第24話 地震の発生時期、まさか……
「小泉さん、ちょっといいですか?」と、丸山から声がかかった。
地割れがちょうど真ん中に走っている土坑を掘っている。
「遺物が出てきたので、ちょっと見てもらえますか?」確かに遺物の一部が見えている。
陶器片らしい。
「丸山さん、遺物を竹ベラとハケで、もう少しきれいにしてみましょうか。それが終わったらセクションと合わせて、写真と図面を取りましょう」
土坑を全部掘らずに半分だけ掘るというのは、どのように土が溜まっていったのかを観察するためで、考古学ではセクションと呼び、分層して記録する。
摩耶は、セクションを詳細に観察した。
……地割れを除けば、普通の自然堆積ね。
中央には縦に断層が走っており、それを境に5センチくらい上下にずれている。
作業用の腰袋から、5寸釘を取り出し分層線を描いていく。
各層の特徴をフィールドノートにメモする。
それから、カメラバッグから一眼レフタイプのデジタルカメラを取り出して、セクションを撮影する。
以前はフィルムカメラが主体であったが、フィルムが品薄で高価となってきたので、ようやくデジタルカメラが容認されるようになった。
「丸山さん、セクションの図面を取りましょう。川口、丸山さんにセクションの取り方を説明してあげて」と、摩耶は川口に声をかけた。了解です、との返事が聞こえた。
川口・丸山が図面作業をしている間に摩耶は、そこここで行っている遺構の掘下げ作業を見回る。
作業員はやはり農家出身が多いため、皆、土に慣れているようだ。作業は順調に進んでいる。
「摩耶先輩、セクションの図面、完了です」と、川口。
「そしたら丸山さん、もう半分を掘って、土坑を完掘しましょう」と、摩耶。丸山は、分かりましたと応えて、再び掘り始める。
「川口、ちょっと」と、摩耶が呼ぶ。なんすか、と応える川口に、
「例の遺物特定システムを試してみない? 今、丸山さんが掘っている土坑の遺物。底面付近に陶器が何点か出土しているから、それの年代が分かれば、地割れの時期がある程度分かるんじゃない? 丸山さんも興味があると思う」
丸山が、笑顔でうなずく。
地割れは土坑を引き裂いているわけだから、土坑が造られた時期より後に地震が起こったはずである。
「あたしが見たところでは、18世紀始めのころの瀬戸美濃の椀だと思う」と、摩耶。
丸山が土坑を完掘し、摩耶はカメラで遺物の出土状況を撮影した。
川口と丸山が遺構の図面を作成する。
それが終わった後に、摩耶は遺物をゆっくり傷つかないように取り上げた。
丸山は事務所から水を入れたバケツと雑巾を持ってきた。
「じゃあ、ちょっとやってみますよ」と、川口。
数点ある中で一番大きい陶器片を選んで、バケツの中で汚れを落とし、雑巾で丁寧に拭いた。
そして川口は自分が持っているスマホを取り出し、違った角度から陶器を2回撮影し、画像を確認すると、スマホをタイプして、ACHのサーバに送信した。
数秒後に電子音がして結果が返ってくる。
「摩耶先輩、産地は瀬戸美濃。器種は椀。時期は西暦1717年プラスマイナス1年ですね」と、川口が言った。
摩耶にとっては、だいたい思った通りの結果だったが、これを聞いた丸山は、とても興奮した様子である。
「小泉さん、川口さん、これはちょっと興味深いことになってきました」と、丸山は言って、胸ポケットからメモ帳を取り出した。
「石廊島で過去、大きな地震が100年周期で起きる言い伝えがあることは前にお話ししました。それを自分なりに調べているのですが、一番最近に起こったのが、1919年9月で、大正8年のことです。その前が1819年10月で、文政二年になります。これは島にあった石廊寺の過去帳に記載されていたのですが、過去帳の控えを作らないうちに、寺は火災にあって過去帳も焼けてしまいました。ですからそれ以前は、地震が起こった時期が明確でないのです」と、丸山。
「とすると、1919年と1819年ですから、ちょうど間隔が100年と言うことですね」と、摩耶。
「そうなのです。で、先ほど川口さんが、この地割れで引き裂かれている土坑の遺物が1717年。地割れが起こったのはそれより後となりますよね」と、丸山。
「そうか。もしかしたら地震が1719年に起こったものかもしれない可能性があるわけですね」と、川口。
摩耶・丸山・川口は同じことを考えていた。
1719年の次が、1819年、そして1919年……
その間隔で発生しているとすれば、次に起こるかもしれない年は……
2019年! 今年ではないか!
3人は、思わず顔を見合わせた。




