第33話 佐伯老人の提案
伊豆南市長の岡部に、佐伯老人から電話がかかってきたのは、数日前のことだった。
週末にちょっと会って話がしたいが都合はどうか? と聞かれた。
佐伯老人は昔からの知り合いで不快な相手ではない。
むしろ様々なサジェスチョンをもらえる魅力的な人物なので快諾した。
週末に老人が所有する別荘で会うことになった。
岡部は今、さまざまな政治的問題を抱え悩んでいる。
佐伯老人に問題解決を求めるつもりはなかったが、何か良い刺激をもらえたら、というぐらいの軽い気持ちだった。
会ってみると、老人は驚くほど正確に今の岡部の苦境を理解していた。
その問題とは、例の発言がすべての起点となっている。
だんだん年をとると物事にがまんができなくなる。
自分でもあの時はしまったと瞬間思ったが、もう遅かった。
普段は沈着冷静な岡部も、道路局長のふざけた挑発に乗ってしまったのである。
どうして買収が進まないのか? という岡部の質問に対して、道路局長はニヤニヤしながら、そのうち何とかなるでしょうよ、とまるで他人事のように言った言葉に岡部は思わず、ふざけたことを言うな、土地買収とは真剣勝負だ、相手の首を取る覚悟交渉に臨まなくて買収など進むはずがなかろう、と言ってしまった。
これが録音され曲解されて、相手を殺してでも買収を成功させろという意味の記事をメディアが報道したのである。
岡部の人気は一気に急落した。
現在は3期目で、自分では4期16年で一区切りにしたいと思っていた。
実施した政策はようやく2期目あたりから軌道に乗り、あともう1期やれば自分でも納得できるものとなるだろう。
だから何としても9月の市長選挙には勝ちたいと思っていた。
しかし、再選は絶望的な状況にあることは自分でも分かっている。
こうした岡部の苦境を承知した上で、老人は言った。
「岡部君、今のままでは君に次ぎの目はない。そこで今日は君にあることを提案しに来たんだ。今の状況を一気に覆して、君を再選に導く秘策がある。聞きたいかね?」
岡部は、老人の言に興味をもった。
今の自分にどのような可能性があるというのだろうと思って一瞬緊張したが、出てきたのは地震という意外な言葉だった。
岡部がびっくりしたのは、今年中に大地震が伊豆南市を襲ってくるというのである。
正確には管内の石廊島付近を中心としたものらしい。
一瞬なにをバカなことをと思ったが、老人は徹底した現実主義者であることを良く知っているので、自分が知らない何かがあると直感した。
現在、石廊島で発掘調査が行われていて、そこに過去の地震の痕跡が発見され、発生した年が分かったという。
しかも島には100年周期の地震伝説があり、記録に残っているものと発掘などの成果を合わせて考えると、今年9月に大地震が島を襲う可能性が極めて高いという内容であった。
岡部は、確かに地震についての可能性は以前から耳にしていた。
それは南海トラフなどによるもので、気象庁などの警報に注意していればよいと思っていた。
しかしそれとはまったく違うものであるらしい。
老人は言った。
「発掘調査に関して詳細なことを知りたければ、岡部君のところの文化振興課に担当がいるから聞けばよい。問題は地震が起こるかどうかの確率だ。これについては、わしの甥が考古学者なのだが、ヤツが島に行って状況を見ていて、今年しかもこの9月に地震が起こる可能性が極めて高いということなのだ。甥だからというわけではないが信頼できる男だ」
老人はさらに続けた。
「岡部君、ここからが大事なのだが、地震の備えを万全にするのだ。地震の対策チームを組織して、いかなる犠牲者も出さないように全力で準備をするのだ。9月になれば選挙を迎える。その時までに地震が来なければ、新市長によって地震への備えは解除されるかもしれない」
「しかし決して嬉しいことではないが、選挙までに地震が発生し、可能な限り被害を軽減させることができたなら……先見の明と信念によって準備を進めた君は、市長として称賛されるだろう。君の現在の不評を補って余りあるものとなる。選挙で勝つ方法はこれしかない。どうするかは君次第だ……」
老人の別荘を辞して、帰宅する車のバックシートで、岡部は考えに耽っていた。
今の岡部には、老人の提案以外に選挙に勝てる案はない。
それを実行したからとて伊豆南市の市長としてなんら法律違反するわけではなく、災害対応はむしろ積極的に行うべきものである。
岡部は、佐伯老人がACHの大株主であり、対立候補がACHのライバル企業と繋がっていることも知っている。
伊豆南市には大型開発案件が控えているから、岡部の再選が望ましいと考えているはずだ。
だが、この秘策を考えついたのは老人自身ではあるまい。
ローカルな発掘の成果などとは無縁だろう。
おそらく老人に近い何者かが、発掘調査の成果と島の100年周期地震の伝説と伊豆南市長選挙の3つを考え抜いて案出した秘策なのだ。
彼が老人に岡部を説得させたとみるべきだろう。
……切れる奴だな。
そんな部下を自分も欲しいと思いつつ腹心の副市長に電話し、すぐ自宅に来るように命じた。




