生き別れ
ラッテラ国はここ数年で目まぐるしいほどの経済成長を遂げた。首都のザクラでは高層ビルが立ち並び、あらゆる国内外の産業が乱立し競い合っている。富裕層が多く暮らしており、ジジャンの一家もそのうちの1つであった。
16歳になったジジャンは、今日まで何一つ不自由なく暮らしてきた。高等教育を受け、あらゆるしつけを教え込まれて素行の悪さとは縁の無い少年に育った。彼の両親は自分たちのような裕福な家から育ちの悪い子が出たら恥だと思っており、ジジャンもその考えを引き継いでいたのである。
学校の生徒たちもジジャンのように礼儀正しく、それを誇りに思っていた。彼らも同じように裕福な家の育ちであり、ジジャンはそんな彼らとの交流の中でより優等生へと育っていった。
そんなジジャンには1つだけ不思議に思っていることがあった。それは家にあったアルバムの1枚の写真である。自分が1歳か2歳くらいの頃の写真に3つ上くらいの子どもが写っているが、その子どもが誰なのかが分からないのだ。他の写真に写る子どもたちはみんな自分の友達であり、昔の写真とはいえ誰なのかは見当がつく。だが自分の記憶がない頃に一緒に写っているこの子だけは分からないが、両親に聞いてもはぐらかされたのであまり気にしていなかった。
その頃500キロほど北に行ったネステラという街を拠点にした強盗団が世間を騒がせていた。彼らはさまざまな都市に武器を持って押しかけては金を奪い、従わなければ殺すということを繰り返していた。ラッテラ国は経済成長を遂げたばかりなため貧富の差が激しく、首都のザクラ以外の都市にはまだ経済成長の恩恵が届いていないところも多くあった。中にはスラム街もあり、決して治安のいい国とは言い難かった。
遥か北部の出来事とはいえ、ジジャンにとって同じ国でそのような集団がいることに驚きを隠せなかった。友達に対しても「考えられない連中だ」と言い、それを聞いた友達も「僕たちとは違う種類の人間なんだろう」と嘲りを込めて笑っていた。あくまでそれは遠く離れた地での出来事であり、万全の警備体制を誇るこのザクラでは縁のないことだと誰もが他人事に思っていたのである。
だがそんな強盗団がザクラに狙いをつけた。貧しい彼らにとって富がたんまり眠るこの街は魅力しかなかったのだ。あまりにも突然の出来事だったため、警備体制もすぐに作動せず、また住民たちも避難する時間がなかった。
それは闇に染まった空を満月が妖しげに照らす夜のことであった。いつもなら静まりかえるはずの街に恐怖と動揺が一気に押し寄せた。
「手を挙げろ」と言って、銃を持った2人の男がジジャンの家に押し寄せた。1人は20歳くらいの青年で、もう1人はその2倍ほど歳をとっているであろう熟練の団員のようだった。
ジジャンも両親もあまりのことにしばらくあっけにとられて声を出すことができなかった。そうしている間にも2人の男は銃口をこちらに向けている。
「大人しく全財産を差し出せ」
と熟練の方の団員が脅しをかけてくる。その声は冷静なようだが、逆らえば何をしてくるか分からない恐ろしさを秘めていた。眼光は背筋が凍るような冷たさで、この世のすべてを信用していないかのような瞳であった。
「分かった。言う通りにするから助けてくれ」
ジジャンの父親は勇気を振り絞ったが、その言葉を言うのがやっとだった。だがここで躊躇いが生まれた。
財産とは彼にとってこれまでの自分が築いてきた作品ともいえるものだったのだ。いわばそれのために生きてきたといっても過言ではない。
命と金とどちらが大事かと聞かれれば、大抵の人が命と答えるかもしれない。しかしそれは平素の時の質問だ。いざ本当に自分の全財産がすべて無くなるという状況を目の前にして、ジジャンの父はその現実を受け入れるのに時間がかかった。
「早くしろ」
しびれをきらした男が怒鳴りつけた時に、もう1人の20歳くらいの男が「ここは任せてください」と言ったことで、熟練の方の男は出ていった。
とはいえ状況は何も変わってはいない。もう1人の若い男も銃をこちらに向けて家の財産を奪おうとしているのである。ジジャンは正気を保つのでやっとだった。これまでの人生で危険なことなど皆無であった。自分の進む道にそんなものはないのだと確信していた。それが今生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている。
「お渡しします。だから出ていってください」
父は金を取り出そうとした。するとその若い男は、
「金はいい。俺は話があってきたんだ」
と言ったから、ジジャンたちはいよいよわけが分からなくなった。一体自分たちに何の話があるというのだろう。
「俺が誰か分からないか」
男はそう言うと銃を床の方に向けた。
「長い間この家に来れる日を待っていたんだ」
男の不思議な発言に対してジジャンたちは黙り込むしかなかった。
「俺はラードだ。お前たちの家族だった」
それを聞いた途端に、ジジャンの両親は声にもならないような音を喉の奥から発した。
「本当にラードなのかい?」
