第45話 生涯学習課長の独り言
9月第1週の市長室。
「石廊島の発掘調査が終了したそうです。文化振興課の漆原君から報告がありました」と、危機管理室長である副市長が簡単に報告した。
「そうか。発掘では島の100年周期の地震を否定する証拠は見つからなかったのだな?」と、岡部市長が聞く。
「漆原君からの詳細報告はまだですが、口頭の報告では地震の根拠はむしろ強化されたということです」と、室長。
「近頃、小さな地震を明らかに感じなくなってきたが、危機管理室に集まっているデータはどうなっている? また専門家は何と言っている?」
「7月の末から8月いっぱいの約1か月、有感地震は極端に減っていて、現在でもこの状態が続いております。専門家は相変わらず警戒は継続すべきと言っていますが……」
今月末にはいよいよ選挙がある。
地震の兆候がどう変化するかは予断を許さないが、市長任期が続く限りは、警戒を維持しようと岡部は思っていた。
「地震への対応は、準備を終えたのだな?」
「過去の被害が石廊島にほぼ限定されていましたので、島内を最優先し準備を終えています。その結果、予備費はほぼ使い果たしています。もしこれ以上の対策をするのであれば、本予算からの流用が必要となるでしょう」
「本予算に手をつけるには議会の承認がいるし、Xデーがもう目の前に迫ってきている。何とか、今の準備で乗り切れれば良いのだがな」
「こう言ってはなんですが、もし9月に地震が来なかったら……」
「その結果は分かっている。今は対立候補と拮抗状態だ。このまま小地震がおさまった状況が続けば、あちらが益々有利になるだろう。その時は腹を括るしかないな」
同じ日の夜、下田市街にある会員制クラブの一室。
「岡部も阿呆な男だな。起こりもしない地震を頼みにして、人気の回復を謀ろうとは」と、対立候補が愉快そうに言った。
「そうですな。7月終わりごろから、小さな地震がすっかりなくなって、市民も地震のことは意識しなくなっているようです。市長弾劾キャンペーンも一応効果を上げているようです」と、道路局長が応える。
「9月に100年周期の地震が起こるというのは、もともと岡部の策略だったのではないのか? 悪あがきってやつだ。ありもしない地震に事よせて、選挙を乗り切ろうとした浅はかな魂胆だったんだろう。ところで票の方は大丈夫だろうか?」
「半島側は順調に確保しつつありますが、地震対策が評価されて石廊島では市長支持派が大多数を占めています」
道路局長は、市内の土木・建設会社に強烈な影響力を持つ。
もちろん公務員である以上、表立ってはできないが、やり方はいろいろある。
「選挙前にそれを切り崩す必要があるな。本部長に言っておいてやろう。ちょっと強引な票集めはやつの担当だからな」
対立候補の選挙対策本部長は同郷で、幅広い人脈を持っており、時には票を集めるために危ない橋を渡ることも辞さない男である。
「石廊島の漁民たちは、半島側沿岸の連中と連帯していますから結構な票田です。是非取り込みたいところです」
「よし。選挙運動が始まったら、真っ先に石廊島に乗り込んでやる」
と言って、対立候補は高級ウィスキーを一気に干し、満足の吐息を漏らした。
同じ日の夜。
伊豆南市内の繁華街の一角に、カウンターだけの小さな飲み屋がある。
6~7人も入ればいっぱいになる程度の小さな店だ。そこに二人の客がいた。
壁に近い中年の客は、ほとんど酔いつぶれていて、その近くには初老の男がいる。
二人ともこの店の常連だが、直接の知り合いではない。
カウンターの中の女将は、お気に入りのテレビドラマに夢中になっていて、客の注文の時だけ腰を上げた。
壁の中年は、先ほどから何かぶつぶつと独り言を言い続けている。
俺をコケにしやがってとか、俺はあいつが裏でやっていることを知ってるんだ、とかの言葉が近くにいる初老の男にも聞こえる。そして、
「女将、酒!」と、壁の中年は、目の前の徳利を振った。
「もういいかげんにしたら? 今日は飲みすぎよ。それにずいぶんとご機嫌斜めね」と、女将が言う。
「いいから、もう一本!」と、壁の中年。
「はいはい、わかりましたよ」と応えた女将が何気なく、まったく役人はこれだから、という独り言が初老の男の耳に入った。
職業柄、初老の男は女将の言葉に興味を持った。
女将が酒の燗をするために奥に引っ込んだところを見計らって、うつらうつらしている壁の中年の顔をすばやく盗み見た。
……この男、どこかで見たことがある。確か庁舎内の……教育系の部署の一角の……文化振興課長だ。
「はい、お待ちどうさま」と、女将が徳利をカウンターに置き、すぐテレビに戻った。
壁の中年の手が危なっかしく、あやうく徳利を倒しそうになったところを初老の男が取ってやり、やさしくグラスに酒を注いでやった。
壁の中年は、初老の男の酌を素直に受けた。
常連同士というのは、お互いに警戒心をあまり抱かないものだ。
「なかなか大変ですな。人のつきあいって難しいものですからな」などと、初老の男はやさしく話しかけた。
壁の中年は、話を聞いてもらえる相手を見つけて、うっぷんを吐き出すように話し出した。
女将は、相変わらずテレビに夢中で、二人の方を全く見なかった。
初老の男は、壁の中年の話を頭に刻みつけた。
彼は、地元紙の新聞記者だった。




