第5話 川口雄二、登場!
「川口! 何やってんのよ。遅れちゃうじゃないの!」
東京駅の東海道新幹線の改札口に、出発時間ぎりぎりにやって来た川口を、摩耶は叱り飛ばした。
「すみません。摩耶先輩」と川口。
「何度言わせんの! 先輩はつけなくていいから。摩耶さんでいい」
「はい、摩耶さん」
と言っても、その後、しばらくたつと「摩耶先輩」に戻っている。
「さ、急いで行くわよ」
摩耶と川口は、改札を通って新幹線ホームに急ぎ、発車メロディーが鳴っている午前7時ちょうどのこだま新大阪行に飛び乗った。
幸い、自由席はあまり混んでおらず、空いているところを見つけて座った。
熱海まで行って、そこから伊豆急下田行きに乗り換える予定である。
摩耶が窓際に座って、ペットボトルのお茶を飲んでいると、となりで川口はカバンの中から、おにぎりを取り出して食べ始めた。
「川口、それ朝食なの?」
「そうですよ。駅のは高いからコンビニで買ってきました」
そう言いながら、川口はおにぎりをおいしそうに、むしゃむしゃ食べている。
摩耶は、窓の風景をなんとなく見ていたが、手持ち無沙汰なので、川口が2個目のおにぎりをパクついている時に、
「川口は修士卒だよね? なんでドクター行かなかったの? 三枝先生もドクター行くと思ってたんじゃないの?」
聞くところによると、川口はかなり優秀で、ドクターコース進学を三枝教授から期待されていたらしい。
川口は、ご飯粒を口の横に付けていて、頬張っていたおにぎりを飲み込んだ後に、ボソッと言った。
「僕、就職したかったんですよね」
「へえー、ドクター出てから就職しても良かったんじゃない?」
と摩耶は言いながら、自分の唇の横を指さして、ご飯粒ついてることを教えた。
川口はそれに気づいて、長い舌で器用にそれを舐め取った。
「僕、結婚したいんですよね」
摩耶は、飲んでいたペットボトルのお茶を吹き出しそうになったが、何とか堪えて飲み込み、激しく咳き込んだ。少し落ち着いてから、
「結婚? 川口、彼女いるの?」
「いますよ」
摩耶は、心の底から驚いた。
……こんなに冴えないオタク野郎に彼女がいるとは……
何も言わないのに、川口はスマホを取り出して、彼女の画像を摩耶に見せた。
摩耶は、またびっくりした。
……可愛い……
いや、だがちょっと化粧が濃い。
どことなく目つきの悪さも気になる。水商売系の女のニオイがする。
あるいは……。
さまざまな疑問が湧きつつもそれを表に出さず、
「へえー、可愛い女じゃない。どこで知り合ったの?」
と、さりげなく聞く。
「えへへ。内緒です」
と、川口はオタクらしい不気味な笑顔を返す。
摩耶は心の中で、
……この野郎、隠しだてしやがって……
と毒づいたが、表に出さず、
「へえー、いいわね。今度教えてね」
と、さりげなく返した。
ここで深入りはやめておこう。
……改めて暴いてやる、待ってろ……
と摩耶は心に思った。
そして話題を変え、
「川口の修士での研究って変わってたんだって?」
「別に変わってませんよ。普通の数理考古学です」
「部長から聞いたけど、川口の研究テーマは結構すごくて、研究はアジ文で引き継ぐって三枝先生と話したとか? どんな内容なのよ? あたしも気になっていたんだ。教えてよ」
川口は、摩耶先輩が自分の研究テーマに興味を持ってくれていることを素直によろこんで、説明を始めた。
「それはですね。遺物の持つ外形的特徴を数値化して、編年的に特定するというものでして。一つの遺物に対して違った角度から撮影した2枚の画像から立体モデルを自動生成して精密なポイントクラウドを作成して、そのドットの位置関係を統計解析理論の多変量解析のクラスター分析を基本としながら……」
川口の理論は、既存の統計理論を独自に改変してプログラミングし、考古学で取り扱う遺物の自動分類を実現するという画期的なものだが、その話は数学を高度に理解していなければとてもわかるシロモノではない。
摩耶は、ため息をついた。
……こいつの頭の中身はどうなっているんだ?
考古学は、文系の学問であり、数学とは無縁と思われがちであるが、遺物同士を比較する時などには、簡単な数学を使う。
例えば一つ一つの土器の高さと幅をグラフにして比較するなどということは、普通に行われることである。
だが、川口の研究は、はるかに高度であった。
もしこの研究が実現可能なレベルまで達すれば、考古学史上画期的なものとなる。
例えば、野山を歩いて土器のかけらを拾ったとする。
それをスマホで違った角度から撮影し、川口理論を実装した遺物分析サイトに画像をアップすれば、サーバ上で分析が行われ、数秒後には、その遺物が何か、使われた時代はいつか、を精緻に特定した答えを返してくるというものである。
実は、アジ文では、ACHが持っている大型コンピュータを援用して、この川口の研究をバックアップし、近い将来、有料の考古学サービスを実現するという計画を立てていた。
もちろんこのプロジェクトの推進者は、加藤である。
「……遺物の特徴としての統計的固有値を確定する理論は既にできているので、あとはいかに比較できる遺物数を増やして、データベースに登録するかが問題となっているのですよ」
川口の話は、まだ延々と続いている。
新幹線は小田原の手前まできていて、左手に海が見えてきた。
あー、やっぱり海はいいわね、と川口の話をスルーしつつ、摩耶は思っていた。
そして話の腰を折った。
「そんな高度な研究をしているんだったら、何で私のサポートで現場なんかに入るの? 社内で研究の続きをしていた方がいいんじゃない?」
「加藤部長が、現場を経験しとけって。僕、あんまり発掘調査やってないんですよね」
年配の加藤や中野の世代の考古学専攻生は、大学の授業をほったらかして、とにかく現場に行って知識を習得するというのが普通で、大学を卒業するころには、調査員として独り立ちできるほどだった。
だが、今はこうした世代の反省もあってか、学部生が積極的に発掘に関与することを、大学はあまりいい顔をしない。
現場に本格的に関与させるのは修士からで、大学によって方針の違いはあるものの、P大の三枝教授は比較的学部生に現場を奨励する方だった。
だが、別に行かなくとも咎められることはない。
川口の場合は、研究テーマがコンピュータをフルに活用するものだったので、発掘現場へ行く機会が少なかったのである。
「へえー、部長の命令だったんだ。現場は体力がモノを言う世界よ。大丈夫なの?」
見るからに、体力が無さそうなオタクに見える川口を摩耶は心配した。
心の中では、アンタを面倒見るヒマなんてないから、足手まといになるなよな、と思っている。
「大丈夫……だと思いますけど……」
二人が乗った新幹線は、間もなく熱海駅に到着した。