幕末に暗躍し成し遂げたある人物
風が鳴いた。
真夏の日差しが木の葉を透かし、縁側の影が静かに揺れていた。
蝉の声が山の方から波のように寄せては返し、ひととき、老いた男の耳にだけ時間が巻き戻るような錯覚を与えた。
鷹見幽斎は、湯飲みを片手に、何も言わず庭を見ていた。
否、その先にある街を見ていたのかもしれない。
変わり果てた江戸──いや、今はもう“東京”と呼ばれて久しい。石造りの建物が増え、人力車が忙しなく通る。遠くに煙突、背後には線路の気配。あのころ彼が歩いた街ではなかった。
静けさが好きだった。
だが、この国を動かすには、あらゆる静けさを犠牲にせねばならなかった。
ふと視線を落とすと、膝の上に置かれた封筒が目に入った。
黄ばんだ和紙に、誰にも見せぬまま書いた覚え書き。そこには、名もなき志士たちの策と、裏切りと、流れなかった血と、そして一つの“約束”が記されていた。
その約束は果たされたのか。
果たされたとして──それは正しかったのか。
正しかったとして──それで満たされたのか。
彼自身にも、もう答えは分からなかった。
ただ一つ確かなのは、自らが選び、歩んだその道は、誰の記憶にも残らないということだった。
縁側の下で、風鈴が小さく鳴った。
彼は小さく笑い、湯飲みの茶をひとすすりした。
そして、封筒を炉の中に落とした。
灰となった紙の上で、最後に残った文字が、静かに舞った。
──「あの約束、果たされたか」