ベンディングマシーン
自動販売機とインド人のはなし
喉が渇いた。
そう思ったら蛇口がなかった。
そこは砂漠だ。
乾いた砂が時間とともに形を変える場所。
インフラの届かない領域にあなたは立っている。
砂漠にはオアシスがある。
水がわき、木々が生い茂る。
果物に誘われた鳥たちもやってくる。
それがオアシスだ。
街角では数人の男女が肩を並べてお喋りをしている。
たむろしているのは彼らばかりではない、薬を求めにやってきた嬢もいる。
闇を切り裂く明るさが、この街には点々と続く。
信号機が青に変わる。
白黒の横断歩道を渡る。
青白いドブネズミがゆったりとした足取りで横断歩道を横切っていく。
アスファルトにはカサカサと塵がなでた跡が残り、昼間蓄積した熱がじわじわと放出されている。
路地の入り組んだところはもはや迷路だ。
一度入ったら容易くは脱出させてくれない。
奥に進むほどに闇は濃くなっていく。
宇宙に落とされた一滴の蛍光標識のように、そこに自動販売機があった。
そこであなたは喉が渇いたことを思い出す。
舌の上でねばつく唾液が喉と口腔を行き来する。
落とした片方のイヤリングがここで見つかる期待が膨らむ。
自動販売機は大手メーカーのもので、当たると二つ手に入る。ここでラッキーを使うことで、今後の人生に響いてくるだろうとは到底思えないでいると、
「どけてくれませんか」
淡いブルーのインド式サリーに身を包んだ女が蕩けた眼であなたを見上げている。
インドの二十をゆうにこえるテリトリーの、どの言葉か知るすべはない。
ひとは不思議なもので、言葉を介在せずとも伝わるときがある。
あなたは女に道を譲る。
震える手首をいたわりながら女は軽く会釈をする。
手首には細かい傷がついていて、女の歴史を代弁する部分として闇に浮いていた。
コインケースから硬貨を素早く取り出すと、あなたは自動販売機に入れた。
呆気に取られている女をよそに、あなたはコーヒーを選ぶ。
出てきたコーヒーは冷たいわけでもなく、熱くもない。
「どうぞ」
乾いた口からうごめきのような声が出た。
「コーヒーは飲めないの」
と言いたげな女が缶を受け取る。
月が眩しいほどに二人を照らしている。
サリーが音もなく翻る。
インドの神が現れてあなたを見つめる。
その瞳にはあなたが映る。と同時に世界が紛れ込む。
自動販売機は当たりを告げる。
制限時間内にボタンを押せば、新たな飲み物が無料で排出される。
「タダより高いものはない」
「だったら、それぞれ半額で買えたと思うほうが良いですよね。もう一度ボタンを押す作業を含めると、やや高くつくかも知れませんけど」
インドの神はあなたの心を読む。
砂漠で迷子になっても、神さえいれば安心できる。
「アクセントがきついね」
この女は英語を使えるのだ。実は初めからインドの言葉など話していなかった。
訛りがあり、判別が困難だっただけだ。
それからはスムーズに会話はできた。
でも自動販売機で飲み物を買う前のあの感じはどこかへ行ってしまった。
英語と同時に神は霧散する。
都心の真ん中で今日も自動販売機は輝く。
空からドローンを飛ばして、ひとつひとつ巡るのも愉快だろう。
一本を二人で分かち合うのも良いだろう。
自動販売機には夢がある。
ただの鉄の塊以上の価値がある。
あなたにもあなた以上の値打ちがある。