母は声を震わせながら少しその男の方へ近づいた。父も男の顔を凝視して
「そうだ。微かに面影が残っている」
と言って涙で目を湿らせた。
14年前、ジジャンたち一家は別の街に住んでいた。その時に強盗団がその街に押し寄せ、彼らの家も襲撃を受けた。そして金を払えない代わりとしてまだ5歳だった子どもを攫っていったのだ。それがラード、今目の前にいる男である。それから両親は恐怖からその街を離れ、ザクラへと移り住むことにした。
ジジャンはすべてを理解した。昔のアルバムに写っている謎の人物は、自分の兄だったのだ。まだ2歳だった彼には兄が攫われた記憶は残っておらず、両親もそのショックな出来事を彼に伝えようとしなかった。
ラードは攫われてから今に至るまでのいきさつを話し始めた。
「俺は攫われてから、金持ちの家に売られた。とんでもなくひどい奴らで俺を人間として扱わなかった。まともに食べ物も与えられず餓死しかけた時にどうしたと思う?」
彼は訴えかけるような視線で語り続けた。その目つきはさっきの男に比べると柔らかくどこか寂しげなものがあった。
「その一家を全員殺したんだ。そうしないと自分が死ぬと思ったからな。そして追われる身となった俺はネステラの街で、自分を攫った強盗団に入ったんだ」
そこまで聞いて母は、涙を流しながら叫ぶように訴えた。
「でもこうして今会えたのよ。私たちもあなたに会いたかった。これからは足を洗って一緒に暮らしましょう」
「そんなことはできない。俺はこの強盗団の中でしか暮らせないんだ。まともな生活なんてできっこない」
「そんなの馬鹿げている。何でそんな穢れた生き方を選ばなければいけないんだ?」
父も必死にラードを説得しようとした。
だがラードの意思は固いようだった。
「穢れたと言ったな?じゃあお前たちは誰からも非難されないような綺麗な生き方をしているのか?」
「当たり前だ。お前たちのように人を殺したりしない」
「さっき金を差し出すように脅された時に躊躇していたな。あれはどうしてだ?家族の命を守らないといけない状況でも自分がため込んできた財産が惜しくなったんだろ?しょせんお前たちは守銭奴だ。」
「なんてことを言うんだ。生活するために金がいる。だから金とは大事なものなんだ。絶対に手に入れなければならないし手放せないものなんだ」
父は、相手がさっきまで自分たちに銃口を向けていた男だということは忘れたかのようだった。
「金は絶対に手に入れないといけないというのなら、俺たちのやり方だって正当化されるはずだ。俺たちはみんな貧しくて明日食うものにさえ困っている。だから街を襲うんだ。」
「馬鹿を言うな。盗みや殺しが正当化されてたまるか。」
「それが金持ちの理屈だ。自分たちは綺麗な方法で金を得ている。だから批判はされない。だが本当にそうか?俺はかつて金持ちの扱いによって死にかけた。それに金持ちが弱い立場の人間を搾取している場面を多く見てきた。それはたしかに直接的な強盗や殺人ではないかもしれない。だがその分もっとたちが悪い。それによって人を不幸にしたところで、犯罪にもならないし悪事だとさえされない。いつまでも善人面していられる。そんな金持ちの家で暮らすくらいなら、こうやって街を襲って暮らしている方がよっぽどいいさ」
ジジャンは黙って聞いていたが、その理論に反感と恐ろしさを覚えた。彼にとって何よりも衝撃なのは、その理論を振りかざしているのが自分と血の繋がった兄だということである。彼は恐る恐る口を開いた。
「そんなのおかしい。金を得るためといっても最低限の人間としての節度があるはずだ。金持ちといったってみんながみんな悪銭を掴んでいるわけじゃない。ちゃんとしたビジネスをやって得た金もある」
「ジジャンか、お前大きくなったな。とはいっても俺のことは覚えてないだろうけど」
「お前なんか僕の兄じゃない。僕はお前みたいな生き方はしない」
「じゃあもしお前が俺と同じ状況に置かれたとしたら、俺のようにならなかったと断言できるか?それでもお前は善人であり続けられたか?」
そう言われてジジャンは反論ができなかった。たしかに自分は何一つ不自由なくこれまで暮らしてきた。だがそうでなかったとしたら、自分も道を踏み外したかもしれない。実際に自分と血の繋がった兄はそうだったのだ。ジジャンはこれまで自分は根っからの善人であると自負してきたし、世にはびこる犯罪者などは自分とは縁のない全く別の人間だと思っていた。だが今その前提が揺らごうとしていた。ほんの少しの運命の行き違いで、自分も同じ道を辿ったかもしれない。14年前に攫われたのは兄だったが、それが自分だったらどうなっていただろうか。
「まあいいさ。ジジャン、俺はお前が元気に育ったのを見れて満足だ」
そう言ってラードは初めて表情を緩めた。その目は弟を気遣う兄のそれであった。
「俺はもうここには来ないし、この家には危険が及ばないようにするさ。じゃあな、家族に一目会えて嬉しかったよ」
ラードは振り返らずに家を出ていった。その背中はどこか悲しげであるように、ジジャンには感じられた。