④逃げるの?
粛々と進んだ葬式が終わり、空はすでに夕暮れの深い藍に染まりつつあった。
会場の空気も、まるで切り替えの合図でもあったかのように変化する。
人々は手際よく大広間――村の大集会場へと移動し、そこには既に、長机に豪華な料理と酒が並べられていた。
「さあさあ、こちらへ!」
「結芽ちゃんも! 遠慮せんと!」
「ほら、座って! この鹿肉、さっきまで生きとったやつよ!」
(……葬式って、こんな感じだったっけ?)
哀悼の雰囲気からまるで祝賀のような雰囲気へ。
まるで、死を寿ぐかのように、笑い声と酒の匂いが満ちていく。
子どもたちも走り回り、村の男たちは威勢よく杯を交わし――
その真ん中で、結芽はまるで“主役”のように持て囃されていた。
「ほら、東京もええけど、やっぱり村が一番やろがぁ」
「住吉さんとこの子は、やっぱり“器量が違う”わ」
「戻ってきてくれて、ほんとに……ほんとに嬉しいわぁ」
(――戻ってきて、なんて……)
そんなこと、誰もこれまで一言も言わなかったのに。
(“帰さない”みたいに……)
笑顔の奥に、妙な熱と執着を感じた。
父と母は、村人たちに囲まれ、あちらで和やかに話している。
母は時折こちらに視線を寄せるが、すぐにまた笑顔に戻る。
(……いまなら、抜けられる。)
結芽は音を立てないように席を立ち、人々の隙間をすり抜け、そっと集会場の出口へと向かった。
•
夜へと近づく空気が頬を撫でる。
(ふう……ちょっと、外の風でも吸ってこよう)
そう思って足を踏み出した瞬間――
「どこ行くの、結芽?」
声がした。
静かに、しかしあまりにも自然にそこに立っていた。
まるで最初から、結芽が逃げ出すのを知っていたように。
入り口の柱の前に立つ2人の女性。結芽の幼馴染。
今回亡くなった村長の孫娘。
黒髪を結い上げ、喪服姿のまま凛と佇む
――竜見 和香。
その隣には、柔らかな茶髪を後ろでまとめ、華やかな雰囲気で微笑む
――那鳥 美幸。
4年前の成人式で見かけたのが最後。
言葉を交わしたのは――6年前。
それでも、一瞬で分かった。
そして次の瞬間――
彼女たちの美しさに、結芽は言葉を失った。
(……東京でも、ここまでの人、なかなかいない)
和香の凛々しさは、月の光のように透き通っていて。
美幸のそれは、陽だまりのように柔らかく、けれどどこか危うい光を孕んでいた。
2人とも、表情は穏やかだった。
ただ――
目だけが、異様に、冴え冴えと濡れていた。
「……ひさしぶり、2人とも。」
「あと、和香、この度はお悔やみ申し上げます。」
和香は、表情を崩し、
「…ありがとう、来てくれて嬉しい。うちのお祖父ちゃんもきっと喜んでる。…また3人で並んでるところが見たいってよく言ってたし。」
「………そうなんだね。」
絞り出すように言った結芽に、美幸が一歩前に出る。
「ふふ、でも、今逃げようとしてた? 」
目を逸らす結芽
「そんなつもりじゃ……」
「――じゃあ、顔、見せて?」
そう言って、美幸がふわりと結芽の顎に手を添える。
まるで――キスをする直前のように。
「……っ」
声も出せないまま、結芽はその瞳を見返す。
距離が近い。心臓が跳ねる。
けれど、甘さよりも、ぞくりとする怖さの方が、先に来た。
「……ほんとうに、綺麗になった。」
そう呟いたのは、和香だった。
すっと結芽の背後に回り、自然な動作で腰に手を回す。
(――え?)
「ねえ、もう少し、こっちにいよう?」
「色々お話し、聞かせて。ね?」
耳元で囁くような声。
その柔らかい囁きが、“選択肢なんてない”ことを無言で告げていた。