第48話 地震発生!
丸山は、8月末で発掘調査が終わってから、民宿いろうの仕事に戻っていた。
9月に入ると、夏休み利用の客がぐんと減って、いつもの状態に戻ったような感じである。
丸山は、発掘調査で明らかになった100年周期の地震を常に意識していた。
民宿の建物の地震保険を見直し、建物の補強資材を購入して、筋交いを設置したり、備え付けのタンスや冷蔵庫など、客室の動きそうなものを固定する作業を行った。
また、丸山は地区長なので、危機管理室からの指示が入ってくる。
地震時の避難経路の確認、地区内の脆弱な建物の見回りとチェック、どの家に年寄りがいるか、その家にはエアシェルターが備わっているか、また地震の時に避難ができる公民館や学校の建物に、テントやペットボトルの水や非常時食料の準備ができているか、などなど。丸山はこれらをテキパキとこなしていく。
市長選挙の噂は、いつも島内に飛び交っていた。
小地震が頻発していた7月までは、おおむね岡部市長の評判が高かったが、8月に入って小地震がおさまってくると、対立候補の噂を多く聞くようになった。
丸山自身はその噂とは距離を置いていた。心の中では、岡部市長を支持していた。
9月30日が市長選挙の投票日で、その1週間前には告示がなされ、そのすぐ後に選挙運動が始まることは承知していた。
宣伝カーがスピーカーを大音量にして、候補者の名前を連呼する。
いつもの風景であるが、それをうっとおしく思っているのは、自分だけではないだろう。
ところが告示日の夕刊に、岡部市長4選が無投票で決定、という記事が載っていてびっくりした。
何があったんだろうと疑問に思ったが、岡部市長が続投になってよかったと個人的には思っていた。
その数日後の25日の夕方、島のサイレンがけたたましく響いた。
続いて広域スピーカーから、ゆっくりした調子のアナウンスが聞こえてきた。
「市役所からお知らせいたします。石廊島全島に避難準備・高齢者等避難開始が発令されました。お年寄りの方々、体の不自由な方々は、指定された避難所に至急移動してください。繰り返します……」
市役所の石廊島出張所にいる職員たちが手分けして、各地区の避難所に指定された公民館や学校や体育館を開放し、毛布や飲料水や食料を並べ始めた。
地区長や消防団員や有志も集まって、これらの作業をサポートしていく。
夜にも関わらず、続々と避難所に人や車が集まり始めた。
そこここで不安そうな会話が聞こえてくる。
「大丈夫でしょうかな?」
「地震は本当に来るのでしょうかね?」
「数日前から、確かにまた体に感じる地震が増えましたね。それに以前より揺れが大きいような気がしますな」
職員が住民リストをチェックし、避難していない高齢者等をリストアップして、消防団員や有志に迎えに行くように協力を依頼した。
深夜までかかってすべての避難優先者を収容させた。
危機管理室では、石廊島出張所からの報告が衛星回線経由で送られてきていた。
市庁舎と石廊島は海に隔てられているので、有事の際には連絡が取れなくなる恐れがあり、早くから衛星回線インフラが整備されていた。
「避難準備・高齢者等避難開始」が発令されてから、危機管理室は24時間の警戒態勢を取っていた。
市長と副市長も庁舎に泊まり込んでいる。
25日の深夜に当直が市長に報告を入れる。
「市長、石廊島の高齢者等の避難が完了したと連絡が入りました」
「分かった。ご苦労」
岡部は仮眠を取っていた市長室のソファーから起き上がった。
そこにブラックコーヒーを持った副市長が入って来た。
「市長、コーヒーはいかがですか?」
「ああ、ありがとう。いただこう」
岡部は、コーヒーを飲みながら副市長に話しかけた。
「本当は、君が仕組んだのだろう?」
「は?」
「そうでなければ、ヤツが選挙を降りるわけがない。よほど決定的な何かを握ったんだろうな」
「……」
「別に言わなくともよい。だいたいのことは分かる。君が寝業師なのは良く知っている。政治家にはいろんなタイプがあっていい。ま、私とはスタンスが違うがね」
岡部が、薄く笑った。
「市長、私は……」
その言葉を遮るように、岡部は言った。
「私は、学生時代にボクシングをしていたんだ」
「初耳です」
「ふふ。できればヤツとフェアーに選挙というリング上で戦いたかったな。私は本当は戦うのが好きなんだ」
「市長……」
