第41話 地震兆候の終息?
今年の梅雨は、7月20日の夏休み開始と同じ日に空け、それから一気に暑くなった。
発掘調査は最も厳しいシーズンを迎える。
炎天下の現場作業では、こまめな水分補給と小休憩を取らないと、あっという間に熱中症になってしまう。
調査員は作業員に最も気を遣う時期である。
暑さは体力を消耗させ、作業への緊張感を失わせ、事故を誘発する。
とは言っても、作業員はみな農家を営んでいて屋外作業に慣れており、こうした心配はほとんど無用であった。
都会の発掘調査では、体力の無い人が多く集まるが、ここはそうではないので摩耶にとってはありがたかった。
第2面の調査は順調に進み、予定より早く終了した。
結局、地震と絡む遺構は、例の地割れに詰め物をした溝のみで、他は土坑や建物跡などの遺構で数量も思ったほど多くなかった。
漆原の了解を得て、重機による掘削作業を7月最終週に開始した。
第2面から30センチほど下がったところが第3面となる。
ここからは、平安時代前後の遺物が試掘時に見つかっている。
源さんがバックホーで慎重に第3面を露出させていく。
いつものように摩耶と漆原は並んで、源さんのバケット先端の動きを見守っている。
「漆原さん、準備は進んでいるのですか?」と、摩耶は言った。
地震の、と言わなくとも漆原には分かる。
「危機管理室では、さまざまな準備を進めています。公けにはしていませんが、Xデーを9月17日に設定したのだそうですよ」と、漆原。
「9月17日? その日にXデーを設定したのは、何か根拠があってのことなんですか?」と、摩耶。
「9月17日は、1919年の地震が発生した日なのです。岡部市長は、その日までには準備を終わらすつもりのようです。そして市長選挙が9月30日にあります。現市長として必要な措置を選挙前までには、完了させておきたいと考えているようですね」
「市長選挙ですか。市長は代わりそうなのですか?」
「岡部市長は4期目を目指していますが、現在は対立候補の方が有利と言われています。一時期、道路局長への暴言で人気が急降下してしまったんですが、時間が経つにつれて持ち直しているようですね。詳しくはわからないんですけど」
その時、重機の源さんが二人に声をかけてきた。
「なんかそこに、でっかい地割れの段差がありそうだな」
二人はその場所に行って確認し、源さんに慎重に調査面を出すように指示した。
7月の最終週以降、不思議なことに地震の兆候がピタリと静まった。
地震学研究所から提供されている合成開口レーダーによるSAR干渉画像の縞模様が消えた。
また、明らかに体に感じる小地震が少なくなってきたように感じられた。
伊豆半島周辺の海底に設置してある地震計も、一様に数値が低くなる傾向にあるとの気象庁からの報告が危機管理室にあった。
だが地震の専門家たちは、一斉に地震の兆候が静まった現象に、むしろ警戒を強化し始めた。
大地震直前のパターンの一つに今回のような一時的な平穏期が存在することもあるらしい。
この地震の兆候がおさまってきたことに歓喜するグループがいた。
市長選の対立候補である。
8月に入って、地震の兆候が終息に向かっていることを指摘し、地震対策には反対はしないが危機管理室を設けるほどの必要があるのか?
思ったほど心配する必要はないのではないかと、科学的根拠より小地震が減ったことによる安心感を人々に訴えかけ、のど元過ぎれば熱さ忘れるの諺をうまく利用しようとしていた。
それより市長の暴言をゆるさないことを今一度確認し、市長への圧力を強めようではないか、というキャンペーンを開始した。
一方の現市長派は、地震専門家の意見を尊重し、まだ地震の脅威は去っていない、まだまだ警戒は必要であることをアピールして対抗する。
8月前半も地震の平穏はそのままで、対立候補のキャンペーンは徐々に効果を上げ始め、再び岡部市長の人気の回復は足踏み状態となった。
7月最終週から、最終調査面である第3面に着手した。
この調査面上で見られる遺物は、平安時代を中心として奈良時代と中世初期を若干含んでいる。
摩耶は地震痕跡が見つかるとしたら、1319年、1219年、1119年、1019年、919年、819年、719年あたりか、と考えた。
調査面上には、いくつもの地割れが走っていることがすでに見て取れる。
摩耶は作業員に指示してジョレンでの遺構確認作業を開始した。
……さあ、最終調査面だ。気合いを入れて行こう。
いよいよ発掘調査は、最終段階に入った。




