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紅百合の咲く森  作者: 琲音
帰郷
3/12

②特別な祭り


玄関を上がると、懐かしい木の香りが鼻をくすぐった。

畳の擦れる音と、軋む床。

昔のままの台所からは、だしの匂いが立ち昇っていた。


「ゆめ。荷物はあとで運ぶよ。……とりあえず、座んなさい。」


父――住吉正志は、無骨な手でちゃぶ台をぽんと叩いた。

元教師で、無口だが律儀な男だった。


母――住吉 綾乃は、穏やかな顔で湯呑みを差し出す。


「おかえり、ほんとに。忙しいのに、ありがとね。」


「……ううん。葬式だけだし、明日には帰るから。」


その言葉に、ふと、二人の表情が曇った。

顔を見合わせる。

沈黙が数秒、部屋に落ちた。


「……そのことなんだけどね」


先に口を開いたのは、母だった。

お茶の湯気が揺れる中、苦渋を飲み込むように言葉を選ぶ。


「……“祭り”があるの」


「……え、祭りって、夏の? でも、まだ6月の終わりだよ?いつもの夏祭りは8月の頭でしょ?」


「ちがう。今年は、――“特別な祭り”なのよ。」


母の声は低く、どこか祈るようだった。

父が眉をしかめて横を向いたまま、ぽつりと補足する。


「“四半世紀に一度”の、祭りだ。」


(……なにそれ、聞いたことない……)


「そんな大事な祭、今まで一度も……」


「あなたの代ではまだなかっただけ。前に開かれたのは、私たちがあなたぐらいの年の頃。」


母の目は、遠い過去を見ていた。


「決まった日があるわけじゃないの。ただ、必要な“時”が来たら……村が決めるのよ。いつ行うか。」


「……だから、今?」


「ええ。今年、やるってことになったの。」


「……今さら中止にもできなくてな。和香ちゃんのお祖父さん、村長が亡くなったことも重なって、村の人間、だいぶ張り詰めてる。」


父の言葉に、結芽はあからさまに表情を歪めた。


「……関係あるの? 和香の、おじいちゃんの葬式と……祭りが?」


「村長の交代も、その日に行うそうだ。――和香の父親が、正式に就任する。」


(和香の……お父さん。あの、厳しそうな人……

小さい頃、和香たちと遅くまで一緒に遊んでて叱られたことあったっけ。)


「村の中ではね、もうお祭りの準備、かなり進んでるの。今さら“村長の娘の親友”が帰ってきてすぐに東京に戻った、なんて噂が立つのも……」


母の声はしだいに曖昧になる。

その言葉の裏に、何かを“避けようとしている”気配を感じた。


「……“二人のこと”もあるしね」


「……おい、母さん。」


父が低く制する。

母は一瞬、はっとしたように口を閉ざした。


(……“二人”?)


意味を問おうとしたが、その空気の重さに、結芽は言葉を飲み込んだ。


「……わかったよ。じゃあ、祭りまでいる。……でも、その次の日には、戻るから。仕事だってあるし。」


「ありがとう。ほんとに、ありがとうね。」


「……まぁ、久しぶりの友達にも会えるだろう。和香や美幸も。お前に会えるのを楽しみにしてるだろうし。花火もいつもの夏祭りよりも華やかだ。」


「……そうなんだ。」


そうは言ったが、胸の奥にざらついた違和感が残っていた。


(“二人のこと”って……何?)


(“必要な時が来たら”って……どういうこと?)


祭りは、今夜の葬式から二日後。

火が上がり、花が咲き、笛が鳴る。

それは、華やかにして――取り返しのつかない夜の始まりだった。

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