ねた髪形を模倣し始める。
「占い師によって呼び出されたってことね?あなたは井上さくらんぼを名乗る怪物なのね?」
影の怪物は黙ったまま井上さくらんぼと瓜二つになっていく。
ケニア人の彼氏は口から泡を吹いて床に寝そべっている。
これは賭けだ。目の前の怪物と取引をしたなら、またガチャのゾクゾク感を味わえるかも知れないし、その逆に永遠になにかを失う可能性だってある。
「あなたの望みはなに?」
井上さくらんぼが問いかけてみる。
「あなたの望みを教えてくれたら分かるよ」
もう一人の井上さくらんぼが答える。
もう一人の自分を消すための方法は知っている。呪いを逆さに詠唱するだけだ。
ただしご覧の通り術者であるケニア人の彼氏はのびていて使い物にならない。
井上さくらんぼは詠唱には代償がつきものだと知っている。
改めてもう一人の井上さくらんぼの言葉を反芻してみる。
あなたの望みを教えてくれたら分かる、か。
普通に仕事して普通に生活して、何不自由ない。そこに刺激が欲しいからこのケニア人の彼氏と付き合っている。
こいつのだらしなさと奇怪さに惹かれたのだが、まさか魔術が本物だったなんて少しガッカリだ。
やっぱりもう一人の井上さくらんぼを消すしかない。
でもその詠唱をすると、呪われる可能性が高い。
時計の針は止まらない。
ここで都合良く泥棒が社宅に迷い込んでこないかな。それか道端で酔っぱらったサラリーマンでも構わない。
誰か一言、あの言葉を詠唱すれば…
窓を開けて夜の街を見渡す。金曜日の週末、終電を逃した会社員の群れの中にワンチャンいる。
井上さくらんぼはそれに全ベッドする。
逆に詠唱さえしてくれたら、あらゆる咎をそいつがおっ被さってくれる。
さあ、誰でもいい。
偶然にそこを通り過ぎたあなた、大声で唱えてくれ。
井上さくらんぼの賭けにあなたが負けたなら、下品な言葉を思わず口にしてしまっている




