①ただいま
電車と高速バスを乗り継ぎ、さらにローカルバスに揺られて一時間。
窓の外には、まさに日本の原風景とも言える景色が、どこかよそよそしく広がっていた。
山肌に沿って段々畑が続き、その合間に瓦屋根の家々が点在する。
川の水は透き通り、ゆったりと蛇行しながら村の中心へと流れ込んでいく。
「……変わってないな。」
バス停に降り立った瞬間、湿った土と青葉の匂いが鼻腔を満たす。
陽射しは強いのに、山風がどこか冷たく肌を撫でていく。
「おや、結芽ちゃんじゃないか?」
一番に声をかけてきたのは、バス停近くの商店の前に腰かけていた白髪の老人だった。
麦わら帽子の奥から覗く目は細く、しかしじっと結芽を見据えている。
続いて、買い物帰りらしき主婦や畑仕事帰りの夫婦も、次々と足を止める。
「まぁまぁ……!住吉さんとこの……!!
結芽ちゃんかえってきたんかい。」
「綺麗になったなぁ……都会の空気吸うと違うもんだねぇ。」
「仕事は? どこに住んでるんだい? 誰か良い人でも出来たかい⁇」
次々と浴びせられる言葉は、懐かしさよりも詮索の色が濃い。
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「……ご無沙汰してます。」
ぺこりと頭を下げると、彼らの口元がふっと綻ぶ。だが、その目には、懐かしさだけではない、妙な“安堵”の色が見えた。
「ほんと、綺麗になって……東京にいるって聞いたけど、やっぱり違うわねえ。」
「お母さんにそっくりになったねえ、あの人も美人だったもんなぁ」
「ああ、戻ってきてくれて本当に良かった」
――え?
「村長さんの葬式で、ですよね?」
結芽の問いかけに、老人たちは曖昧に笑うだけだった。
その空気が妙に濃密に思えて、結芽は
「失礼します、両親が待ってるので」
と頭を下げ、その場を早足で抜けた。
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実家の前に立つと、しばらくその古びた木の玄関を見つめてしまった。
二階建ての古民家。濃いこげ茶の木材に、白く剥げかけた漆喰。
懐かしさと、ほんの少しの気怠さが、胸に広がる。
(……ちゃんと泊まりで帰ってくるのは6年ぶりか。成人式の時は、写真だけ撮ってその日に東京に帰ったしな。)
金属音を立てて門扉を開けると、縁側に座っていた女性がこちらを向いた。
「――あら、ゆめ。おかえり。」
母だった。歳はとったが、佇まいは昔と変わらない。
必要以上に干渉せず、おおらかな人。
「……ただいま、お母さん。」
その瞬間、風が吹き抜けた。
山から流れてきた風が、結芽の髪を揺らし、母の手に持っていた白い布をはらりとさらった。
そして、どこからか――小さな鈴の音がした。
チリン……
それは、記憶の底でくすぶっていた、
“何か”を呼び覚ますような、涼やかでいて不吉な音だった。