「だがな副市長。次の相手がもう目の前にいるんだ。地震という手ごわいヤツだ。こちらは相手のストレートを待つしかない状況なんだからな」
「厳しい状況ですな」
「なあに。ストレートを喰らっても、倒れなきゃいいんだよ」
「市長、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「うん?」
「先日の対策会議で発令された「避難準備・高齢者等避難開始」ですが、何の躊躇もなく命令されましたね? その姿は自信に満ちたように見えました。何か他に地震が起きる根拠をご存知だったのでしょうか?」
「そんなものはないさ。カンだよ。ただそれだけだ」
「カン、ですか?」
「世の中どんなに進歩しても、あいまいさは残るものだ。そんな場合でも決断を下すのが政治家の仕事だ。石廊島の大地に刻まれた100年周期の地震の痕跡を発掘調査に従事した者たちが明らかにしてくれた。地震の兆候も活発化してきた。あとは政治家の決断だよ。私はそれをしただけだ」
この発令が空振りに終われば、各方面から大きな非難が市長に押し寄せることだろう。
だがそんなリスクは承知の上で岡部は命令した。
真の政治家とはそういうものだ。
副市長は、この先どんな手練手管を駆使しようと、この人を越えることはできないだろうと思った。
避難所で一夜を明かした住民たちは、夜通し起こる小地震のために眠れなかった。
翌日は曇り空で、地震も断続して起こっていた。
夜に入って、南の方角に奇妙なものが見えるようになった。
薄く滲んだような明るさが海上に現れて、時々どーんどーんという音が聞こえてくる。皆その正体が分からず不気味に感じている。
丸山はその光景と音を聞いて、島の100年周期の地震が起こる時には、南の海の彼方がうすぼんやりと明るくなり、遠くで太鼓を叩くような音が聞こえてくる、という言い伝えがあることを思い出した。
……これは地震発生の前兆現象だ。もう間もなく地震が襲ってくる……
翌日9月27日午前9時01分――。
突然、そこここの携帯やスマホから、緊急地震速報の警報音が一斉に鳴り始めた。
「地震が来るぞ!」と、誰かが叫んだ。
数秒後、すさまじい揺れが襲った。
鉄筋コンクリート建ての避難所がミシミシという音を立てて、左右に激しく揺れ、窓ガラスがバリンバリン!と砕ける音がした。
駐車場では車が今にも動き出しそうなくらいに揺れてバウンドしている。
遠くの住宅地では砂ぼこりが立上がり、いくつかの建物が倒壊したような音が聞こえてきた。
揺れは2分ほども続き、次第におさまってきたように思われた。
「すぐに動き出すのは危険だ! この場所から動かないでください!」という市職員の大きな声が繰り返し聞こえる。
「丸山さんはここにいてください。皆さんを頼みます。消防団の方々は私と一緒に来てください。町の被害状況を確認します。必ず二人一組で行動してください。単独行動は危険です!」
危機管理室にも緊急地震速報が鳴り響いた。そこにいた全員が緊張する。
「来るぞ!」と、誰かが言った。
その後すぐに、ゴーという音がして市庁舎が全体が激しく揺れた。
壁のキャビネットからバサバサとファイルが落ち、デスクにあるものが滑り落ちる。
だがパソコンや複合機やミーティングテーブルなどは、地震に備えて固定してあるので、大きく動くことはなかった。
2分ほどで落ち着いた時、危機管理室に岡部市長が飛び込んできた。
「震源地は?」
「石廊島南南東2キロ。マグニチュード7.0。震度5以上!」
「石廊島の被害の程度は?」
「まだ、報告が入っておりません!」
地震がおさまってきて、皆おそるおそる立ち上がった。
市庁舎からみた外の風景には、特に大きな変化は見当たらない。
やはり被害の中心は石廊島なのだろうと誰もが思った。
十数分後、危機管理室の衛星電話が鳴った。
「岡部市長、石廊島出張所から連絡が入っています」
「私が話そう」と言って衛星電話の受話器を取った。
「市長の岡部だ。そちらの状況は?」
周りの職員が、岡部の電話を固唾を呑んで見守っている。
「状況はわかった。被害状況の確認を続けてくれ」と言って電話を切る。岡部は周りを見渡して言った。
「今のところではあるが、家屋全壊が5軒、半壊が10数軒、軽微な被害についてはもっと多くなるが……死者や重傷者はゼロだ」
おおっ! という声が職員から一斉に漏れた。
いち早い避難が功を奏したのだ。
近くにいた副市長は思った。
……ストレートに耐えましたな。岡部市長。




